「ブラジル人」の版間の差分
編集の要約なし |
en:Brazilians 12:15, 24 September 2017より出典を移植 タグ: サイズの大幅な増減 |
||
70行目: | 70行目: | ||
* ブラジルで生まれた者。両親が外国人の場合もあてはるが、しかし、その両親が外国人である者が外国の[[官公庁]]で働いていている場合([[外交官]]など)、その子供はブラジル人にはなれない。 |
* ブラジルで生まれた者。両親が外国人の場合もあてはるが、しかし、その両親が外国人である者が外国の[[官公庁]]で働いていている場合([[外交官]]など)、その子供はブラジル人にはなれない。 |
||
* ブラジル人の父親か母親の子供としてブラジル大使館または領事館で出生登録をし、外国で生まれた者。また、ブラジルで出生登録を受けてないブラジル人の父親か母親の子供として外国で生まれたが、18歳以上になってからブラジルに移住している者。 |
* ブラジル人の父親か母親の子供としてブラジル大使館または領事館で出生登録をし、外国で生まれた者。また、ブラジルで出生登録を受けてないブラジル人の父親か母親の子供として外国で生まれたが、18歳以上になってからブラジルに移住している者<ref name=autogenerated1>Constituição da República Federativa do Brasil, Artigo 12, I.</ref>。 |
||
* ブラジルに居住している外国人で、ブラジル国籍の申請をし、受理された者。 |
* ブラジルに居住している外国人で、ブラジル国籍の申請をし、受理された者。 |
||
77行目: | 77行目: | ||
ブラジルで国外退出もなく続けて4年間ブラジルで生活し、[[ポルトガル語]]が話せる外国人はブラジル市民権を申請できる。[[公用語]]がポルトガル語である国の出身([[ポルトガル]]、[[アンゴラ]]、[[モザンビーク]]、[[カーボベルデ]]、[[サントメプリンシペ]]、[[ギニアビサウ]]、[[東ティモール]])の人は、途中で国外退出がなければ、1年後にブラジル市民権を申請できる。 |
ブラジルで国外退出もなく続けて4年間ブラジルで生活し、[[ポルトガル語]]が話せる外国人はブラジル市民権を申請できる。[[公用語]]がポルトガル語である国の出身([[ポルトガル]]、[[アンゴラ]]、[[モザンビーク]]、[[カーボベルデ]]、[[サントメプリンシペ]]、[[ギニアビサウ]]、[[東ティモール]])の人は、途中で国外退出がなければ、1年後にブラジル市民権を申請できる。 |
||
ブラジル市民権を持っている外国人は、生まれつきブラジル国籍を所有している人とまったく同様の権利や義務を持っているが、[[大統領]]、[[副大統領]]、[[防衛大臣]]、[[国防長官]]、[[下院議長]]、[[軍隊]]、[[外交官]]になることはできない。 |
ブラジル市民権を持っている外国人は、生まれつきブラジル国籍を所有している人とまったく同様の権利や義務を持っているが、[[大統領]]、[[副大統領]]、[[防衛大臣]]、[[国防長官]]、[[下院議長]]、[[軍隊]]、[[外交官]]になることはできない<ref name=autogenerated1 />。 |
||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
ブラジル人は主に入植者、独立後の移民者、アフリカの奴隷、ブラジル先住民の子孫たちであり、多くはポルトガル、[[イタリア]]、[[スペイン]]、ドイツ語圏の人たちである。[[日本 |
ブラジル人は主に入植者、独立後の移民者、アフリカの奴隷、ブラジル先住民の子孫たちであり、多くはポルトガル、[[イタリア]]、[[スペイン]]、ドイツ語圏の人たちである。[[日本人]]、[[ポーランド人]]、[[ウクライナ人]]、レバントアラビア人の人たちもたくさんいる。1820年代から1970年代にかけてブラジルに渡った他の移民たちも同様である<ref name=j1/>。 |
||
{{multiple image |
|||
| align = left |
|||
| direction = vertical |
|||
| header = |
|||
| header_align = left/right/center |
|||
| header_background = |
|||
| footer = |
|||
| footer_align = left/right/center |
|||
| footer_background = |
|||
| width = |
|||
| image1 = Brazilians 001.JPG |
|||
| width1 = 330 |
|||
| alt1 = |
|||
| caption1 = ブラジルは多民族国家である。1列目: [[白人]] ([[ポルトガル人]]、[[ドイツ人]]、[[イタリア人]]、[[アラブ人]]、[[日本人]]。2列目: [[アフリカ人]]、[[パルド]]([[カフーゾ]]、[[ムラート]]、[[カボクロ]])、[[先住民]]。 |
|||
| image2 = Main ethnic groups in brazil.JPG |
|||
| width2 = 330 |
|||
| alt2 = |
|||
| caption2 = Main Brazilian ethnic groups.}} |
|||
=== 植民地時代(1500年~1822年)=== |
=== 植民地時代(1500年~1822年)=== |
||
主に3つのグループが存在した。ブラジル先住民、ヨーロッパからの入植者、アフリカ系の労働者である。 |
主に3つのグループが存在した。ブラジル先住民、ヨーロッパからの入植者、アフリカ系の労働者である。 |
||
87行目: | 108行目: | ||
* 当時、最初の移住者が[[16世紀]]に到着する前、ブラジルには推定240万人の[[アメリカ先住民]]が生活していた。彼らは[[更新世]]以来ずっとブラジルで生活していて、現在でも多くの部族や民族を形成し、その数は数百にものぼり、多様な特徴、形や色合いを見せている。1498年辺りに初めて[[ドワーティ・パチェーコ・ペレイラ]]率いる軍勢がブラジルに攻め込んできて、その後1500年と1502年にそれぞれ240万人と310万人の軍勢を率いた[[ペドロ・アルヴァレス・カブラル]]と[[アメリゴ・ヴェスプッチ]]が続いたが、その時点で何人の先住民が生活していたのかというのは諸説ある。より正確なデータとしては、ブラジル先住民は入植者が運んできた伝染病([[インフルエンザ]]、[[天然痘]]、[[しょう紅熱]]、[[結核]])や戦闘(ポルトガル、フランス、オランダと軍事同盟を結び、その結果起きた組織的大量虐殺によって死者が増え、さらに入植者が来た後に流産をしてしまう先住民である女性の割合も増えた)によってブラジル先住民の3/4の人が死亡したというものがある。一方で、生き残った人たちは[[アマゾン川]]流域へ逃れ、[[ラテンアメリカ]]の外へ移住する人もいた。[[イエズス会]]の保護の元で禁欲的な生活を送っていた先住民が都会へ抜け出し、移住した土地で異人種の人と結婚した人が多かったという事実も注目される。ヨーロッパで発生した病気が貿易ルートを経由して急速に広まり、ヨーロッパ人と直接戦闘などで関わったわけでもないのに先住民は全滅寸前まで追い込まれた。現在、51万7千人の先住民が定住していて16万人の人がいろいろな方言の母国語を話す。数百万人のブラジル人は異人種間で戦闘などがあったためにアメリカ先住民の血が混ざっている。 |
* 当時、最初の移住者が[[16世紀]]に到着する前、ブラジルには推定240万人の[[アメリカ先住民]]が生活していた。彼らは[[更新世]]以来ずっとブラジルで生活していて、現在でも多くの部族や民族を形成し、その数は数百にものぼり、多様な特徴、形や色合いを見せている。1498年辺りに初めて[[ドワーティ・パチェーコ・ペレイラ]]率いる軍勢がブラジルに攻め込んできて、その後1500年と1502年にそれぞれ240万人と310万人の軍勢を率いた[[ペドロ・アルヴァレス・カブラル]]と[[アメリゴ・ヴェスプッチ]]が続いたが、その時点で何人の先住民が生活していたのかというのは諸説ある。より正確なデータとしては、ブラジル先住民は入植者が運んできた伝染病([[インフルエンザ]]、[[天然痘]]、[[しょう紅熱]]、[[結核]])や戦闘(ポルトガル、フランス、オランダと軍事同盟を結び、その結果起きた組織的大量虐殺によって死者が増え、さらに入植者が来た後に流産をしてしまう先住民である女性の割合も増えた)によってブラジル先住民の3/4の人が死亡したというものがある。一方で、生き残った人たちは[[アマゾン川]]流域へ逃れ、[[ラテンアメリカ]]の外へ移住する人もいた。[[イエズス会]]の保護の元で禁欲的な生活を送っていた先住民が都会へ抜け出し、移住した土地で異人種の人と結婚した人が多かったという事実も注目される。ヨーロッパで発生した病気が貿易ルートを経由して急速に広まり、ヨーロッパ人と直接戦闘などで関わったわけでもないのに先住民は全滅寸前まで追い込まれた。現在、51万7千人の先住民が定住していて16万人の人がいろいろな方言の母国語を話す。数百万人のブラジル人は異人種間で戦闘などがあったためにアメリカ先住民の血が混ざっている。 |
||
* 公式の記録では、ブラジルは1500年にポルトガルによって発見され、72万4千人のポルトガル人入植者が植民地時代の終わりごろまでに入国してきたとされる。その多くは男性であった。その72万4千という数字よりはるかに多い人が入国しただろうと主張している別の資料もる。イエズス会修道士は[[ポルトガル王国]]に、両親を亡くして孤児になっている王室の保護下にある女性を移住者と結婚させるためにブラジルに送ってほしいと頼んだが、彼女たちはÓrfãs d'El-Reiという名称で知られている。植民地を統治する過程で、または国王のために戦ったなどの過程で亡くなってしまった貴族の娘は身分の高い入植者と結婚した。1551年、ブラジル北東部の[[バイーア港]]に最初の孤児たちのグループがやってきたが、19世紀まで、ポルトガルはずっとヨーロッパでブラジルに移住する人が多い国のひとつでしたが、もちろん他のヨーロッパの国からの移住もあった。 |
* 公式の記録では、ブラジルは1500年にポルトガルによって発見され、72万4千人のポルトガル人入植者が植民地時代の終わりごろまでに入国してきたとされる<ref>{{cite web|url=http://www.ibge.gov.br/ibgeteen/povoamento/portugueses.html |title=IBGE teen |publisher=[[Brazilian Institute of Geography and Statistics]] |accessdate=2011-12-29 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130224012534/http://www.ibge.gov.br/ibgeteen/povoamento/portugueses.html |archivedate=2013-02-24 |df= }}</ref>。その多くは男性であった。その72万4千という数字よりはるかに多い人が入国しただろうと主張している別の資料もる。イエズス会修道士は[[ポルトガル王国]]に、両親を亡くして孤児になっている王室の保護下にある女性を移住者と結婚させるためにブラジルに送ってほしいと頼んだが、彼女たちはÓrfãs d'El-Reiという名称で知られている{{sfnp|Telfer|1932|p=184}}{{sfnp|Bethell|1984|p=47}}<ref name="ensinarhistoria">{{cite web|url=http://www.ensinarhistoriajoelza.com.br/desmundo-o-brasil-do-sec-xvi/|title=Desmundo de Alain Fresnot, o Brasil no século XVI|publisher=ensinarhistoria|accessdate=22 April 2016}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.companhiadasletras.com.br/detalhe.php?codigo=10637|title=Desmundo by Ana Miranda (1996)|publisher=companhiadasletras.com.br|accessdate=22 April 2016}}</ref>。植民地を統治する過程で、または国王のために戦ったなどの過程で亡くなってしまった貴族の娘は身分の高い入植者と結婚した。1551年、ブラジル北東部の[[バイーア港]]に最初の孤児たちのグループがやってきたが、19世紀まで、ポルトガルはずっとヨーロッパでブラジルに移住する人が多い国のひとつでしたが、もちろん他のヨーロッパの国からの移住もあった{{sfnp|Bethell|1984|p=47}}。 |
||
* 他のいろいろなヨーロッパ諸国から移住してきた人がいましたが、明らかに最も多かったのは[[オランダ]]であった。1630年から1654年にかけて、ブラジル北東部はオランダによる支配のもと、比較的少ない人数ではあるが、オランダ人入植者(オランダ系ブラジル人)と[[ユダヤ人]]がブラジルに渡り、その人たちは後に宗教の自由を要求してきたのは注目すべきことである。そのユダヤ人は[[レシフェ]]にカハル・ズル・イスラエル・シナゴーグというアメリカ大陸で最初のユダヤ教会堂を造った。2万人以上のオランダ人がブラジルに入国したと言われているが、そのオランダ人入植者とユダヤ人はブラジル支配が終わった後に追い出されてしまった。ブラジルに残った家族の多くはブラジル北東部の奥地のはずれ(ペルナンブコ、パライバ、リオグランデ・ド・ノルテ、セアラー他)に逃れるか、ポルトガル人の名前に改名したりした。ブラジル北東部の人たちに過剰にみられるハプログループ2のY染色体はオランダ人入植者と地元の人たちが結婚したことによるものが大きいと言われている。ブラジルから離れたユダヤ人の多くは、現在の[[ニューヨーク]]である[[ニューアムステルダム]]へ向かい、アメリカ合衆国で最古といわれるユダヤ教会堂Congregation Shearith Israelを創設した。ニューアムステルダムに住んでいたユダヤ人はキリスト教に改宗したが、彼らはCrypto-Judaismというひそかにユダヤ教を信じている人たちもいるニュークリスチャン、マラーノとして知られていた。そのオランダ領ブラジルにいたユダヤ人の人口は数千人に満たないほどではあったが、特に1500年以降最初の100年の間、非常に多くの以前ポルトガル人入植者としてニュークリスチャンにされてしまった人たちがブラジルに渡った。彼らはポルトガル王国や[[スペイン王国]]からの弾圧を逃れて、または追放されてブラジルに入国した。後に彼らは有罪判決を受けた、もしくは国外追放された人という意味のDegredadosという名前で知られるようになる。Degredadosという人たちは、イベリア半島のジプシーも含まれ、それがなぜ西側諸国でDegredadosが不思議なくらい多いかという理由になる。ブラジルはアメリカ大陸ではアメリカ合衆国に次いで2番目に[[ジプシー]]が多い国です。また、20世紀にブラジルはバルト海沿岸、中央ヨーロッパ、西ヨーロッパからたくさんのジプシーを受け入れました。 |
* 他のいろいろなヨーロッパ諸国から移住してきた人がいましたが、明らかに最も多かったのは[[オランダ]]であった。1630年から1654年にかけて、ブラジル北東部はオランダによる支配のもと、比較的少ない人数ではあるが、オランダ人入植者(オランダ系ブラジル人)と[[ユダヤ人]]がブラジルに渡り、その人たちは後に宗教の自由を要求してきたのは注目すべきことである。そのユダヤ人は[[レシフェ]]にカハル・ズル・イスラエル・シナゴーグというアメリカ大陸で最初のユダヤ教会堂を造った。2万人以上のオランダ人がブラジルに入国したと言われているが、そのオランダ人入植者とユダヤ人はブラジル支配が終わった後に追い出されてしまった。ブラジルに残った家族の多くはブラジル北東部の奥地のはずれ(ペルナンブコ、パライバ、リオグランデ・ド・ノルテ、セアラー他)に逃れるか、ポルトガル人の名前に改名したりした。ブラジル北東部の人たちに過剰にみられるハプログループ2のY染色体はオランダ人入植者と地元の人たちが結婚したことによるものが大きいと言われている。ブラジルから離れたユダヤ人の多くは、現在の[[ニューヨーク]]である[[ニューアムステルダム]]へ向かい、アメリカ合衆国で最古といわれるユダヤ教会堂Congregation Shearith Israelを創設した。ニューアムステルダムに住んでいたユダヤ人はキリスト教に改宗したが、彼らはCrypto-Judaismというひそかにユダヤ教を信じている人たちもいるニュークリスチャン、マラーノとして知られていた。そのオランダ領ブラジルにいたユダヤ人の人口は数千人に満たないほどではあったが、特に1500年以降最初の100年の間、非常に多くの以前ポルトガル人入植者としてニュークリスチャンにされてしまった人たちがブラジルに渡った。彼らはポルトガル王国や[[スペイン王国]]からの弾圧を逃れて、または追放されてブラジルに入国した。後に彼らは有罪判決を受けた、もしくは国外追放された人という意味のDegredadosという名前で知られるようになる。Degredadosという人たちは、イベリア半島のジプシーも含まれ、それがなぜ西側諸国でDegredadosが不思議なくらい多いかという理由になる。ブラジルはアメリカ大陸ではアメリカ合衆国に次いで2番目に[[ジプシー]]が多い国です。また、20世紀にブラジルはバルト海沿岸、中央ヨーロッパ、西ヨーロッパからたくさんのジプシーを受け入れました。 |
||
96行目: | 117行目: | ||
=== 大移動時代(1820年から1970年代まで)=== |
=== 大移動時代(1820年から1970年代まで)=== |
||
この時代には世界中の人々がブラジルに渡り、その中の多くが[[ヨーロッパ人]]であった。ブラジルは1820年から1950年にかけて、5686133のヨーロッパ人移民を受け入れた。その中には当時栄えていたユダヤ人もいた。加えて、20世紀に95万の[[アジア人]]がブラジルに渡ったが、その中には、中東の人やキリスト教徒のレバントアラブ人、アジアで最大の人数を誇る27万の[[日本人]]などがいた |
この時代には世界中の人々がブラジルに渡り、その中の多くが[[ヨーロッパ人]]であった。ブラジルは1820年から1950年にかけて、5686133のヨーロッパ人移民を受け入れた<ref name="Brazil - Modern-Day Community">{{cite web|url=https://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/vjw/Brazil.html#4 |title=Brazil - Modern-Day Community |publisher=www.jewishvirtuallibrary.org/ |year=2013 |accessdate=2013-12-22}}</ref><ref>{{cite web|url=http://brasil500anos.ibge.gov.br/territorio-brasileiro-e-povoamento/judeus/judeus-no-brasil-vida-social-politica-e-cultural|title=Judeus no Brasil. Vida social, política e cultural|publisher=ibge|accessdate=2016-04-11}}</ref>。その中には当時栄えていたユダヤ人もいた。加えて、20世紀に95万の[[アジア人]]がブラジルに渡ったが、その中には、中東の人やキリスト教徒のレバントアラブ人、アジアで最大の人数を誇る27万の[[日本人]]などがいた<ref name="BailyMíguez2003">{{cite book|author1=Samuel L. Baily|author2=Eduardo José Míguez|title=Mass Migration to Modern Latin America|url=https://books.google.com/books?id=NZQxkfvMJFgC&pg=PR14|accessdate=20 December 2015|year=2003|publisher=Rowman & Littlefield|isbn=978-0-8420-2831-8|page=xiv}}</ref><ref>{{cite web|url=http://brasil500anos.ibge.gov.br/territorio-brasileiro-e-povoamento/italianos/regioes-de-origem|title=Províncias de origem dos imigrantes italianos |publisher=ibge|accessdate=2016-04-11}}</ref><ref name="Abril">{{cite web|url=http://mundoestranho.abril.com.br/materia/quais-foram-as-maiores-levas-de-imigracao-para-o-brasil|title=Principais levas de imigração para o Brasil|publisher=Abril|accessdate=6 April 2016}}</ref><ref name="Entrada de estrangeiros no Brasil">{{cite web|url=http://www.scielo.br/img/revistas/rsp/v8s0/03t2.gif |title=Entrada de estrangeiros no Brasil |date= |accessdate=2014-01-23}}</ref><ref>{{cite web |
||
|title= The beginning of the 'Mosaic' |publisher=Zirin Chapter 2|date=2014 |accessdate=}}</ref>。 |
|||
1) 当時、移民のほぼ70%は南ヨーロッパの人たちであった。 |
1) 当時、移民のほぼ70%は南ヨーロッパの人たちであった。 |
||
104行目: | 126行目: | ||
* さらに、この大移動をした人たちの中には約160万人の[[イタリア人]]がいて、結果的に植民地時代後では最大のグループとなった。現在、数百万人いる[[イタリア系ブラジル人]]は家族ぐるみでブラジルに移動し、そこで子供を産んでいる人が多いのでブラジルを母国に選んだ。この数字は、おそらく今までイタリアから国外に移動した人数の中で最大となり、他の国とは違い、移住する人の半数以上は[[ヴェネト]]や[[ロンバルディア]]といったイタリア北部からの人たちで、次にイタリア中部からの人たちが多い。サンパウロではもっとも多くの多様な人種の人たちが移住していて大部分はイタリア南部からの人たちである。イタリア人の多くはブラジル移民の半数以上の人を受け入れているというサンパウロへ行った。残りの人たちは主に、こちらも大きな移民グループのいるブラジル南部へ移住していた。他のブラジル南東部にある2つの州ミナスジェライスやエスピリトサントや中西部から主にマトグロッソドスルやゴイアスなどへの移動する人たちが多かったのも注目される。比較的少ない人数ではあるが、北東部のペルナンブコやバイーアに向かった移民もいる。現在、その子孫たちの多くは今述べたような地域に住んでいるが、その人たちのブラジル内での移動によってイタリアのユダヤ人がブラジル内の至る所に点在するという結果になっている。 |
* さらに、この大移動をした人たちの中には約160万人の[[イタリア人]]がいて、結果的に植民地時代後では最大のグループとなった。現在、数百万人いる[[イタリア系ブラジル人]]は家族ぐるみでブラジルに移動し、そこで子供を産んでいる人が多いのでブラジルを母国に選んだ。この数字は、おそらく今までイタリアから国外に移動した人数の中で最大となり、他の国とは違い、移住する人の半数以上は[[ヴェネト]]や[[ロンバルディア]]といったイタリア北部からの人たちで、次にイタリア中部からの人たちが多い。サンパウロではもっとも多くの多様な人種の人たちが移住していて大部分はイタリア南部からの人たちである。イタリア人の多くはブラジル移民の半数以上の人を受け入れているというサンパウロへ行った。残りの人たちは主に、こちらも大きな移民グループのいるブラジル南部へ移住していた。他のブラジル南東部にある2つの州ミナスジェライスやエスピリトサントや中西部から主にマトグロッソドスルやゴイアスなどへの移動する人たちが多かったのも注目される。比較的少ない人数ではあるが、北東部のペルナンブコやバイーアに向かった移民もいる。現在、その子孫たちの多くは今述べたような地域に住んでいるが、その人たちのブラジル内での移動によってイタリアのユダヤ人がブラジル内の至る所に点在するという結果になっている。 |
||
* [[スペイン人]]も主に[[アンダルシア]]や[[ガリシア]]から約70万人もの人が移住した。スペイン人が先祖というブラジル人は数百万人いる。多くのスペイン人は過去1世紀の間に移動してきた。主にサンパウロへ向かい、その後リオ・デ・ジャネイロ、ミナスジェライスへ移住した。スペイン南部のアンダルシア出身の人が多く、ガリシア、カスティール、レオン、カタルーニャなどスペイン北部または東部の地区出身の人もそれに続いて多く、これらのスペインの地区はポルトガルと国境を共有し、言葉も通じ、かつてはスペインの領土であったので、ガリシア人も植民地支配されているブラジルに住んでいた。他の地区にいるスペイン系ブラジル人も元々はガリシア出身の人たちで以前から住んでいた。その人たちはバイーア州都サルヴァドール、ペルナンブコ(ブラジル北東部)、パラー(ブラジル北部)、エスピリトサント(ブラジル南東部)、リオ・グランデ・ド・スル(ブラジル南部)へ移動した。 |
* [[スペイン人]]も主に[[アンダルシア]]や[[ガリシア]]から約70万人もの人が移住した。スペイン人が先祖というブラジル人は数百万人いる。多くのスペイン人は過去1世紀の間に移動してきた。主にサンパウロへ向かい、その後リオ・デ・ジャネイロ、ミナスジェライスへ移住した。スペイン南部のアンダルシア出身の人が多く、ガリシア、カスティール、レオン、カタルーニャなどスペイン北部または東部の地区出身の人もそれに続いて多く、これらのスペインの地区はポルトガルと国境を共有し、言葉も通じ、かつてはスペインの領土であったので、ガリシア人も植民地支配されているブラジルに住んでいた。他の地区にいるスペイン系ブラジル人も元々はガリシア出身の人たちで以前から住んでいた。その人たちはバイーア州都サルヴァドール、ペルナンブコ(ブラジル北東部)、パラー(ブラジル北部)、エスピリトサント(ブラジル南東部)、リオ・グランデ・ド・スル(ブラジル南部)へ移動した<ref>{{cite web|author=Marília D. Klaumann Cánovas|format=PDF|url=http://though.cchla.ufpb.br/saeculum/saeculum11_art08_canovas.pdf|title=A GRANDE IMIGRAÇÃO EUROPÉIA PARA O BRASIL E O IMIGRANTE ESPANHOL NO CENÁRIO DA CAFEICULTURA PAULISTA: ASPECTOS DE UMA (IN)VISIBILIDADE|trans-title=The great European immigration to Brazil and immigrants within the Spanish scenario of the Paulista coffee plantations: one of the issues (in) visibility|language=pt|publisher=cchla.ufpb.br|date=2004|dead-url=y|archive-url=https://web.archive.org/web/20091003141402/http://www.cchla.ufpb.br/saeculum/saeculum11_art08_canovas.pdf|archive-date=3 October 2009}}</ref>。 |
||
* ブラジルは他のヨーロッパ人の母国でもあります。主な国として[[ギリシャ]]が挙げられる(約15万人の子孫がいます)。しかし、[[南ヨーロッパ]]から来る人たちは稀である。 |
* ブラジルは他のヨーロッパ人の母国でもあります。主な国として[[ギリシャ]]が挙げられる(約15万人の子孫がいます)。しかし、[[南ヨーロッパ]]から来る人たちは稀である。 |
||
111行目: | 133行目: | ||
'''他のヨーロッパ人''' |
'''他のヨーロッパ人''' |
||
* 西ヨーロッパ人が多い。約24万人のドイツ人が移住し、19万8000人の[[オーストリア人]]、5万2千の[[スイス人]]などが挙げられる。ルクセンブルク人、[[ヴォルガ・ドイツ人]]が移住したという記録も残っているが、人数は少ない。当時ドイツ語圏国家が4番目に大きいヨーロッパ移民団で、現在ブラジルでドイツ語を母国語としている人は2番目に多い。加えて、15万人のフランス人移民がブラジルの港に到着したが、その中には[[ベルギー人やオランダ人(オランダ系ブラジル人と混同しない)も含まれていた。 |
* 西ヨーロッパ人が多い。約24万人のドイツ人が移住し、19万8000人の[[オーストリア人]]、5万2千の[[スイス人]]などが挙げられる。ルクセンブルク人、[[ヴォルガ・ドイツ人]]が移住したという記録も残っているが、人数は少ない。当時ドイツ語圏国家が4番目に大きいヨーロッパ移民団で、現在ブラジルでドイツ語を母国語としている人は2番目に多い<ref>{{cite web|url=http://brasil500anos.ibge.gov.br/territorio-brasileiro-e-povoamento/alemaes/regioes-de-origem-e-de-destino-dos-imigrantes|title=Regiões de origem e de destino dos imigrantes teutônicos|publisher=ibge|accessdate=2016-04-11}}</ref><ref name="ReferenceB">{{cite web|url=http://brasil500anos.ibge.gov.br/territorio-brasileiro-e-povoamento/alemaes/os-imigrantes-alemaes-no-brasil.html|title=Os imigrantes teutônicos no Brasil- alemães, austríacos, luxemburgueses, pomeranos e volga|publisher=ibge|accessdate=2016-04-11}}</ref><ref>Altenhofen, Cléo Vilson: Hunsrückisch in Rio Grande do Sul, Franz Steiner Verlag, Stuttgart 1996, p. 24.</ref><ref>[http://www.dw-world.de/dw/article/0,1564,1174391,00.html O alemão lusitano do Sul do Brasil | Cultura | Deutsche Welle | 20.04.2004<!-- Bot generated title -->]</ref>。加えて、15万人のフランス人移民がブラジルの港に到着したが、その中には[[ベルギー人やオランダ人(オランダ系ブラジル人と混同しない)も含まれていた<ref name="swierenga.com">{{cite web|url=http://www.swierenga.com/Madrid_pap.html|title=Research Professor, A.C. Van Raalte Institute, Hope College, Holland, Michigan, USA |publisher=Twelfth International Economic History Conference, Madrid, Spain, August 28, 1998 (Session C-31) |date= |accessdate=2016-05-04}}</ref><ref name="Paraná State Government page">{{cite web|url=http://www.cidadao.pr.gov.br/modules/conteudo/conteudo.php?conteudo=77 |title=Paraná State Government page |publisher=Cidadao.pr.gov.br |date= |accessdate=2014-01-23}}</ref>。 |
||
* 東ヨーロッパ人も比較的多く、35万人の人が移住した。この中には15万4千人のポーランド人、4万人の[[ウクライナ人]]、そして少数の[[ロシア人]]がいた。この移民たちはより良い生活環境を求めていたが、数千人の[[ベラルーシ人]]もその中に含まれる<ref name="br.sputniknews.com">{{cite web|url=http://br.sputniknews.com/portuguese.ruvr.ru/2009/11/05/2181244.html|title=Imigração Russa no Brasil por Viktor Voronov|publisher=br.sputniknews.com|date=2009-11-05|accessdate=2016-05-05}}</ref><ref name="MSZ">{{cite web | url=http://www.msz.gov.pl/files/docs/polonia/Raport_PPG.pdf |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120721162143/http://www.msz.gov.pl/files/docs/polonia/Raport_PPG.pdf |archivedate=July 21, 2012 | title=Raport o sytuacji Polonii i Polaków za granicą (The official report on the situation of Poles and Polonia abroad) | publisher=Ministerstwo Spraw Zagranicznych ([[Ministry of Foreign Affairs of Poland]]) | location=Warsaw |year=2009 | accessdate=June 14, 2013 | first1=Wojciech |last1=Tyciński |first2=Krzysztof |last2=Sawicki | pages=1–466 | format=PDF file, direct download 1.44 MB}}</ref><ref name="vanhoni.com">{{cite web|url=http://www.vanhoni.com.br/inauguracao-das-obras-de-restauro-da-igreja-sao-miguel-arcanjo-mallet-pr/|title=Restauração da igreja ortodoxa de Mallet - Marco da valorização da presença eslava no Sul do Brasil|publisher=vanhoni.com|accessdate=29 May 2016}}</ref><ref name="rcub.com.br">{{cite web|url=http://www.rcub.com.br/rcub/inaugurado-o-restauro-da-igreja-de-sao-miguel-arcanjo-na-serra-do-tigre-em-mallet/|title=Inaugurado o restauro da igreja ortodoxa de São Miguel Arcanjo em Mallet - Marco da imigração ucraniana no Brasil|publisher=Representação Central Ucraniano-Brasileira|accessdate=29 May 2016}}</ref><ref>{{cite web|url=http://noticias.terra.com.br/no-dia-da-russia-conheca-russos-que-sao-a-cara-do-brasil,59106fe319279a1b6033574494b31809fcmwRCRD.html|title=E o terceiro fluxo, entre 1949 e 1965, quando chegaram ao Brasil aproximadamente 25 mil russos refugiados da revolução cultural chinesa|publisher=noticias.terra.com.br|date=2015-06-13|accessdate=2016-05-05}}</ref>。他にブルガリア人や[[クロアチア人]]、[[チェコスロバキア人]]、少数の[[スロベニア人]]を含むスラブ民族もいた<ref name="revistas.usp.br"/><ref name="Câmara de Comércio Brasil-Rússia">{{cite web|url=http://www.brasil-russia.com.br/comunidade.htm |title=Câmara de Comércio Brasil-Rússia |publisher=Brasil-russia.com.br |date= |accessdate=2012-07-22}}</ref><ref name="Um atalho para a Europa">{{cite web |title=Um atalho para a Europa |work=Epoca |publisher=Editora Globo S.A |date= 24 June 2002 |url=http://epoca.globo.com/edic/214/soci1a.htm |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130703152615/http://epoca.globo.com/edic/214/soci1a.htm |archivedate=3 July 2013}}</ref>。スラブ民族ではない[[ハンガリー人]]<ref name="mfa.gov.hu">{{cite web|url=http://www.mfa.gov.hu/kulkepviselet/BR/pt/br_bilateralis/br_egyeb.htm|title=Embaixada da Hungria no Brasil sobre as estatísticas de descendentes de húngaros|publisher=mfa.gov.hu|accessdate=2016-05-04|deadurl=yes|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161112124520/http://www.mfa.gov.hu/kulkepviselet/BR/pt/br_bilateralis/br_egyeb.htm|archivedate=2016-11-12|df=}}</ref><ref>[http://www.cheflaszlo.com/Hungariansoutside.html The Situation of Hungarians Living outside the Carpathian Basin, by Cheflaszlo<!-- Bot generated title -->]</ref>や[[ルーマニア人]]もいてポーランド人、ロシア人、ウクライナ人に次いで大きいグループであった。 |
|||
* 東ヨーロッパ人も比較的多く、35万人の人が移住した。この中には15万4千人のポーランド人、4万人の[[ウクライナ人]]、そして少数の[[ロシア人]]がいた。この移民たちはより良い生活環境を求めていたが、数千人の[[ベラルーシ人]]もその中に含まれる。他にブルガリア人や[[クロアチア人]]、[[チェコスロバキア人]]、少数の[[スロベニア人]]を含むスラブ民族もいた。スラブ民族ではない[[ハンガリー人]]や[[ルーマニア人]]もいてポーランド人、ロシア人、ウクライナ人に次いで大きいグループであった。 |
|||
* 北西ヨーロッパ人は一番少ない人数ではあったが、いなかったわけではない。7万8千人以上の英国人と[[スコットランド人]]がブラジルに入国したが、彼らはいろいろな地域に分かれた。何人かのアイルランド人はすでに都市化されている地域に行った。主にスウェーデンやノルウェー出身のスカンジナビア人がそれぞれ4万人超、1万7千人の[[デンマーク人]]、数では劣るが、少数の[[フィンランド人]]もいた。それよりもさらに少ないので忘れてしまいがちではあるが、アイスランド人や[[フェロー]]から移住した人もいた。現在は数千人の子孫しか残っていないが、バルト海諸国から移住した人もいる。[[リトアニア人]]が5万人と多くを占めており、[[ラトビア人]]と[[エストニア人]]がそれに続く。 |
* 北西ヨーロッパ人は一番少ない人数ではあったが、いなかったわけではない。7万8千人以上の英国人と[[スコットランド人]]がブラジルに入国したが、彼らはいろいろな地域に分かれた。何人かのアイルランド人はすでに都市化されている地域に行った<ref name="Gilberto Freyre Editora Topbook">{{cite web|url=https://books.google.com/books/about/Ingleses_no_Brasil.html?id=8J1IPgAACAAJ&redir_esc=y|title=Ingleses no Brasil: aspectos da influência britânica sobre a vida, a paisagem e a cultura do Brasil|publisher=Gilberto Freyre Editora Topbook|accessdate=10 April 2016}}</ref><ref name="Ingleses no Brasil do século XIX">{{cite web|url=http://www.livrariacultura.com.br/p/ingleses-no-brasil-546956|title=Ingleses no Brasil do século XIX|publisher=livrariacultura|accessdate=10 April 2016}}</ref><ref name=fluminense>{{cite web|url=http://www.fluminense.com.br/memoria_historiaoscar.asp |language=Portuguese |publisher=Fluminense Football Club |title=Oscar Cox |accessdate=2010-01-10 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091219042942/http://www.fluminense.com.br/memoria_historiaoscar.asp |archivedate=December 19, 2009 }}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.dailymail.co.uk/news/article-2651367/Revealed-How-19th-century-Scotsman-kicked-Brazils-consuming-love-affair-football.html|title=Revealed: How a 19th-century Scotsman kicked off Brazil's all consuming love affair with football|publisher=dailymail|accessdate=7 August 2014}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.estantevirtual.com.br/b/gilberto-freyre/ingleses-no-brasil/426142595|title=1942 Gilberto Freyre|publisher=estantevirtual|accessdate=10 April 2016}}</ref>。主にスウェーデンやノルウェー出身のスカンジナビア人がそれぞれ4万人超<ref name="scandinavian-association">{{cite web|url=http://scandinavian-association.net/index.html|archive-url=https://web.archive.org/web/20070306045707/http://www.scandinavian-association.net/index.html|dead-url=yes|archive-date=2007-03-06|title=Scandinavian Association Rio de Janeiro - Start|accessdate=2014-07-12|df=}}</ref>、1万7千人の[[デンマーク人]]、数では劣るが、少数の[[フィンランド人]]もいた。それよりもさらに少ないので忘れてしまいがちではあるが、アイスランド人や[[フェロー]]から移住した人もいた<ref>{{cite web |title=Um atalho para a Europa |work=Epoca |publisher=Editora Globo S.A |date= 24 June 2002 |url=http://epoca.globo.com/edic/214/soci1a.htm |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130703152615/http://epoca.globo.com/edic/214/soci1a.htm |archivedate=3 July 2013}}</ref>。現在は数千人の子孫しか残っていないが、バルト海諸国から移住した人もいる。[[リトアニア人]]が5万人と多くを占めており、[[ラトビア人]]と[[エストニア人]]がそれに続く<ref name="Um atalho para a Europa"/><ref name="Lithuanian descendants in Brazil">{{cite web|url=http://global.truelithuania.com/brazil-474/|title=Lithuanian descendants in Brazil|publisher=www.global.truelithuania.com|date= |accessdate=2016-05-04}}</ref><ref name="ilas.columbia.edu">{{cite web|url=http://www.ilas.columbia.edu/event/brazil-brown-bag-seminar-series/|title=Brazil Brown Bag Seminar Series – Lithuanian Diaspora in the Americas by Erick Reis Godliauskas Zen. Organizer: Lemann Center for Brazilian Studies|publisher=ilas.columbia.edu|accessdate=2016-04-21}}</ref>。 |
||
* 正確な数字で4万8千人のヨーロッパ系ユダヤ人がブラジルを移住先として選んだ。1870年から1880年にかけて迫害を受けていた数千人の家族を自由主義の2代目ブラジル皇帝が迎え入れた時、ユダヤ人は初めて文献に載った。20世紀に2回移動があったが、最初の移動は、[[第一次世界大戦]]直後にあり、次の移動は1930年代から1950年代にかけてあった。ブラジルにも[[モロッコ]]や[[エジプト]]から来た北アフリカ系のユダヤ移民がいる。 |
* 正確な数字で4万8千人のヨーロッパ系ユダヤ人がブラジルを移住先として選んだ。1870年から1880年にかけて迫害を受けていた数千人の家族を自由主義の2代目ブラジル皇帝が迎え入れた時、ユダヤ人は初めて文献に載った<ref name="jewishvirtuallibrary.org">http://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/vjw/Brazil.html</ref> Two heavier influxes took place during the 20th century. The earliest right after the Great War and the second inrush between the 1930s and 1950s.<ref name="MSZ" /><ref name="jewishvirtuallibrary.org"/>。20世紀に2回移動があったが、最初の移動は、[[第一次世界大戦]]直後にあり、次の移動は1930年代から1950年代にかけてあった。ブラジルにも[[モロッコ]]や[[エジプト]]から来た北アフリカ系のユダヤ移民がいる。 |
||
'''アジア人''' |
'''アジア人''' |
||
* 西アジア、具体的にには、[[レバント]]から多くの人たちが移住してきた。主に[[レバノン人]]と[[シリア人]]で20万人を超える人が20世紀に移住してきた。その中にはコーカサス地区出身の[[アルメニア人]]、[[ジョージア人]]や[[イラン人]]もいます。 |
* 西アジア、具体的にには、[[レバント]]から多くの人たちが移住してきた。主に[[レバノン人]]と[[シリア人]]で20万人を超える人が20世紀に移住してきた<ref>{{cite web|url=http://m.washingtontimes.com/news/2005/jul/11/20050711-092503-1255r/?page=all|title=Arab roots grow deep in Brazil's rich melting pot|publisher=Washington Times|accessdate=17 April 2016}}</ref><ref>{{cite web|url=http://brasil500anos.ibge.gov.br/territorio-brasileiro-e-povoamento/arabes/origem-e-destino-dos-imigrantes|title=Origem e destino dos imigrantes do Levante|publisher=ibge|accessdate=2016-04-11}}</ref>。その中にはコーカサス地区出身の[[アルメニア人]]、[[ジョージア人]]や[[イラン人]]もいます。 |
||
* 東アジアからは、多くは[[日本人]]であるが、かなりの人が移住してきました。最初の船が1908年にブラジルに到着し、25万人以上の人が来た。実際のところ以前から、特に1950年代以降多くの中国人や韓国人もブラジルに移住していて、それぞれ20万人と10万人移住した。 |
* 東アジアからは、多くは[[日本人]]であるが、かなりの人が移住してきました。最初の船が1908年にブラジルに到着し、25万人以上の人が来た<ref name="Abril"/><ref name="Gonzalez">{{cite news|url=http://lens.blogs.nytimes.com/2013/09/25/japanese-brazilians-straddling-two-cultures/?partner=rss&emc=rss|title=Japanese-Brazilians: Straddling Two Cultures|last=Gonzalez|first=David|date=September 25, 2013|work=Lens Blog|publisher=The New York Times|accessdate=September 27, 2013}}</ref><ref name=japantimes>{{cite web |url=http://www.japantimes.co.jp/text/nn20080115i1.html |title=Japan, Brazil mark a century of settlement, family ties <nowiki>|</nowiki> The Japan Times Online |date=2008-01-15}}</ref><ref name="japao100.com.br"/><ref name="IBGE traça perfil dos imigrantes">[http://madeinjapan.uol.com.br/2008/06/21/ibge-traca-perfil-dos-imigrantes/ IBGE traça perfil dos imigrantes] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20121119132009/http://madeinjapan.uol.com.br/2008/06/21/ibge-traca-perfil-dos-imigrantes/ |date=November 19, 2012 }}</ref>。実際のところ以前から、特に1950年代以降多くの中国人や韓国人もブラジルに移住していて、それぞれ20万人と10万人移住した。 |
||
'''アメリカ人''' |
'''アメリカ人''' |
||
* 北アメリカもブラジルのような人種のるつぼを形成している。ブラジルは[[南北戦争]]から逃れたアメリカ人を受け入れ、アメリカ復興期に南東ブラジルや南ブラジルに住んでいた。加えて、少数の北アメリカ人も1808年より後に移住してきた。南北戦争から逃れた南部の子孫は[[コンフェデラドス]]という名の下位グループで知られサンパウロを創設し、影響力を強めていった。アメリカ系ブラジル人の子孫はブラジル中にいますが、これはコンフェデラドスの子孫が過去にブラジルの至る所に散らばり、最近になって別の民族と結婚しており、イギリス系移民と間違えられることがある。民族的にはコンフェデラドスはおそらく[[ウェールズ人]]、スコットランド人、[[アイルランド人]]、ドイツ人、スカンジナビア人に分類される。 |
* 北アメリカもブラジルのような人種のるつぼを形成している。ブラジルは[[南北戦争]]から逃れたアメリカ人を受け入れ、アメリカ復興期に南東ブラジルや南ブラジルに住んでいた。加えて、少数の北アメリカ人も1808年より後に移住してきた<ref name="The Lost Colony of the Confederacy">{{Cite book | isbn = 1585441023 | title = The Lost Colony of the Confederacy | last1 = Harter | first1 = Eugene C. | year = 2000 | publisher = Texas A & M University Press | page = 44 }}</ref><ref name=":0">{{cite web|url=http://library.sc.edu/socar/uscs/1993/esjame93.html|title= Edwin S. James research materials|publisher=University of South Carolina|accessdate=2014-01-05}}</ref><ref name="TSHA">{{cite web|url=http://www.tshaonline.org/handbook/online/articles/fmcat|title=MCMULLAN, FRANCIS|publisher=Texas State Historical Association|accessdate=2014-01-05}}</ref>。南北戦争から逃れた南部の子孫は[[コンフェデラドス]]という名の下位グループで知られサンパウロを創設し、影響力を強めていった。アメリカ系ブラジル人の子孫はブラジル中にいますが、これはコンフェデラドスの子孫が過去にブラジルの至る所に散らばり、最近になって別の民族と結婚しており、イギリス系移民と間違えられることがある<ref name="The Lost Colony of the Confederacy">{{Cite book | isbn = 1585441023 | title = The Lost Colony of the Confederacy | last1 = Harter | first1 = Eugene C. | year = 2000 | publisher = Texas A & M University Press | page = 44 }}</ref>。民族的にはコンフェデラドスはおそらく[[ウェールズ人]]、スコットランド人、[[アイルランド人]]、ドイツ人、スカンジナビア人に分類される<ref name="Eugene C. Harter 1985, p. 74">Eugene C. Harter. "The Lost Colony of the Confederacy". Texas A&M University Press, 1985, p. 74.</ref>。 |
||
* 南アメリカからは18世紀からずっと[[アルゼンチン]]からの移民が多く、今でもブラジルで強力なコミュニティを築いてる。最近[[ボリビア]]にだけには抜かれてしまったが、[[アルゼンチン人]]は依然としてブラジルで最大級の移民団を形成している。[[ブラジル帝国]]から独立を果たした[[ウルグアイ]]も19世紀から20世紀にかけて注目される存在である。 |
* 南アメリカからは18世紀からずっと[[アルゼンチン]]からの移民が多く、今でもブラジルで強力なコミュニティを築いてる。最近[[ボリビア]]にだけには抜かれてしまったが、[[アルゼンチン人]]は依然としてブラジルで最大級の移民団を形成している。[[ブラジル帝国]]から独立を果たした[[ウルグアイ]]も19世紀から20世紀にかけて注目される存在である。 |
||
134行目: | 156行目: | ||
* 他では主にオランダ系南アフリカ人(Boerenもしくは[[アフリカーンス]])などのアフリカ生まれの人たちや主にアンゴラ出身の旧ポルトガル帝国の人たちがいる(大移動時代、特に独立後の南北戦争後時点での話である)。これらの地域からは複数の民族の人が移住してきた(主にヨーロッパ人系の黒人と白人のアフリカ人)。 |
* 他では主にオランダ系南アフリカ人(Boerenもしくは[[アフリカーンス]])などのアフリカ生まれの人たちや主にアンゴラ出身の旧ポルトガル帝国の人たちがいる(大移動時代、特に独立後の南北戦争後時点での話である)。これらの地域からは複数の民族の人が移住してきた(主にヨーロッパ人系の黒人と白人のアフリカ人)。 |
||
* 12の移民団がとても大きい集団を作っている。5千人から3千万人の子孫がいる。この大移動時代だけで、ブラジルの重要な移民の玄関口であるサントスとサンパウロで60か国以上の国から移民を受け付けた。今までに述べた移民の他の重要な玄関口としては、リオデジャネイロ、ポルト・アレグレ、ヴィトーリア、レシフェなどがある。 |
* 12の移民団がとても大きい集団を作っている。5千人から3千万人の子孫がいる。この大移動時代だけで、ブラジルの重要な移民の玄関口であるサントスとサンパウロで60か国以上の国から移民を受け付けた。今までに述べた移民の他の重要な玄関口としては、リオデジャネイロ、ポルト・アレグレ、ヴィトーリア、レシフェなどがある<ref name=j1/>。 |
||
=== 近現代(1970年から現在)=== |
=== 近現代(1970年から現在)=== |
||
140行目: | 162行目: | ||
==== 現在の外国人人口==== |
==== 現在の外国人人口==== |
||
2011年時点で、ブラジルは150万人の外国生まれの人たちの本国となっている。これは2009年の2倍以上であり、この数字はさらに高くなる可能性がある。他の国と同様にブラジルにもきちんと戸籍を登録していない人が多数いて、その人たちは数字に入っていないからである。戸籍を登録している人もそうでない人も、多くの外国人はポルトガル、ボリビア、中国、パラグアイ、アンゴラ、スペイン、アルゼンチン、日本、アメリカ合衆国出身の人が多く、就労ビザを取得して移住してくる人はアメリカやイギリスが多い。 |
2011年時点で、ブラジルは150万人の外国生まれの人たちの本国となっている。これは2009年の2倍以上であり、この数字はさらに高くなる可能性がある。他の国と同様にブラジルにもきちんと戸籍を登録していない人が多数いて、その人たちは数字に入っていないからである。戸籍を登録している人もそうでない人も、多くの外国人はポルトガル、ボリビア、中国、パラグアイ、アンゴラ、スペイン、アルゼンチン、日本、アメリカ合衆国出身の人が多く、就労ビザを取得して移住してくる人はアメリカやイギリスが多い<ref>{{cite web|url=http://www.brasil.gov.br/noticias/arquivos/2011/11/1o/economia-brasileira-atrai-estrangeiros-e-imigracao-aumenta-50-em-seis-meses|title=Economia brasileira atrai estrangeiros e imigração aumenta 50% em seis meses|work=Portal Brasil|accessdate=29 March 2015}}</ref><ref>[http://www.bv.fapesp.br/namidia/noticia/39946/procuram-estrangeiros/ Brazil has 689,000 people from around the world in 2009]. Bv.fapesp.br. Retrieved on 2012-05-19.</ref>。 |
||
19世紀から20世紀にかけてポルトガルのルシタニアからの移住する人が途絶えたことはない。ユダヤ人居住地域にいるポルトガル人も特に1970年代にマカオやアンゴラのような以前植民地だったところが独立した後ブラジルに渡った。さらに120万人のポルトガル人が1951年から1975年にかけて移住しているのが確認でき、その多くはブラジル南東部に住んでいる。現在、ブラジルに69万人以上のポルトガル人が住んでいて、そのなかでもルシタニアからの人たちが一番多く、ここ10年では今までで一番多くの人たちが訪れた。 |
19世紀から20世紀にかけてポルトガルのルシタニアからの移住する人が途絶えたことはない。ユダヤ人居住地域にいるポルトガル人も特に1970年代にマカオやアンゴラのような以前植民地だったところが独立した後ブラジルに渡った。さらに120万人のポルトガル人が1951年から1975年にかけて移住しているのが確認でき、その多くはブラジル南東部に住んでいる。現在、ブラジルに69万人以上のポルトガル人が住んでいて、そのなかでもルシタニアからの人たちが一番多く、ここ10年では今までで一番多くの人たちが訪れた<ref>{{cite web|url=http://www.dn.pt/portugal/interior/estudo-descobre-3119-milhoes-de-portugueses-pelo-mundo--1192698.html?id=1192698 |title=Estudo descobre 31 milhões de portugueses pelo mundo|publisher=dn.pt|accessdate=7 April 2016}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.observatorioemigracao.secomunidades.pt/np4/2454.html |title=Archived copy |accessdate=2014-08-24 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160303190314/http://www.observatorioemigracao.secomunidades.pt/np4/2454.html |archivedate=2016-03-03 |df= }}</ref>。 |
||
2011年上半期だけで永住ビザを申請するポルトガル人は5万2千人増え、ルシタニアの人たちもブラジル市民権を与えられた。 |
2011年上半期だけで永住ビザを申請するポルトガル人は5万2千人増え、ルシタニアの人たちもブラジル市民権を与えられた<ref>{{cite web|url=http://blog.opovo.com.br/portugalsempassaporte/mais-de-100-mil-portugueses-emigraram-em-2011-so-o-brasil-concedeu-mais-de-52-mil-vistos-de-residencia-nos-primeiros-seis-meses/|title=Só o Brasil concedeu mais de 52 mil vistos de residência nos primeiros 6 meses|publisher=Graciano Coutinho OPovo|accessdate=7 April 2016}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.brasil.gov.br/economia-e-emprego/2011/11/economia-brasileira-atrai-estrangeiros-e-imigracao-aumenta-50-em-seis-meses|title=Imigração aumenta 50 por cento em seis meses|publisher=brasil.gov.br|accessdate=7 April 2016}}</ref>。 |
||
現在、220か国の人たちがブラジルに住んでいて、1万人以上の人が住んでいる国は40か国ある。 |
現在、220か国の人たちがブラジルに住んでいて、1万人以上の人が住んでいる国は40か国ある。 |
||
==== 難民 ==== |
==== 難民 ==== |
||
2014年、ブラジルは79か国、5208人の[[難民]]の本国になっている。シリア(1626人)、コロンビア(1154人)、アンゴラ(1062人)からの3国が最も多い。これに加え、ブラジルに入国し政府からの難民認定待ちをしているバングラディシュ人が2013年だけで1830人いて、さらにシリアから1021人、セネガルから799人いる。 |
2014年、ブラジルは79か国、5208人の[[難民]]の本国になっている。シリア(1626人)、コロンビア(1154人)、アンゴラ(1062人)からの3国が最も多い。これに加え、ブラジルに入国し政府からの難民認定待ちをしているバングラディシュ人が2013年だけで1830人いて、さらにシリアから1021人、セネガルから799人いる<ref name="Mundo">{{cite web|url=http://g1.globo.com/mundo/noticia/2014/04/brasil-tem-hoje-52-mil-refugiados-de-79-nacionalidades-diferentes.html|title=G1 - Brasil tem hoje 5,2 mil refugiados de 79 nacionalidades - notícias em Mundo|work=Mundo|accessdate=29 March 2015}}</ref><ref name="Mundo"/>。 |
||
現在ブラジルを本国にしている4500人のアフガン人がいて、その中には過去に[[ベトナム戦争]]から船で逃れた人もいる。 |
現在ブラジルを本国にしている4500人のアフガン人がいて、その中には過去に[[ベトナム戦争]]から船で逃れた人もいる。 |
||
156行目: | 178行目: | ||
ブラジル国内での民族分布はバラバラである。 |
ブラジル国内での民族分布はバラバラである。 |
||
* 19世紀と20世紀に多くのヨーロッパ人が移住してきたためサンパウロやブラジル南部の地域では白人が多数を占めている(多くはイタリア人、ポルトガル人、ドイツ人、オーストリア人、スイス人、スラブ人、オランダ人、スペイン人の家系)。特にリオ・デ・ジャネイロでは白人が多く、全人口の50%をわずかに上回っている。他の南東部の州である[[ミナスジェライス]]や[[エスピリトサント]]でも、約50%の人たちは白人である(南東部にはレバントアラブ人もいる)。サンパウロには圧倒的に多い3000万人の白人がおり、ミナスジェライス、[[リオ・グランデ・ド・スル]]、リオ・デ・ジャネイロ、パラナがそれに続く。割合で言うと、[[サンタカタリーナ]]が一番多く、全人口の86%をヨーロッパ人が占める。サンパウロ、リオ・デ・ジャネイロ、ポルト・アレグレ、クリチバ、ブラジリア、ベロオリゾンテにはユダヤ人が多数いる。 |
* 19世紀と20世紀に多くのヨーロッパ人が移住してきたためサンパウロやブラジル南部の地域では白人が多数を占めている(多くはイタリア人、ポルトガル人、ドイツ人、オーストリア人、スイス人、スラブ人、オランダ人、スペイン人の家系)<ref name="sidra.ibge.gov.br">{{cite web|url=http://www.sidra.ibge.gov.br/bda/tabela/protabl.asp?c=262&i=P&nome=on¬arodape=on&tab=262&unit=0&pov=1&opc1=1&poc2=1&OpcTipoNivt=1&opn1=0&nivt=0&orc86=3&poc1=1&orp=6&qtu3=27&opv=1&poc86=1&sec1=0&opc2=1&pop=1&opn2=0&orv=2&orc2=5&qtu2=5&sev=1000093&opc86=1&sec2=0&opp=1&opn3=1&sec86=2776&ascendente=on&sep=17795&orn=1&qtu7=9&orc1=4&qtu1=1&cabec=on&pon=1&OpcCara=44&proc=1&opn7=0&decm=99|title=Sistema IBGE de Recuperação Automática - SIDRA|work=ibge.gov.br}}</ref><ref>[http://www.genealogienetz.de/reg/WELT/brasil.html Genealogy: German migration to Brazil]. Genealogienetz.de. Retrieved on 2012-05-19.</ref>。特にリオ・デ・ジャネイロでは白人が多く、全人口の50%をわずかに上回っている<ref>{{cite book|url=http://www.sidra.ibge.gov.br/bda/tabela/listabl.asp?z=pnad&o=3&i=P&c=262 |title=Sistema IBGE de Recuperação Automática - SIDRA |publisher=[[Brazilian Institute of Geography and Statistics|IBGE]]|location=State of Rio de Janeiro, Brazil|format=PDF|isbn=85-240-3919-1|year=2008|language=Portuguese |accessdate=2014-08-24}}</ref>。他の南東部の州である[[ミナスジェライス]]や[[エスピリトサント]]でも、約50%の人たちは白人である(南東部にはレバントアラブ人もいる)<ref>{{cite book|url=http://www.sidra.ibge.gov.br/bda/tabela/listabl.asp?z=pnad&o=3&i=P&c=262|publisher=[[Brazilian Institute of Geography and Statistics|IBGE]]|title=Tabela 262 - População residente, por cor ou raça, situação e sexo (vide Nota de Rodapé)|location=Espírito Santo, Brazil|format=PDF|isbn=85-240-3919-1|accessdate=2014-08-08|year=2012|language=Portuguese}}</ref><ref name="sidra.ibge.gov.br">{{cite web|url=http://www.sidra.ibge.gov.br/bda/tabela/protabl.asp?c=262&i=P&nome=on¬arodape=on&tab=262&unit=0&pov=1&opc1=1&poc2=1&OpcTipoNivt=1&opn1=0&nivt=0&orc86=3&poc1=1&orp=6&qtu3=27&opv=1&poc86=1&sec1=0&opc2=1&pop=1&opn2=0&orv=2&orc2=5&qtu2=5&sev=1000093&opc86=1&sec2=0&opp=1&opn3=1&sec86=2776&ascendente=on&sep=17795&orn=1&qtu7=9&orc1=4&qtu1=1&cabec=on&pon=1&OpcCara=44&proc=1&opn7=0&decm=99|title=Sistema IBGE de Recuperação Automática - SIDRA|work=ibge.gov.br}}</ref>。サンパウロには圧倒的に多い3000万人の白人がおり、ミナスジェライス、[[リオ・グランデ・ド・スル]]、リオ・デ・ジャネイロ、パラナがそれに続く<ref name="sidra.ibge.gov.br">{{cite web|url=http://www.sidra.ibge.gov.br/bda/tabela/protabl.asp?c=262&i=P&nome=on¬arodape=on&tab=262&unit=0&pov=1&opc1=1&poc2=1&OpcTipoNivt=1&opn1=0&nivt=0&orc86=3&poc1=1&orp=6&qtu3=27&opv=1&poc86=1&sec1=0&opc2=1&pop=1&opn2=0&orv=2&orc2=5&qtu2=5&sev=1000093&opc86=1&sec2=0&opp=1&opn3=1&sec86=2776&ascendente=on&sep=17795&orn=1&qtu7=9&orc1=4&qtu1=1&cabec=on&pon=1&OpcCara=44&proc=1&opn7=0&decm=99|title=Sistema IBGE de Recuperação Automática - SIDRA|work=ibge.gov.br}}</ref>。割合で言うと、[[サンタカタリーナ]]が一番多く、全人口の86%をヨーロッパ人が占める。サンパウロ、リオ・デ・ジャネイロ、ポルト・アレグレ、クリチバ、ブラジリア、ベロオリゾンテにはユダヤ人が多数いる<ref name="Brazil - Modern-Day Community">{{cite web|url=https://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/vjw/Brazil.html#4 |title=Brazil - Modern-Day Community |publisher=www.jewishvirtuallibrary.org/ |year=2013 |accessdate=2013-12-22}}</ref>。 |
||
* 極東アジア、特に最大のグループである[[日系ブラジル人]]の多くはサンパウロやパラナに住んでいる。また、韓国人も多くの人たちがサンパウロに住んでいるが、中国のユダヤ人もサンパウロのあるブラジル南東部に移住した。リオ・デ・ジャネイロはサンパウロに次いで中国人が多く住んでいる地域である。 |
* 極東アジア、特に最大のグループである[[日系ブラジル人]]の多くはサンパウロやパラナに住んでいる<ref name="japao100.com.br">[http://www.japao100.com.br/arquivo/nipo-brasileiros-estao-mais-presentes/ Publicação do IBGE traz artigos, mapas e distribuição geográfica dos nikkeis no Brasil]</ref><ref>[http://www.mofa.go.jp/region/latin/brazil/index.html Japanese Brazilians]</ref>。また、韓国人も多くの人たちがサンパウロに住んでいるが、中国のユダヤ人もサンパウロのあるブラジル南東部に移住した。リオ・デ・ジャネイロはサンパウロに次いで中国人が多く住んでいる地域である。 |
||
* 最初に他国に占領されて、いろいろな民族が入り混じっているブラジル北東部では、ブラジル植民地出身の黒人のアフリカ人、ジプシー、アメリカ先住民、[[セファルディ]]が多い。そこでは茶色または黒色の肌をしている人種であるパルドが最も多く、次いでヨーロッパ系またはその混血の白人、アフリカ系の人たちがおり、[[バイーア]]と[[マラニョン]]はブラジルで最もアフリカ系黒人の多い地区である。パルドの人たちの外見は人によって極端に違い、全体的にみるとすべてのタイプの髪、目、肌の色の人がいる(極端に黒いまたは白い人はいない)。しかし、ごく少数ではあるが、自分はパルドだと思っている白人、黒人もおり、さらに他人種の人と結婚した[[ロマ]]、セファルディ、アラブ、アジアの人たちの中にも自分はパルドだと思っている人がいる。アメリカ先住民の強い影響で、多くはアマゾンの熱帯雨林であるブラジル北部もパルドが多い。 |
* 最初に他国に占領されて、いろいろな民族が入り混じっているブラジル北東部では、ブラジル植民地出身の黒人のアフリカ人、ジプシー、アメリカ先住民、[[セファルディ]]が多い。そこでは茶色または黒色の肌をしている人種であるパルドが最も多く、次いでヨーロッパ系またはその混血の白人、アフリカ系の人たちがおり、[[バイーア]]と[[マラニョン]]はブラジルで最もアフリカ系黒人の多い地区である<ref>Phillip Wagner [https://web.archive.org/web/20090419063828/http://www.iei.net/~pwagner/brazarticles/April2002.html Sugar and Blood]. Brazzil Magazine, April 2002</ref>。パルドの人たちの外見は人によって極端に違い、全体的にみるとすべてのタイプの髪、目、肌の色の人がいる(極端に黒いまたは白い人はいない)。しかし、ごく少数ではあるが、自分はパルドだと思っている白人、黒人もおり、さらに他人種の人と結婚した[[ロマ]]、セファルディ、アラブ、アジアの人たちの中にも自分はパルドだと思っている人がいる。アメリカ先住民の強い影響で、多くはアマゾンの熱帯雨林であるブラジル北部もパルドが多い<ref>[https://web.archive.org/web/20050315162129/http://www.socioambiental.org/pib/english/source/xi.shtm Sources :: Indigenous Peoples in Brazil – ISA]. socioambiental.org</ref>。 |
||
* ブラジル南東地区と中西部の民族分布にはいろいろな民族がいるが、比較的バランスが取れていて、白人が50%、パルドが43%、黒人が5%、アジア人とアメリカ先住民がそれぞれ1%である。ブラジル地理・統計院では、ブラジル人を5つの種類に分け、肌の色や人種によってbrancos(白人)、negros(黒人)、パルド(茶色または混血)、amarelos(アジア系黄色人種)、indios(アメリカ先住民)に分けている。最近行われた詳しい国勢調査(PNAD)によると、ブラジルには9100万人の白人(White Brazilian)、7900万人の複数民族からなる人たち(パルド)、1400万人の黒人(Afro-Brazilian)、200~400万人のアジア人(Asian Brazilian)、807900のアメリカ先住民からなっていると発表した。2005年の詳しい国勢調査では、ここ20年の調査で初めて白人であるブラジル人が全体の人口の50%を超えなかったと発表された。一方、複数の民族からなるパルドの人口が増えたが、他の民族はほとんど横ばいである。ブラジル地理・統計院は、この傾向は幾度となく行われてきた民族の差別を撤廃していこうという動きによるものだと考えており、ブラジルという国が発見されてから異人種間の結婚は決して違法ではなく当たり前のこととされ、この国は世界でも異人種間の結婚が多いと言われている。自分の先祖は19世紀の専制君主制の時代から20世紀と21世紀の共和制の時代に見られる最近の移民からなる民族だと特定できる人は、たいていブラジル人です。それでも、ブラジル人は自分の祖先はどんな民族だったのか特定するのは容易でないという人が多い。容易でなくしてしまう例として、発音をするのが難しい[[ファミリーネーム]]のヨーロッパ人は発音をしやすいポルトガル語の[[サーネーム]]に変更しているということが挙げられる。基本的に、半数のブラジル人は植民地時代の人の子孫で残りの半分は最近移民してきた人たちだと言われている。ブラジルはヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人、ブラジル先住民などの中から同じ民族の両親、または違う民族や環境の両親から生まれた人たちの集まりである国、まさに人種のるつぼである。 |
* ブラジル南東地区と中西部の民族分布にはいろいろな民族がいるが、比較的バランスが取れていて、白人が50%、パルドが43%、黒人が5%、アジア人とアメリカ先住民がそれぞれ1%である。ブラジル地理・統計院では、ブラジル人を5つの種類に分け、肌の色や人種によってbrancos(白人)、negros(黒人)、パルド(茶色または混血)、amarelos(アジア系黄色人種)、indios(アメリカ先住民)に分けている。最近行われた詳しい国勢調査(PNAD)によると、ブラジルには9100万人の白人(White Brazilian)、7900万人の複数民族からなる人たち(パルド)、1400万人の黒人(Afro-Brazilian)、200~400万人のアジア人(Asian Brazilian)、807900のアメリカ先住民からなっていると発表した。2005年の詳しい国勢調査では、ここ20年の調査で初めて白人であるブラジル人が全体の人口の50%を超えなかったと発表された。一方、複数の民族からなるパルドの人口が増えたが、他の民族はほとんど横ばいである。ブラジル地理・統計院は、この傾向は幾度となく行われてきた民族の差別を撤廃していこうという動きによるものだと考えており、ブラジルという国が発見されてから異人種間の結婚は決して違法ではなく当たり前のこととされ、この国は世界でも異人種間の結婚が多いと言われている。自分の先祖は19世紀の専制君主制の時代から20世紀と21世紀の共和制の時代に見られる最近の移民からなる民族だと特定できる人は、たいていブラジル人です。それでも、ブラジル人は自分の祖先はどんな民族だったのか特定するのは容易でないという人が多い。容易でなくしてしまう例として、発音をするのが難しい[[ファミリーネーム]]のヨーロッパ人は発音をしやすいポルトガル語の[[サーネーム]]に変更しているということが挙げられる。基本的に、半数のブラジル人は植民地時代の人の子孫で残りの半分は最近移民してきた人たちだと言われている。ブラジルはヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人、ブラジル先住民などの中から同じ民族の両親、または違う民族や環境の両親から生まれた人たちの集まりである国、まさに人種のるつぼである。 |
||
184行目: | 206行目: | ||
=== 白人 === |
=== 白人 === |
||
白人をひとくくりの民族グループとして計算すると、白人はブラジルの人口の大多数を占め、これは[[南半球]]では最大の数である。ブラジルはアメリカ大陸諸国の中で2番目に白人が多い国で、9700万人~9800万人の人がおり、白人系ブラジル人の数は全世界の白人人口で見ると、アメリカ、[[ロシア]]に次いで3番目に多い(白人系ブラジル人も白人人口としてカウントしている)。 |
白人をひとくくりの民族グループとして計算すると、白人はブラジルの人口の大多数を占め、これは[[南半球]]では最大の数である。ブラジルはアメリカ大陸諸国の中で2番目に白人が多い国で、9700万人~9800万人の人がおり、白人系ブラジル人の数は全世界の白人人口で見ると、アメリカ、[[ロシア]]に次いで3番目に多い(白人系ブラジル人も白人人口としてカウントしている)<ref name="ibge.gov.br 2010">{{cite web|url=http://www.ibge.gov.br/english/estatistica/populacao/censo2010/caracteristicas_da_populacao/tabelas_pdf/tab3.pdf|date=8 November 2011|title=Censo Demográfi co 2010 Características da população e dos domicílios Resultados do universo|accessdate=2014-07-12}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/fields/2075.html|title=CIA data from The World Factbook's Field Listing :: Ethnic groups and Field Listing :: Population|publisher=cia.gov|accessdate=9 May 2011}}</ref><ref>[http://convergencia.uaemex.mx/rev38/38pdf/LIZCANO.pdf Lizcano Fernández, Francisco (May–August 2005). "Composición Étnica de las Tres Áreas Culturales del Continente Americano al Comienzo del Siglo XXI"] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20080920000000/http://convergencia.uaemex.mx/rev38/38pdf/LIZCANO.pdf |date=September 20, 2008 }} [[PDF]]</ref>。 |
||
多くのヨーロッパ人が専制君主時代と共和制時代初期に白人による政策が始まった後の大移動時代に移動してきた。その白人による政策にはたくさんの労働者を求め、人口がまばらであるブラジル南部で外国人による侵略を防ぐ目的のものもあった。 |
多くのヨーロッパ人が専制君主時代と共和制時代初期に白人による政策が始まった後の大移動時代に移動してきた。その白人による政策にはたくさんの労働者を求め、人口がまばらであるブラジル南部で外国人による侵略を防ぐ目的のものもあった。 |
||
⚫ | |||
白人系以外の他のグループは植民地時代や戦後にやってきました。 |
|||
⚫ | |||
{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
||
226行目: | 246行目: | ||
|} |
|} |
||
ブラジルでは240の移民が様々な言語を話すが、その多くはヨーロッパ言語である。ドイツ語なまりも含めたドイツ語がブラジルで2番目に多く話されている言語であり、約400万人つまり人口の2%の人が話す<ref name="olivet.edu">{{cite web|url=http://graduate.olivet.edu/news-events/news/second-most-spoken-languages-around-world|title=Olivet Second Most Spoken Languages Around the World|publisher=olivet.edu|accessdate=29 March 2016}}</ref><ref name="revistas.usp.br"/><ref>[http://www.lume.ufrgs.br/handle/10183/20697 Os imigrantes alemães e seus descendentes no Brasil: a língua como fator identitário e inclusivo] [[PDF]]</ref><ref>Altenhofen, Cléo Vilson: Hunsrückisch in Rio Grande do Sul, Franz Steiner Verlag, Stuttgart 1996</ref><ref name="ethnologue">{{cite web|url=http://www.ethnologue.com/country/BR|title=Brazil|work=Ethnologue}}</ref><ref name="ethnologue hunsrik">{{cite web|url=http://www.ethnologue.com/language/hrx|title=Hunsrik|work=Ethnologue}}</ref>。他には[[コーカソイド]]の移民が話す言葉として、[[イタリア語]]のベネツィアまたはTalian方言<ref name="ethnologue.com">{{e16|vec|Venetian}}</ref>、[[ポーランド語]] |
|||
ブラジルでは240の移民が様々な言語を話すが、その多くはヨーロッパ言語である。ドイツ語なまりも含めたドイツ語がブラジルで2番目に多く話されている言語であり、約400万人つまり人口の2%の人が話す。他には[[コーカソイド]]の移民が話す言葉として、[[イタリア語]]のベネツィアまたはTalian方言、[[ポーランド語]]、[[カスティリャ語]]、[[ウクライナ語]]、[[ロシア語]]、[[オランダ語]]、[[ヘブライ語]]、[[イディッシュ語]]、[[リトアニア語]]、[[レット語]]、[[フランス語]]、[[ノルウェー語]]、[[スウェーデン語]]、[[英語]]、[[ハンガリー語]]、[[フィンランド語]]、[[アラビア語]]、[[デンマーク語]]、[[ブルガリア語]]、[[クロアチア語]]、[[カタロニア語]]、[[ガリシア語]]、[[ギリシャ語]]、[[アルメニア語]]、[[チェコ語]]、[[スロバキア語]]、[[スロベニア語]]、[[ルーマニア語]]、[[セルビア語]]、Vlax Romani語、[[グルジア語]]、トゥロヨ語、バルト語、リトアニア系ロマニ語がある。いくつかのドイツ語の方言(ヨーロッパでは事実上なくなってしまった古くからのポメラニア東部の方言も含む)、ヴェネツィア方言、Talian方言もいくつかの都市でポルトガル語と共に共同語として存在している。 |
|||
<ref name="periodicos.ufes.br">[http://periodicos.ufes.br/contextoslinguisticos/article/view/7328pdf DETALHES FONÉTICOS DO POLONÊS FALADO EM MALLET PR] [[PDF]]</ref><ref name="seer.ufu.br">[http://www.seer.ufu.br/index.php/dominiosdelinguagem/article/view/26418 Perfil de descendentes de poloneses residentes no sul do Brasil: a constituição da(s) identidade(s)] [[PDF]]</ref><ref name="revistas.usp.br">[http://www.revistas.usp.br/flp/article/download/59772/62881 O panorama lingüístico brasileiro: a coexistência de línguas minoritárias com o português] [[PDF]]</ref>、[[カスティリャ語]]、[[ウクライナ語]]<ref name="revistas.usp.br"/>、[[ロシア語]]<ref name="br.sputniknews.com">{{cite web|url=http://br.sputniknews.com/portuguese.ruvr.ru/2009/11/05/2181244.html|title=Imigração Russa no Brasil por Viktor Voronov|publisher=br.sputniknews.com|date=2009-11-05|accessdate=2016-05-05}}</ref><ref>{{cite web|url=http://noticias.terra.com.br/no-dia-da-russia-conheca-russos-que-sao-a-cara-do-brasil,59106fe319279a1b6033574494b31809fcmwRCRD.html|title=E o terceiro fluxo, entre 1949 e 1965, quando chegaram ao Brasil aproximadamente 25 mil russos refugiados da revolução cultural chinesa|publisher=noticias.terra.com.br|date=2015-06-13|accessdate=2016-05-05}}</ref>、[[オランダ語]]<ref name="revistas.usp.br"/><ref>{{cite web|url=http://www.ethnologue.com/country/BR|title=Dutch in Brazil|publisher=Ethnologue|accessdate=29 March 2016}}</ref>、[[ヘブライ語]]、[[イディッシュ語]]<ref name="revistas.usp.br"/><ref>http://www.ethnologue.com/language/yih</ref>、[[リトアニア語]]<ref name="revistas.usp.br"/><ref name="ilas.columbia.edu"/>、[[レット語]]、[[フランス語]]<ref name="revistas.usp.br"/>、[[ノルウェー語]]<ref name="revistas.usp.br"/>、[[スウェーデン語]]<ref name="revistas.usp.br"/>、[[英語]]<ref name="Gilberto Freyre Editora Topbook"/><ref name="The Lost Colony of the Confederacy">{{Cite book | isbn = 1585441023 | title = The Lost Colony of the Confederacy | last1 = Harter | first1 = Eugene C. | year = 2000 | publisher = Texas A & M University Press | page = 44 }}</ref><ref name=":0">{{cite web|url=http://library.sc.edu/socar/uscs/1993/esjame93.html|title= Edwin S. James research materials|publisher=University of South Carolina|accessdate=2014-01-05}}</ref><ref name="TSHA">{{cite web|url=http://www.tshaonline.org/handbook/online/articles/fmcat|title=MCMULLAN, FRANCIS|publisher=Texas State Historical Association|accessdate=2014-01-05}}</ref><ref name="helb.org.br">{{cite web|url=http://www.helb.org.br/index.php?option=com_content&view=article&id=141:a-presenca-britanica-e-a-lingua-inglesa-na-corte-de-d-joao&catid=1095:ano-4-no-04-12010&Itemid=13|title=A Presença Britânica e a Língua Inglesa na Corte de D. João. Escrito por Joselita Júnia Viegas Vidotti (USP) |issn=1981-6677|publisher=USP|accessdate=11 April 2016}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.estantevirtual.com.br/b/gilberto-freyre/ingleses-no-brasil/426142595|title=1942 Gilberto Freyre|publisher=estantevirtual|accessdate=10 April 2016}}</ref>、[[ハンガリー語]]<ref name="revistas.usp.br"/>、[[フィンランド語]]<ref name="revistas.usp.br"/>、[[アラビア語]]<ref name="revistas.usp.br"/>、[[デンマーク語]]、[[ブルガリア語]]、[[クロアチア語]]<ref name="revistas.usp.br"/>、[[カタロニア語]]、[[ガリシア語]]、[[ギリシャ語]]、[[アルメニア語]]、[[チェコ語]]<ref name="revistas.usp.br"/>、[[スロバキア語]]、[[スロベニア語]]<ref name="revistas.usp.br"/>、[[ルーマニア語]]、[[セルビア語]]<ref name="revistas.usp.br"/>、Vlax Romani語<ref name="revistas.usp.br"/>、[[グルジア語]]、トゥロヨ語、バルト語、リトアニア系ロマニ語がある<ref name="revistas.usp.br"/>。いくつかのドイツ語の方言(ヨーロッパでは事実上なくなってしまった古くからのポメラニア東部の方言も含む)<ref>Ina Emmel (2005). ""Die kann nun nich’, die is’ beim treppenputzen!" O PROGRESSIVO NO ALEMÃO DE POMERODE–SC" (PDF). UNIVERSIDADE FEDERAL DE SANTA CATARINA.</ref>、ヴェネツィア方言、Talian方言もいくつかの都市でポルトガル語と共に共同語として存在している<ref name="rslei">[http://www.al.rs.gov.br/legis/M010/M0100018.asp?Hid_IdNorma=58094 LEI 14.061 - Declara integrante do patrimônio histórico e cultural do Estado do Rio Grande do Sul a "Língua Hunsrik", de origem germânica]</ref><ref name="rsleijulho2012">[http://www.al.rs.gov.br/legis/M010/M0100099.ASP?Hid_Tipo=TEXTO&Hid_TodasNormas=58094&hTexto=&Hid_IDNorma=58094 LEI Nº 14.061, de 23 de julho de 2012 - Declara integrante do patrimônio histórico e cultural do estado do Rio Grande do Sul a língua hunsrik, de origem germânica]</ref>。 |
|||
{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
||
245行目: | 266行目: | ||
=== 混合民族 === |
=== 混合民族 === |
||
混合民族はブラジルで2番目に多いグループであり、8000万人いる。パルドとブラジル混合民族はよく似ているので混同してしまう人がいるが、ブラジル混合民族は人によって肌の色や環境などが違う。彼らは、一般的に植民地時代や植民地時代後に来たアフリカ奴隷やアメリカ先住民の子孫である。マグレブ人、ユダヤ人、中東、エジプト人の子孫もいる。肌の色は薄い人から黒い人まで様々であり、ブラジル人とヨーロッパ人の混血であるインディオまたは[[メスティーソ]]は4300万人あたりを推移している。[[ミナスジェライス]]にある[[ミナス・ジェライス連邦大学]]でセルジオD.Jペナが行った遺伝子研究によると、インディオは70%~90%以上のヨーロッパ人(多くは1500年代~1700年代の男性ポルトガル人、スペイン人、オランダ人、フランス人移民)のDNAを持つ人たちとヨーロッパ先住民からなっている。同様のDNAテストではムラートもしくは白人黒人混合人種と認識している人たちは62%~85%のヨーロッパ人のDNAを持っている(彼らの子孫の多くは1500年代から1700年代の男性のポルトガル人、スペイン人、オランダ人、フランス人、イタリア人移民)。ブラジルにもパルドとして区分できる80万人のジプシーやロマ人がいて、その多くはポルトガルをはじめ東ヨーロッパやバルト海諸国出身である。ユーラシア人もパルドとして区分できるが、その多くは日本人とヨーロッパ人の混血やハーフである。ブラジル北部と北東部には多くのパルドがいて、主に連邦区や[[マットグロッソ]]、ゴイアス、エスピリトサント、ミナスジェライス、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロ、パラナに住んでいる。パルドはブラジルの至る所に点在しているが、これらの地区よりも多数に民族が存在している地区もある。州のひとつの地区のみにパルドが多数いるというところもある。 |
混合民族はブラジルで2番目に多いグループであり、8000万人いる。パルドとブラジル混合民族はよく似ているので混同してしまう人がいるが、ブラジル混合民族は人によって肌の色や環境などが違う。彼らは、一般的に植民地時代や植民地時代後に来たアフリカ奴隷やアメリカ先住民の子孫である。マグレブ人、ユダヤ人、中東、エジプト人の子孫もいる。肌の色は薄い人から黒い人まで様々であり、ブラジル人とヨーロッパ人の混血であるインディオまたは[[メスティーソ]]は4300万人あたりを推移している。[[ミナスジェライス]]にある[[ミナス・ジェライス連邦大学]]でセルジオD.Jペナが行った遺伝子研究によると、インディオは70%~90%以上のヨーロッパ人(多くは1500年代~1700年代の男性ポルトガル人、スペイン人、オランダ人、フランス人移民)のDNAを持つ人たちとヨーロッパ先住民からなっている<ref>East in the West: Investigating the Asian presence and influence in Brazil from the 16th to 18th centuries. By Clifford Pereira, in Proceedings of the 2nd Asia-Pacific regional Conference on Underwater Cultural Heritage. Ed. Hans Van Tilberg, Sila Tripati, Veronica Walker, Brian Fahy and Jun Kimura. Honolulu, Hawai'i, USA. May 2014.</ref>。同様のDNAテストではムラートもしくは白人黒人混合人種と認識している人たちは62%~85%のヨーロッパ人のDNAを持っている(彼らの子孫の多くは1500年代から1700年代の男性のポルトガル人、スペイン人、オランダ人、フランス人、イタリア人移民)。 |
||
ブラジルにもパルドとして区分できる80万人のジプシーやロマ人がいて、その多くはポルトガルをはじめ東ヨーロッパやバルト海諸国出身である。ユーラシア人もパルドとして区分できるが、その多くは日本人とヨーロッパ人の混血やハーフである。ブラジル北部と北東部には多くのパルドがいて、主に連邦区や[[マットグロッソ]]、ゴイアス、エスピリトサント、ミナスジェライス、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロ、パラナに住んでいる。パルドはブラジルの至る所に点在しているが、これらの地区よりも多数に民族が存在している地区もある。州のひとつの地区のみにパルドが多数いるというところもある。 |
|||
{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
||
287行目: | 310行目: | ||
=== 黄色人種 === |
=== 黄色人種 === |
||
アジア人、厳密には東アジア人はブラジルで4番目に大きい民族グループを形成し、220万人いるが、それに混血の東アジア人は含まない。最も大きい東アジア民族グループは[[日本人]]であり、ブラジルは日本以外の場所では最も多くの日本人がいる。日本人の数は他のブラジルに住んでいる人に対する割合としても、数の絶対数としても記録がある。日系ブラジル人の数は180万人前後を推移しており、 |
アジア人、厳密には東アジア人はブラジルで4番目に大きい民族グループを形成し、220万人いるが、それに混血の東アジア人は含まない。最も大きい東アジア民族グループは[[日本人]]であり、ブラジルは日本以外の場所では最も多くの日本人がいる。日本人の数は他のブラジルに住んでいる人に対する割合としても、数の絶対数としても記録がある。日系ブラジル人の数は180万人前後を推移しており、57000人にのぼる日本国籍者のコミュニティがあり、民族学者は40万人の人たちがブラジルで日本語を話しているとみている<ref name="Gonzalez"/><ref name=japantimes>{{cite web |url=http://www.japantimes.co.jp/text/nn20080115i1.html |title=Japan, Brazil mark a century of settlement, family ties <nowiki>|</nowiki> The Japan Times Online |date=2008-01-15}}</ref><ref name="japao100.com.br"/><ref name="IBGE traça perfil dos imigrantes">[http://madeinjapan.uol.com.br/2008/06/21/ibge-traca-perfil-dos-imigrantes/ IBGE traça perfil dos imigrantes] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20121119132009/http://madeinjapan.uol.com.br/2008/06/21/ibge-traca-perfil-dos-imigrantes/ |date=November 19, 2012 }}</ref>。 |
||
その他の日系ブラジル人は、主に[[中国語]]、[[台湾語]]、[[韓国語]]を話す。最近中国からブラジルに渡る人たちが多いので、この3か国語を話す人たちの数は増えている。 |
その他の日系ブラジル人は、主に[[中国語]]、[[台湾語]]、[[韓国語]]を話す。最近中国からブラジルに渡る人たちが多いので、この3か国語を話す人たちの数は増えている。 |
||
324行目: | 347行目: | ||
=== 常染色体の研究 === |
=== 常染色体の研究 === |
||
2015年に行われたブラジルに住んでいる38種類の民族を対象にした25の[[常染色体]]の研究結果によると、ヨーロッパ系が62%を占め、次いでアフリカ系が21%、アメリカ系が17%と続く。ヨーロッパ系が一番高い地域はブラジル南部で77%、アフリカ系が一番高い地域はブラジル北東部で27%、アメリカ系が一番高い地域はブラジル北部で32%である。 |
2015年に行われたブラジルに住んでいる38種類の民族を対象にした25の[[常染色体]]の研究結果によると、ヨーロッパ系が62%を占め、次いでアフリカ系が21%、アメリカ系が17%と続く。ヨーロッパ系が一番高い地域はブラジル南部で77%、アフリカ系が一番高い地域はブラジル北東部で27%、アメリカ系が一番高い地域はブラジル北部で32%である<ref name="ReferenceA">{{cite journal|doi=10.1002/ajhb.22714|pmid=25820814|title=Meta-analysis of Brazilian genetic admixture and comparison with other Latin America countrieBold text|journal=American Journal of Human Biology|volume=27|issue=5|pages=674–80|year=2015|last1=Rodrigues De Moura|first1=Ronald|last2=Coelho|first2=Antonio Victor Campos|last3=De Queiroz Balbino|first3=Valdir|last4=Crovella|first4=Sergio|last5=Brandão|first5=Lucas André Cavalcanti}}</ref>。 |
||
{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
||
358行目: | 381行目: | ||
|} |
|} |
||
2013年に全国のブラジルから集められた約1300のサンプルを基にした常染色体の研究結果によると、数値に違いが見られた。ヨーロッパ系の割合が高いという傾向は北部より南部の方がより顕著であるが、ヨーロッパ系の割合が高いという傾向は全ての都市で見られる(ヨーロッパ系の割合が最大で74%という地域がある)。ブラジル北部がアメリカ系の割合が最も高く、アフリカ系の割合の2倍である。逆に、北東部、中西部、南東部ではアフリカ系の割合がどれもヨーロッパ系に次いで高い。実際にそこに住んでいる人たちを見てみると、全ての都市部で異人種間の結婚が多く見られ、ブラジル人の常染色体の割合の違いの多くは人口が多い地域よりも、逆に少ない地域でしっかり確認することができる。 |
2013年に全国のブラジルから集められた約1300のサンプルを基にした常染色体の研究結果によると、数値に違いが見られた。ヨーロッパ系の割合が高いという傾向は北部より南部の方がより顕著であるが、ヨーロッパ系の割合が高いという傾向は全ての都市で見られる(ヨーロッパ系の割合が最大で74%という地域がある)。ブラジル北部がアメリカ系の割合が最も高く、アフリカ系の割合の2倍である。逆に、北東部、中西部、南東部ではアフリカ系の割合がどれもヨーロッパ系に次いで高い。実際にそこに住んでいる人たちを見てみると、全ての都市部で異人種間の結婚が多く見られ、ブラジル人の常染色体の割合の違いの多くは人口が多い地域よりも、逆に少ない地域でしっかり確認することができる<ref>{{cite journal|doi=10.1371/journal.pone.0075145|pmid=24073242|title=Revisiting the Genetic Ancestry of Brazilians Using Autosomal AIM-Indels|journal=PLoS ONE|volume=8|issue=9|pages=e75145|year=2013|last1=Saloum De Neves Manta|first1=Fernanda|last2=Pereira|first2=Rui|last3=Vianna|first3=Romulo|last4=Rodolfo Beuttenmüller De Araújo|first4=Alfredo|last5=Leite Góes Gitaí|first5=Daniel|last6=Aparecida Da Silva|first6=Dayse|last7=De Vargas Wolfgramm|first7=Eldamária|last8=Da Mota Pontes|first8=Isabel|last9=Ivan Aguiar|first9=José|last10=Ozório Moraes|first10=Milton|last11=Fagundes De Carvalho|first11=Elizeu|last12=Gusmão|first12=Leonor|pmc=3779230|bibcode=2013PLoSO...875145S}}</ref>。 |
||
2011年に主な民族グループ(白人、パルド、黒人)からブラジル全土で集められた1000近くのサンプルを使用して行われた常染色体の研究によると、ヨーロッパ系の割合が高く、次いでアフリカ系、アメリカ系が続く。 |
2011年に主な民族グループ(白人、パルド、黒人)からブラジル全土で集められた1000近くのサンプルを使用して行われた常染色体の研究によると、ヨーロッパ系の割合が高く、次いでアフリカ系、アメリカ系が続く。すべての年の研究結果を考えると、ヨーロッパ系の割合が最も多い<ref name="plosone1">{{cite journal|doi=10.1371/journal.pone.0017063 |title=The Genomic Ancestry of Individuals from Different Geographical Regions of Brazil Is More Uniform Than Expected|year=2011|last1=Pena|first1=Sérgio D. J.|last2=Di Pietro|first2=Giuliano|last3=Fuchshuber-Moraes|first3=Mateus|last4=Genro|first4=Julia Pasqualini|last5=Hutz|first5=Mara H.|last6=Kehdy|first6=Fernanda de Souza Gomes|last7=Kohlrausch|first7=Fabiana|last8=Magno|first8=Luiz Alexandre Viana|last9=Montenegro|first9=Raquel Carvalho|last10=Moraes|first10=M. O.|last11=De Moraes|first11=M. E.|last12=De Moraes|first12=M. R.|last13=Ojopi|first13=E. B.|last14=Perini|first14=J. A.|last15=Racciopi|first15=C|last16=Ribeiro-Dos-Santos|first16=A. K.|last17=Rios-Santos|first17=F|last18=Romano-Silva|first18=M. A.|last19=Sortica|first19=V. A.|last20=Suarez-Kurtz|first20=G|journal=PLoS ONE|volume=6|issue=2|pages=e17063|pmid=21359226|pmc=3040205|editor1-last=Harpending|editor1-first=Henry|display-authors=8|bibcode=2011PLoSO...617063P}}</ref>。 |
||
すべての年の研究結果を考えると、ヨーロッパ系の割合が最も多い。 |
|||
{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
||
397行目: | 418行目: | ||
|} |
|} |
||
2010年に行われたブラジルの5つの地域で入手した常染色体の研究によると、平均でヨーロッパ系の常染色体は全体の80%を占めているという研究結果がでている。地域間による差は南部でほぼ90%を占めているという一部の例外を除いては少ない。 |
2010年に行われたブラジルの5つの地域で入手した常染色体の研究によると、平均でヨーロッパ系の常染色体は全体の80%を占めているという研究結果がでている。地域間による差は南部でほぼ90%を占めているという一部の例外を除いては少ない。Catholic University of BrasíliaのグループによるAmerican Journal of Human Biologyという科学雑誌の研究結果からは、以前の研究(国勢調査によるものとは違う)からも分かるように、肌、目、髪の色の違いは遺伝子学上では関係がないという研究結果がでている。祖先の遺伝情報が分かるSNPは個人と生物地理学上の祖先を特定するのに役立つ。ブラジル人は遺伝学上3種類の祖先(ヨーロッパ人、アフリカ人、ブラジル系アメリカ人)とその人たちの混血によるいろいろなパターン分類できる<ref>[http://www1.folha.uol.com.br/folha/ciencia/ult306u633465.shtml DNA de brasileiro é 80% europeu, indica estudo]. .folha.uol.com.br (1970-01-01). Retrieved on 2012-05-19.</ref>。 |
||
⚫ | こちらの研究は、ブラジルの5つの地区にある都市部の人たちからの複数の遺伝子を推定するためにアフリカ人、アメリカ人、ヨーロッパ人の3つの祖先から28あるSNP遺伝情報を分析した。そのSNPはお互い別の母集団に、最終的には3種類の混合人種として使われる。データはいろいろな人種のブラジル人祖先を遺伝子レベルで解明するのに使われる。ブラジルの5つの地域から入手した2つで1組になっている遺伝子の1つを調べるとブラジル南部と他の地域とでは遺伝子の違いはほとんど確認できなかった。ブラジル人祖先の遺伝子を調べたその研究では、the heterogeneous genetic profile of Brazilian populationと一致する結果となった。1番がヨーロッパ人で0.771、0.143のアフリカ人、0.085のアメリカ人が続く<ref name="wiley1" />。このSNP遺伝情報の分析は人類科学の研究の役立つが、その分析は主に遺伝子のつながりが複雑になり分かりにくなってしまい、誤った研究結果になってしまったとき、それを修正するのに力を発揮する。その実験サンプルは父方の被験者が無料で提供してくれたものだということは注目すべき点であり、研究員たちも被験者はパルドの人たちがやや多い傾向にあるものの、父方を対象に行われたこの実験は様々な経済的地位の人たちから無償で提供されていると話している<ref name="wiley1" />。 |
||
Catholic University of BrasíliaのグループによるAmerican Journal of Human Biologyという科学雑誌の研究結果からは、以前の研究(国勢調査によるものとは違う)からも分かるように、肌、目、髪の色の違いは遺伝子学上では関係がないという研究結果がでている。祖先の遺伝情報が分かるSNPは個人と生物地理学上の祖先を特定するのに役立つ。ブラジル人は遺伝学上3種類の祖先(ヨーロッパ人、アフリカ人、ブラジル系アメリカ人)とその人たちの混血によるいろいろなパターン分類できる。 |
|||
⚫ | こちらの研究は、ブラジルの5つの地区にある都市部の人たちからの複数の遺伝子を推定するためにアフリカ人、アメリカ人、ヨーロッパ人の3つの祖先から28あるSNP遺伝情報を分析した。そのSNPはお互い別の母集団に、最終的には3種類の混合人種として使われる。データ |
||
{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
||
436行目: | 455行目: | ||
|} |
|} |
||
2009年に行われた常染色体の研究からも分かるように、ブラジル人からの地域別サンプルは全てアフリカ人やメキシコ系メスティーソの人たちより、ヨーロッパ系の割合が多いという傾向がみられることが分かった |
2009年に行われた常染色体の研究からも分かるように、ブラジル人からの地域別サンプルは全てアフリカ人やメキシコ系メスティーソの人たちより、ヨーロッパ系の割合が多いという傾向がみられることが分かった<ref>{{Cite journal |
||
| pmid = 20129458 |
|||
| year = 2010 |
|||
| author1 = De Assis Poiares |
|||
| first1 = L |
|||
| title = Allele frequencies of 15 STRs in a representative sample of the Brazilian population |
|||
| journal = Forensic Science International: Genetics |
|||
| volume = 4 |
|||
| issue = 2 |
|||
| pages = e61–3 |
|||
| last2 = De Sá Osorio |
|||
| first2 = P |
|||
| last3 = Spanhol |
|||
| first3 = F. A. |
|||
| last4 = Coltre |
|||
| first4 = S. C. |
|||
| last5 = Rodenbusch |
|||
| first5 = R |
|||
| last6 = Gusmão |
|||
| first6 = L |
|||
| last7 = Largura |
|||
| first7 = A |
|||
| last8 = Sandrini |
|||
| first8 = F |
|||
| last9 = Da Silva |
|||
| first9 = C. M. |
|||
| doi = 10.1016/j.fsigen.2009.05.006 |
|||
}}</ref>。 |
|||
{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
||
470行目: | 516行目: | ||
|} |
|} |
||
2008年にthe University of Brasília(UnB)で行われた別の常染色体の研究によると、全てのブラジルでの地区においてヨーロッパ系がトップを独占している。ヨーロッパ系が65.90%で、次いでアフリカが24.80%、アメリカ系が9.3%と続く。 |
2008年にthe University of Brasília(UnB)で行われた別の常染色体の研究によると、全てのブラジルでの地区においてヨーロッパ系がトップを独占している。ヨーロッパ系が65.90%で、次いでアフリカが24.80%、アメリカ系が9.3%と続く<ref>[http://repositorio.unb.br/bitstream/10482/5542/1/2008_NeideMOGodinho.pdf the impact of migrations in the constitution of Latin American populations]</ref>。 |
||
もっと最近のもので、2013年の研究では、サンパウロだけで見るとヨーロッパ系61.9%、アフリカ系25.5%、アフリカ系11.6%という結果がでている。 |
|||
もっと最近のもので、2013年の研究では、サンパウロだけで見るとヨーロッパ系61.9%、アフリカ系25.5%、アフリカ系11.6%という結果がでている<ref>{{cite journal|url=http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ajhb.20474/abstract|title=Genomic ancestry of a sample population from the state of São Paulo, Brazil|publisher=|accessdate=29 March 2015|doi=10.1002/ajhb.20474|pmid=16917899|volume=18|issue=5|journal=American Journal of Human Biology|pages=702–705|year=2006|author1=Ferreira|first1=L. B.|last2=Mendes-Junior|first2=C. T.|last3=Wiezel|first3=C. E.|last4=Luizon|first4=M. R.|last5=Simões|first5=A. L.}}</ref><ref>{{cite journal|doi=10.1371/journal.pone.0075145|pmid=24073242|title=Revisiting the Genetic Ancestry of Brazilians Using Autosomal AIM-Indels|journal=PLoS ONE|volume=8|issue=9|pages=e75145|year=2013|last1=Saloum De Neves Manta|first1=Fernanda|last2=Pereira|first2=Rui|last3=Vianna|first3=Romulo|last4=Rodolfo Beuttenmüller De Araújo|first4=Alfredo|last5=Leite Góes Gitaí|first5=Daniel|last6=Aparecida Da Silva|first6=Dayse|last7=De Vargas Wolfgramm|first7=Eldamária|last8=Da Mota Pontes|first8=Isabel|last9=Ivan Aguiar|first9=José|last10=Ozório Moraes|first10=Milton|last11=Fagundes De Carvalho|first11=Elizeu|last12=Gusmão|first12=Leonor}}</ref>。 |
|||
2014年に全てのブラジル地域で集められた1594のサンプルからのデーターを基にした研究によると、ブラジル人は広い範囲の地域でヨーロッパ系の割合が多数を占めていて、それはブラジル南部で特に顕著であることが分かった。ブラジル南部を除けばアフリカ系の割合も多く、ブラジル東部では最も高い割合になっている。アメリカ系はブラジル北西部([[アマゾン川]]流域)では最も高い割合になっている。 |
|||
2014年に全てのブラジル地域で集められた1594のサンプルからのデーターを基にした研究によると、ブラジル人は広い範囲の地域でヨーロッパ系の割合が多数を占めていて、それはブラジル南部で特に顕著であることが分かった。ブラジル南部を除けばアフリカ系の割合も多く、ブラジル東部では最も高い割合になっている。アメリカ系はブラジル北西部([[アマゾン川]]流域)では最も高い割合になっており、まとめると、ヨーロッパ系が82%でアフリカ系が9%、アメリカ系が9%と続く<ref>{{cite journal|doi=10.1371/journal.pgen.1004572|pmid=25254375|title=Admixture in Latin America: Geographic Structure, Phenotypic Diversity and Self-Perception of Ancestry Based on 7,342 Individuals|journal=PLoS Genetics|volume=10|issue=9|pages=e1004572|year=2014|last1=Ruiz-Linares|first1=Andrés|last2=Adhikari|first2=Kaustubh|last3=Acuña-Alonzo|first3=Victor|last4=Quinto-Sanchez|first4=Mirsha|last5=Jaramillo|first5=Claudia|last6=Arias|first6=William|last7=Fuentes|first7=Macarena|last8=Pizarro|first8=María|last9=Everardo|first9=Paola|last10=De Avila|first10=Francisco|last11=Gómez-Valdés|first11=Jorge|last12=León-Mimila|first12=Paola|last13=Hunemeier|first13=Tábita|last14=Ramallo|first14=Virginia|last15=Silva De Cerqueira|first15=Caio C.|last16=Burley|first16=Mari-Wyn|last17=Konca|first17=Esra|last18=De Oliveira|first18=Marcelo Zagonel|last19=Veronez|first19=Mauricio Roberto|last20=Rubio-Codina|first20=Marta|last21=Attanasio|first21=Orazio|last22=Gibbon|first22=Sahra|last23=Ray|first23=Nicolas|last24=Gallo|first24=Carla|last25=Poletti|first25=Giovanni|last26=Rosique|first26=Javier|last27=Schuler-Faccini|first27=Lavinia|last28=Salzano|first28=Francisco M.|last29=Bortolini|first29=Maria-Cátira|last30=Canizales-Quinteros|first30=Samuel|display-authors=29}}</ref>。 |
|||
まとめると、ヨーロッパ系が82%でアフリカ系が9%、アメリカ系が9%と続く。 |
|||
=== ミトコンドリアDNAとY-DNAの研究 === |
=== ミトコンドリアDNAとY-DNAの研究 === |
||
[[ハプログループ]]の多さは、遺伝子による民族の特徴もどの民族とどの民族の混血であるかということも表すことができない。常染色体の実験では何百万の母方と父方の対立遺伝子を分析できるので、それによってのみ、どの民族の血が強いかどうかということが分かる。片方の祖先(父方もしくは母方)しか見ないY-DNAと[[ミトコンドリアDNA]]の研究とは違い、常染色体の研究は、研究対象になっている人たちの祖先全員を観察するので、複雑になっている先祖の混血のパターンがより正確に分かる。 |
[[ハプログループ]]の多さは、遺伝子による民族の特徴もどの民族とどの民族の混血であるかということも表すことができない。常染色体の実験では何百万の母方と父方の対立遺伝子を分析できるので、それによってのみ、どの民族の血が強いかどうかということが分かる。片方の祖先(父方もしくは母方)しか見ないY-DNAと[[ミトコンドリアDNA]]の研究とは違い、常染色体の研究は、研究対象になっている人たちの祖先全員を観察するので、複雑になっている先祖の混血のパターンがより正確に分かる。 |
||
2000年にブラジルの主な4つブラジル全体のデーターを含め5つの地区から得た247のサンプル(主に白人のブラジル人)を見てみると、現代のブラジル人の母方のものであるミトコンドリアDNAプールは明らかに20世紀に大量に押し寄せたヨーロッパからの移民やポルトガル人の意図的な結婚も含めた植民地時代初期の状況を反映していると言える。 |
2000年にブラジルの主な4つブラジル全体のデーターを含め5つの地区から得た247のサンプル(主に白人のブラジル人)を見てみると、現代のブラジル人の母方のものであるミトコンドリアDNAプールは明らかに20世紀に大量に押し寄せたヨーロッパからの移民やポルトガル人の意図的な結婚も含めた植民地時代初期の状況を反映していると言える<ref>{{cite journal|doi=10.1086/303004|title=The Ancestry of Brazilian mtDNA Lineages|year=2000|last1=Alvessilva|first1=J|last2=Dasilvasantos|first2=M|last3=Guimaraes|first3=P|last4=Ferreira|first4=A|last5=Bandelt|first5=H|last6=Pena|first6=S|last7=Prado|first7=V|journal=The American Journal of Human Genetics|volume=67|issue=2|pages=444–61|pmid=10873790|pmc=1287189}}</ref>。 |
||
{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
||
499行目: | 543行目: | ||
|} |
|} |
||
2001年の研究では、白人系ブラジル人男性の父方によるY染色体の多くはヨーロッパ系(90%)である。[[サハラ砂漠]]以南のアフリカ系の染色体はごく少数で、アメリカ系の染色体はまったく確認できなかった。この結果は、主にヨーロッパ人男性とアフリカ系またはアメリカ系女性による結婚によるものある。 |
2001年の研究では、白人系ブラジル人男性の父方によるY染色体の多くはヨーロッパ系(90%)である。[[サハラ砂漠]]以南のアフリカ系の染色体はごく少数で、アメリカ系の染色体はまったく確認できなかった。この結果は、主にヨーロッパ人男性とアフリカ系またはアメリカ系女性による結婚によるものある<ref name=j1>{{cite journal| pmc=1234928|pmid=11090340|title= The Phylogeography of Brazilian Y-Chromosome Lineages | doi=10.1086/316931|volume=68|issue=1|date=January 2001|journal=Am. J. Hum. Genet.|pages=281–6 | last1 = Carvalho-Silva | first1 = DR | last2 = Santos | first2 = FR | last3 = Rocha | first3 = J | last4 = Pena | first4 = SD}}</ref>。 |
||
2016年の研究では、ブラジルの5つの地区で全く他人同士である1217人の男性の41からなる1組のY-SNPを調査した。全てのブラジル人のサンプルから計22のハプログループが見つかり、3つの主なグループのDNAが見つかった。それは、アメリカ系、ヨーロッパ系、アフリカ系である。そこから遺伝学上の違いが分かったが、その違いはブラジルの植民地の歴史と一致した。ブラジル北部からのサンプルから8.4%という高いアメリカ系の割合が確認できた。多くの人たちはブラジル北西部で確認できたアフリカ系の割合である15.1%の方を強調するが、ブラジル中西部と南部では他の地域より高めにヨーロッパ系の割合が確認できる(それぞれ95.7%と93.6%)。 |
2016年の研究では、ブラジルの5つの地区で全く他人同士である1217人の男性の41からなる1組のY-SNPを調査した。全てのブラジル人のサンプルから計22のハプログループが見つかり、3つの主なグループのDNAが見つかった。それは、アメリカ系、ヨーロッパ系、アフリカ系である。そこから遺伝学上の違いが分かったが、その違いはブラジルの植民地の歴史と一致した。ブラジル北部からのサンプルから8.4%という高いアメリカ系の割合が確認できた。多くの人たちはブラジル北西部で確認できたアフリカ系の割合である15.1%の方を強調するが、ブラジル中西部と南部では他の地域より高めにヨーロッパ系の割合が確認できる(それぞれ95.7%と93.6%)。 |
||
ブラジル南東部では高いヨーロッパ系の割合(86.1%)とアフリカ系の割合(12.0%)が確認できる。ブラジル中西部、南東部、南部でヨーロッパ系の割合が多いのはポルトガルからの人が多いからだと推測される。 |
ブラジル南東部では高いヨーロッパ系の割合(86.1%)とアフリカ系の割合(12.0%)が確認できる。ブラジル中西部、南東部、南部でヨーロッパ系の割合が多いのはポルトガルからの人が多いからだと推測される<ref>{{Cite journal|url=http://www.journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0152573|title=Male Lineages in Brazil: Intercontinental Admixture and Stratification of the European Background, Resque et al. (2016)|journal=PLoS ONE|volume=11|issue=4|pages=e0152573|doi=10.1371/journal.pone.0152573|pmid=27046235|year=2016|last1=Resque|first1=Rafael|last2=Gusmão|first2=Leonor|last3=Geppert|first3=Maria|last4=Roewer|first4=Lutz|last5=Palha|first5=Teresinha|last6=Alvarez|first6=Luis|last7=Ribeiro-Dos-Santos|first7=Ândrea|last8=Santos|first8=Sidney|bibcode=2016PLoSO..1152573R}}</ref>。 |
||
ブラジル北部と北東部でヨーロッパ系の割合が高いのはフランスやイタリアからの人たちが多いからだとされる。最も高い移住率を誇るレバノンからはブラジル中西部へ移住する人が多い。 |
ブラジル北部と北東部でヨーロッパ系の割合が高いのはフランスやイタリアからの人たちが多いからだとされる。最も高い移住率を誇るレバノンからはブラジル中西部へ移住する人が多い。 |
||
509行目: | 553行目: | ||
ブラジル中西部、南東部、南部ではドイツからの移民が多い。 |
ブラジル中西部、南東部、南部ではドイツからの移民が多い。 |
||
常染色体で見るブラジル系「白人」「パルド」の祖先は多くの場合ヨーロッパ系ではないミトコンドリアDNA(ある時はヨーロッパ系女性ではないことを示すが)であるヨーロッパ系が多い。それはブラジル人という概念を形作っている間に新たにブラジルへ入植者と結婚をしに来た女性を見れば分かる。 |
常染色体で見るブラジル系「白人」「パルド」の祖先は多くの場合ヨーロッパ系ではないミトコンドリアDNA(ある時はヨーロッパ系女性ではないことを示すが)であるヨーロッパ系が多い。それはブラジル人という概念を形作っている間に新たにブラジルへ入植者と結婚をしに来た女性を見れば分かる<ref>{{cite web|url=http://www.laboratoriogene.com.br/?area=genealogiaAncestralidadeDiferenca |title=Laboratório GENE – Núcleo de Genética Médica |publisher=Laboratoriogene.com.br|accessdate=2011-12-29}}</ref>。 |
||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
2017年9月26日 (火) 21:36時点における版
総人口 | |
---|---|
c. 207 million (2015 estimate) | |
居住地域 | |
ブラジル 190,755,799[1] (2010 Census) 204,450,649[2](2015 estimate) | |
アメリカ | 1,315,000[3] |
パラグアイ | 349,842[3] |
日本 | 179,649[3] |
ポルトガル | 166,775[3] |
スペイン | 128,638[3] |
イギリス | 120,000[3] |
ドイツ | 113,716[3] |
スイス | 81,000[3] |
フランス | 108,700[3]
|
イタリア | 69,000[3] |
ベルギー | 48,000[3] |
アルゼンチン | 47,045[3] |
カナダ | 39,300[3] |
ボリビア | 28,546[3] |
オーストラリア | 27,000[3] |
オランダ | 21,948[3] |
Other countries combined | 211,063[3] |
言語 | |
Primarily Portuguese[4] Indigenous languages[5] Various other languages by minorities | |
宗教 | |
Christian majority and various other denominations | |
関連する民族 | |
ブラジル人(ポルトガル語: Brasileiros)とはブラジルの国民のことである。また、ブラジル人とはブラジル市民権を得た父親または母親の子として、別の国で生まれた人、もしくはブラジル市民権を得た人を指すこともある。
定義
Constitution of Brazilによると、ブラジル人とは、
- ブラジルで生まれた者。両親が外国人の場合もあてはるが、しかし、その両親が外国人である者が外国の官公庁で働いていている場合(外交官など)、その子供はブラジル人にはなれない。
- ブラジル人の父親か母親の子供としてブラジル大使館または領事館で出生登録をし、外国で生まれた者。また、ブラジルで出生登録を受けてないブラジル人の父親か母親の子供として外国で生まれたが、18歳以上になってからブラジルに移住している者[6]。
- ブラジルに居住している外国人で、ブラジル国籍の申請をし、受理された者。
憲法にはブラジル市民権を持っている者は、人種、民族、性や宗教に関わらず皆平等であると書かれている。
ブラジルで国外退出もなく続けて4年間ブラジルで生活し、ポルトガル語が話せる外国人はブラジル市民権を申請できる。公用語がポルトガル語である国の出身(ポルトガル、アンゴラ、モザンビーク、カーボベルデ、サントメプリンシペ、ギニアビサウ、東ティモール)の人は、途中で国外退出がなければ、1年後にブラジル市民権を申請できる。
ブラジル市民権を持っている外国人は、生まれつきブラジル国籍を所有している人とまったく同様の権利や義務を持っているが、大統領、副大統領、防衛大臣、国防長官、下院議長、軍隊、外交官になることはできない[6]。
概要
ブラジル人は主に入植者、独立後の移民者、アフリカの奴隷、ブラジル先住民の子孫たちであり、多くはポルトガル、イタリア、スペイン、ドイツ語圏の人たちである。日本人、ポーランド人、ウクライナ人、レバントアラビア人の人たちもたくさんいる。1820年代から1970年代にかけてブラジルに渡った他の移民たちも同様である[7]。
植民地時代(1500年~1822年)
主に3つのグループが存在した。ブラジル先住民、ヨーロッパからの入植者、アフリカ系の労働者である。
- 当時、最初の移住者が16世紀に到着する前、ブラジルには推定240万人のアメリカ先住民が生活していた。彼らは更新世以来ずっとブラジルで生活していて、現在でも多くの部族や民族を形成し、その数は数百にものぼり、多様な特徴、形や色合いを見せている。1498年辺りに初めてドワーティ・パチェーコ・ペレイラ率いる軍勢がブラジルに攻め込んできて、その後1500年と1502年にそれぞれ240万人と310万人の軍勢を率いたペドロ・アルヴァレス・カブラルとアメリゴ・ヴェスプッチが続いたが、その時点で何人の先住民が生活していたのかというのは諸説ある。より正確なデータとしては、ブラジル先住民は入植者が運んできた伝染病(インフルエンザ、天然痘、しょう紅熱、結核)や戦闘(ポルトガル、フランス、オランダと軍事同盟を結び、その結果起きた組織的大量虐殺によって死者が増え、さらに入植者が来た後に流産をしてしまう先住民である女性の割合も増えた)によってブラジル先住民の3/4の人が死亡したというものがある。一方で、生き残った人たちはアマゾン川流域へ逃れ、ラテンアメリカの外へ移住する人もいた。イエズス会の保護の元で禁欲的な生活を送っていた先住民が都会へ抜け出し、移住した土地で異人種の人と結婚した人が多かったという事実も注目される。ヨーロッパで発生した病気が貿易ルートを経由して急速に広まり、ヨーロッパ人と直接戦闘などで関わったわけでもないのに先住民は全滅寸前まで追い込まれた。現在、51万7千人の先住民が定住していて16万人の人がいろいろな方言の母国語を話す。数百万人のブラジル人は異人種間で戦闘などがあったためにアメリカ先住民の血が混ざっている。
- 公式の記録では、ブラジルは1500年にポルトガルによって発見され、72万4千人のポルトガル人入植者が植民地時代の終わりごろまでに入国してきたとされる[8]。その多くは男性であった。その72万4千という数字よりはるかに多い人が入国しただろうと主張している別の資料もる。イエズス会修道士はポルトガル王国に、両親を亡くして孤児になっている王室の保護下にある女性を移住者と結婚させるためにブラジルに送ってほしいと頼んだが、彼女たちはÓrfãs d'El-Reiという名称で知られている[9][10][11][12]。植民地を統治する過程で、または国王のために戦ったなどの過程で亡くなってしまった貴族の娘は身分の高い入植者と結婚した。1551年、ブラジル北東部のバイーア港に最初の孤児たちのグループがやってきたが、19世紀まで、ポルトガルはずっとヨーロッパでブラジルに移住する人が多い国のひとつでしたが、もちろん他のヨーロッパの国からの移住もあった[10]。
- 他のいろいろなヨーロッパ諸国から移住してきた人がいましたが、明らかに最も多かったのはオランダであった。1630年から1654年にかけて、ブラジル北東部はオランダによる支配のもと、比較的少ない人数ではあるが、オランダ人入植者(オランダ系ブラジル人)とユダヤ人がブラジルに渡り、その人たちは後に宗教の自由を要求してきたのは注目すべきことである。そのユダヤ人はレシフェにカハル・ズル・イスラエル・シナゴーグというアメリカ大陸で最初のユダヤ教会堂を造った。2万人以上のオランダ人がブラジルに入国したと言われているが、そのオランダ人入植者とユダヤ人はブラジル支配が終わった後に追い出されてしまった。ブラジルに残った家族の多くはブラジル北東部の奥地のはずれ(ペルナンブコ、パライバ、リオグランデ・ド・ノルテ、セアラー他)に逃れるか、ポルトガル人の名前に改名したりした。ブラジル北東部の人たちに過剰にみられるハプログループ2のY染色体はオランダ人入植者と地元の人たちが結婚したことによるものが大きいと言われている。ブラジルから離れたユダヤ人の多くは、現在のニューヨークであるニューアムステルダムへ向かい、アメリカ合衆国で最古といわれるユダヤ教会堂Congregation Shearith Israelを創設した。ニューアムステルダムに住んでいたユダヤ人はキリスト教に改宗したが、彼らはCrypto-Judaismというひそかにユダヤ教を信じている人たちもいるニュークリスチャン、マラーノとして知られていた。そのオランダ領ブラジルにいたユダヤ人の人口は数千人に満たないほどではあったが、特に1500年以降最初の100年の間、非常に多くの以前ポルトガル人入植者としてニュークリスチャンにされてしまった人たちがブラジルに渡った。彼らはポルトガル王国やスペイン王国からの弾圧を逃れて、または追放されてブラジルに入国した。後に彼らは有罪判決を受けた、もしくは国外追放された人という意味のDegredadosという名前で知られるようになる。Degredadosという人たちは、イベリア半島のジプシーも含まれ、それがなぜ西側諸国でDegredadosが不思議なくらい多いかという理由になる。ブラジルはアメリカ大陸ではアメリカ合衆国に次いで2番目にジプシーが多い国です。また、20世紀にブラジルはバルト海沿岸、中央ヨーロッパ、西ヨーロッパからたくさんのジプシーを受け入れました。
- 16世紀半ばから1855年にかけての大西洋の奴隷貿易により、様々な国や民族からなる推定360万人のアフリカ人がブラジルに渡り、その結果ブラジルはアフリカ人を祖先に持つ人がアメリカ大陸で一番多い国となった。過酷な環境のもとで、多くの奴隷は病気になり、死亡率がとても高くなっていたので、ブラジルの至る所にアフリカ系ブラジル人奴隷キロンボのコミュニティが出来た。興味深いことに、バイーアにいた奴隷のうちの少数はイスラム教徒であったが、彼らはサルヴァドールで反乱を起こしたが、すぐに軍隊によって鎮圧された。
1808年にポルトガルの裁判所がブラジルに移ったことにより、何千人ものポルトガル人が再びブラジルに渡り、その後1820年に他の国へ出港できる港を開いた。これにより、今までになかった大きな移民の波が押し寄せることになる。
大移動時代(1820年から1970年代まで)
この時代には世界中の人々がブラジルに渡り、その中の多くがヨーロッパ人であった。ブラジルは1820年から1950年にかけて、5686133のヨーロッパ人移民を受け入れた[13][14]。その中には当時栄えていたユダヤ人もいた。加えて、20世紀に95万のアジア人がブラジルに渡ったが、その中には、中東の人やキリスト教徒のレバントアラブ人、アジアで最大の人数を誇る27万の日本人などがいた[15][16][17][18][19]。
1) 当時、移民のほぼ70%は南ヨーロッパの人たちであった。
- このころに、2回目となるポルトガル人の大移住があり、ブラジルに到着した。180万人以上の人たちが移住してきた。この国が発見されたころにはすでにポルトガル人は存在していたが、そのせいで正確に何人の子孫が存在しているのか計算するのが難しくなっている。数百万人いる白人系ブラジル人は1870年代から1975年にかけて移住してきたポルトガル系移民の子孫である。加えて、ブラジル人は異なる民族と結婚する人が多いので、多民族国家ブラジルにはポルトガル系移民の子孫も点在している。そのポルトガル系移民の子孫の多くは、ポルトガル北部と中部にある歴史的な地区であるミニョ、トラス・オス・モンテス、ベイラ、エストレマドゥーラから来た人たちである。ブラジル北東部は過去に1回目のポルトガル人による大移住があった場所であるが、大移動時代の時にブラジル南東部でさらに大規模な移住があった。サンパウロが最も多い人数の移住を受け入れ、次にリスボンを除くとポルトガル領で最大の都市といわれているリオ・デ・ジャネイロが続く。以前ブラジル第2の都市だったリオ・デ・ジャネイロはかつてポルトガルの首都であり、ヨーロッパの外にある唯一のヨーロッパの国の首都であった。他のヨーロッパの国々では地方の独特な訛りに加え1600年代の古典的な音声が根付いていたのに対し、リオ・デ・ジャネイロの訛りはこの後の19世紀の革新によりヨーロッパ言語の多様性が増したことを感じることができる。他に多くの移住者が確認された都市としてはミナスジェライス、パラー、リオ・グランデ・ド・スル、ペルナンブコ、バイーアがあり、近年、そこに移住した人たちはブラジルの至る所に住んでいているが、彼らの多くは白人か多民族からなるブラジル人である。
- さらに、この大移動をした人たちの中には約160万人のイタリア人がいて、結果的に植民地時代後では最大のグループとなった。現在、数百万人いるイタリア系ブラジル人は家族ぐるみでブラジルに移動し、そこで子供を産んでいる人が多いのでブラジルを母国に選んだ。この数字は、おそらく今までイタリアから国外に移動した人数の中で最大となり、他の国とは違い、移住する人の半数以上はヴェネトやロンバルディアといったイタリア北部からの人たちで、次にイタリア中部からの人たちが多い。サンパウロではもっとも多くの多様な人種の人たちが移住していて大部分はイタリア南部からの人たちである。イタリア人の多くはブラジル移民の半数以上の人を受け入れているというサンパウロへ行った。残りの人たちは主に、こちらも大きな移民グループのいるブラジル南部へ移住していた。他のブラジル南東部にある2つの州ミナスジェライスやエスピリトサントや中西部から主にマトグロッソドスルやゴイアスなどへの移動する人たちが多かったのも注目される。比較的少ない人数ではあるが、北東部のペルナンブコやバイーアに向かった移民もいる。現在、その子孫たちの多くは今述べたような地域に住んでいるが、その人たちのブラジル内での移動によってイタリアのユダヤ人がブラジル内の至る所に点在するという結果になっている。
- スペイン人も主にアンダルシアやガリシアから約70万人もの人が移住した。スペイン人が先祖というブラジル人は数百万人いる。多くのスペイン人は過去1世紀の間に移動してきた。主にサンパウロへ向かい、その後リオ・デ・ジャネイロ、ミナスジェライスへ移住した。スペイン南部のアンダルシア出身の人が多く、ガリシア、カスティール、レオン、カタルーニャなどスペイン北部または東部の地区出身の人もそれに続いて多く、これらのスペインの地区はポルトガルと国境を共有し、言葉も通じ、かつてはスペインの領土であったので、ガリシア人も植民地支配されているブラジルに住んでいた。他の地区にいるスペイン系ブラジル人も元々はガリシア出身の人たちで以前から住んでいた。その人たちはバイーア州都サルヴァドール、ペルナンブコ(ブラジル北東部)、パラー(ブラジル北部)、エスピリトサント(ブラジル南東部)、リオ・グランデ・ド・スル(ブラジル南部)へ移動した[20]。
2) 残りの30%は他のヨーロッパ地域、アジア(西アジアと東アジア)、アフリカ(多くは白人アフリカ人、ユダヤ人、ベルベル人他)、アメリカ人(南北アメリカ人)である。
他のヨーロッパ人
- 西ヨーロッパ人が多い。約24万人のドイツ人が移住し、19万8000人のオーストリア人、5万2千のスイス人などが挙げられる。ルクセンブルク人、ヴォルガ・ドイツ人が移住したという記録も残っているが、人数は少ない。当時ドイツ語圏国家が4番目に大きいヨーロッパ移民団で、現在ブラジルでドイツ語を母国語としている人は2番目に多い[21][22][23][24]。加えて、15万人のフランス人移民がブラジルの港に到着したが、その中には[[ベルギー人やオランダ人(オランダ系ブラジル人と混同しない)も含まれていた[25][26]。
- 東ヨーロッパ人も比較的多く、35万人の人が移住した。この中には15万4千人のポーランド人、4万人のウクライナ人、そして少数のロシア人がいた。この移民たちはより良い生活環境を求めていたが、数千人のベラルーシ人もその中に含まれる[27][28][29][30][31]。他にブルガリア人やクロアチア人、チェコスロバキア人、少数のスロベニア人を含むスラブ民族もいた[32][33][34]。スラブ民族ではないハンガリー人[35][36]やルーマニア人もいてポーランド人、ロシア人、ウクライナ人に次いで大きいグループであった。
- 北西ヨーロッパ人は一番少ない人数ではあったが、いなかったわけではない。7万8千人以上の英国人とスコットランド人がブラジルに入国したが、彼らはいろいろな地域に分かれた。何人かのアイルランド人はすでに都市化されている地域に行った[37][38][39][40][41]。主にスウェーデンやノルウェー出身のスカンジナビア人がそれぞれ4万人超[42]、1万7千人のデンマーク人、数では劣るが、少数のフィンランド人もいた。それよりもさらに少ないので忘れてしまいがちではあるが、アイスランド人やフェローから移住した人もいた[43]。現在は数千人の子孫しか残っていないが、バルト海諸国から移住した人もいる。リトアニア人が5万人と多くを占めており、ラトビア人とエストニア人がそれに続く[34][44][45]。
- 正確な数字で4万8千人のヨーロッパ系ユダヤ人がブラジルを移住先として選んだ。1870年から1880年にかけて迫害を受けていた数千人の家族を自由主義の2代目ブラジル皇帝が迎え入れた時、ユダヤ人は初めて文献に載った[46] Two heavier influxes took place during the 20th century. The earliest right after the Great War and the second inrush between the 1930s and 1950s.[28][46]。20世紀に2回移動があったが、最初の移動は、第一次世界大戦直後にあり、次の移動は1930年代から1950年代にかけてあった。ブラジルにもモロッコやエジプトから来た北アフリカ系のユダヤ移民がいる。
アジア人
- 西アジア、具体的にには、レバントから多くの人たちが移住してきた。主にレバノン人とシリア人で20万人を超える人が20世紀に移住してきた[47][48]。その中にはコーカサス地区出身のアルメニア人、ジョージア人やイラン人もいます。
- 東アジアからは、多くは日本人であるが、かなりの人が移住してきました。最初の船が1908年にブラジルに到着し、25万人以上の人が来た[17][49][50][51][52]。実際のところ以前から、特に1950年代以降多くの中国人や韓国人もブラジルに移住していて、それぞれ20万人と10万人移住した。
アメリカ人
- 北アメリカもブラジルのような人種のるつぼを形成している。ブラジルは南北戦争から逃れたアメリカ人を受け入れ、アメリカ復興期に南東ブラジルや南ブラジルに住んでいた。加えて、少数の北アメリカ人も1808年より後に移住してきた[53][54][55]。南北戦争から逃れた南部の子孫はコンフェデラドスという名の下位グループで知られサンパウロを創設し、影響力を強めていった。アメリカ系ブラジル人の子孫はブラジル中にいますが、これはコンフェデラドスの子孫が過去にブラジルの至る所に散らばり、最近になって別の民族と結婚しており、イギリス系移民と間違えられることがある[53]。民族的にはコンフェデラドスはおそらくウェールズ人、スコットランド人、アイルランド人、ドイツ人、スカンジナビア人に分類される[56]。
- 南アメリカからは18世紀からずっとアルゼンチンからの移民が多く、今でもブラジルで強力なコミュニティを築いてる。最近ボリビアにだけには抜かれてしまったが、アルゼンチン人は依然としてブラジルで最大級の移民団を形成している。ブラジル帝国から独立を果たしたウルグアイも19世紀から20世紀にかけて注目される存在である。
アフリカ人
- 歴史上サハラ砂漠以南のアフリカと位置づけをされている北アフリカ地域から移住をした人たちがいる。現時点では、エジプト出身の移民が多く1万人である。それよりは少ないが、モロッコのマグレブ地方出身の人たちもいる(多くはユダヤ人でブラジル北部へ向かった)。結果として黒人による労働を強いられているブラジル植民地とは違い、外国から異なる文化が入ってきた。
- 他では主にオランダ系南アフリカ人(Boerenもしくはアフリカーンス)などのアフリカ生まれの人たちや主にアンゴラ出身の旧ポルトガル帝国の人たちがいる(大移動時代、特に独立後の南北戦争後時点での話である)。これらの地域からは複数の民族の人が移住してきた(主にヨーロッパ人系の黒人と白人のアフリカ人)。
- 12の移民団がとても大きい集団を作っている。5千人から3千万人の子孫がいる。この大移動時代だけで、ブラジルの重要な移民の玄関口であるサントスとサンパウロで60か国以上の国から移民を受け付けた。今までに述べた移民の他の重要な玄関口としては、リオデジャネイロ、ポルト・アレグレ、ヴィトーリア、レシフェなどがある[7]。
近現代(1970年から現在)
過去の大移動時代とは比較にならないが、1960年代後半からアフリカ(アンゴラ、セネガル)、南アメリカ、カリブ海諸国(ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、ハイチ、スリナム)では以前から移住をしている人たちがいる。アジア(パレスチナ、中国、韓国、一度日本へ戻った日系ブラジル人、オランダ系インドネシア人、アフガン人、ベトナム、イラン、パキスタン、フィリピンなど)やヨーロッパ(昔からのつながりもありポルトガル人、特に2008年から西ヨーロッパからの専門家、暖かい気候を求める北ヨーロッパ諸国や東ヨーロッパ諸国の人たち)からの移住も多い。1975年以降、スリナムが独立したため多くのオランダ系スリナム人がブラジルに移住してきた。彼らの多くが、オランダ系のブラジル植民地として栄えているサンパウロ郊外やパラナに住んだ。
現在の外国人人口
2011年時点で、ブラジルは150万人の外国生まれの人たちの本国となっている。これは2009年の2倍以上であり、この数字はさらに高くなる可能性がある。他の国と同様にブラジルにもきちんと戸籍を登録していない人が多数いて、その人たちは数字に入っていないからである。戸籍を登録している人もそうでない人も、多くの外国人はポルトガル、ボリビア、中国、パラグアイ、アンゴラ、スペイン、アルゼンチン、日本、アメリカ合衆国出身の人が多く、就労ビザを取得して移住してくる人はアメリカやイギリスが多い[57][58]。
19世紀から20世紀にかけてポルトガルのルシタニアからの移住する人が途絶えたことはない。ユダヤ人居住地域にいるポルトガル人も特に1970年代にマカオやアンゴラのような以前植民地だったところが独立した後ブラジルに渡った。さらに120万人のポルトガル人が1951年から1975年にかけて移住しているのが確認でき、その多くはブラジル南東部に住んでいる。現在、ブラジルに69万人以上のポルトガル人が住んでいて、そのなかでもルシタニアからの人たちが一番多く、ここ10年では今までで一番多くの人たちが訪れた[59][60]。
2011年上半期だけで永住ビザを申請するポルトガル人は5万2千人増え、ルシタニアの人たちもブラジル市民権を与えられた[61][62]。
現在、220か国の人たちがブラジルに住んでいて、1万人以上の人が住んでいる国は40か国ある。
難民
2014年、ブラジルは79か国、5208人の難民の本国になっている。シリア(1626人)、コロンビア(1154人)、アンゴラ(1062人)からの3国が最も多い。これに加え、ブラジルに入国し政府からの難民認定待ちをしているバングラディシュ人が2013年だけで1830人いて、さらにシリアから1021人、セネガルから799人いる[63][63]。
現在ブラジルを本国にしている4500人のアフガン人がいて、その中には過去にベトナム戦争から船で逃れた人もいる。
ブラジルの人種と肌の色による分布
ブラジル国内での民族分布はバラバラである。
- 19世紀と20世紀に多くのヨーロッパ人が移住してきたためサンパウロやブラジル南部の地域では白人が多数を占めている(多くはイタリア人、ポルトガル人、ドイツ人、オーストリア人、スイス人、スラブ人、オランダ人、スペイン人の家系)[64][65]。特にリオ・デ・ジャネイロでは白人が多く、全人口の50%をわずかに上回っている[66]。他の南東部の州であるミナスジェライスやエスピリトサントでも、約50%の人たちは白人である(南東部にはレバントアラブ人もいる)[67][64]。サンパウロには圧倒的に多い3000万人の白人がおり、ミナスジェライス、リオ・グランデ・ド・スル、リオ・デ・ジャネイロ、パラナがそれに続く[64]。割合で言うと、サンタカタリーナが一番多く、全人口の86%をヨーロッパ人が占める。サンパウロ、リオ・デ・ジャネイロ、ポルト・アレグレ、クリチバ、ブラジリア、ベロオリゾンテにはユダヤ人が多数いる[13]。
- 極東アジア、特に最大のグループである日系ブラジル人の多くはサンパウロやパラナに住んでいる[51][68]。また、韓国人も多くの人たちがサンパウロに住んでいるが、中国のユダヤ人もサンパウロのあるブラジル南東部に移住した。リオ・デ・ジャネイロはサンパウロに次いで中国人が多く住んでいる地域である。
- 最初に他国に占領されて、いろいろな民族が入り混じっているブラジル北東部では、ブラジル植民地出身の黒人のアフリカ人、ジプシー、アメリカ先住民、セファルディが多い。そこでは茶色または黒色の肌をしている人種であるパルドが最も多く、次いでヨーロッパ系またはその混血の白人、アフリカ系の人たちがおり、バイーアとマラニョンはブラジルで最もアフリカ系黒人の多い地区である[69]。パルドの人たちの外見は人によって極端に違い、全体的にみるとすべてのタイプの髪、目、肌の色の人がいる(極端に黒いまたは白い人はいない)。しかし、ごく少数ではあるが、自分はパルドだと思っている白人、黒人もおり、さらに他人種の人と結婚したロマ、セファルディ、アラブ、アジアの人たちの中にも自分はパルドだと思っている人がいる。アメリカ先住民の強い影響で、多くはアマゾンの熱帯雨林であるブラジル北部もパルドが多い[70]。
- ブラジル南東地区と中西部の民族分布にはいろいろな民族がいるが、比較的バランスが取れていて、白人が50%、パルドが43%、黒人が5%、アジア人とアメリカ先住民がそれぞれ1%である。ブラジル地理・統計院では、ブラジル人を5つの種類に分け、肌の色や人種によってbrancos(白人)、negros(黒人)、パルド(茶色または混血)、amarelos(アジア系黄色人種)、indios(アメリカ先住民)に分けている。最近行われた詳しい国勢調査(PNAD)によると、ブラジルには9100万人の白人(White Brazilian)、7900万人の複数民族からなる人たち(パルド)、1400万人の黒人(Afro-Brazilian)、200~400万人のアジア人(Asian Brazilian)、807900のアメリカ先住民からなっていると発表した。2005年の詳しい国勢調査では、ここ20年の調査で初めて白人であるブラジル人が全体の人口の50%を超えなかったと発表された。一方、複数の民族からなるパルドの人口が増えたが、他の民族はほとんど横ばいである。ブラジル地理・統計院は、この傾向は幾度となく行われてきた民族の差別を撤廃していこうという動きによるものだと考えており、ブラジルという国が発見されてから異人種間の結婚は決して違法ではなく当たり前のこととされ、この国は世界でも異人種間の結婚が多いと言われている。自分の先祖は19世紀の専制君主制の時代から20世紀と21世紀の共和制の時代に見られる最近の移民からなる民族だと特定できる人は、たいていブラジル人です。それでも、ブラジル人は自分の祖先はどんな民族だったのか特定するのは容易でないという人が多い。容易でなくしてしまう例として、発音をするのが難しいファミリーネームのヨーロッパ人は発音をしやすいポルトガル語のサーネームに変更しているということが挙げられる。基本的に、半数のブラジル人は植民地時代の人の子孫で残りの半分は最近移民してきた人たちだと言われている。ブラジルはヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人、ブラジル先住民などの中から同じ民族の両親、または違う民族や環境の両親から生まれた人たちの集まりである国、まさに人種のるつぼである。
肌の色または民族 | % (rounded values) | |
---|---|---|
2000[71] | 2008[72] | |
白人 | 53.74% | 48.43% |
黒人 | 6.21% | 6.84% |
混血 | 38.45% | 43.80% |
東アジア人 | 0.45% | 1.1% |
アメリカ先住民 | 0.43% | 0.28% |
不明 | 0.71% | 0.07% |
白人
白人をひとくくりの民族グループとして計算すると、白人はブラジルの人口の大多数を占め、これは南半球では最大の数である。ブラジルはアメリカ大陸諸国の中で2番目に白人が多い国で、9700万人~9800万人の人がおり、白人系ブラジル人の数は全世界の白人人口で見ると、アメリカ、ロシアに次いで3番目に多い(白人系ブラジル人も白人人口としてカウントしている)[73][74][75]。
多くのヨーロッパ人が専制君主時代と共和制時代初期に白人による政策が始まった後の大移動時代に移動してきた。その白人による政策にはたくさんの労働者を求め、人口がまばらであるブラジル南部で外国人による侵略を防ぐ目的のものもあった。
白人系以外の他のグループは植民地時代や戦後にやってきた。先祖がヨーロッパ系である人たちはブラジル全体の至る所におり、ブラジル南東部と南部は特に白人が多い地区である。ブラジル南東部は白人が最も多い地区であるが、最南端に位置する3つの州では79.8%の人がヨーロッパ人かコーカサス人である。その中でもブラジル南部のSanta Catarinaは最も割合が高くほぼ90%がヨーロッパ人である。ブラジル南東部のサンパウロでは4番目にヨーロッパ人の割合が多く、数字上では3000万人の白人は主にヨーロッパ出身でレバントアラブ人やユダヤ人もいる。
Some southern Brazilian towns with a notable main ancestry | |||
---|---|---|---|
Town name | State | Main ancestry | Percentage |
ノーヴァ・ベネツィア | Santa Catarina | イタリア人 | 95% [76] |
ポメロデ | Santa Catarina | ドイツ人 | 90% [77] |
プルデント―ポリス | Paraná | ウクライナ人 | 70% [78] |
トレーゼ・チーリアス | Santa Catarina | オーストリア人 | 60% [79] |
ドン・フェリシアノ | Rio Grande do Sul | ポーランド人 | 90% [80] |
ブラジルでは240の移民が様々な言語を話すが、その多くはヨーロッパ言語である。ドイツ語なまりも含めたドイツ語がブラジルで2番目に多く話されている言語であり、約400万人つまり人口の2%の人が話す[81][32][82][83][84][85]。他にはコーカソイドの移民が話す言葉として、イタリア語のベネツィアまたはTalian方言[86]、ポーランド語 [87][88][32]、カスティリャ語、ウクライナ語[32]、ロシア語[27][89]、オランダ語[32][90]、ヘブライ語、イディッシュ語[32][91]、リトアニア語[32][45]、レット語、フランス語[32]、ノルウェー語[32]、スウェーデン語[32]、英語[37][53][54][55][92][93]、ハンガリー語[32]、フィンランド語[32]、アラビア語[32]、デンマーク語、ブルガリア語、クロアチア語[32]、カタロニア語、ガリシア語、ギリシャ語、アルメニア語、チェコ語[32]、スロバキア語、スロベニア語[32]、ルーマニア語、セルビア語[32]、Vlax Romani語[32]、グルジア語、トゥロヨ語、バルト語、リトアニア系ロマニ語がある[32]。いくつかのドイツ語の方言(ヨーロッパでは事実上なくなってしまった古くからのポメラニア東部の方言も含む)[94]、ヴェネツィア方言、Talian方言もいくつかの都市でポルトガル語と共に共同語として存在している[95][96]。
Region | Percentage |
---|---|
ブラジル北部 | 23.5% |
ブラジル北東部 | 28.8% |
ブラジル中西部 | 50.5% |
ブラジル南東部 | 58% |
ブラジル南部 | 78% |
混合民族
混合民族はブラジルで2番目に多いグループであり、8000万人いる。パルドとブラジル混合民族はよく似ているので混同してしまう人がいるが、ブラジル混合民族は人によって肌の色や環境などが違う。彼らは、一般的に植民地時代や植民地時代後に来たアフリカ奴隷やアメリカ先住民の子孫である。マグレブ人、ユダヤ人、中東、エジプト人の子孫もいる。肌の色は薄い人から黒い人まで様々であり、ブラジル人とヨーロッパ人の混血であるインディオまたはメスティーソは4300万人あたりを推移している。ミナスジェライスにあるミナス・ジェライス連邦大学でセルジオD.Jペナが行った遺伝子研究によると、インディオは70%~90%以上のヨーロッパ人(多くは1500年代~1700年代の男性ポルトガル人、スペイン人、オランダ人、フランス人移民)のDNAを持つ人たちとヨーロッパ先住民からなっている[97]。同様のDNAテストではムラートもしくは白人黒人混合人種と認識している人たちは62%~85%のヨーロッパ人のDNAを持っている(彼らの子孫の多くは1500年代から1700年代の男性のポルトガル人、スペイン人、オランダ人、フランス人、イタリア人移民)。
ブラジルにもパルドとして区分できる80万人のジプシーやロマ人がいて、その多くはポルトガルをはじめ東ヨーロッパやバルト海諸国出身である。ユーラシア人もパルドとして区分できるが、その多くは日本人とヨーロッパ人の混血やハーフである。ブラジル北部と北東部には多くのパルドがいて、主に連邦区やマットグロッソ、ゴイアス、エスピリトサント、ミナスジェライス、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロ、パラナに住んでいる。パルドはブラジルの至る所に点在しているが、これらの地区よりも多数に民族が存在している地区もある。州のひとつの地区のみにパルドが多数いるというところもある。
Region | Percentage |
---|---|
ブラジル北部 | 69.2% |
ブラジル北東部 | 62.7% |
ブラジル中西部 | 43% |
ブラジル南東部 | 35.69% |
ブラジル南部 | 16.98% |
黒人
黒人は、3番目に多い約1400万人つまりブラジル全人口の7%を占める民族グループである。この人たちはアフリカから来た黒人であるが、ブラジルでは一般的にアフリカとは[[サハラ砂漠以南のアフリカを指す。多くのアフリカ系ブラジル人は現在のブラジル国境付近で奴隷時代を生き抜いた囚われのアフリカ人である。ヨーロッパ人とアメリカ先住民の家系である人たちもかなりいる。アフリカ系ブラジル人はパルド系ブラジル人と直接比較することはできないかもしれない。アフリカ人遺伝子の数はアフリカ系ブラジル人遺伝子よりかなり多く、肌の色は混血ブラジル人より黒い。ブラジルはアメリカに次いでアメリカ大陸でアフリカ系ディアスポラの多い国である。
現在、多くの黒人はカトリックか福音主義であるが、無神論者やバイーアによく存在する党派でカントンブレやウンバンダのような集団を含む無宗教のグループも少数ではあるが存在する。ウンバンダはローマカトリック、アフリカの慣習、精神主義や先住民の思想によるものである。少数ではあるが、フランスでできたキリスト教と精神主義を合わせたKardecismを信じている黒人たちもいる。
多くの黒人はダイヤモンドラッシュ、ゴールドラッシュ期間によるミナスジェライス北部で見られる移民やリオ・デ・ジャネイロの一部であった前王朝の奴隷制度による移民、植民地時代の移民の後バイーアやマラニョンで見られる。
Region | Percentage |
---|---|
ブラジル北部 | 6.2% |
ブラジル北東部 | 8.1% |
ブラジル中西部 | 5.7% |
ブラジル南東部 | 7.91% |
ブラジル南東部 | 3.6% |
黄色人種
アジア人、厳密には東アジア人はブラジルで4番目に大きい民族グループを形成し、220万人いるが、それに混血の東アジア人は含まない。最も大きい東アジア民族グループは日本人であり、ブラジルは日本以外の場所では最も多くの日本人がいる。日本人の数は他のブラジルに住んでいる人に対する割合としても、数の絶対数としても記録がある。日系ブラジル人の数は180万人前後を推移しており、57000人にのぼる日本国籍者のコミュニティがあり、民族学者は40万人の人たちがブラジルで日本語を話しているとみている[49][50][51][52]。
その他の日系ブラジル人は、主に中国語、台湾語、韓国語を話す。最近中国からブラジルに渡る人たちが多いので、この3か国語を話す人たちの数は増えている。
ブラジルには南アジアからの移民も多く、ほとんどは東インド、ベトナム、インドネシア、ベンガルからの移民であり、近年、5~10000人に上る多くの移民が入ってきており、その多くは難民である。さらに、南アジア人は実際に東アジアの人たちとは違い、パルドとして認識されているため、南アジアの人たちは黄色人種の人間として数えられていない。
特定の宗教を持たないアジア人や東アジアカトリックの人たちが多数いる。ブラジルでは特に、非アジア人の白人で日本によく昔からある形の仏教を信じている人が多く、サンパウロやパラナで日本式の生活を取り入れている家庭では生活スタイルや冠婚葬祭で神道を取り入れる人が多い。神道から由来する日本の新しい宗教はブラジルで多く、日本由来の宗教として大きなところで、生長の家、天理教、パーフェクトリバティー教団、世界救世教があるが、韓国の儒教や中国の儒教の信者もサンパウロにはよくいる。
Region | Percentage |
---|---|
ブラジル北部 | 0.5 - 1% |
ブラジル北東部 | 0.3 - 0.5% |
ブラジル中西部 | 0.7 - 0.8% |
ブラジル南東部 | 1.1% |
ブラジル南部 | 0.5 - 0.7% |
原住民
ブラジル原住民は、ブラジルで5番目に多い民族グループを形成し、約80万人の人たちが住んでいる。それは最古の民族グループで、主にアマゾン熱帯雨林の中のアマゾン川流域や5つの特別保留地に住んでいる。
ブラジルの総人口と比較すると、原住民の数は少ないと感じるかもしれないが、数百万人のブラジル人の祖先はブラジル原住民である。この人数の差は主に、ブラジル原住民と植民地の入植者が結婚し純粋な原住民の数が減ったことによるものである。
ブラジルでは約180の自国または土着の言語を16万人が話しており、その言語の多くが絶滅の危機に瀕している。多くのブラジル国民はポルトガル語を話し、特別保留地に住んでいる種族はその種族の母国語を話し、ポルトガル語を学校で教わる。
現在、517000千人の人たちが特別保留地に住んでいる。
遺伝子研究
遺伝子研究によると、大きく見てブラジル人にはヨーロッパ人、アフリカ人、アメリカ先住民の遺伝子を持っている人たちに分けられる。
常染色体の研究
2015年に行われたブラジルに住んでいる38種類の民族を対象にした25の常染色体の研究結果によると、ヨーロッパ系が62%を占め、次いでアフリカ系が21%、アメリカ系が17%と続く。ヨーロッパ系が一番高い地域はブラジル南部で77%、アフリカ系が一番高い地域はブラジル北東部で27%、アメリカ系が一番高い地域はブラジル北部で32%である[98]。
Region[98] | ヨーロッパ系 | アフリカ系 | アメリカ系 |
---|---|---|---|
ブラジル北部 | 51% | 16% | 32% |
ブラジル北東部 | 58% | 27% | 15% |
ブラジル中西部 | 64% | 24% | 12% |
ブラジル南東部 | 67% | 23% | 10% |
ブラジル南部 | 77% | 12% | 11% |
2013年に全国のブラジルから集められた約1300のサンプルを基にした常染色体の研究結果によると、数値に違いが見られた。ヨーロッパ系の割合が高いという傾向は北部より南部の方がより顕著であるが、ヨーロッパ系の割合が高いという傾向は全ての都市で見られる(ヨーロッパ系の割合が最大で74%という地域がある)。ブラジル北部がアメリカ系の割合が最も高く、アフリカ系の割合の2倍である。逆に、北東部、中西部、南東部ではアフリカ系の割合がどれもヨーロッパ系に次いで高い。実際にそこに住んでいる人たちを見てみると、全ての都市部で異人種間の結婚が多く見られ、ブラジル人の常染色体の割合の違いの多くは人口が多い地域よりも、逆に少ない地域でしっかり確認することができる[99]。
2011年に主な民族グループ(白人、パルド、黒人)からブラジル全土で集められた1000近くのサンプルを使用して行われた常染色体の研究によると、ヨーロッパ系の割合が高く、次いでアフリカ系、アメリカ系が続く。すべての年の研究結果を考えると、ヨーロッパ系の割合が最も多い[100]。
Region[101] | ヨーロッパ系 | アフリカ系 | アメリカ系 |
---|---|---|---|
ブラジル北部 | 51% | 17% | 32% |
ブラジル北西部 | 56% | 28% | 16% |
ブラジル中西部 | 58% | 26% | 16% |
ブラジル南東部 | 61% | 27% | 12% |
ブラジル南部 | 74% | 15% | 11% |
2010年に行われたブラジルの5つの地域で入手した常染色体の研究によると、平均でヨーロッパ系の常染色体は全体の80%を占めているという研究結果がでている。地域間による差は南部でほぼ90%を占めているという一部の例外を除いては少ない。Catholic University of BrasíliaのグループによるAmerican Journal of Human Biologyという科学雑誌の研究結果からは、以前の研究(国勢調査によるものとは違う)からも分かるように、肌、目、髪の色の違いは遺伝子学上では関係がないという研究結果がでている。祖先の遺伝情報が分かるSNPは個人と生物地理学上の祖先を特定するのに役立つ。ブラジル人は遺伝学上3種類の祖先(ヨーロッパ人、アフリカ人、ブラジル系アメリカ人)とその人たちの混血によるいろいろなパターン分類できる[102]。
こちらの研究は、ブラジルの5つの地区にある都市部の人たちからの複数の遺伝子を推定するためにアフリカ人、アメリカ人、ヨーロッパ人の3つの祖先から28あるSNP遺伝情報を分析した。そのSNPはお互い別の母集団に、最終的には3種類の混合人種として使われる。データはいろいろな人種のブラジル人祖先を遺伝子レベルで解明するのに使われる。ブラジルの5つの地域から入手した2つで1組になっている遺伝子の1つを調べるとブラジル南部と他の地域とでは遺伝子の違いはほとんど確認できなかった。ブラジル人祖先の遺伝子を調べたその研究では、the heterogeneous genetic profile of Brazilian populationと一致する結果となった。1番がヨーロッパ人で0.771、0.143のアフリカ人、0.085のアメリカ人が続く[101]。このSNP遺伝情報の分析は人類科学の研究の役立つが、その分析は主に遺伝子のつながりが複雑になり分かりにくなってしまい、誤った研究結果になってしまったとき、それを修正するのに力を発揮する。その実験サンプルは父方の被験者が無料で提供してくれたものだということは注目すべき点であり、研究員たちも被験者はパルドの人たちがやや多い傾向にあるものの、父方を対象に行われたこの実験は様々な経済的地位の人たちから無償で提供されていると話している[101]。
Region[101] | ヨーロッパ系 | アフリカ系 | アメリカ系 |
---|---|---|---|
ブラジル北部 | 71.10% | 18.20% | 10.70% |
ブラジル北西部 | 77.40% | 13.60% | 8.90% |
ブラジル中西部 | 65.90% | 18.70% | 11.80% |
ブラジル南東部 | 79.90% | 14.10% | 6.10% |
ブラジル南部 | 87.70% | 7.70% | 5.20% |
2009年に行われた常染色体の研究からも分かるように、ブラジル人からの地域別サンプルは全てアフリカ人やメキシコ系メスティーソの人たちより、ヨーロッパ系の割合が多いという傾向がみられることが分かった[103]。
Region[104] | ヨーロッパ系 | アフリカ系 | アメリカ系 |
---|---|---|---|
ブラジル北部 | 60.6% | 21.3% | 18.1% |
ブラジル北西部 | 66.7% | 23.3% | 10.0% |
ブラジル中西部 | 66.3% | 21.7% | 12.0% |
ブラジル南東部 | 60.7% | 32.0% | 7.3% |
ブラジル南部 | 81.5% | 9.3% | 9.2% |
2008年にthe University of Brasília(UnB)で行われた別の常染色体の研究によると、全てのブラジルでの地区においてヨーロッパ系がトップを独占している。ヨーロッパ系が65.90%で、次いでアフリカが24.80%、アメリカ系が9.3%と続く[105]。
もっと最近のもので、2013年の研究では、サンパウロだけで見るとヨーロッパ系61.9%、アフリカ系25.5%、アフリカ系11.6%という結果がでている[106][107]。
2014年に全てのブラジル地域で集められた1594のサンプルからのデーターを基にした研究によると、ブラジル人は広い範囲の地域でヨーロッパ系の割合が多数を占めていて、それはブラジル南部で特に顕著であることが分かった。ブラジル南部を除けばアフリカ系の割合も多く、ブラジル東部では最も高い割合になっている。アメリカ系はブラジル北西部(アマゾン川流域)では最も高い割合になっており、まとめると、ヨーロッパ系が82%でアフリカ系が9%、アメリカ系が9%と続く[108]。
ミトコンドリアDNAとY-DNAの研究
ハプログループの多さは、遺伝子による民族の特徴もどの民族とどの民族の混血であるかということも表すことができない。常染色体の実験では何百万の母方と父方の対立遺伝子を分析できるので、それによってのみ、どの民族の血が強いかどうかということが分かる。片方の祖先(父方もしくは母方)しか見ないY-DNAとミトコンドリアDNAの研究とは違い、常染色体の研究は、研究対象になっている人たちの祖先全員を観察するので、複雑になっている先祖の混血のパターンがより正確に分かる。
2000年にブラジルの主な4つブラジル全体のデーターを含め5つの地区から得た247のサンプル(主に白人のブラジル人)を見てみると、現代のブラジル人の母方のものであるミトコンドリアDNAプールは明らかに20世紀に大量に押し寄せたヨーロッパからの移民やポルトガル人の意図的な結婚も含めた植民地時代初期の状況を反映していると言える[109]。
Continental Fraction | Brazil | Northern | Northeastern | Southeastern | Southern |
---|---|---|---|---|---|
アメリカ系 | 33% | 54% | 22% | 33% | 22% |
アフリカ系 | 28% | 15% | 44% | 34% | 12% |
ヨーロッパ系 | 39% | 31% | 34% | 31% | 66% |
2001年の研究では、白人系ブラジル人男性の父方によるY染色体の多くはヨーロッパ系(90%)である。サハラ砂漠以南のアフリカ系の染色体はごく少数で、アメリカ系の染色体はまったく確認できなかった。この結果は、主にヨーロッパ人男性とアフリカ系またはアメリカ系女性による結婚によるものある[7]。
2016年の研究では、ブラジルの5つの地区で全く他人同士である1217人の男性の41からなる1組のY-SNPを調査した。全てのブラジル人のサンプルから計22のハプログループが見つかり、3つの主なグループのDNAが見つかった。それは、アメリカ系、ヨーロッパ系、アフリカ系である。そこから遺伝学上の違いが分かったが、その違いはブラジルの植民地の歴史と一致した。ブラジル北部からのサンプルから8.4%という高いアメリカ系の割合が確認できた。多くの人たちはブラジル北西部で確認できたアフリカ系の割合である15.1%の方を強調するが、ブラジル中西部と南部では他の地域より高めにヨーロッパ系の割合が確認できる(それぞれ95.7%と93.6%)。
ブラジル南東部では高いヨーロッパ系の割合(86.1%)とアフリカ系の割合(12.0%)が確認できる。ブラジル中西部、南東部、南部でヨーロッパ系の割合が多いのはポルトガルからの人が多いからだと推測される[110]。
ブラジル北部と北東部でヨーロッパ系の割合が高いのはフランスやイタリアからの人たちが多いからだとされる。最も高い移住率を誇るレバノンからはブラジル中西部へ移住する人が多い。
ブラジル中西部、南東部、南部ではドイツからの移民が多い。
常染色体で見るブラジル系「白人」「パルド」の祖先は多くの場合ヨーロッパ系ではないミトコンドリアDNA(ある時はヨーロッパ系女性ではないことを示すが)であるヨーロッパ系が多い。それはブラジル人という概念を形作っている間に新たにブラジルへ入植者と結婚をしに来た女性を見れば分かる[111]。
脚注
- ^ “Tabela 1288 – População nos Censos Demográficos por situação do domicílio”. Brazilian Institute of Geography and Statistics (2014年3月5日). 2016年3月24日閲覧。
- ^ “Projeção da população”. Brazilian Institute of Geography and Statistics. 2016年3月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “Brasileiros no Mundo - Estimativas” (PDF) (ポルトガル語). Ministry of External Relations (2015年3月28日). 2016年3月24日閲覧。
- ^ “Brazil”. Ethnologue. 2015年7月21日閲覧。
- ^ “Brasil possui 5 línguas indígenas com mais de 10 mil falantes-Fonte: Agência Brasil”. ebc. 2016年4月11日閲覧。
- ^ a b Constituição da República Federativa do Brasil, Artigo 12, I.
- ^ a b c Carvalho-Silva, DR; Santos, FR; Rocha, J; Pena, SD (January 2001). “The Phylogeography of Brazilian Y-Chromosome Lineages”. Am. J. Hum. Genet. 68 (1): 281–6. doi:10.1086/316931. PMC 1234928. PMID 11090340 .
- ^ “IBGE teen”. Brazilian Institute of Geography and Statistics. 2013年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月29日閲覧。
- ^ Telfer (1932), p. 184.
- ^ a b Bethell (1984), p. 47.
- ^ “Desmundo de Alain Fresnot, o Brasil no século XVI”. ensinarhistoria. 2016年4月22日閲覧。
- ^ “Desmundo by Ana Miranda (1996)”. companhiadasletras.com.br. 2016年4月22日閲覧。
- ^ a b “Brazil - Modern-Day Community”. www.jewishvirtuallibrary.org/ (2013年). 2013年12月22日閲覧。
- ^ “Judeus no Brasil. Vida social, política e cultural”. ibge. 2016年4月11日閲覧。
- ^ Samuel L. Baily; Eduardo José Míguez (2003). Mass Migration to Modern Latin America. Rowman & Littlefield. p. xiv. ISBN 978-0-8420-2831-8 2015年12月20日閲覧。
- ^ “Províncias de origem dos imigrantes italianos”. ibge. 2016年4月11日閲覧。
- ^ a b “Principais levas de imigração para o Brasil”. Abril. 2016年4月6日閲覧。
- ^ “Entrada de estrangeiros no Brasil”. 2014年1月23日閲覧。
- ^ Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 url は必須です。“[{{{url}}} The beginning of the 'Mosaic']”. Zirin Chapter 2 (2014年). Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ Marília D. Klaumann Cánovas (2004年). “A GRANDE IMIGRAÇÃO EUROPÉIA PARA O BRASIL E O IMIGRANTE ESPANHOL NO CENÁRIO DA CAFEICULTURA PAULISTA: ASPECTOS DE UMA (IN)VISIBILIDADE” (PDF) [The great European immigration to Brazil and immigrants within the Spanish scenario of the Paulista coffee plantations: one of the issues (in) visibility] (ポルトガル語). cchla.ufpb.br. 2009年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ “Regiões de origem e de destino dos imigrantes teutônicos”. ibge. 2016年4月11日閲覧。
- ^ “Os imigrantes teutônicos no Brasil- alemães, austríacos, luxemburgueses, pomeranos e volga”. ibge. 2016年4月11日閲覧。
- ^ Altenhofen, Cléo Vilson: Hunsrückisch in Rio Grande do Sul, Franz Steiner Verlag, Stuttgart 1996, p. 24.
- ^ O alemão lusitano do Sul do Brasil | Cultura | Deutsche Welle | 20.04.2004
- ^ “Research Professor, A.C. Van Raalte Institute, Hope College, Holland, Michigan, USA”. Twelfth International Economic History Conference, Madrid, Spain, August 28, 1998 (Session C-31). 2016年5月4日閲覧。
- ^ “Paraná State Government page”. Cidadao.pr.gov.br. 2014年1月23日閲覧。
- ^ a b “Imigração Russa no Brasil por Viktor Voronov”. br.sputniknews.com (2009年11月5日). 2016年5月5日閲覧。
- ^ a b “Raport o sytuacji Polonii i Polaków za granicą (The official report on the situation of Poles and Polonia abroad)” (PDF file, direct download 1.44 MB). Warsaw: Ministerstwo Spraw Zagranicznych (Ministry of Foreign Affairs of Poland). pp. 1–466 (2009年). 2012年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月14日閲覧。
- ^ “Restauração da igreja ortodoxa de Mallet - Marco da valorização da presença eslava no Sul do Brasil”. vanhoni.com. 2016年5月29日閲覧。
- ^ “Inaugurado o restauro da igreja ortodoxa de São Miguel Arcanjo em Mallet - Marco da imigração ucraniana no Brasil”. Representação Central Ucraniano-Brasileira. 2016年5月29日閲覧。
- ^ “E o terceiro fluxo, entre 1949 e 1965, quando chegaram ao Brasil aproximadamente 25 mil russos refugiados da revolução cultural chinesa”. noticias.terra.com.br (2015年6月13日). 2016年5月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s O panorama lingüístico brasileiro: a coexistência de línguas minoritárias com o português PDF
- ^ “Câmara de Comércio Brasil-Rússia”. Brasil-russia.com.br. 2012年7月22日閲覧。
- ^ a b “Um atalho para a Europa”. Epoca. Editora Globo S.A (2002年6月24日). 2013年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ “Embaixada da Hungria no Brasil sobre as estatísticas de descendentes de húngaros”. mfa.gov.hu. 2016年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月4日閲覧。
- ^ The Situation of Hungarians Living outside the Carpathian Basin, by Cheflaszlo
- ^ a b “Ingleses no Brasil: aspectos da influência britânica sobre a vida, a paisagem e a cultura do Brasil”. Gilberto Freyre Editora Topbook. 2016年4月10日閲覧。
- ^ “Ingleses no Brasil do século XIX”. livrariacultura. 2016年4月10日閲覧。
- ^ “Oscar Cox” (Portuguese). Fluminense Football Club. 2009年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月10日閲覧。
- ^ “Revealed: How a 19th-century Scotsman kicked off Brazil's all consuming love affair with football”. dailymail. 2014年8月7日閲覧。
- ^ “1942 Gilberto Freyre”. estantevirtual. 2016年4月10日閲覧。
- ^ “Um atalho para a Europa”. Epoca. Editora Globo S.A (2002年6月24日). 2013年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ “Lithuanian descendants in Brazil”. www.global.truelithuania.com. 2016年5月4日閲覧。
- ^ a b “Brazil Brown Bag Seminar Series – Lithuanian Diaspora in the Americas by Erick Reis Godliauskas Zen. Organizer: Lemann Center for Brazilian Studies”. ilas.columbia.edu. 2016年4月21日閲覧。
- ^ a b http://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/vjw/Brazil.html
- ^ “Arab roots grow deep in Brazil's rich melting pot”. Washington Times. 2016年4月17日閲覧。
- ^ “Origem e destino dos imigrantes do Levante”. ibge. 2016年4月11日閲覧。
- ^ a b Gonzalez, David (2013年9月25日). “Japanese-Brazilians: Straddling Two Cultures”. Lens Blog (The New York Times) 2013年9月27日閲覧。
- ^ a b “Japan, Brazil mark a century of settlement, family ties | The Japan Times Online” (2008年1月15日). Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ a b c Publicação do IBGE traz artigos, mapas e distribuição geográfica dos nikkeis no Brasil
- ^ a b IBGE traça perfil dos imigrantes Archived November 19, 2012, at the Wayback Machine.
- ^ a b c Harter, Eugene C. (2000). The Lost Colony of the Confederacy. Texas A & M University Press. p. 44. ISBN 1585441023
- ^ a b “Edwin S. James research materials”. University of South Carolina. 2014年1月5日閲覧。
- ^ a b “MCMULLAN, FRANCIS”. Texas State Historical Association. 2014年1月5日閲覧。
- ^ Eugene C. Harter. "The Lost Colony of the Confederacy". Texas A&M University Press, 1985, p. 74.
- ^ “Economia brasileira atrai estrangeiros e imigração aumenta 50% em seis meses”. Portal Brasil. 2015年3月29日閲覧。
- ^ Brazil has 689,000 people from around the world in 2009. Bv.fapesp.br. Retrieved on 2012-05-19.
- ^ “Estudo descobre 31 milhões de portugueses pelo mundo”. dn.pt. 2016年4月7日閲覧。
- ^ “Archived copy”. 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月24日閲覧。
- ^ “Só o Brasil concedeu mais de 52 mil vistos de residência nos primeiros 6 meses”. Graciano Coutinho OPovo. 2016年4月7日閲覧。
- ^ “Imigração aumenta 50 por cento em seis meses”. brasil.gov.br. 2016年4月7日閲覧。
- ^ a b “G1 - Brasil tem hoje 5,2 mil refugiados de 79 nacionalidades - notícias em Mundo”. Mundo. 2015年3月29日閲覧。
- ^ a b c “Sistema IBGE de Recuperação Automática - SIDRA”. ibge.gov.br. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ Genealogy: German migration to Brazil. Genealogienetz.de. Retrieved on 2012-05-19.
- ^ (Portuguese) (PDF) Sistema IBGE de Recuperação Automática - SIDRA. State of Rio de Janeiro, Brazil: IBGE. (2008). ISBN 85-240-3919-1 2014年8月24日閲覧。
- ^ (Portuguese) (PDF) Tabela 262 - População residente, por cor ou raça, situação e sexo (vide Nota de Rodapé). Espírito Santo, Brazil: IBGE. (2012). ISBN 85-240-3919-1 2014年8月8日閲覧。
- ^ Japanese Brazilians
- ^ Phillip Wagner Sugar and Blood. Brazzil Magazine, April 2002
- ^ Sources :: Indigenous Peoples in Brazil – ISA. socioambiental.org
- ^ Instituto Brasileiro de Geografia e Estatística Archived 2007-08-25 at the Wayback Machine.. IBGE (2007-05-25). Retrieved on 2012-05-19.
- ^ 2008 PNAD, IBGE. "População residente por cor ou raça, situação e sexo Archived 2011-06-14 at the Wayback Machine.".
- ^ “Censo Demográfi co 2010 Características da população e dos domicílios Resultados do universo” (2011年11月8日). 2014年7月12日閲覧。
- ^ “CIA data from The World Factbook's Field Listing :: Ethnic groups and Field Listing :: Population”. cia.gov. 2011年5月9日閲覧。
- ^ Lizcano Fernández, Francisco (May–August 2005). "Composición Étnica de las Tres Áreas Culturales del Continente Americano al Comienzo del Siglo XXI" Archived September 20, 2008, at the Wayback Machine. PDF
- ^ Nova Veneza Archived 2008-08-19 at the Wayback Machine.
- ^ POMERODE-SC[リンク切れ]
- ^ Ucranianos no Brasil[リンク切れ]
- ^ História de Treze Tílias Archived 2008-11-02 at the Wayback Machine.
- ^ Prefeitura de D. Feliciano Archived July 6, 2011, at the Wayback Machine.
- ^ “Olivet Second Most Spoken Languages Around the World”. olivet.edu. 2016年3月29日閲覧。
- ^ Os imigrantes alemães e seus descendentes no Brasil: a língua como fator identitário e inclusivo PDF
- ^ Altenhofen, Cléo Vilson: Hunsrückisch in Rio Grande do Sul, Franz Steiner Verlag, Stuttgart 1996
- ^ “Brazil”. Ethnologue. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ “Hunsrik”. Ethnologue. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ Template:E16
- ^ DETALHES FONÉTICOS DO POLONÊS FALADO EM MALLET PR PDF
- ^ Perfil de descendentes de poloneses residentes no sul do Brasil: a constituição da(s) identidade(s) PDF
- ^ “E o terceiro fluxo, entre 1949 e 1965, quando chegaram ao Brasil aproximadamente 25 mil russos refugiados da revolução cultural chinesa”. noticias.terra.com.br (2015年6月13日). 2016年5月5日閲覧。
- ^ “Dutch in Brazil”. Ethnologue. 2016年3月29日閲覧。
- ^ http://www.ethnologue.com/language/yih
- ^ “A Presença Britânica e a Língua Inglesa na Corte de D. João. Escrito por Joselita Júnia Viegas Vidotti (USP)”. USP. 2016年4月11日閲覧。
- ^ “1942 Gilberto Freyre”. estantevirtual. 2016年4月10日閲覧。
- ^ Ina Emmel (2005). ""Die kann nun nich’, die is’ beim treppenputzen!" O PROGRESSIVO NO ALEMÃO DE POMERODE–SC" (PDF). UNIVERSIDADE FEDERAL DE SANTA CATARINA.
- ^ LEI 14.061 - Declara integrante do patrimônio histórico e cultural do Estado do Rio Grande do Sul a "Língua Hunsrik", de origem germânica
- ^ LEI Nº 14.061, de 23 de julho de 2012 - Declara integrante do patrimônio histórico e cultural do estado do Rio Grande do Sul a língua hunsrik, de origem germânica
- ^ East in the West: Investigating the Asian presence and influence in Brazil from the 16th to 18th centuries. By Clifford Pereira, in Proceedings of the 2nd Asia-Pacific regional Conference on Underwater Cultural Heritage. Ed. Hans Van Tilberg, Sila Tripati, Veronica Walker, Brian Fahy and Jun Kimura. Honolulu, Hawai'i, USA. May 2014.
- ^ a b Rodrigues De Moura, Ronald; Coelho, Antonio Victor Campos; De Queiroz Balbino, Valdir; Crovella, Sergio; Brandão, Lucas André Cavalcanti (2015). “Meta-analysis of Brazilian genetic admixture and comparison with other Latin America countrieBold text”. American Journal of Human Biology 27 (5): 674–80. doi:10.1002/ajhb.22714. PMID 25820814.
- ^ Saloum De Neves Manta, Fernanda; Pereira, Rui; Vianna, Romulo; Rodolfo Beuttenmüller De Araújo, Alfredo; Leite Góes Gitaí, Daniel; Aparecida Da Silva, Dayse; De Vargas Wolfgramm, Eldamária; Da Mota Pontes, Isabel et al. (2013). “Revisiting the Genetic Ancestry of Brazilians Using Autosomal AIM-Indels”. PLoS ONE 8 (9): e75145. Bibcode: 2013PLoSO...875145S. doi:10.1371/journal.pone.0075145. PMC 3779230. PMID 24073242 .
- ^ Pena, Sérgio D. J.; Di Pietro, Giuliano; Fuchshuber-Moraes, Mateus; Genro, Julia Pasqualini; Hutz, Mara H.; Kehdy, Fernanda de Souza Gomes; Kohlrausch, Fabiana; Magno, Luiz Alexandre Viana et al. (2011). Harpending, Henry. ed. “The Genomic Ancestry of Individuals from Different Geographical Regions of Brazil Is More Uniform Than Expected”. PLoS ONE 6 (2): e17063. Bibcode: 2011PLoSO...617063P. doi:10.1371/journal.pone.0017063. PMC 3040205. PMID 21359226 .
- ^ a b c d Lins, T. C.; Vieira, R. G.; Abreu, B. S.; Grattapaglia, D.; Pereira, R. W. (March–April 2009). “Genetic composition of Brazilian population samples based on a set of twenty-eight ancestry informative SNPs”. American Journal of Human Biology 22 (2): 187–192. doi:10.1002/ajhb.20976. PMID 19639555.
- ^ DNA de brasileiro é 80% europeu, indica estudo. .folha.uol.com.br (1970-01-01). Retrieved on 2012-05-19.
- ^ De Assis Poiares, L; De Sá Osorio, P; Spanhol, F. A.; Coltre, S. C.; Rodenbusch, R; Gusmão, L; Largura, A; Sandrini, F et al. (2010). “Allele frequencies of 15 STRs in a representative sample of the Brazilian population”. Forensic Science International: Genetics 4 (2): e61–3. doi:10.1016/j.fsigen.2009.05.006. PMID 20129458.
- ^ De Assis Poiares, Lilian; De Sá Osorio, Paulo; Spanhol, Fábio Alexandre; Coltre, Sidnei César; Rodenbusch, Rodrigo; Gusmão, Leonor; Largura, Alvaro; Sandrini, Fabiano et al. (2010). “Allele frequencies of 15 STRs in a representative sample of the Brazilian population”. Forensic Science International: Genetics 4 (2): e61. doi:10.1016/j.fsigen.2009.05.006. PMID 20129458. オリジナルの2011-04-08時点におけるアーカイブ。 .
- ^ the impact of migrations in the constitution of Latin American populations
- ^ Ferreira, L. B.; Mendes-Junior, C. T.; Wiezel, C. E.; Luizon, M. R.; Simões, A. L. (2006). “Genomic ancestry of a sample population from the state of São Paulo, Brazil”. American Journal of Human Biology 18 (5): 702–705. doi:10.1002/ajhb.20474. PMID 16917899 2015年3月29日閲覧。.
- ^ Saloum De Neves Manta, Fernanda; Pereira, Rui; Vianna, Romulo; Rodolfo Beuttenmüller De Araújo, Alfredo; Leite Góes Gitaí, Daniel; Aparecida Da Silva, Dayse; De Vargas Wolfgramm, Eldamária; Da Mota Pontes, Isabel et al. (2013). “Revisiting the Genetic Ancestry of Brazilians Using Autosomal AIM-Indels”. PLoS ONE 8 (9): e75145. doi:10.1371/journal.pone.0075145. PMID 24073242.
- ^ Ruiz-Linares, Andrés; Adhikari, Kaustubh; Acuña-Alonzo, Victor; Quinto-Sanchez, Mirsha; Jaramillo, Claudia; Arias, William; Fuentes, Macarena; Pizarro, María et al. (2014). “Admixture in Latin America: Geographic Structure, Phenotypic Diversity and Self-Perception of Ancestry Based on 7,342 Individuals”. PLoS Genetics 10 (9): e1004572. doi:10.1371/journal.pgen.1004572. PMID 25254375.
- ^ Alvessilva, J; Dasilvasantos, M; Guimaraes, P; Ferreira, A; Bandelt, H; Pena, S; Prado, V (2000). “The Ancestry of Brazilian mtDNA Lineages”. The American Journal of Human Genetics 67 (2): 444–61. doi:10.1086/303004. PMC 1287189. PMID 10873790 .
- ^ Resque, Rafael; Gusmão, Leonor; Geppert, Maria; Roewer, Lutz; Palha, Teresinha; Alvarez, Luis; Ribeiro-Dos-Santos, Ândrea; Santos, Sidney (2016). “Male Lineages in Brazil: Intercontinental Admixture and Stratification of the European Background, Resque et al. (2016)”. PLoS ONE 11 (4): e0152573. Bibcode: 2016PLoSO..1152573R. doi:10.1371/journal.pone.0152573. PMID 27046235 .
- ^ “Laboratório GENE – Núcleo de Genética Médica”. Laboratoriogene.com.br. 2011年12月29日閲覧。