ジエゴ・リバス・ダ・クーニャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジエゴ
2019年のジエゴ
名前
本名 ジエゴ・リバス・ダ・クーニャ
Diego Ribas da Cunha
愛称 ジエギーニョ、Next Zico
ラテン文字 Diego
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1985-02-28) 1985年2月28日(39歳)
出身地 リベイラン・プレト
身長 173cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF (OH)
利き足 右足
ユース
1996-2001 ブラジルの旗 サントス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2004 ブラジルの旗 サントス 64 (21)
2004-2006 ポルトガルの旗 ポルト 48 (4)
2006-2009 ドイツの旗 ブレーメン 84 (38)
2009-2010 イタリアの旗 ユヴェントス 33 (5)
2010-2014 ドイツの旗 ヴォルフスブルク 76 (19)
2012-2013 スペインの旗 アトレティコ・マドリード (loan) 30 (3)
2014 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 13 (1)
2014-2016 トルコの旗 フェネルバフチェ 53 (5)
2016-2022 ブラジルの旗 フラメンゴ 150 (25)
代表歴
2004-2008  ブラジル U-23 15 (6)
2003-2017 ブラジルの旗 ブラジル 34 (4)
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
2008 北京 サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジエゴ・リバス・ダ・クーニャ(Diego Ribas da Cunha, 1985年2月28日 - )は、ブラジルサンパウロ州リベイラン・プレト出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー

クラブ経歴[編集]

サントス[編集]

サントスFCの下部組織出身。2002年に16歳でプロデビューすると、同年のカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA優勝に貢献。1歳上のロビーニョエラーノアレックスらと共に「ヤング・サントス」の一員として3シーズンに渡って活躍。「ジーコの後継者」としてヨーロッパのクラブからの注目を集める。

ポルト[編集]

2004年8月、FCバルセロナへ移籍したデコの後釜としてプリメイラ・リーガの名門FCポルトに移籍金700万ユーロで引き抜かれる[1]。同年冬にはトヨタカップ出場のため来日。決勝のオンセ・カルダス戦はPK戦までもつれ込み、第1キッカーのジエゴはゴールを決めたものの、直後に相手GKを侮辱したため退場処分を受けた(チームは優勝)[2]。2年目はコー・アドリアーンセ新監督との関係がうまくいかず出場機会を大きく減らし、移籍を決断する。

ブレーメン[編集]

2006年8月、ドイツ・ブンデスリーガヴェルダー・ブレーメンに移籍金は推定約600万ユーロで入団。前シーズンまで所属していたジョアン・ミクーの後継者として期待された。1年目の2006-07シーズンはリーグ開幕からトルステン・フリンクスと共にチームの攻撃陣の中心を担い、ブレーメンを前半戦冬の王者(ヘルプスト・マイスター)に導き、シーズン終了後にはドイツ年間最優秀選手に選ばれた。翌2007-08シーズンも投票で3位に入った[3]

3年目の2008-09シーズンはリーグ戦とカップ戦をあわせて20ゴールを決める活躍をみせ、UEFAカップ決勝進出に貢献したが、FCシャフタール・ドネツクに敗れた。同シーズンのDFBポカール決勝ではメスト・エジルの決勝点をアシストし、バイエル・レバークーゼンを破っての国内カップ制覇を果たした。

ユヴェントス[編集]

2009年5月、セリエAのユヴェントスFCに5年契約、移籍金2450万ユーロで入団[4]。しかし、イタリアのサッカーへの適応に苦しみ、ジュゼッペ・マロッタGMによってわずか1シーズンで構想外とされた。

ヴォルフスブルク[編集]

2010年8月26日、ドイツのVfLヴォルフスブルクへ移籍。移籍金は1550万ユーロで4年契約。2月のハノーファー96戦ではスティーブ・マクラーレン監督の指示に逆らってパトリック・ヘルメスの代わりにPKを蹴って失敗し、試合後にチームから出場停止を課された[5]。チームの成績不振により監督がフェリックス・マガトへ交代した後、残留争いの大一番であった5月14日のホッフェンハイム戦でベンチスタートなったことに激怒し無断で帰宅。チームはベンチメンバーが一人欠けた状態での戦いを強いられた[6]。この問題行動によりクラブとマガト監督は翌シーズンにジエゴを起用しないことを決めた[7]

アトレティコ・マドリード[編集]

夏の移籍期間最終日である2011年8月31日にアトレティコ・マドリードへ1シーズンの期限付き移籍が決まった[8]。加入当初は批判も浴びたが、シーズン途中にディエゴ・シメオネ監督が就任するとトップ下を任され、ラダメル・ファルカオと共にヨーロッパリーグ制覇に貢献[9]。ジエゴ本人はシーズン終了後もアトレティコへ残ることを望み、アトレティコが買い取るとの噂が流れたが、結局実現しなかった。

ヴォルフスブルク復帰[編集]

2012年夏にヴォルフスブルク復帰。マガト監督との関係は依然として良好ではなかったが、新シーズンはヴォルフスブルクでプレーすることになった[10]。シーズン途中にマガト監督が解任されると、冬の移籍市場でサントスへの移籍を勧められていたことを暴露[11]。一方で、新監督の下ではミスを恐れずにプレーできるようになったとも述べた。

アトレティコ・マドリード復帰[編集]

2014年1月、1年半ぶりにアトレティコ・マドリードに加入した。

フェネルバフチェ[編集]

2014年7月11日、フェネルバフチェSKに加入した[12]

フラメンゴ[編集]

2016年7月19日、CRフラメンゴへ移籍[13]

2022年11月12日、現役引退を表明した[14]

代表経歴[編集]

ブラジル代表でのジエゴ (2008年)

2003年4月30日、メキシコ戦でブラジルA代表デビュー。2004年と2007年のコパ・アメリカの優勝メンバーになったほか、2008年の北京オリンピックでは銅メダルを獲得した。一方で、同じポジションのカカの存在もあり、W杯出場経験はない。

プレースタイル・人物[編集]

独創的なプレーを得意とする、いわゆるファンタジスタ[15]。FWの後ろに位置する司令塔としてラストパスを出すことを好む[16]

「プリマドンナ」、「エゴ・ジエゴ」とあだ名されるように、チームの規律よりも個を主張する傾向が見られ、たびたびチームとの間にトラブルを起こしている[17]

背番号10に愛着を持っているが、ユヴェントスでは10番はチームの顔でありキャプテンであるアレッサンドロ・デル・ピエロがつけていたため、28番を選択した。これは2+8=10であることと、自身の誕生日が2月28日であることに由来する[18]。なお、ブレーメンとヴォルフスブルクでは10番を背負っている。

父方の曾祖父がイタリア・エミリア=ロマーニャ州フェラーラ出身、曾祖母が同カンパニア州出身であったため、イタリアのパスポートも所持している[19]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
クラブ シーズン リーグ カップ 欧州カップ戦 Total
App Goals App Goals App  Goals App Goals
サントスFC 2002 22 8 22 8
2003 33 9 33 9
2004 9 4 9 4
Total 64 21 64 21
FCポルト 2004-05 30 3 6 1 36 4
2005-06 18 1 4 1 22 2
Total 48 4 10 2 58 6
ヴェルダー・ブレーメン 2006-07 33 13 1 0 14 2 48 15
2007-08 30 13 3 1 10 4 43 18
2008-09 21 12 4 2 13 7 38 21
Total 84 38 8 3 37 13 129 54
ユヴェントスFC 2009-10 33 5 2 2 9 0 44 7
2010-11 0 0 0 0 3 0 3 0
Total 33 5 2 2 12 0 47 7
VfLヴォルフスブルク 2010-11 30 6 2 0 0 0 32 6
アトレティコ・マドリード 2011-12 30 3 1 0 12 3 43 6
VfLヴォルフスブルク 2012-13 32 10 5 3 0 0 37 13
アトレティコ・マドリード 2013-14 0 0 0 0 0 0 0 0
Career Totals 321 87 18 8 71 18 410 113

タイトル[編集]

クラブ[編集]

サントスFC
FCポルト
ヴェルダー・ブレーメン
アトレティコ・マドリード
フェネルバフチェSK
フラメンゴ

代表[編集]

ブラジル代表

個人[編集]

  • ドイツ年間最優秀選手 : 2007

脚注・出典[編集]

  1. ^ ジエゴがポルトへ移籍 uefa.com 2004年7月30日
  2. ^ トヨタカップ|試合速報/詳細 第25回トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ FCポルト - オンセ・カルダス スポーツナビ
  3. ^ リベリーがブンデスシーズンMVPに選出 nikkansports.com 2008年5月28日
  4. ^ ブラジル代表ジエゴがユーベと5年契約 nikkansports.com 2009年5月27日
  5. ^ ジエゴ、PK無理矢理蹴って出場停止 footballweekly.jp 2011年02月08日
  6. ^ http://www.soccer-king.jp/news/germany/article/201105161825_wolfsburg_diego.html
  7. ^ このままだとジエゴは飼い殺しにされる nikkansports.com 2011年7月25日
  8. ^ ジエゴのアトレティコ行きが決定”. Goal.com (2011年9月1日). 2011年9月1日閲覧。
  9. ^ アトレティコに感謝するジエゴ goal.com 2012年6月14日
  10. ^ ヴォルフスブルク、ジエゴ残留を発表 goal.com 2012年8月4日
  11. ^ マガト前監督にブラジル移籍を勧められていたジエゴ「難しい日々だった」 socckerking 2012年10月30日
  12. ^ ヴォルフスブルク、ジエゴ残留を発表 Goal 2014年7月11日
  13. ^ Final feliz: após 12 anos, Diego volta ao Brasil e é o novo reforço do Fla”. Globoesporte (2016年7月19日). 2016年7月22日閲覧。
  14. ^ No seu último jogo, a emocionante despedida de Diego” (2022年11月12日). 2023年6月1日閲覧。
  15. ^ 複数クラブが狙うジエゴ、過剰報道にウンザリ「言ってもないことを…」 Gazzetta.it 2008年03月21日
  16. ^ ジエゴ(アトレティコ・マドリー/元ブラジル代表) 自由と制約のバランス(1/2) OCNスポーツ
  17. ^ 優等生になったジエゴ goal.com 2012年9月13日
  18. ^ ジエゴ、背番号10に未練なし uefa.com 2009年7月10日
  19. ^ [1] ilsussidiario.net 2009年5月7日

外部リンク[編集]