ブレア・ウィッチ・プロジェクト

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ブレア・ウィッチ・プロジェクト
The Blair Witch Project
監督 ダニエル・マイリック
エドゥアルド・サンチェス
脚本 ダニエル・マイリック
エドゥアルド・サンチェス
撮影 ニール・フレデリックス
公開 1999年7月16日 アメリカ合衆国の旗
1999年11月23日 日本の旗
上映時間 81分
製作国 アメリカ合衆国
言語 英語
制作費 $60,000
次作 ブレアウィッチ2
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ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(The Blair Witch Project)は、1999年公開のアメリカ映画。日本公開は1999年11月23日(祝日)全国松竹東急系にて。全米公開は1999年7月30日。最初は7月16日に北米限定公開だったが、話題を呼び、拡大された。

目次

[編集] 概要

超低予算(3万ドル)・少人数で製作されながらも、全米興行収入1億4000万ドル、全世界興行収入2億4050万ドルという大ヒットを飛ばして話題となった。インディペンデント作品としては、異例の話題作。サンダンス・フィルム・フェスティバル'99正式作品。第52回カンヌ国際映画祭監督週間正式作品。

魔女伝説を題材としたドキュメンタリー映画を撮影するために森に入った三人の学生が消息を絶ち、1年後に彼らの撮影したスチルが発見されたという設定を持つ映画で、三人の学生が撮影したビデオをそのまま編集して映画化しているため、背景説明などが全く無く、謎が謎のまま終わっている。映画の手法としては、擬似ドキュメンタリー(モキュメンタリー)映画として宣伝された。DVD版のジャケットともなっている顔のアップは世界中で使用されている有名なカットである。

メディアミックス(「複合世界」として宣伝され、インターネットウェブサイトテレビの特別番組、書籍が特に効果的な宣伝効果を挙げた)を展開しつつも、物語の核心に繋がる部分の情報を極端に制限した手法があたり、ヒットした。なお、この手法はホラーゲームの『SIREN』や、同人ゲーム『ひぐらしのなく頃に』も手本にしたとされる。


注意以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。


[編集] あらすじ

1994年10月、モンゴメリー大学映画学科に通う三人の学生である三人、女性監督のヘザー、録音担当のジョシュ、カメラ担当のマイクは、その土地に今なお残る伝説の魔女「ブレア・ウィッチ」を題材としたドキュメンタリー映画を撮影するために、メリーランド州バーキッツヴィルのブラック・ヒルズの森に向かう。

だが、森の中で撮影を続ける三人は、不可解な現象にまきこまれ、想像を絶する恐怖を体験し、そのまま消息を絶った。手掛かりが発見されないまま、やがて捜索は打ち切られる。しかし事件から1年後、彼らが撮影したものと思われるフィルムとビデオが、森の中で発見されたのだ…。本作品は、彼らの残したフィルムを再構成し、映画化したものである…という設定となっている。

1日目
付近の住民達へ、森の魔女についてのインタビューを行う。
2日目
ブラック・ヒルズの森で、テントを張って泊まり込み、順調に撮影を進める。
3日目
深夜、墓のように積み上げた石が並んでいる、いわくつきの魔所コフィン・ロックで野営するが、大勢の人が走り回っているような謎の物音を聞く。
4日目
撮影も終わって車に戻ろうとした3人は、道に迷ったことから雨の中、ひと悶着をおこす。テントの中で、謎の音を聞く。
5日目
朝起きると、昨夜は見なかった積み上げた石の山が、テントの周囲に3箇所あった。ヘザーの地図も消えていたが、ストレスを溜めこんだマイケルが捨てたことが判明し、大喧嘩になる。歩き疲れた3人の前に、木にぶらさがった「木切れで作られた人型のオブジェ群」を見つける。その夜、赤ん坊の声がしてテントが揺さぶられ、3人は闇の中を逃げまどう。
6日目
テントに戻ると荷物が散乱しており、ネバネバした青い粘液が付着していた。川があり丸太を渡った後、南にむかって15時間歩いたにもかかわらず、なぜか丸太の場所に戻ってしまい、恐慌状態に陥る。ヘザーはカメラを回し続け、残るふたりの怒りを買う。
7日目
朝起きると、ジョシュアが行方不明になっている。ジョシュアを探し回り、空腹とストレスにより疲労困憊になる。深夜になって、ジョシュアらしき声が響く。
8日目
ジョシュアの服の切れ端で束ねられた枝の中に、血まみれの臼歯と髪の毛をヘザーが発見する。ふたりの両親への謝罪を、カメラに残す。深夜、再びジョシュアらしき声を聞いた二人は、声を追ううちに「朽ち果てた館」に迷い込む。館の地下室には、何者かが立っている姿があったが、その瞬間に何者かに殴られたのか、カメラが落下した所でフィルムは終わっている。
1年後
行方不明になった彼らのフィルムだけが発見された。

[編集] ブレア・ウィッチの伝説

メリーランド州バーキッツヴィルに伝わるブレア・ウィッチ(劇中ではエリー・ケドワードと推測されている)の呪いの伝説は、17世紀に始まる。特に印象的な歴史的に大きな事件が3回起こっている。(アイリーン・トリクール事件・コフィン・ロック事件・ラスティン・パー事件)

  • 1734年 ブレアの町設立。
  • 1769年 エリー・ケドワード渡米
  • 1785年 エリー・ケドワード追放
  • 1786年 ブレアの町廃墟に。
  • 1809年 『ブレア・ウィッチ・カルト』出版。
  • 1824年 ブレア跡地にバーキッツヴィル設立。
  • 1825年 アイリーン・トリクール事件
  • 1886年 コフィン・ロック事件
  • 1941年 ラスティン・パー事件
ブレア・ウィッチの誕生
1785年02月、数名の子供が、エリー・ケドワードが子供達の血を抜き取ることを目的に、家に誘い込もうとしたと訴え出る。ケドワードは魔術を使ったかどで有罪となり、寒さのとりわけ厳しい冬のさなかに追放されたため、死んだものとの憶測されていた。
1786年11月、ケドワードを告発した者たち全員と町の子供たちの半分が、真冬の頃までに姿を消してしまう。町の人々は呪いを恐れ、ブレアの地から逃げ出し、以後二度とエリー・ケドワードの名を口にしないことを誓いあった。
アイリーン・トリクール事件
1825年、11人の目撃者によると、青白い女の手が上がって来て、10才の アイリーン・トリークルを川に引きずり込んだ。アイリーンの遺体は発見されなかったが、彼女の溺死後13日間にわたって、油にまみれた木切れの束が小川に多数浮かび、流れがよどんだ。
コフィン・ロック事件
1886年、8才のロビン・ウィーバーが行方不明となり、捜索隊が出される。ウィーバーは無事に探し出されたが、捜索隊の一つが帰還しなかった。数週間後、内臓を完全に抜かれ、手足を縛り合わされた彼らの遺体が、ひつぎ岩で発見される。
ラスティン・パー事件
1941年05月、ラスティン・パーという名前の中年の隠遁者が、「ついにやり遂げた」と語った。徒歩で4時間かけて到着した警察が、彼が隠遁暮らしをしていた森の家にある地下の貯蔵庫で、行方不明だった7人の子供の遺体を発見する。儀式めいた殺され方をしており、内臓を抜かれていた。パーはすべての犯行を認め、森に住む「年老いた女の幽霊」のためにやったのだと当局に語る。その後、バーは有罪を宣告され、絞首刑に処される。

[編集] キャスト

  • ヘザー・ドナヒュー:へザー・ドナヒュー
  • ジョシュア・レナード(ジョシュ):ジョシュア・レナード
  • マイケル・ウィリアムズ(マイク):マイケル・C・ウィリアムズ

[編集] スタッフ

  • 監督・脚本・編集:エドゥアルド・サンチェス、ダニエル・マイリック
  • 音楽:トニー・コーラ
  • 製作:グレグ・ヘイル、ロビン・カウイ
  • 共同制作:マイケル・モネロ
  • 製作会社:ハクサン・フィルムズ(HaxanFilms)
  • 配給会社:アーティザン・エンタティメント(ArtisanEntertainment)

[編集] 備考

「ハクサン・フィルムズ」は、ダニエル・マイリック、エドゥアルド・サンチェス、グレグ・ヘイル、ロビン・カウイ、マイケル・モネロの5人が設立した。ハクサン(Haxan)は、スウェーデン語の魔女(Häxan)に由来する。

[編集] 関連イベント

[編集] 関連項目