「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」の版間の差分
34行目: | 34行目: | ||
寅次郎が旅先で見た夢は『[[ジョーズ]]』<ref>前年(1975年12月)に公開された。</ref>の世界であり、おいちゃん、おばちゃん、満男を殺した人食い鮫が、さらに源公、さくらも殺し、寅次郎は必死に鮫を釣ろうとする。 |
寅次郎が旅先で見た夢は『[[ジョーズ]]』<ref>前年(1975年12月)に公開された。</ref>の世界であり、おいちゃん、おばちゃん、満男を殺した人食い鮫が、さらに源公、さくらも殺し、寅次郎は必死に鮫を釣ろうとする。 |
||
「とらや」に久々に帰って来た寅次郎は、満男の小学校入学祝いの席上、また内輪ゲンカをして家を飛び出す。駅前の焼き鳥屋で飲んでいたところ、みすぼらしい老人(宇野重吉)が無銭飲食を店員にとがめられるのを見 |
「とらや」に久々に帰って来た寅次郎は、満男の小学校入学祝いの席上、また内輪ゲンカをして家を飛び出す。上野駅前の焼き鳥屋で飲んでいたところ、みすぼらしい老人(宇野重吉)が無銭飲食を店員にとがめられるのを見る。かわいそうに思って支払いを肩代わりして、別の店で二人で飲んだ後、家に連れて帰る。 |
||
とらやに一晩泊まり、宿屋と間違えた老人は、おいちゃん |
とらやに一晩泊まり、宿屋と間違えた老人は、おいちゃん・おばちゃんたちに横柄な態度を取り、ひんしゅくを買う。家族に苦情を言われた寅次郎に説教された老人は、「おわびだ」と言って紙に筆で落書きしたかのように描いた絵を渡す。寅次郞は、老人に「持ってけば、いくらかになるから…」と指定された[[神田神保町|神保町]]の古本屋に出かけ、半信半疑でその紙切れを店の主人(大滝秀治)に見てもらったところ、「7万円で譲って欲しい」と言われ、腰を抜かす。実はこの老人こそ、日本[[画壇]]を代表する池ノ内青観画伯だったのだ。 |
||
間もなくとらやの連中とひともんちゃく起こして旅に出た寅次郎は、播州龍野で |
間もなくとらやの連中とひともんちゃく起こして旅に出た寅次郎は、播州龍野で画伯と再会する。そして、画伯に請われる形で、ある宴席で杯を傾けた寅次郎は、そこで「ぼたん」という名の美しい芸者(太地喜和子)と出会い、親しくなる。後日、上京してとらやを訪れたぼたんは、悪い男に200万円を騙し取られたことを寅次郎に告白する。義侠心に燃えた寅次郎が立ち上がるのだが…。 |
||
「社会的不正義」に対して、庶民が見事「人情的な正義感」で対抗した作品。<ref>『完全版「男はつらいよ」の世界』p.143 。</ref>今回はフラれない寅次郎ということで、惚れた腫れたの世界にとどまらない新趣向<ref>『男はつらいよ寅さんの歩いた日本』p.52 。</ref>も見られる。 |
「社会的不正義」に対して、庶民が見事「人情的な正義感」で対抗した作品。<ref>『完全版「男はつらいよ」の世界』p.143 。もっとも、金をだまし取った悪党そのものに罰が与えられたわけではないので、「庶民の無力さをあらためて思い知らされるようなストーリー」(『みんなの寅さん 「男はつらいよ」の世界』p.244)という意見も存在する。</ref>今回はフラれない寅次郎ということで、惚れた腫れたの世界にとどまらない新趣向<ref>『男はつらいよ 寅さんの歩いた日本』p.52 。寅次郎の口から「(ぼたんと)所帯を持つ」という言葉が二度も飛び出す。最後の場面はぼたんと一緒であり、マドンナとの別れの場面がない。従って、「失恋」してとらやを出て行くという場面がない。</ref>も見られる。 |
||
・満男が小学校に入学する。 |
|||
第6作で一度だけ登場したタコ社長の長男が寅次郎と社長の会話で言及されている。 |
・第6作で一度だけ登場したタコ社長の長男が寅次郎と社長の会話で言及されている。 |
||
== キャスト == |
== キャスト == |
||
103行目: | 103行目: | ||
== 受賞 == |
== 受賞 == |
||
* 第31回[[毎日映画コンクール]]日本映画優秀賞 |
* 第31回[[毎日映画コンクール]]日本映画優秀賞 |
||
* [[キネマ旬報]]BEST10第2位 |
* [[キネマ旬報]]BEST10第2位(シリーズ全作品中、最高順位) |
||
* 同・助演女優賞/[[太地喜和子]] |
* 同・助演女優賞/[[太地喜和子]] |
||
* 第19回[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]BEST10ランク |
* 第19回[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]BEST10ランク |
2020年5月16日 (土) 15:16時点における版
男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け | |
---|---|
監督 | 山田洋次 |
脚本 |
山田洋次 朝間義隆 |
原作 | 山田洋次 |
出演者 |
渥美清 太地喜和子 岡田嘉子 宇野重吉 |
音楽 | 山本直純 |
撮影 | 高羽哲夫 |
編集 | 石井巌 |
配給 | 松竹 |
公開 | 1976年7月24日 |
上映時間 | 109分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
配給収入 | 9億7400万円 |
前作 | 男はつらいよ 葛飾立志篇 |
次作 | 男はつらいよ 寅次郎純情詩集 |
『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』(おとこはつらいよ とらじろうゆうやけこやけ)は、1976年7月24日に公開された日本映画。『男はつらいよ』シリーズの17作目。同時上映は『忍術猿飛佐助』。
あらすじ
寅次郎が旅先で見た夢は『ジョーズ』[1]の世界であり、おいちゃん、おばちゃん、満男を殺した人食い鮫が、さらに源公、さくらも殺し、寅次郎は必死に鮫を釣ろうとする。
「とらや」に久々に帰って来た寅次郎は、満男の小学校入学祝いの席上、また内輪ゲンカをして家を飛び出す。上野駅前の焼き鳥屋で飲んでいたところ、みすぼらしい老人(宇野重吉)が無銭飲食を店員にとがめられるのを見る。かわいそうに思って支払いを肩代わりして、別の店で二人で飲んだ後、家に連れて帰る。
とらやに一晩泊まり、宿屋と間違えた老人は、おいちゃん・おばちゃんたちに横柄な態度を取り、ひんしゅくを買う。家族に苦情を言われた寅次郎に説教された老人は、「おわびだ」と言って紙に筆で落書きしたかのように描いた絵を渡す。寅次郞は、老人に「持ってけば、いくらかになるから…」と指定された神保町の古本屋に出かけ、半信半疑でその紙切れを店の主人(大滝秀治)に見てもらったところ、「7万円で譲って欲しい」と言われ、腰を抜かす。実はこの老人こそ、日本画壇を代表する池ノ内青観画伯だったのだ。
間もなくとらやの連中とひともんちゃく起こして旅に出た寅次郎は、播州龍野で画伯と再会する。そして、画伯に請われる形で、ある宴席で杯を傾けた寅次郎は、そこで「ぼたん」という名の美しい芸者(太地喜和子)と出会い、親しくなる。後日、上京してとらやを訪れたぼたんは、悪い男に200万円を騙し取られたことを寅次郎に告白する。義侠心に燃えた寅次郎が立ち上がるのだが…。
「社会的不正義」に対して、庶民が見事「人情的な正義感」で対抗した作品。[2]今回はフラれない寅次郎ということで、惚れた腫れたの世界にとどまらない新趣向[3]も見られる。
・満男が小学校に入学する。
・第6作で一度だけ登場したタコ社長の長男が寅次郎と社長の会話で言及されている。
キャスト
- 車寅次郎:渥美清
- さくら:倍賞千恵子
- 芸者ぼたん:太地喜和子
- 車竜造:下條正巳
- 車つね:三崎千恵子
- 諏訪博:前田吟
- たこ社長:太宰久雄
- 源公:佐藤蛾次郎
- 観光課長:桜井センリ
- 市長:久米明
- 青観夫人:東郷晴子
- 満男:中村はやと
- 飲み屋の女将:西川ひかる
- お手伝い1:岡本茉莉
- お手伝い2:榊原るみ(ノンクレジット)
- マンションの管理人:佐山俊二
- とらやの客:谷よしの
- 観光係員:寺尾聰
- 鬼頭:佐野浅夫
- 大雅堂の主人:大滝秀治
- 御前様:笠智衆
- 志乃:岡田嘉子
- 池ノ内青観:宇野重吉
ロケ地
スタッフ
- 製作:名島徹
- 企画:高島幸夫 小林俊一
- 監督:山田洋次
- 監督助手:五十嵐敬司
- 脚本:山田洋次 朝間義隆
- 原作:山田洋次
- 撮影:高羽哲夫
- 音楽:山本直純
- 美術:出川三男
- 装置:小野里良
- 装飾:町田武
- 録音:中村寛
- 調音:松本隆司
- 照明:青木好文
- 編集:石井巌
- スチール:長谷川宗平
- 衣裳:松竹衣裳
- 現像:東京現像所
- 進行:玉生久宗
- 製作進行:内藤誠
- 協力:ブルドックソース 柴又神明会
記録
受賞
- 第31回毎日映画コンクール日本映画優秀賞
- キネマ旬報BEST10第2位(シリーズ全作品中、最高順位)
- 同・助演女優賞/太地喜和子
- 第19回ブルーリボン賞BEST10ランク
- 第1回報知映画賞助演女優賞/太地喜和子
- 第5回文化庁優秀映画
脚注
- ^ 前年(1975年12月)に公開された。
- ^ 『完全版「男はつらいよ」の世界』p.143 。もっとも、金をだまし取った悪党そのものに罰が与えられたわけではないので、「庶民の無力さをあらためて思い知らされるようなストーリー」(『みんなの寅さん 「男はつらいよ」の世界』p.244)という意見も存在する。
- ^ 『男はつらいよ 寅さんの歩いた日本』p.52 。寅次郎の口から「(ぼたんと)所帯を持つ」という言葉が二度も飛び出す。最後の場面はぼたんと一緒であり、マドンナとの別れの場面がない。従って、「失恋」してとらやを出て行くという場面がない。
- ^ a b 『日経ビジネス』1996年9月2日号、131頁。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』キネマ旬報社、2003年、214-215頁。ISBN 4-87376-595-1。