シーサイドライナー (列車)

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シーサイドライナー
キハ200系で運行される「シーサイドライナー」
(2019年12月)
概要
種類 快速区間快速
現況 運行中
地域 長崎県
運行開始 1986年11月1日
運営者 九州旅客鉄道(JR九州)
旧運営者 松浦鉄道
路線
起点 佐世保駅竹松駅
終点 長崎駅
営業距離81.4 km (50.6 mi) (佐世保 - 長崎間)
運行間隔 下り14本・上り16本
使用路線 JR九州:佐世保線大村線長崎本線(市布経由)
車内サービス
クラス 普通車
その他 愛称付与は1989年3月11日
技術
車両 キハ200系気動車YC1系
長崎運輸事業部佐世保車両センター
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 交流20,000 V・60Hz(佐世保 - ハウステンボス諫早 - 長崎間)[注 1]
非電化(ハウステンボス - 諫早間)
運行速度 最高110 km/h (68 mph)(キハ200系・YC1系)
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キハ220形を増結した3両編成

シーサイドライナーは、九州旅客鉄道(JR九州)が佐世保駅竹松駅 - 長崎駅間を、佐世保線大村線長崎本線経由で運行する快速列車区間快速列車である。 英語名の(SEA SIDE LINER)からSSLの通称がある。

本項では「シーサイドライナー」から派生して、1999年 - 2003年に佐世保駅 - 長崎駅間を運行していた特急シーボルト」、および大村線ハウステンボス駅以南で運転されていた優等列車の沿革についても記述する。

概要

佐世保駅 - 長崎駅間を運行する快速列車は、1986年11月1日のダイヤ改正ではじめて1往復設定された。当初、愛称は設定されておらず、「シーサイドライナー」の愛称が与えられたのは1989年3月11日のダイヤ改正からである。快速列車は国鉄分割民営化以降、ダイヤ改正でたびたび増発され、この時点で佐世保駅発の下りが10本・長崎駅発の上りが9本設定されていた。

長崎県の県庁所在地である長崎市と県北の中心で県内第二の都市である佐世保市を結ぶ都市圏内速達輸送および、佐世保・ハウステンボス・長崎を結ぶ観光客輸送を担っている [要出典]

快速・区間快速「シーサイドライナー」

運行概況

大村線の快速列車には「シーサイドライナー」という列車名が付けられている。快速列車は佐世保駅 - 長崎駅間に下り7本・上り8本、竹松駅 - 長崎駅間に1往復、区間快速列車は佐世保駅 - 長崎駅間に6往復が運行されており、上下とも1日の最初の列車が竹松駅発着となる。かつては、松浦鉄道西九州線たびら平戸口駅佐々駅まで乗り入れる列車もあったが、現在は行っていない。喜々津駅 - 浦上駅間は新線経由である。

列車番号は佐世保駅発は3221Dから、長崎駅発は3222Dから、それぞれ2ずつを加えていく。竹松駅発着列車に関しては3271D、3270Dとしている。「シーサイドライナー」の愛称が与えられた当初は号数の表記もあったが、2005年2月28日をもって廃止された。2018年3月17日のダイヤ改正より、昼間時間帯の列車が区間快速となり、佐世保 - 竹松間は各駅停車となった。

所要時間は停車駅によって差があり、おおむね1時間30分 - 2時間程度。車両については、キハ200系気動車もしくはキハ66・67系また、2020年(令和2年)3月14日ダイヤ改正よりYC1系の3種類の車両が使われており、完全な等間隔運転になっていない。

停車駅

  • 2019年3月16日改正時点
  • 経由区間の全駅を掲載。( )の駅は全列車通過。
  • 「区快」=区間快速
  • 凡例…●:停車駅、ー:通過駅
列車種別 運行本数 佐世保駅 日宇駅 大塔駅 早岐駅 ハウステンボス駅 南風崎駅 小串郷駅 川棚駅 彼杵駅 千綿駅 松原駅 竹松駅 諏訪駅 大村駅 岩松駅 諫早駅 西諫早駅 喜々津駅 市布駅 肥前古賀駅 現川駅 浦上駅 長崎駅
長崎行き 長崎始発
快速 3 1
1 1
- 1
1 3
2 2
1 -
- 1
区快 6 6

当初、日宇駅・大塔駅は通過していたが、1999年頃から、利便性向上や列車待避のために一部の列車が停車するようになった。2020年現在、佐世保駅 - ハウステンボス駅間はすべての快速が各駅に停車している。一部、諫早駅や喜々津駅で特急「かもめ」を待避する列車もある。

使用車両

佐世保車両センター所属のキハ200系気動車またはキハ66・67系2020年(令和2年)3月14日ダイヤ改正よりYC1系が使用される。通常は2両編成でワンマン運転を行う。ただし、時間帯や時期、開催イベントによっては、2編成併結による4両編成や、1両増結による3両編成で運転する場合がある。2021年(令和3年)3月11日をもってキハ200形・220形での運用が終了予定[1]

3両運転はYC1系のみで行われる。2020年8月の運用改定までは、通常キハ200+キハ200+キハ220で行われていた。ただし、車両故障や運用の都合などにより、キハ200+キハ220+キハ220や、キハ220+キハ220+キハ220の編成で運行する時もあった。

キハ58系が使用されていた1996年から多客期に指定席が設定されたこともあった[2]が、2020年7月現在、指定席の設定は無い。

車両は、車体が青20号に類似したシーサイドライナー専用塗色で、乗客扉は赤色に塗装され、「SEA SIDE LINER」のロゴが記される形が基本となっている。ただし、キハ200-14・1014はハウステンボス色、キハ220-207は原色の赤となっている。なお、これらの車両は同線区を走る普通列車と共通の運用につく。

以前は、キハ66系の車両が不足した場合に筑豊篠栗鉄道事業部所属のキハ58系(キハ58 716+キハ28 2444)の2両が竹松発着の1往復に限り代走に使用されていた。また、キハ200系が不足した場合には、大分鉄道事業部所属の赤いキハ200系(キハ200 11+キハ200 5011 元シーサイドライナー編成)を代走に使用する場合がある。

過去の使用車両

特急「シーボルト」

キハ183系1000番台「シーボルト」(佐世保駅)

1999年3月13日のダイヤ改正時で、「シーサイドライナー」のうち2往復を特急に格上げする形で運行を開始した[3]。大村線ハウステンボス駅以南での優等列車の運行は1988年3月に急行「平戸」が廃止されて以来11年ぶりで、特急が設定されるのは初めての事。 佐世保駅 - 長崎駅の所要時間は85分前後で、「シーサイドライナー」よりも停車駅を絞り、20分程度の所要時間短縮が図られた。

しかし、2003年3月14日のダイヤ改正で「シーボルト」は「シーサイドライナー」に格下げされる形で廃止された。

なお、2000年 - 2001年の年末年始から「シーボルト」自体が廃止されるまで、ハウステンボスのカウントダウンイベント向けの臨時特急「カウントダウンシーボルト」が運行されていた。12月31日に長崎駅→早岐駅間、1月1日にハウステンボス駅→長崎駅間の列車が運行された。

停車駅

佐世保駅 - 早岐駅 - ハウステンボス駅 - 川棚駅 - 大村駅 - 諫早駅 - 浦上駅 - 長崎駅

  • 川棚駅は2001年3月から停車駅に追加

編成・使用車両

廃止時点の編成図
シーボルト
← 長崎
佐世保 →
1 2 3 4
自P 自P
凡例
指=普通車座席指定席
自=普通車自由席
P=展望席(自由席)
=禁煙

オランダ村特急」「ゆふいんの森」に用いられていたキハ183系1000番台4両編成を改造の上充当した[3]。「オランダ村特急」は佐世保駅発着であったため、キハ183系1000番台にとっては長崎地区に戻ってきた格好で、外装は「オランダ村特急」時代とほぼ同様のトリコロール塗装となった。

普通車のみの編成で、指定席が1両、自由席が3両であった。指定席は当初長崎寄りの先頭車(1号車)であったが、後に佐世保寄りの先頭車(4号車)に変更されている。車端部には展望席が設けられているが、「シーボルト」ではこの席は自由席扱いとされていた。

なお、キハ183系1000番台は1編成しかないため、検査時には「ゆふ」などに用いられるキハ185系気動車の3両編成が代走していた。

特急料金

「シーボルト」運転開始時に佐世保駅 - 長崎駅間には特定特急料金が導入された。これは、設定当初から佐世保市と長崎市間の都市間輸送だけでは弱いとされたのが主な理由で、自由席特急料金は26km以上の場合、全区間500円に設定された。佐世保駅 - 長崎駅間の自由席特急料金は通常の料金では920円なのでかなり割安となった。

大村線優等列車沿革

JR九州標準色のキハ58系(1991年 佐世保駅)
シーサイドライナー塗装(初期)のキハ65形(1996年 大村駅)
ハウステンボス色のキハ65 61+キハ58 700(1992年 早岐駅)

早岐駅 - ハウステンボス駅間の優等列車はハウステンボス (列車)も参照のこと。

  • 1960年昭和35年)5月1日 - 博多駅 - 長崎駅間を大村線経由で運行する準急列車出島」(でじま)運行開始。
    • 当時運行されていた「ながさき」の補助列車として運行を開始。
  • 1962年(昭和37年)8月1日 - 博多駅 - 佐世保駅間を筑肥線松浦線経由で運行する準急列車として、「九十九島」(くじゅうくしま)運行開始。
  • 1963年(昭和38年)6月1日 - 「九十九島」の運行区間を延長し博多駅 - 長崎駅間を筑肥線・松浦線・大村線経由で運行する準急列車となる。ただし、延長する早岐駅 - 長崎駅間を重複する「出島」は廃止。
    • なお、「出島」はこの後長崎本線直通の準急・急行列車の名称となる。→こちらを参照のこと。
  • 1966年(昭和41年)3月5日 - 準急行制度改変に伴い、「九十九島」を急行列車に格上げ。
  • 1968年(昭和43年)10月1日 - ヨンサントオのダイヤ改正に伴い、「九十九島」の名称を従来関西対佐世保間夜行急行列車の名称であった「平戸」(ひらど)に変更する。
  • 1983年(昭和58年)3月22日 - 福岡市地下鉄1号線開業に伴う筑肥線部分廃止に伴い、「平戸」運行区間を唐津駅 - 長崎駅間に短縮。
  • 1986年(昭和61年)11月1日 - このときのダイヤ改正に伴い、大村線経由の佐世保駅 - 長崎駅間を運行する快速列車が1往復設定される。
    • なお、この快速列車は下り列車は平戸口駅(現在のたびら平戸口駅)始発となっていた。
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月13日 - このときのダイヤ改正に伴い、佐世保駅 - 長崎駅間快速列車5往復まで増発。
    • 3月31日 - 翌4月1日付けで松浦線が松浦鉄道に経営が移管されることにより、急行列車「平戸」廃止。この代替として、翌日より佐世保駅 - 長崎駅間に快速列車1往復増発(土休日等に松浦鉄道平戸口駅まで直通運転)。
    「平戸」廃止時の概況としては以下の通りである。
  • 1989年平成元年)3月11日 - 佐世保駅 - 長崎駅間快速列車に「シーサイドライナー」の名称が与えられ、号数表記を採用。設定時は佐世保駅発(下り)10本・長崎駅発(上り)9本。キハ58系(一部キハ65形を含む)で運転。専用塗色への変更が行われる前にはヘッドマークを掲示して運行していた時期があった。
  • 1992年(平成4年)7月15日 - 「シーサイドライナー」の本数を下り13本・上り15本に増便。
  • 1994年(平成6年)3月1日 - キハ200系を「シーサイドライナー」の一部列車に投入。
  • 1996年(平成8年)3月23日 - 多客期に限り、「シーサイドライナー」の一部に指定席を設定[2]
  • 1999年(平成11年)3月13日 - 「シーサイドライナー」のうち2往復を格上げの形で特急「シーボルト」運行開始[3]
  • 2000年(平成12年)3月11日 - 佐世保駅改築工事に伴い、松浦鉄道乗り入れ休止。
  • 2002年(平成14年)3月23日 - 佐世保駅改築工事竣工に伴い、松浦鉄道乗り入れ再開。
    • 乗り入れ区間は佐々駅までに短縮される(松浦鉄道線内は各駅停車、日祝日は佐世保駅乗り換え)。
    • 同時にキハ58系を筑豊本線篠栗線から転入したキハ66・67系とキハ200系に置き換え、ワンマン運転を開始。
  • 2003年(平成15年)3月15日 - 「シーボルト」廃止[4]。「シーボルト」の運行ダイヤに時間修正を加えた上で再び「シーサイドライナー」が運行される。
  • 2005年(平成17年)3月1日 - 「シーサイドライナー」の号数表記を取りやめる。
  • 2006年(平成18年)3月18日 - 「シーサイドライナー」松浦鉄道乗り入れ休止。また、竹松駅 - 長崎駅間運行の列車名なしの快速1往復を「シーサイドライナー」に編入し、現行の運行本数となる。
  • 2018年(平成30年)3月17日 - 日中の一部の列車を佐世保駅 - 竹松駅間各駅停車とし、種別を区間快速とする。
  • 2020年令和2年)3月14日 - YC1系を「シーサイドライナー」の一部列車に投入。
  • 2021年(令和3年)3月11日 - キハ200形・220形での運用終了予定[1]

列車名の由来

五十音順による)

脚注

注釈

  1. ^ 但し、気動車を使用。

出典

  1. ^ a b "ありがとう"キハ200形・キハ220形" 大村線ラストランについて" (PDF) (Press release). 九州旅客鉄道. 1 March 2021. 2021年3月1日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2021年3月1日閲覧
  2. ^ a b 「長崎-佐世保間快速 一部に指定席 JR九州」『交通新聞』交通新聞社、1996年2月22日、3面。
  3. ^ a b c 「1999.3.13ダイヤ改正の概要」『鉄道ジャーナル』第33巻第4号、鉄道ジャーナル社、1999年4月、78-79頁。 
  4. ^ 「鉄道記録帳2003年3月」『RAIL FAN』第50巻第6号、鉄道友の会、2003年6月1日、21頁。 

関連項目