オーストリア人

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オーストリア人
Österreicher
Mozart Haydn Emperor Franz Joseph

Johann Strauss II Erwin Schrödinger Sigmund Freud

Bertha von Suttner Arnold Schwarzenegger
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトフランツ・ヨーゼフ・ハイドンフランツ・ヨーゼフ1世ヨハン・シュトラウス2世エルヴィン・シュレーディンガージークムント・フロイトグスタフ・クリムトベルタ・フォン・ズットナーアーノルド・シュワルツェネッガー
総人口

1000万人以上[1][2][3]

居住地域
オーストリアの旗 オーストリア 800万人
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 800,000
イタリアの旗 イタリア (大半はボルツァーノ自治県) 300,000 [4]
ドイツの旗 ドイツ (大半はバイエルン州) 230,000
スイスの旗 スイス 80,000
イギリスの旗 イギリス 24,000
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 20,204
オーストラリアの旗 オーストラリア 15,000
アルジェリアの旗 アルジェリア 511,000
チェコの旗 チェコ (大半は南モラヴィア) 9,300
スウェーデンの旗 スウェーデン 6,300
スロベニアの旗 スロベニア (大半はシュタイエルスカ地方) 5,400
スロバキアの旗 スロバキア (大半はブラチスラヴァ) 5,400
ブラジルの旗 4,000
ハンガリーの旗 ハンガリー (大半はショプロン) 3,000
ギリシャの旗 ギリシャ 1,800
ニュージーランドの旗 ニュージーランド 1,300
言語
ドイツ語オーストリアドイツ語[5]クロアチア語ハンガリー語スロベニア語
宗教
カトリック教会 66%
プロテスタント 4%
イスラム教 4%
無宗教 26%
関連する民族

ゲルマン人チェコ人[6]スロバキア人ハンガリー人スロベニア人クロアチア人[7]

オーストリア人ドイツ語: Österreicher 女性形はÖsterreicherin)は、

  1. オーストリア共和国の国籍を有する人。
  2. 1.の中でも特にドイツ語母語とする人々。オーストリア国民の9割以上を占める。

もともと、現在のオーストリアは神聖ローマ帝国皇帝位を独占していたハプスブルク家の領国オーストリア大公国が中心であり、名目上とは言えオーストリアはドイツ諸邦の盟主の座にあった。神聖ローマ帝国が崩壊した後フランツ2世が根拠地のオーストリア大公国にちなんでオーストリア皇帝フランツ1世と称しオーストリア帝国となった。しかしハプスブルク家が世襲してきた所領には11の民族と5,000万の民族が居住しており、彼らがオーストリア家(ハプスブルク家)に忠誠を誓うことでオーストリア帝国は糾合されると考えられた。そのため「領地はたくさんある。人口はたくさんある。オーストリア民族はいない。国家はない」(H・アンディクス)と言われる有様であった。神聖ローマ帝国亡き後の発足したドイツ連邦の議長国はオーストリア帝国であった。ドイツ連邦の解体後はプロイセン王国を中心とするドイツ帝国とハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー帝国に完全に分断されたが、その後もアンディクスの評を証明するようにオーストリアのドイツ語話者の間には自分達は「ドイツ人」であるという意識が続いた。

第一次世界大戦によって「民族自決の原則」に従いオーストリア=ハンガリー帝国は解体に向かい、大戦末期の1918年オーストリア革命によって第一共和国が成立した。上オーストリア、下オーストリア、ケルンテン、ザルツブルク司教領、チロルのドイツ人居住地域のみの小国となったオーストリアではドイツとの統合が政治的立場の左右を問わない国民の念願となったが、サン=ジェルマン条約によってドイツとオーストリアとの統合は禁じられた。

ドイツ=オーストリア合邦がようやく実現したのは1938年のことだったが、それは決して平和的なものではなく、ナチス・ドイツによる軍事的圧力のもとで行われた。エスターライヒ(オーストリアのドイツ語名)と言う地名は抹殺されてオストマルクと改称させられ、戦争の惨禍に巻き込まれた。ナチスドイツを率いたアドルフ・ヒトラーはオーストリア出身でドイツに移り「ドイツ民族の糾合」を唱えたが、彼自身のルーツはチェコ系であった。このようにドイツ人がそうであるように、オーストリア民族というものは文化的集団であり、後述するように国家によって創造される概念である。

こうして、オーストリア人は自分達がドイツ人ではなくオーストリア人であるという感情(アイデンティティ)を初めて抱くようになり、1955年カール・レンナー首班によるオーストリア第二共和国が成立するのである。しかし、今なお右派政党は国号にドイツの文字を入れるように主張し、またしばしば、上記2の意味合いでドイツ人という言葉が用いられる。特に近年、統一EUの発足後、東欧人やトルコ人への差別意識を背景にドイツ民族主義の復興が著しい。

詳細はオーストリア、およびドイツ人を参照のこと。

関連項目[編集]

出典[編集]

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  1. ^ According to the CIA World Factbook - Austria - People: Ethnic Groups the percentage of ethnic Austrians in Austria is 91.1% meaning there are 7,463,714 ethnic Austrians in Austria.
  2. ^ Census 2000: Ancestry - 730,336 people claimed Austrian descent; see also Austrian-Americans
  3. ^ Statistics Canada 2001: Ethnic Origins - 147,585 claimed to be of Austrian ethnic origin.
  4. ^ http://www.provincia.bz.it/downloads/Siz_2006-eng.pdf
  5. ^ US Department of State Austria
  6. ^ http://www.da-vienna.ac.at/userfiles/directorscorner/apa1.pdf
  7. ^ The sound of success, Economist, Nov 22nd 2007