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高橋悠治

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高橋 悠治
生誕 (1938-09-21) 1938年9月21日(81歳)
職業 作曲家ピアニスト

高橋 悠治(たかはし ゆうじ、1938年9月21日 - )は、日本作曲家ピアニスト

略歴

東京都生まれ。父は季刊誌『音楽研究』の編集長を務めた音楽評論家高橋均、母はピアニスト蔭山英子[1][注釈 1]。ピアニストの高橋アキは実妹。ピアノとコンピュータによる即興演奏や、日本の伝統楽器と声のための作曲などの音楽活動を行っている。橋本国彦團伊玖磨柴田南雄[注釈 2]小倉朗に作曲を[注釈 3]、伊藤裕、宅孝二にピアノを師事[2]。桐朋学園短期大学作曲科を1958年に中退後、1960年の東京現代音楽祭でボー・ニルソンの『クヴァンティテーテン』(『量』)の日本初演でピアニストとしてデビューし、注目を浴びる。そののち、草月コンテンポラリー・シリーズにおいて[注釈 4]武満徹の『ピアノ・ディスタンス[注釈 5]』、ジョン・ケージの『ウィンター・ミュージック』、ヤニス・クセナキスの『ヘルマ[注釈 6]』などを演奏した[3]

1962年秋山邦晴一柳慧、小林健次らと実験的演奏家集団「ニュー・ディレクション」を結成[3][1]。作曲家として同年にピアノ曲『エクスタシス』、電子音と12楽器による室内楽のための『フォノジェーヌ』[注釈 7]1963年にはテープと器楽アンサンブルのための『冥界のへそ』を発表[注釈 8][3][4]。同年秋からはフォード財団の助成を得て西ベルリンに留学し、クセナキスに師事。1964年作曲の『クロマモルフⅡ』は、6月にベルギーのゲントで初演される[5]。一方、パリのドメーヌ・ミュジカルなど欧州各地においてピアニストとしても活動した[3][注釈 9]。クセナキス作品を演奏したアルバムで1965年度のフランス・ディスク・アカデミー大賞を受賞[6]1966年5月、日生劇場において開催された現代音楽祭「オーケストラル・スペース」に参加。高橋のピアノ、小澤征爾の指揮でクセナキスの『エオンタ』を演奏する[7]。同年ロックフェラー財団の奨学金を得てタングルウッドバークシャー音楽センターで開催される夏期講習に参加するためにニューヨークへ移住し、コンピュータによる作曲を研究した。また、バークシャー音楽センター、ラビニア音楽祭、ストラットフォード(オンタリオ)演劇祭ニューヨーク州立大学バッファロー校の「創造と演奏の芸術」センターなど各地で演奏し、のちには「創造と演奏の芸術」センター所員として作曲を行う[注釈 10]。この間、ロンドン交響楽団ニューヨーク交響楽団ボストン交響楽団シカゴ交響楽団サンフランシスコ交響楽団フィラデルフィア管弦楽団トロント交響楽団、バッファロー交響楽団などと共演し、アテネ音楽祭、ストックホルム音楽祭、オックスフォード・バッハ音楽祭、プリンストン室内楽音楽祭、ニューヨークにおける「新しい音楽と音のイメージのための夕べ」では独奏者として演奏した。数々のLP録音を残す。1966年と1968年には、マニラとニューヨークで開催されたユネスコ国際音楽評議会で演奏や講演を行った。1968年6月5日、現代音楽祭「オーケストラル・スペース1968」において「自作『6つの要素(4つのヴァイオリンのための)』が演奏される[注釈 11]1969年1月14日小澤征爾指揮トロント交響楽団とともに武満徹『アステリズム』の初演に参加。同年秋一時帰国し、1970年大阪万国博覧会における武満徹が音楽監督を務める日本の「鉄鋼館―スペースシアター」での演奏作品『エゲン』を収録した[注釈 12][8]。1970年代以降は、民衆の声や音を用いた創作手法も重視する[4]1971年6月、渋谷公会堂でのリサイタルのために一時帰国。6月9日には朝日講堂で、「クロス・トーク」(日米現代音楽祭)最終回として室内楽作品『ニキテ』が初演される[9]。同年8月30日にインディアナ大学の数理自動音楽研究センター(CMAM)のアシスタント・ディレクターに任命される。秋からは、同大学で作曲とピアノを教える[3]。また、サンフランシスコ音楽院でも教鞭をとった。しかし、同年12月14日インディアナ大学の学長から翌年1972年5月付けでの解雇を宣告される。クセナキスと共同で「コンピュータ音楽研究室」を結成し、過去数年間同大学でクセナキスが継続してきた実験の企画に1972年の1年間協力するも、研究している音楽と他の領域との中間にある探究の実現にとっては、既成の学問領域分割にもとづく大学の固定的区分は不自由なものであった。同年末研究室は解散し、クセナキスはパリに転出して、16ビット、10万サンプル/秒のD/A変換によって実験を継続することとなった。のち1973年に高橋自身は、東京大学の情報科学研究室でコンピュータによる作曲と音響発生の結合を実験し始めたが、1974年のある時期以降は、しばらく東京大学を訪れることすらなくなった[10]

1972年4月に帰国。グラモフォンで『武満作品集』を収録。1973年には3月20日の渋谷公会堂での第600回N響定期公演においてクセナキスのピアノ協奏曲『シナッフェ』を演奏[11]。同年、武満徹、林光松平頼暁湯浅譲二とともにグループ「トランソニック」を組織[注釈 13]1976年まで季刊誌『トランソニック』の編集などの活動を行った。1973年7月からは日本コロムビアの川口義晴プロデュースによるレコーディング開始。『バッハの世界』作成。1974年9月には4チャンネルを使った『パーセル最後の曲集』作成[注釈 14]1975年には、バッハ『フーガの技法』、ケージ『ソナタとインターリュード』。同社からのアルバム発行は1980年1月収録のサティまでつづいた。一方、FM放送録音として、1974年1月20日の日生劇場でのリサイタル録音には、1973年に高橋によって初演されていた近藤譲『クリック・クラック』、1973年にマリー=フランソワーズ・ビュケにより初演されていたクセナキスの『エヴリアリ』の日本初演にあたる音源などが収められている[12]

また1976年から画家の富山妙子とスライドで絵と音楽による物語作品を製作する。1978年にはタイの抵抗歌を日本に紹介するために[注釈 15]、水牛楽団を組織[注釈 16]、以後5年間、各地の市民集会でアジアやラテンアメリカの民衆の抵抗歌を編曲・演奏する活動を行う。1980年1月から月刊「水牛通信」[注釈 17]を発行。同年9月からは光州事件を受けて、各地で韓国政治犯支援コンサートを開催。1981年1月、「山谷越冬闘争支援集会」「金大中氏らを殺すな! 杉並市民集会」「金大中氏らに自由を! 新宿コンサート」。同年2月に「高橋悠治とその仲間」を東京文化会館にて開催。同年4月からは「都市シリーズ」コンサート。「ワルシャワ物語」。これは「カタルーニャ讃歌」「サンチャゴに歌が降る」「コザの向こうにミクロネシアが見える」「バンコックの大正琴」と続いた。同年10月にはタイのバンコクのタマサート大学で「血の水曜日」5周年追悼集会に参加。同年12月には、加藤登紀子と日比谷公会堂における国連パレスチナ・デー記念コンサート「パレスチナに愛をこめて」で共演。1982年1月には「緊急コンサート ポーランド『禁じられた愛』」が中野文化センターで開催される[13]

1983年以後は次第にコンピュータとディジタル・サンプラーによる作曲やライブが中心となるが、また室内楽やオーケストラ曲の作品を書き、三宅榛名とのユニットによるコンサートプロジェクトをはじめ、富樫雅彦豊住芳三郎ジョン・ゾーンとの即興演奏などを行った[14]1987年12月築地本願寺講堂において、水牛通信100号記念コンサート『可不可』を上演[15]1988年8月、1986年出版のクリストフ・ヴォルフ校訂バッハ『フーガの技法』自筆初期稿をピアノで演奏録音した[16]1989年には東京でマッキントッシュ・フェスティバルに参加。1990年2月には築地本願寺ブティストホールにおいて、コンサート『可不可Ⅱ』を上演[17]高田和子に三味線を習い、同年以降は邦楽器や雅楽の楽器のための作品を多数発表。1990年4月「発掘品に拠って復元製作された弥生期のコトのための『ありのすさびのアリス』―矢川澄子の詩による―」コンサートに参加。1991年には初の環太平洋コンピュータ・フェスティバルと池袋電脳カフェを開催する。後者では、高田和子と共作のコンピュータと三絃弾き語りのための『水……』を初演[18]。CD時代に入り、1992年よりFONTECからCDシリーズ「高橋悠治リアルタイム」により、自作を含む演奏録音をリリースした。1995年詩人藤井貞和とコラボレーションを始める[19]1997年パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌には作曲部門の講師として参画。若い音楽家たちによって多くの高橋作品が演奏され、自身もピアニストおよび指揮者として演奏した。1999年には作曲家・編曲者であるルイス・アンドリーセンとともにポーランドにおける第19回若手作曲家のための国際現代音楽協会(ISCM)サマーコースに、同年、東京フェスティバルには、韓国の伝統音楽の専門家であり作曲家のファン・ビョンギとともに参加。一方、同年には演奏集団「糸」を結成[4]

2002年コンピュータによる音響作品の制作を始める[20]。同年10月より約1年間病気により休養[21]2003年の大阪での北東アジアフェスティバルにおいては、中国の作曲家瞿小松(チュ・シャオソン)や韓国の作曲家ヒョーシン・ナとともに「東アジアからの提案」シンポジウムを組織した。2006年にはニューヨークの現代芸術財団(FOCA)から助成金を授与される[22]2008年にはモンポウブゾーニ作品。2009年には「バルトーク初期ピアノ作品集」を制作。21世紀に入ってからも多くのピアノソロを収録している[23][24][25][26]

作風

i(-1968)

ペータースから多くが出版されている。後に、作品表からは全て割愛された。完全に原譜ごと破棄されたオーボエソロの為の『VIVIKTA(196?)』のような作品もある[注釈 18]。軽やかさや反復のようなものへの趣向が認められ、これは後年の主張にも継続する。クセナキスの作品にも似た原始的な響きが、調律を変えたピアノ四分音を使うヴァイオリンに聞かれる[注釈 19]。この時期の作品はケージの『記譜法』に一部が収録されている。

柴田南雄の発案した「配分法」は渡米以前より高橋を刺激し、後年の彼の「音選び」にも影響を及ぼすこととなる。「偶然気がついたが、柴田の教えは書き続けることだったのだ」とあり、現在に至るまで1年間に発表される作品数やライブ演奏は、この世代でも極めて多い。ピアノ奏者として、武満徹、ロジャー・レイノルズ、ケージ、アール・ブラウン、クセナキスほかの作品の録音を残した。

ii(1969-)

執筆や対談、鼎談を精力的に行うようになる。この活動に啓発された音楽家に坂本龍一がいる。音楽雑誌だけでなく、『現代詩手帖』『展望』『思想の科学』『新日本文学』『朝日ジャーナル』『月刊総評』などでも活躍。著作の多くは、高橋による単行本に収録されている。対談のいくつかは、『行動する作曲家――岩城宏之対談集』や『続・谷川俊太郎の33の質問』などで読むことができる。

1972年春、日本に帰国してのち、作曲セミナーを担当した際に、それまでつかっていた高橋自身の方法を、ひとにおしえることとなったが、その方法でつくってくる生徒の作品のできが芳しくなかった。つまらない音楽もつくることができるのでは、方法に不備があるのではないかと考え、方法をあらかじめ細部まで厳密に規定して、あとは半自動的に作業ができるといった方法論ではない、最小限の手段をうまくつかって、一番単純なかたちにしあげる、いわば、まずしさのもつ洗練にたよる作業法を、発見した[27]

タイの抵抗歌を紹介してもらいたいという依頼を受けたのが、水牛楽団を開始したきっかけ」とあるように、ひととひととが出会う「きっかけ」が、作品の新味に繋がるのに時間はかからなかった。単独の演奏会ではなく、政治集会の枠内で行われることもあった。ハムザ・エルディーンのソロと水牛楽団が同イヴェント内で演奏することもあり、異ジャンルの共存に慣れない聴衆は戸惑うこともあった。

バッハの鍵盤作品をまとめて録音し、オリヴィエ・メシアンフレデリック・ジェフスキーロベルト・シューマンクロード・ドビュッシーエリック・サティらの作品をLPに残した[注釈 20]。「バッハを弾くのなら、一つ一つの音はちがった役割を持つので、粒はそろえないほうが良い」といった態度[注釈 21]も、表現へぬくもりを与えている。また一柳慧、三宅榛名、高橋アキほかの人々とのピアノ・デュオ活動も、当時の日本では珍しい形態として注目された[注釈 22]

iii(1982-)

「志をもちつづけることは1968年以来ちがう意味をもちはじめたようだ(『カフカ/夜の時間』)」とあり[28]、自身の音楽性に対しても懐疑的であった。1980年代初頭から、コンピュータ音楽の新たな可能性を探る。「最先端のコンピュータで新しい音色を探して、いったい何になるのか」という問いを突きつけていた作曲家は以前にもいたが、コンピュータを新たな方法で使う成功例は世界的にも少なく、そのひとつに『翳り(1993)』がある。これはサンプラーで出来るだけ短い音を採集し、リアルタイムのキーボード上で操作する、ピアノ的なパフォーマンス作品でもあった[注釈 23]。獲得した手法は『音楽のおしえ』でも充分に使われる予定であったが、直前にサンプルが全消去するという突発事件が生じ、コンピュータからは距離をおくこととなる。

ルイジ・ノーノのような虚無主義に陥ることなく、音楽思考を進化させ、「どの音も、違った長さを持ち、違った色を持ち」、しなやかな音楽性が曲尾まで貫かれることを結論として得た[29]。こうした経緯が良く表れた作品に『指灯明(ゆびとうみょう、1995)』がある。五線譜ではなく、指遣いの「型」をまとめた一種の図形楽譜が使用された。強弱も速度も書かれず、一度まとめられた「型」が徐々に異形へ変容するピアニズムに特徴が認められる。本人による「ピアノを新しいやり方で使うのは非常に難しい」(ジャック・ボディとの対談)とのコメント、『InterCommunication』への連載における西洋人の楽器使用法への的確な指摘と厳しい批判があることから、この作品に費やした労力が伺える。

三味線を高田和子から習った過程で、良くなる音とそうではない音とのバランスを重視した作曲を志した結果として、1990年代以降は、アジア系伝統音楽の痕跡が現れることがある。『最後のノート』でもタイ伝統音楽にあるフィンガーシンバルの奏法はそのまま引用され、『指灯明』の解説でも苗族への言及がある。また、オーケストラのための作曲も行われた。その種類の作曲を時代錯誤とする考え方がある一方で、盟友であり続けたクセナキスや尹伊桑は、大オーケストラのための作品で聴衆を啓発していた。高橋は、クセナキスの『キアニア』の日本初演の指揮をし[注釈 24]、音符の書かれない『キタラ・カグラ』を作曲している。

この時期にシェーンベルクのピアノ曲全曲をふくむ新ウィーン楽派のピアノ作品をリリース。このころから、自らの音楽史をさかのぼるかのような選曲を見せるようになる。

iv(2001-)

第iii期以上に自らの過去や既存の作品からの痕跡が増えている。第iv期以降の作品もほぼ全てPDF形式で公開しているにもかかわらず、演奏家が自分でヴァージョンを用意しなければならない手間は予想以上に掛かる。

『PIANO2』の初版(2000年)と改訂版(『不知火』と題された2006年版)とを比べ読みしてみると、編集法の変化が良くわかるであろう。初版では、即興採譜ではなく、リサイタル用にいくつかの音形をくまなくコンピュータ出力していたが、改訂版ではそれが行われていない。「演奏の現場で、より自由な音選びができるように」配慮されている。

バッハの『ゴルトベルク変奏曲』を再録した。また、かつてよりは生ピアノの演奏機会が増えた。20世紀前半の音楽からの選曲も行われている。柴田による分析に衝撃を受けたことのあるバルトークのピアノ曲をリリースする。2010年、オーケストラのための作曲も相変わらず行われている。懸案であったオペラでも「歌手とブズーキとピアノ」の組み合わせを行うなど従来の編成と重複させない工夫がなされている。

「新しい音楽をつくることは、うちにもそとにも開かれ、始原へさかのぼり続けること」は、全時期を通じ変わりない。

作品

初期の作品のいくつかはペータースから出版され、現在でも入手可能である。その後の作品の多くは、公式サイトに楽譜が掲載され、ダウンロードして利用することができる。この項で紹介するものの多くは、出版もしくはレコード、CD化されたものである(映画音楽をのぞく。出版社から刊行されている作品の多くは、公式サイトに掲載されていない)。

後日高橋の手によって拡張された作品表が開示されたが、破棄された作品は、その中からもカットされている。

管弦楽曲

  • 1968 般若波羅蜜多(4人の声楽と4群のオーケストラ)
  • 1969 オルフィカ[注釈 25][4]
  • 1971 カガヒ〔歌垣〕
  • 1974 非楽之楽(オーケストラのための矛盾)[注釈 26][4]
  • 1990 糸の歯車(箏とオーケストラ)[注釈 27]
  • 1993 鳥も使いか(三絃弾き語りとオーケストラ)
  • 1997 キタラ・カグラ(オーケストラのためのシアター・ピース)

室内楽・独奏曲

  • 1964 クロマモルフ I (フルート、ホルン、トランペット、トロンボーン、ヴィブラフォーン、ヴァイオリン、コントラバス)[注釈 28][4]
  • 1964 クロマモルフ II(ピアノ)[注釈 29]
  • 1965 6つの要素(4つのヴァイオリン)[注釈 30]
  • 1967 ブリッジズ II (2オーボエ、2クラリネット、2トランペット、3ヴィオラ)
  • 1968 ブリッジズ I (電気チェンバロ、増幅されたチェロ、バス・ドラム、カスタネット。キーボードとシンセサイザーのための版もある)[注釈 31]
  • 1968 ローザス I (増幅されたヴァイオリン)[注釈 32]
  • 1968 ローザス II(ピアノ)[注釈 33]
  • 1968 オペレーション・オイラー(2本、または3本のオーボエ)[注釈 34]
  • 1968 メタテーゼ I(ピアノ) ※「メタテーシス」とも。[注釈 35][4]
  • 1968 メタテーゼ II(ギター)
  • 1971 ニキテ(オーボエ、クラリネット、トランペット、トロンボーン、チェロ、コントラバス)[注釈 36]
  • 1971 コロナ・ボレアリス(ピッコロ、オーボエ、クラリネット、コントラファゴット、ホルン)
  • 1973/1976 メアンデル(ピアノ。弦楽四重奏版、キーボード版もある)[注釈 37][4]
  • 1974 ジョン・ダウランド帰る(ギター)[注釈 38]
  • 1975 毛沢東 詞三首(ピアノ)[注釈 39]
  • 1976/1982 谷間へおりてゆく(アコーディオン)[注釈 40]
  • 1976 しばられた手の祈り(ピアノ)
  • 1976 この歌をきみたちに(1981改訂 ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、ピアノ)[注釈 41][4]
  • 1978 チッ(ト)(フルート、ピアノ)
  • 1979 七つのバラがやぶにさく(独奏ヴァイオリン)[注釈 42]
  • 1980 光州、1980年5月(ピアノ)
  • 1981 さまよう風の痛み(ピアノ)[注釈 43]
  • 1982 のづちのうた(打楽器)[注釈 44]
  • 1984 橋をわたって(十七絃)[注釈 45]
  • 1985 水牛のように(アコーディオン)[注釈 46]
  • 1986 朝のまがりかどまがれ(ジンベ、ソセ、木のスリット・ドラム、木の実の鈴、中国の小型ゴングと雲鑼(組みゴング))
  • 1986 風がおもてで呼んでいる(三絃と朗読)(最終版は「風がおもてで呼んでゐる」(1994)(三絃弾き語り))[注釈 47]
  • 1987 オフェーリアの歌(ピアノ)
  • 1987 子守唄(マリンバ)[注釈 48]
  • 1988 残絲曲(ざんしのきょく)(と朗読)[注釈 49]
  • 1988 ほほえむ手(2台のピアノ)
  • 1988 馬の頭は永遠に向かった(アルトフルート、箏)[注釈 50][注釈 51]
  • 1989 夢天(てんをゆめむ)(瑟)[注釈 52]
  • 1989 慈善病院の白い病室で私が(ヴァイオリン、マリンバ、スティール・ドラムのソロ、デュオ、またはトリオ)[注釈 53]
  • 1989 Urworte.Orphisch(オルガン)[注釈 54]
  • 1992 三絃散手(三絃)
  • 1993 鳥のあそび(七絃楽器)[注釈 55]
  • 1994 耳の帆(笙、ヴィオラ)
  • 1994 ガンダルヴァ(クラリネット)[注釈 56]
  • 1995 指灯明(ピアノ)
  • 1995 白鳥が池を捨てるように(ヴィオラ、アコーディオン)[注釈 57]
  • 1995 末弭(うらはず)(ピアノ)[注釈 58]
  • 1996 眠れない夜(Insomnia 1996)(ヴァイオリン、箜篌(くご))[注釈 59][注釈 60]
  • 1997 表しえぬものと、ひたすら見合ったままで(ヴァイオリン、オーボエ、ピアノ)
  • 2005 星火(独奏ヴァイオリン)[注釈 61]
  • 2005 おやすみなさい(三絃弾き歌い)[注釈 62]
  • 2006 影の庭(バリトン・サクソフォン、ピアノ)[注釈 63]
  • 2007 偲(しぬび)[注釈 64]
  • 2007 なびかひ(ピアノ)[注釈 65]
  • 2016 空撓(そらだめ)連句(ピアノ)[注釈 66]
  • 2017 散らし書き(ピアノ)[注釈 67]
  • 2018 荒地花笠(ピアノ)[注釈 68]
  • パレスチナのこどもたちのかみさまへのてがみ(ピアノ)

声楽曲

  • 1971 玉藻(男声合唱、チェロ)
  • 1973 マナンガリ(無伴奏女声合唱)
  • 1973 たまをぎ(混声合唱、管弦楽)
  • 1975/1976 毛沢東 詞三首[注釈 69]
  • 1977 ぼくは12歳[注釈 70](2003 ピアノ伴奏版[ピアノ版の1,6曲目は戸島美喜夫による編曲])
  • 1979 回風歌(男声合唱)
  • 1981 名前よ立って歩け[注釈 71]
  • 1981 臨終(歌とオーケストラ伴奏)(2003 日本語訳・ピアノ伴奏版)
  • 1981 最後のノート[注釈 72]
  • 1983 妾ハ童唄抄[注釈 73]
  • 1983 だるまさん千字文[注釈 74]
  • 1983 パレスチナのこどものかみさまへのてがみ
  • 1985 ゆめのよる,はこ[注釈 75]
  • 1986 都会の生活[注釈 76]
  • 1987 世界でいちばん大きな木のうた[注釈 77]
  • 1987 むすびの歌[注釈 78]
  • 1987 可不可(室内オペラ、台本:高橋―カフカの断片による)[注釈 79]
  • 1987 ストレッタ---パウル・ツェランの詩による(ピアノ 2、シンセサイザー 1、サンプラー)[注釈 80]
  • 1987 夢記切(ゆめのきぎれ)---明恵上人の「夢記」による(序/黒犬/帝釈天/唐女/石)(声明 20、太鼓 2、箏 2)[注釈 81]
  • 1990 ありのすさびのアリス---矢川澄子の詩による(打物 1、歌 1、附歌 1、倭琴 1、石笛・土笛 1、舞 1)[注釈 82]
  • 1991 水……〈詩:朝吹亮二〉(三絃弾き語り、コンピュータ)[注釈 83]
  • 1992 畝火山(五絃琴、呪)[注釈 84]
  • 1992 菩薩管絃電脳立(序/道行/詠と呪/序(大菩薩)/林邑乱/声/菩薩破/残楽)(花架拳 1、コンピュータ 1、横笛 1、篳篥 1、笙 1、倭琴 1、くご 1、打物 2、歌・キーボード 1)[注釈 85]
  • 1992 那須野繚繞(三絃弾き語り、コンピュータ)
  • 1995 夕顔あそび口立(夕顔の家/しののめの道/火も消えて)(龍笛・和琴 1、三絃 1、箏 1、小鼓 1、大鼓 1、太鼓 1、舞 1、読師 1)
  • 1995 音楽のおしえ(和楽器、洋楽器、声明、コンピュータ)[注釈 86]
  • 1996 吉祥経(新羅琴・唄 1、瑟・唄 1、箜篌 1、竿 2、排(はいしょう) 2、編鐘 1、声・所作 1)[注釈 87]
  • 1997 別れのために
  • 1997 夕顔の家[注釈 88]
  • 1997 那須野襲[山田検校による][注釈 89]
  • 1997 寝物語(声、箏)[注釈 90]
  • 1998 聖霊会〈詩:町田康〉(声、和楽器合奏)[注釈 91]
  • 1999 スイジャクオペラ≪泥の海≫[注釈 92]
  • 2002 きく/ピアノ 1b(声、打楽器、ピアノ)
  • 2005 めをとうし(声、ピアノ)[注釈 93]
  • 2005 民衆に訴える〈詩:フランツ・ペーター・シューベルト〉(声、ピアノ)[注釈 94]
  • 2011 北園克衛の六つの詩[注釈 95]
  • 2012 水仙月の四日(声、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ)[注釈 96]
  • 2012 芝浜 古典落語より(声、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ)[注釈 97]
  • 2013 四つの愛の歌[注釈 98]
  • 2015 祖母の歌〈詩:木村迪夫〉(声、ピアノ)[注釈 99]
    1. (~1997)こころにとめること[注釈 100]
    2. (~1997)慈善病院の白い病室から[注釈 101]

テープ音楽・電子音楽・コンピュータ音楽

  • 1962 フォノジェーヌ(テープ、12楽器)
  • 1963 Time
  • 1969 Ye Guen(慧眼、エゲン)[注釈 102]
  • 1975 フーガの[電子]技法
  • 1989 それとライラックを日向へ
  • 1990 風のイコノロジー(若桑みどり『風のイコノロジー――風に寄せる絵と詩と音楽』に収録)
  • 1993 翳り[注釈 103]
  • 1995 雲輪舌260795
  • 2003 KitKat Mix(高橋悠治による北園克衛[注釈 104]
  • 2005 gs-portrait
  • 2005 dctnzlgr/dssgrt/wktnwb/hptn/krzlgch

映画音楽

  • 1977 北村透谷 わが冬の歌
  • 1978 管制塔のうた (記録映画『大義の春』)
  • 1979 たとえば「障害」児童教育豊中の教師と子どもたち
  • 1981 自由光州
  • 1981 ミチコ Michiko
  • 1984 海盗り
  • 1987 海鳴り花寄せ 昭和日本・夏

編曲

  • 1984 坂本龍一「リヴァー」「グラスホッパーズ」(ピアノ)

人物

成田空港管制塔占拠事件の後、三里塚闘争の支援を行う。水牛楽団が反対派の集会で演奏をしていた[30]

著書

音楽論

  • 『ことばをもって音をたちきれ』(晶文社、1974年)
  • 『ロベルト・シューマン』(青土社、1978年)
  • 『音楽のおしえ』(晶文社、1976年)
  • 『たたかう音楽』(晶文社、1978年)
  • 『水牛楽団のできるまで』(白水社、1981年)
  • 『長電話』(坂本龍一との共著。本本堂、1984年)
  • 『カフカ/夜の時間――メモ・ランダム』(晶文社、1989年)
  • 音楽の反方法論序説』(青空文庫、1997年)
  • 『高橋悠治/コレクション1970年代』(平凡社、2004年)
  • 『音の静寂静寂の音』(平凡社、2004年)
  • 『きっかけの音楽』(みすず書房 2008年)

自伝的著書

  • 『ピアノは、ここにいらない──祖父と父とぼくの時代』(編集グループSURE, 2010年)

絵本

  • 『あたまのなか』(福音館書店、1991年 富山妙子との共作 CD付き絵本)
  • 『けろけろころろ』(福音館書店、2004年 富山妙子との共作 CD付き絵本)

翻訳

  • ヤニス・クセナキス『音楽と建築』(全音楽譜出版社、1975年)
  • オリヴィエ・ルヴォ=ダロン『クセナキスのポリトープ』(朝日出版社、1978年)
  • マリー・シェイファー『教室の犀』(全音楽譜出版社、1980年)
  • マルク・ブルデル『エリック・サティ』(岩崎力との共訳。リブロポート、1984年)
  • ホセ・マセダ『ドローンとメロディー――東南アジアの音楽思想』(新宿書房、1989年)

共編書

脚注

注釈

  1. ^ レオ・シロタ門下。東京音楽学校の試験ではリスト『ハンガリー狂詩曲』やショパン『ピアノ協奏曲第2番』を弾き、ほかにショパン『幻想曲』、『幻想ポロネーズ』『ソナタ第3番』、フランク『前奏曲、コラールとフーガ』、バッハ=ブゾーニ『シャコンヌ』などを弾いていた。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.39
  2. ^ 高橋は、1952年から1953年のころ、桐朋学園「子供のための音楽教室」で柴田よりクシェネクの『十二音の対位法』英語版をテクストに十二音の作曲技法を習う。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.37
  3. ^ 小倉先生の指揮で、オーケストラ・スコアをピアノで弾くことを習った。『ぼくのしょうらいのゆめ』文春文庫、2009年 pp.94-95
  4. ^ 会場は、草月アートセンター。
  5. ^ 高橋に対する献呈作品。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.17
  6. ^ 高橋に対する献呈作品。高橋による初演は1962年2月23日。高橋悠治、坂本龍一『長電話』本本堂、1984年 p.91、青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.90
  7. ^ NHK電子音楽スタジオ制作。秋山邦晴「解説」『高橋悠治:オルフィカほか』デンオン、1990年 ライナーノーツ所収
  8. ^ 『冥界のへそ』はアルトーの詩を用いたことばによる。秋山邦晴「解説」『高橋悠治:オルフィカほか』デンオン、1990年 ライナーノーツ所収
  9. ^ 同年12月16日、ドメーヌ・ミュジカルにおいてクセナキスの『エオンタ』を初演。ブーレーズによる指揮。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.22、pp.96-98
  10. ^ クリエイティヴ・アソシエイツの身分。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.23
  11. ^ 1966年小林健次、植木三郎らによりNHKより放送初演。オーケストラル・スペースがステージにおける初演。秋山邦晴「解説」『オーケストラル・スペース1968』ビクターエンタテインメント、2006年 ライナーノーツ所収
  12. ^ 1970年3月から半年間、クセナキス、武満、高橋の作品が13時から21時まで1時間間隔で放送された。直径8メートルのステージの全周を観客席がとりまき、1000個以上のスピーカーをもつ立体的なシステムから音響が流れた。
  13. ^ 1973年4月14日に文化会館小ホールでシンポジウム「音楽の新しい方向」を公開。次いで5月23日から27日まで東京渋谷の西武劇場こけら落しに、武満と高橋の構成・監修で「今日の音楽」を公演した。24日には、高橋とピーター・ゼルキンによるピアノ二重奏のジョイントリサイタル、26日には高橋による1972年のテープ作品『辿り』の演奏があった。中島健蔵『証言・現代音楽の歩み』講談社、1978年 pp.368-369、pp.378-379
  14. ^ パーセルの作品を分解しコラージュした電子音楽。波と鷗の音の録音を使用した。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.136
  15. ^ タイの学生革命の中から育った反権力的な音楽集団カワラン楽団の歌を日本語で歌って始め、これが水牛楽団になった。カワランはキャラバンを意味する。水牛楽団の名は、カワラン楽団のタイ解放歌「人と水牛」からとられた。カワラン集団は自分たちの歌を「生きるための歌」と呼び、タイの村から村へ歌の活動を展開した。高橋悠治、坂本龍一『長電話』本本堂、1984年 p.146
  16. ^ 大正琴、インド製ハーモニウム、ケーナ、太鼓など簡単な楽器を用いて、アジアをはじめとする第三世界の民衆の歌をうたう非専門家的音楽集団。抑圧された民衆への連帯を通じて、自分たちの新しい歌を作り出し、音楽活動がそのまま民衆運動であるような活動をめざした。高橋悠治、坂本龍一『長電話』本本堂、1984年 pp.76-77
  17. ^ 「水牛通信」の前身は「水牛新聞」で1978年10月に第1号が発行された。1980年1月からは月刊発行になり「水牛通信」となる。32ページで値段は200円。1987年11月号で通算100号になり、これで終刊となった。後に、1割弱の記事をまとめて「水牛通信1978-1987」(リブロポート、1987年、ISBN 4-8457-0310-6)という本として発行された。
  18. ^ new perspective of new music、ロジャー・レイノルズの元に渡ったコピーのみ現存する。
  19. ^ 下準備に時間がかかり再演が難しい。
  20. ^ ある程度はレコード会社の要求に応じたものであったと思われる。
  21. ^ 1970年代の見解だが、『ゴルトベルク変奏曲』再録音時も、この視線は維持されている。
  22. ^ そもそも調律済のピアノが二台揃うのは稀であった。フレデリック・ショパンカール・ツェルニーの「ピアニストは一人になりやすいので、連弾をするのが良い」といった教えが生きているとも考えられる。
  23. ^ 短く、鳴り難い音は、あまり諸伝統音楽では重視されない点にも注目したい。また、同時期にディヴィッド・チューダーがサンプラーを使わず、コンピュータ自身の発信音により作品を制作していることとは対照的である。
  24. ^ 1990年に作曲され、同年ゾルタン・ペスコ指揮モンペリエ交響楽団により世界初演。恩地元子解説文『高橋悠治リアルタイム3 クセナキス・マセダ』フォンテック、2001年 ライナーノーツ所収
  25. ^ 日本フィル・シリーズ第21作として委嘱され、アメリカ滞在中に作曲された。作曲のすべてのデテールは、バッファローのニューヨーク州立大学コンピュータ・センターの電子計算機CDC6400を使って演算された。コンピュータによる作曲プログラム。同年5月28日、日本フィルハーモニー交響楽団定期で小澤征爾指揮により初演。小澤に対する献呈作品。Ⅰ.オルフォイスは、アポロンとディオニソスという全く対立的な2つの教義の間にあって、最初の音楽家であり、瞑想家であった。Ⅱ.オルフィスムは、創世前のカオスからの宇宙発生論を信条として持つが、霊魂の輪廻転生説をも含み持つ。音楽は輪廻転生の循環を止める。また、洞穴からの脱出路を探そうとする魂のための触媒でもある。作品の構造は、グリッサンド、オッシレーション、スタッカート、トレモロ、レガートという5つの複合体により基礎づけられる。これらは15のトリプレット(ことばについての3つの連続する語句の複合体のフォルム。これはAAA、あるいはAABといった各要素の直列的な反復を取り除くことである。)と3つのインターフェランスにより構成されている。ここでは、20の「句読点のないことば」というものを手にすることとなる。この20のうちの15のトリプレットと、それらの間に3つのインターフェランスが持ち込まれている。なお、強弱、持続、密度といった補助的な構造も、以上と全く同様のやり方で、それぞれ確定されている。コンピュータを使って作曲されたわが国では最初のオーケストラ曲。秋山邦晴「解説」『高橋悠治:オルフィカほか』デンオン、1990年 ライナーノーツ所収、青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.130
  26. ^ オーケストラを社会の組織に見立てた。
  27. ^ 沢井箏曲院10周年コンサートのための作曲。スコアはなく、オーケストラ・メンバーは数個のパターンときっかけ表を渡されている。指揮者が楽器の出入りの合図をする。箏の譜は伝統的な記譜法によっている。最後に古典筝曲『六段』を斜めに読む。「13本の絃に柱を置き、まだ伝統にはないひとつの調子を思いつくと、絃は響き合って、そこからいくつかのメロディーの断片が浮かびあがる。こういう場合だったら、調子は音階以上のものだ。それを定めるだけで、想像の窓がひらき、柱の連なりの曲線の上を行き来して組み合わされた絃の軌跡を次々につくりだしていく。箏面に見えない音のけむりがうずまき、ただよっている。その流れに白紙をかざして引き上げれば、音楽のその時の姿をとどめる記号の列が写っているだろう。毎日ある時間、この創造の箏に向かい、異なるメロディーを一葉ずつかさねていく。その一頁はどれも未完で、それを併せた全体も、たえず逃れていく音楽を鳴り響く音としてひきとめた瞬間の余白のおおい静止画像であるかもしれない。音はわずかなものをあらわすだけだ。そのまわりの静寂の空間は深い。それでも、このばらばらな紙片に任意の順位をつけて、読んでみよ。十三の絃の音色は、それぞれに共鳴するオーケストラのざわめきを呼びよせて、何度も中断される物語を紡いでいくだろう。」高橋悠治『高橋悠治リアルタイム4 糸の歯車』フォンテック、1992年 ライナーノーツ所収
  28. ^ クロマモルフは造語。クロマ:色、モルフ:形、つまり色彩で形態を作る、音色を組織化するの意。集合論の方法を適用。高橋悠治、坂本龍一『長電話』本本堂、1984年 p.225
  29. ^ ベルリンでの作曲。タイトルは色のかたちを意味する。ピアノの鍵盤を重なり合ういくつかの音域にわけてそれらの組み合わせを切り替える。いろいろな高さと大きさの窓が開いたり閉まったりして、そこから見える音の風景が変化する。音群の論理学的な操作に基づく作曲。数学における多重対応の法則といった集合論の法則が適応されている。さらに、グラフの方法を適用して、それらをクセナキスが考案した電子計算機IBM7090用のプログラムを使って計算、それを五線楽譜に、音符として記譜するという手順をとった。曲の構造は、ひとつひとつの音と、音群との間の多様な対応によっている。そして極度に弱い音と、極度の強音の対比、ペダルの多用などの特色がある。曲頭はしずかに単音が、詩的なエネルギーの交換をつづける。やがて強烈な連鎖する音群の衝撃がくる。が、やがてまた点の交錯によるしずかな空間となる。中間以後は、しだいに集合する音群の激烈に連鎖する運動がつづき、低音群の倍音・共鳴音が、それらを熾烈なエネルギーでつつむ。確率計算の結果としての気まぐれなメロディーがある。「「カフカ」ノート 2(1986)」『カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』みすず書房、2011年 p.93、高橋悠治「プログラム・ノート」『高橋悠治の肖像』エイベックス、2010年 ライナーノーツ所収、秋山邦晴「解説」『オーケストラル・スペース1966[I]』ビクターエンタテインメント、2006年 ライナーノーツ所収
  30. ^ スコアにはギリシャ語で6 ΣTOIXEIA-EKSISTIKHIAと記されている。4つのヴァイオリンが6つの音の要素を一種の確率のゲームのようにそれぞれ交錯させ、音の磁場をうみだしていく。音群の論理学的な数学の方法により作曲され、楽譜のうえに指示されている。ゲームのなかでのドローンとメロディー、リズム・パターンの連鎖反応がある。1965年ベルリンでの作曲。予めこの楽器の演奏可能な6つの要素―たとえば持続するハーモニックス、ピッツィカート、コール・レーニョ、ピッチ、音価、沈黙など―を座標軸のうえで確かめるとおなじように決定し、それを組織化して作曲した。全体にノン・ヴィブラートできれめなくつづいていく展開と、さまざまな要素がそれぞれ独立したように一見無関係にうごきながら、いずれも量子力学の世界のように相互に働きかける磁場の構造をもっているのが特色的である。「「カフカ」ノート 2(1986)」『カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』みすず書房、2011年 p.93、秋山邦晴「解説」『オーケストラル・スペース1968』ビクターエンタテインメント、2006年 ライナーノーツ所収
  31. ^ チェロの場合は持続低音を用いる。ローランド・ピアノとSynthi AKSシンセサイザーによる演奏録音がある。「プレーゲル川ケーニヒスベルク(現在のカリーニングラード)市を流れクナイプホフ島をとりまく。そこに7本の橋がある。すべての橋を一度、そして一度だけ、渡って散歩することができるか?」「きまった音の間のうつりかわりの規則をあたえる。この規則にしたがうさまざまな道を発見せよ」スイスの数学者レオンハルト・オイラーは、この橋の問題から、グラフ理論といわれる数学の分野をつくりだした。ここでは、それがメロディ構成原理としてつかわれる。1968年4月バッファローで初演。高橋悠治『YUJI PLAYS YUJI』ユニバーサル ミュージック、2006年 ライナーノーツ所収
  32. ^ 1986年5月10日スタインウェイ・ホールにて初演。ポール・ズーコフスキーのための作曲。表題は旋律の原理をさす。なお、1975 ローザス I 1/2 も存在する。これはローザス Iをズーコフスキーの意見と協力により改定したもの。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.87、高橋悠治「曲目解説」『ポール・ズーコフスキーの芸術』ビクター音楽産業、1975年 ライナーノーツ所収
  33. ^ 1986年5月10日スタインウェイ・ホールにて初演。ニューヨーク州バッファローに滞在中の、メロディ構成原理のための実験のひとつ。完全5度(3/2)と短3度(6/5)のつみかさねから発生する、オクターブをもたない音階による。ピアノの特殊な調律で34音がつかわれる。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.87、高橋悠治『YUJI PLAYS YUJI』ユニバーサル ミュージック、2006年 ライナーノーツ所収
  34. ^ 1986年5月10日スタインウェイ・ホールにて初演。ニューヨークでの作曲。グラフ理論によるモードの再構成と音のスクリーンがある。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.87、「「カフカ」ノート 2(1986)」『カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』みすず書房、2011年 pp.93-94
  35. ^ 1986年5月10日スタインウェイ・ホールにて初演。推計学的方法を適用。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.87
  36. ^ 1971年6月9日に朝日講堂で、「クロス・トーク」(日米現代音楽祭)最終回として初演された。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.132
  37. ^ 1973年にアルバム『高橋アキの世界』のために東芝レコードより委嘱された。その後1976年までに3度改作した。メアンデルとは、小アジアをうねるように流れるメンデレス川の古称。転じて、蛇行、曲折文様、迷路、迷路図を意味する。本来楽器の指定はない。全7ページの断片のうちどこからでも始められ、コンピュータのフロー・チャートのような指示により、時に繰り返し、時に前進し、ついには停止する。一部のページにおいては多重録音の指示があり、ピアノにコンタクト・マイクをつけ、各種変調を行ったものを重ねるような演奏をする。高橋アキの演奏では、時折ささやくような声で読まれた古事記下つ巻、允恭天皇の中にある木梨軽太子の歌「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)の川の 上(かみ)つ瀬に 斎杙(いくひ)を打ち、下(しも)つ瀬に ま杙(くひ)を打ち、斎杙には 鏡を掛け、ま杙には ま玉を掛け、ま玉なす 吾(あ)が思(も)ふ妹、鏡なす 吾が思ふ妻、ありといはばこそよ、家にも行かめ。国をも偲(しの)はめ。」が用いられた。中国や日本の古代のことばによる文章の朗読を用いることができる。屈原万葉集に基づく朗読の場合、「見わたすかぎり 水はみだれ 波はおしあい どこへ うねりゆく」「急流をさかのぼり 南をめざす くるおしく」「雲立ちわたれ 川面(かわも)に みつめ おもいだせと」が用いられた作曲者自身による演奏もある。音組織においても核音を中心に蛇行するようなフレーズが組織され、楽曲の形式と統一が図られている。高橋悠治『YUJI PLAYS YUJI』ユニバーサル ミュージック、2006年 ライナーノーツ所収、石塚潤一『高橋アキの世界』EMI1973年 ライナーノーツ所収
  38. ^ 信仰ゆえに亡命し、帰国しても音楽が時代とあわなくなっているダウランドの嘆き。書簡とリュート歌曲のパロディーで構成。Diana Poultonの評伝による。高橋悠治「プログラム・ノート」『高橋悠治の肖像』エイベックス、2010年 ライナーノーツ所収
  39. ^ 歌曲「毛沢東 詞三首」(1975/1976)に基づく。1975年8月シドニーで初演。大柏地、梅をうたう、郭沫若同志にこたえるの3首。高橋悠治『YUJI PLAYS YUJI』ユニバーサル ミュージック、2006年 ライナーノーツ所収
  40. ^ 1981年の映画「ミチコ Michiko」のための音楽に基づく4曲とほか2曲の計6つの小曲の集成。1982年にアコーディオンの御木美江のための作曲。1983年3月3日にドイツのアーヘンにおけるアムネスティ・インターナショナル支援コンサートで初演。同年3月23日の東京で日本初演。いずれも御木による演奏であった。演奏曲目解説『Into the Depth of Time』Grammofon AB BIS、1998年 ライナーノーツ所収
  41. ^ アメリカ内外の抑圧された人民のたたかいにささげられた曲。反戦歌をもとに作曲。1976年ニューヨークの日本現代音楽協会の委嘱で作曲。同年12月ピーター・ゼルキンらによるグループ“TASHI(タッシ)”による初演。第1楽章「きみたちは解放の道をあゆむ」は、グエン・タン作曲の「全面的勝利への前進」というアメリカの侵略に対してたたかう解放の戦士にむかって歌う若い女たちの歌に基づく。第2楽章「ラレスに会いにきて」は、プエルト・リコ独立運動の歌「起て、ボリクワよ」による。第3楽章「幸福の歌」は、1864年キット・カースンに降伏したナバホ族の女たちが希望を失わないために歌った歌。ヘテロフォニーと、歌のメロディーの変形がある。「「カフカ」ノート 2(1986)」『カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』みすず書房、2011年 p.94、高橋悠治「曲目解説」『ポール・ズーコフスキー来日公演プログラム』1978年所収
  42. ^ 当初は、18世紀ヴァイオリン奏法での、自作のメロディーのラーガとしての展開として作曲。辰巳明子に委嘱され、初演された。長い序奏につづく即興で、インドのラーガの器楽的提示と似た音楽形式をとっている。以前ベルトルト・ブレヒトの恋唄に作曲した時のメロディに基づいている。ヴァイオリンはゆるく張った弓でスル・タストで弾かれ、独特な音色をあたえる。2013年に声楽に対するピアノ・パートのために新たに作られた他の3つの曲に合わせて2013年に『四つの愛の歌』の1つとした。「「カフカ」ノート 2(1986)」『カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』みすず書房、2011年 p.94、高橋悠治「詩人ブレヒトと作曲家たち」『ブレヒト・ソングス 肥後幹子+高橋悠治』フォンテック、2013年 ライナーノーツ所収、高橋悠治『高橋悠治リアルタイム4 糸の歯車』フォンテック、1992年 ライナーノーツ所収
  43. ^ 韓国の詩人、高銀の『臨終』につけた歌曲のフレーズを再構成したもの。高橋悠治「プログラム・ノート」『高橋悠治の肖像』エイベックス、2010年 ライナーノーツ所収
  44. ^ 1982年初演。その後数回の改定。1987年版を基にした演奏録音の使用楽器は、インドネシアのアンクルン(竹のガラガラ)、アフリカのバラフォン(瓢箪の共鳴器付シロフォン)、南米のチャフカス(山羊の爪のガラガラ)、スライド・ホイッスル、アフリカの楽弓、日本の電気大正琴(オート・ワウ・ペダル付)、アフリカのジンベ(杯型太鼓)。2人の演奏者はアンクルンを振りながら入場し、退場するまでに、いくつかのパターンにしたがって即興をする。のづちは三里塚の農民である島寛征の散文「野遊びの歌」にでてくる。野槌と書く。見えない野の小さな精霊で、たくさんの仲間がいるらしい。即興のもとになったメロディーは、「野遊びの歌」のスライドのための音楽や、三里塚の農民のために書いた歌から採った。高橋による解説文『パーカッシブ・コスモス2―木の刻、水の刻― 吉原すみれ』CBS/SONY、1987年 ライナーノーツ所収
  45. ^ ベトナムの歌による序奏と即興曲。 解説文『風がおもてで呼んでいる◉沢井一恵プレイズ高橋悠治』ALM RECORDS、1990年 ライナーノーツ所収
  46. ^ 原曲は、水牛楽団のために1985年以前に書かれていた曲。そこからの転用に基づく御喜美江のための作曲。譜面は作曲者の希望であえて出版されず、“手から手へ”コピー譜が渡されていった。そして今では世界中でこの曲が演奏されている。『Into the Depth of Time』Grammofon AB BIS、1998年 ライナーノーツ所収、御喜美江『Yuji Takahashi:Like a Buffalo in 4 different styles』suigyu、2005年 封入紙片
  47. ^ 宮沢賢治の「疾中」から〔胸はいま〕〔ひるすぎの三時となれば〕〔風がおもてで呼んでゐる〕〔そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう〕の4篇の詩を三味線を爪弾きつつ読む。それぞれの詩の前には前奏曲があり、指づかいと音型の表によって、演奏者が即興する。三味線の二上がりの開放弦をドローンとして、メロディーをつくる音は、伝統的な音階や音感からはなれて、どこにも固定した重心をもたずに移り変わるような動きを想定している。三味線という楽器は、奄美や沖縄の三線、中国の三弦、チベットのダムニアン、さらに遠くシルクロードを越えてセタールなどときょうだいのつながりをもつ。それを爪弾きながらのつぶやきは、ごぜうたやゴッタン、またはタイ農民のピンにのせた、わびしく素朴で、どこからか光のさしてくる調べのふしぎな明るさをおもい、死にかけている宮沢賢治のことばのまわりに拡がるしんとした空間を、そこに重ねて浮かべてみることもできるだろう。解説文『風がおもてで呼んでいる◉沢井一恵プレイズ高橋悠治』ALM RECORDS、1990年 ライナーノーツ所収
  48. ^ ピアノでの演奏もある。高橋悠治『solo』エイベックス、2007年 ライナーノーツ所収
  49. ^ 同年に復元された瑟を用いた録音がある。初演は1988年(昭和63年)3月11日、国立劇場小劇場。瑟沢井一恵、朗読高橋。李賀による詩を用いる。中国の伝統にしたがって、詩を選び、それによって曲を構成してみる。9世紀の詩人李賀は、音楽を主題とする詩をいくつか書いていて、そのなかには瑟に触れたものもあるが、ここでは発掘された瑟を連想させる「残絲曲」を選んだ。「残絲」とは、切れ残った蜘蛛の糸を言うらしい。詩は中国風に贄として添えるだけでなく、演奏の傍で訳詩を朗読することにする。七言八行からなる詩は、二行ずつ四部に分けられ、それぞれ外・内・内・外の情景なので、その通りに音階と対応して曲の四部分ができあがる。その前に、2つの音階を提示する序奏をつけて、そこで題名を朗読する。序―ドローンと外の音階のゆっくりした上下運動。もう一つのドローンと内の音階。①―中弦の不規則なパルス上に外9弦のメロディーと演奏者の即興による変奏。②―中弦のオスティナートもどきと内9弦の短いフレーズ。③―内9弦。弦を左手で押して音の高さを変える。アルペジオなど。区切りとしての中弦。④―外9弦。下降する音階。中弦の反復音。解説文『風がおもてで呼んでいる◉沢井一恵プレイズ高橋悠治』ALM RECORDS、1990年 ライナーノーツ所収、「初演記録」高橋悠治『現代の日本音楽4 高橋悠治 残絲に惑い……』春秋社、2000年 p.(3)
  50. ^ エミリ・ディキンスンの詩による。十三弦とアルト・フルートは同じパターンにより即興的に同時変奏をおこなう。死の馬車の迎えをうけて人生の風景を走り過ぎ、日没とともに時は止まる。解説文『風がおもてで呼んでいる◉沢井一恵プレイズ高橋悠治』ALM RECORDS、1990年 ライナーノーツ所収
  51. ^ ◇前提―演奏家が書かれた音符や指示を守ろうとすると、作品の不完全な再現しかできなくなる。現代音楽の演奏の殆どが楽譜をよむだけに終わってしまうばかりか、作曲家はストラヴィンスキーからケージにいたるまで、演奏家の即興や自発性を排除してきたおかげで、創意のない演奏者に対する内心の不満を抑えていなければならない結果になった。ここでは、音楽はその場で演奏するためのものであり、作曲とはその手順を定めることにすぎないと考えよう。◇楽器と調弦―箏とフルートのための音楽がフルートのメロディーに箏で伴奏を付ける『春の海』にならないために、フルートと箏が同時に同じメロディーを演奏することを思いつく。そのために同じ音域の十三弦とアルト・フルートを選び、さらに共通のピッチを選ぶ。箏は夏山調子の変形に調弦する。フルートはそれに二、三の固有のピッチを付け足す。◇構成―エミリ・ディキンスンの死についての詩を選び、それによって曲を構成する。ことばによるのは、音楽的な展開を断ち切るため。◇手順―詩に沿って8つの部分に分かれた曲の構成と、各部分の基本的パターンを考える。パターンでたいせつなのは、使うピッチを制限することだ。たくさんの音を使ったり、うごきまわるパターンを即興で演奏するためには、伝統的な訓練か、人工的なスタイルや複雑な規則が必要になる。特殊な能力を持つ演奏者の名人芸は、結局聞き手を疎外するにいたる。さて、それらのメモを持って、キーボードの前に座り、箏とフルートに近い音色を選んで、即興的に演奏し、コンピュータに記録し、楽譜を書かせる。これが各部分の実例となる。それをカセットに録音する。ただし、実例は楽譜を見ながら参考カセットを聴いたり、練習するためで、演奏家がパターンの特徴をつかんだら、それに基づいて演奏するために、演奏用の設計図を別に作る。これもコンピュータの楽譜プログラムによって書く。これで作曲は全部終わった。◇結果―こうして作曲、演奏、即興は苦痛の環のなかに収斂していく。ただし、違いはどこまでも残る。作曲は繰り返しに耐える手順を作り、即興は二度と繰り返されない。演奏は技術であり記憶であるが、即興は発見であり逸脱である。どれが欠けても創造のよろこびはうしなわれる。楽譜と音響はコンピュータの介在によって距離を縮めつつある。ここでも音にならない何かと紙に書けない何かの違いはいつまでも残らなければならないだろう。「「馬の頭は永遠に向かった」作曲ノート」『カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』みすず書房、2011年 p.117-119
  52. ^ 初演は1989年(平成元年)2月23日、国立劇場小劇場。瑟沢井一恵。三宅榛名が七絃琴のために書いた「神絃曲」と同時演奏できるように作曲。高橋悠治『現代の日本音楽4 高橋悠治 残絲に惑い……』春秋社、2000年 p.2、「初演記録」高橋悠治『現代の日本音楽4 高橋悠治 残絲に惑い……』春秋社、2000年 p.(3)
  53. ^ 数住岸子(ヴァイオリン)と吉原すみれ(打楽器)のための作曲。2人が初演。ブレヒトの最後の詩による着想。「私のいないあとのツグミの歌をもことごとくよろこぶことが」(長谷川四郎訳)という詩行から録音したツグミの歌を2オクターブ下げて採譜することを思いついた。またイザイの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第5番『暁』が引用されている。この曲にはヴァイオリン、マリンバ、スティールドラムの3つの版があり、ソロでもデュオ、トリオでも演奏ができる。高橋悠治『高橋悠治リアルタイム8 別れのために』フォンテック、1999年 ライナーノーツ所収、高橋悠治『高橋悠治リアルタイム4 糸の歯車』フォンテック、1992年 ライナーノーツ所収
  54. ^ ゲーテ晩年の短詩の朗読につづくオルガン曲。古代ギリシャのオルフェウス教の教義に基づき、詩の起源を語る。ダイモーン(守護霊)、偶然、エロス、宿命、希望の5章。小糸恵の委嘱によりルツェルンの光のフェスティバルで初演。高橋悠治「プログラム・ノート」『高橋悠治の肖像』エイベックス、2010年 ライナーノーツ所収
  55. ^ 初演は1994年(平成6年)7月8日、国立劇場小劇場。七絃楽器高田和子。「初演記録」高橋悠治『現代の日本音楽4 高橋悠治 残絲に惑い……』春秋社、2000年 p.(3)
  56. ^ 同年村井祐児の委嘱により作曲され、村井により初演される。ガンダルヴァは漢字で乾闥婆。中央アジアの旅芸人で、幻術によって空中楼閣を見せるもの。または帝釈天(インドラ)に仕える天の楽師。香りを食べて生きる。ガンダルヴァ城は蜃気楼を言う。香港城市当代舞踏團「EINSTEIN FANTASY」のための音楽のなかの一旋律の変形。元の旋律を構成する各音は、クラリネットの運指の上で近い音、あるいは5度か4度関係にある音へ置き換えられ、それぞれに修飾される。演奏者は、各音について5通りの変化形のなかからその度に選択することが出来る。高橋悠治による言葉『クラリネッテイッシモⅠ~青の音 村井祐児』キングレコード、1995年 ライナーノーツ所収
  57. ^ 今井信子と御喜美江のための作曲。法句経の一節を引用する。岩波文庫『法句経』荻原雲来訳、1935年 p.31 阿羅漢の部:91 「彼らは精勤し、熟慮して住宅を喜ばず、鵝の小池を棄つるが如く、彼等はあらゆる住處を棄つ。」『Into the Depth of Time』Grammofon AB BIS、1998年 ライナーノーツ所収
  58. ^ 和音を打ち鳴らしたあと手をはずませてピッチをゆらすように指示される。箏曲からとられた二句にもとづく旋律と、からみあう対旋律も音符化されているが、「これはサンプルにすぎない」と但し書きがある。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.79。なお、作曲者自身による演奏録音がカセットテープ作品、渋谷慶一郎、高橋悠治『酔鍵糸竹』Morphe、1995年に収められている。
  59. ^ クレーメル吉野のデュオ・リサイタルのために書かれた作品。箜篌はかつて中央アジアや東アジアで奏されていた23弦の楽器だが、日本にも伝えられ、正倉院に保存されていた。該当デュオは、国立劇場が復元した箜篌を用いた。吉野が特殊な調律による音階をしずかに繰り返し、クレーメルはマンデリシュタームの詩の朗読をまじえながら、二胡の響きにも似たスライディング・トーンによる音型を、かなり自由に弾いていく。柿沼敏江「ギドン・クレーメル&吉野直子デュオ」『Insomnia(眠れない夜)』タワーレコード、2016年 ライナーノーツ所収
  60. ^ ギドン・クレーメルのためにマンデリシュタームの詩を選んだのは1987年だった。いまはヴァイオリンと箜篌のための版となる。箜篌は紀元前25世紀のメソポタミアからユーラシア大陸にひろがった古代のリラやハープ属のうち、中央アジアや東アジアで使われた23弦の楽器をさすが、ここで演奏されるのは、正倉院の楽器を国立劇場が復元した楽器。調律は5度を2等分した中3度や、4度を2等分したプラス2度、それらから派生する中2度による。これらの音程は現在もペルシャ音楽で使われている。この音楽は、演奏者たちが作曲された断片を学習し、そして忘れていくプロセス自体以外のものではない。高橋悠治『Insomnia(眠れない夜)』フィリップス、1996年 ライナーノーツ所収
  61. ^ 星火は火花あるいは流星のこと。韓国南全羅道民謡フンタリョンによる。鈴木理恵子により初演。高橋悠治「プログラム・ノート」『高橋悠治の肖像』エイベックス、2010年 ライナーノーツ所収
  62. ^ 深夜放送終了前に読まれた石垣りんの詩による。高田和子の三絃弾き歌いのために書いた最後の作品。高橋悠治「プログラム・ノート」『高橋悠治の肖像』エイベックス、2010年 ライナーノーツ所収
  63. ^ ほぼ1世紀前に書かれたマーラーの歌曲集『子供の不思議な角笛』から、飢えた子ども・政治犯・死んだ少年兵といった、今でも変わらない問題をうたう『浮き世のくらし』を中心に『歩哨の夜の歌』『始原の光』『塔のなかの囚人の歌』『美しいラッパの響くところ』『起床ラッパ』などのメロディーを織り合わせた作品。2006年10月栃尾克樹リサイタルで委嘱初演。高橋悠治「曲目について」『影の庭●栃尾克樹(バリトン・サクソフォン)&高橋悠治(ピアノ)』マイスター・ミュージック、2007年 ライナーノーツ所収
  64. ^ イギリス在住の尺八奏者キク・デイの委嘱により作曲。日本初演は志村禅保による2009年7月、水戸芸術館。タイトルは、そこにいないひとの姿を思い浮かべること、その年7月に亡くなった三絃奏者高田和子の追悼でもある。地無し尺八の音色のための長句と短句の交代する10段。楽譜は、流派によってちがう伝統譜ではなく、指の指定には五線譜を使い、音の運びは曲線と奏法名で補っている。約10分間を10段として、1段は約40秒の長句と20秒の短句に分かれる。音の高さや音程、拍や数えられるリズムではなく、指使いと指位置の連続変化、息の強さと吹きこむ角度の変化を指定する楽譜で、演奏者により、楽器により、聞こえる音はちがってくるだろう。音ではなく、指を記しているので、休止符はない。息は音になって顕れるときも、微かになり隠れているときも、停まることなく続いていく。尺八の古典本曲は、楽器と演奏者が対話する音楽だったと思う。息を楽器に通せば、返ってくる音が、次の間と音色(ねいろ)を微妙に変え、同じ小徑を歩いても、季節や天候や光が、毎回ちがう風景を見せる。高橋悠治「プログラム・ノート」『高橋悠治の肖像』エイベックス、2010年 ライナーノーツ所収、高橋悠治『浜松市楽器博物館 地無し尺八の可能性』コジマ録音、2012年 ライナーノーツ所収
  65. ^ 柿本人麻呂の挽歌とその反歌(万葉集二巻194と195)による断片集。靡き交わす藻のようにいっしょに寝ていた恋人はいまはなく、葬列が野に消えてゆく。「トぶとりノ あすかノかはノ かみつせに オふるたまもは しもつせに ながれふらばふ たまもなす かヨりかくヨり なびかひし つまノみコトノ たたなづく にきはだすらを つるぎたち みにソへねねば ぬばたまノ よドコもあるらむ ソコゆゑに なぐさめかねて ケだしくも あふやとオモひて たまだれノ をちのオホのノ あさつゆに たまもはひづち ゆふぎりに コロモはぬれて くさまくら たびねかもする あはぬきみゆゑ      しきたへノ そでかへしきみ たまだれノ をちのすぎゆく またもあはメやも」(カタカナは古代母音乙類をあらわす)。高橋悠治「プログラム・ノート」『高橋悠治の肖像』エイベックス、2010年 ライナーノーツ所収
  66. ^ 空撓は「ひたすら目をふさぎ吟じ返すに、ふと其姿の浮かびたる無心所着の体」(各務支考『俳諧古今抄』)。無関係に見えるイメージを使って流れを転換する連句の技法。高橋悠治「ユチの花 マリアのバラの園 新しい音楽 未知の響きへ」『ことばのない詩集●高橋悠治 ピアノ』マイスター・ミュージック、2019年 ライナーノーツ所収
  67. ^ 古今和歌集を散らし書きにした平安時代の「寸松庵色紙」の三枚による 続け書き(連綿)をことばの切れ目とはちがう分けたり改行している 墨の濃く太い線は長い音 細い線は早い音の動きでなぞる 曲線は音程の揺れ 音の始まりは 前の響きを拾い 終わりは音程を外す その線を両手のちがう音域に移し それにあしらいまつわる別な線 最後の部分には雄鹿の求愛の声の採譜を添える ルイ・クープランの頃の「崩したスタイル」で単音を際立たせる 高橋悠治「プログラム解説」『めぐる季節と散らし書き 子どもの音楽』マイスター・ミュージック、2017年 ライナーノーツ所収
  68. ^ タイトルは伊藤比呂美の詩集『河原荒草』にあるブラジル原産の植物。「かどのある四角形の茎、鋸歯のある葉の対、花の穂から五角形の花、4つに分かれた白い粒のある実」の部分写真から音のイメージを作った。高橋悠治「プログラム解説」『余韻と手移り』マイスター・ミュージック、2018年 ライナーノーツ所収
  69. ^ 室内楽・独奏曲の項:「毛沢東 詞三首」(ピアノ)を参照のこと。歌曲に基づいてピアノ曲ができている。
  70. ^ 岡真史の詩に基づく。12歳9ケ月で自死した少年の作った詩の中の13作を用いた。「少年は朝鮮人の父と日本人の母をもち、日本人として育てられた。小学校六年生から中学一年生で死ぬまで、かれは日記のように詩を書きつづけた。それらの詩は、自分が何者かを問い、自覚にいたる過程をしめす。自覚と生きる希望が、現実への絶望を深めながらつくられた。より深い絶望をもやして、より大きな希望の炎がある。「ぼくだけは/ぜったいにしなない/なぜならば/ぼくは/じ ぶ ん じ し ん だ か ら」と書きのこして、かれは死んだ。「また/土のそこから/じかんの/ながれにそって/ぼくを/よぶこえがする」。その声をきく少年は、自分のよって立つべき大地を知っている。しかし、かれはそこで「ぼくは/うちゅう人だ」としか表現できなかった。のこされた少年の詩集は、日本に住む朝鮮民族の子によびかける、自覚と希望の道を。また「ちっこい家」や「ゴットン・ゴロン」のえがく労働者の生活への共感をみよう。朝鮮民族の自立と日本の労働者の階級感情の目覚めの上に、この国の再生への希望もかかっている。その希望の実現の日まで、おたがいにまなびあい、ともにたたかおう。そのとき音楽は共感の輪を表現し、解放をよびかける。この歌曲集は、日本の南の島々の子どもの歌、朝鮮音楽のリズム型(チャンダン)、朝鮮民族のメロディーにもとづいてつくられた。(中略)このように民衆の音楽をとりいれるのは、個人主義的表現をさけ、民衆の間でみがきあげられた表現を新しい目的にしたがって再生するためだ。」高橋悠治「これらのうたについてのメモ」『高橋悠治ソングブック ぼくは12歳』デンオン、1976年 ライナーノーツ所収
  71. ^ 水牛楽団のレパートリー。中屋幸吉の遺著『名前よ立って歩け』より自殺前の詩から「名前よ立って歩け」を選び、笛と三線をあわせた。高橋悠治「プログラム・ノート」『高橋悠治の肖像』エイベックス、2010年 ライナーノーツ所収、高橋悠治「ソルシコス的夜」『ソルシコス的夜 肥後幹子+高橋悠治』フォンテック、2011年 ライナーノーツ所収
  72. ^ 消滅に関わる曲。水牛楽団で初演。同楽団のレパートリー。1966年に自殺した沖縄の学生活動家中屋幸吉の遺著『名前よ立って歩け』より自殺前の詩から「最後のノート」を選び、インドネシアのガムラン・ドゥグンのスタイルの変形をあわせた。歌は、2つの琉球(あるいはスンダ)旋法を組合せ、東南アジアの合奏音楽の技法を用いる。「……石はぬれている。もう悲しくもない。ただエジプトの墓のようなさびしさ。……。今日見た映画では、殺される人たちはたのしそうに死んでいった。現実には、殺すのにも死ぬのにも、苛酷な意志がいる。高橋悠治『高橋悠治リアルタイム8 別れのために』フォンテック、1999年 ライナーノーツ所収、高橋悠治「プログラム・ノート」『高橋悠治の肖像』エイベックス、2010年 ライナーノーツ所収、
  73. ^ 矢川澄子の詩。童唄のパロディーで、序詩、うさぎうさぎ、かえろかえろ、ありがたいなら、ひらいたひらいた、とつづく矢川の孤独な「妹」の夢。トイピアノと歌手がもつタイのチンチャープ(小シンバル)の伴奏。三宅榛名のために作曲。高橋悠治「ソルシコス的夜」『ソルシコス的夜 肥後幹子+高橋悠治』フォンテック、2011年 ライナーノーツ所収
  74. ^ 矢川澄子の詩。「だるまさんがころんだ」からはじまる10文字10行10連のひらがな千文字で、だるまさんの一生をえがく矢川の戯れ歌。竹前文美子とこどもたちのコンサートのために作曲。高橋悠治「ソルシコス的夜」『ソルシコス的夜 肥後幹子+高橋悠治』フォンテック、2011年 ライナーノーツ所収
  75. ^ 高橋悠治のピアノ、矢野顕子の歌唱によるアルバム『BROOCH』に、「ぼくは12歳」からの2曲と共に収録。
  76. ^ 如月小春の詩とシンセサイザー。『如月小春 都会の生活』キングレコード、1986年 ライナーノーツ所収
  77. ^ 長谷川四郎の物語『アラフラの女王』による柳生弦一郎と共作の絵本『ハハハのがくたい』(1985)の裏表紙にのせたメロディーに後で楽器をつけたもの。高橋悠治「ソルシコス的夜」『ソルシコス的夜 肥後幹子+高橋悠治』フォンテック、2011年 ライナーノーツ所収
  78. ^ 長谷川四郎の詩集『原住民の歌』のむすびの歌。高橋悠治「ソルシコス的夜」『ソルシコス的夜 肥後幹子+高橋悠治』フォンテック、2011年 ライナーノーツ所収
  79. ^ ホロコースト前後のユダヤ主義にかかわっている。カフカのよるべない世界。だが、ことばは明るく澄んでいる。毎日、てがみを書き、日記を書き、ノートを書く。『城』のような長編も、ノートの集積であり、それを日々書きつづけるペンのうごきがすべてなのだ。「音に向かって」『カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』みすず書房、2011年 p.128-129
  80. ^ ホロコースト前後のユダヤ主義にかかわっている。ツェランの詩は「ひとり、途の上にある」。つかいふるされたはずのことばも洗われて、はじめてこの世界に現れたかのように、かがやこうとする。ここにリズムが生まれる。反復からのがれる精神の運動としてのリズムが。「音に向かって」『カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』みすず書房、2011年 p.128-129
  81. ^ 変革期の仏教にかかわっている。13世紀の人、明恵は夢の記録をのこし、それを解釈し、人にも語りきかせた。夢は日々の作務と禅定の生活のなかの特別な時間であって、かれはそこに自分の生きる意味を見ていた。多くの新宗派が起こった鎌倉時代初期にあって、明恵は教義を別に立てず、教えとの内面的対話により、「あるべきようは」という問いかけをたえずくりかえすことになった。夢もその問いにたいして示された風景の一部をなす。夢のなかには、天上世界や菩薩たちとならんで、多くの女たちが、また犬や馬や虫たちがしたしく明恵に語りかけてきた。そのいくつかを選び、現代語訳によるテキストをつくったのがこの「夢記切」、切は断片を意味する。これはともに唱え、きくものとして考えられた。だが、それは基本的に各自の声により、集団のリズムとして、その場に出現しなければならないもの。したがって、音程を指示する五音博士の伝統的記譜法にもとづくものの、音の高さは各自ちがい、リズムの指定はさけた。明恵の修行が仏前での一対一のものであるように、テキストを通じて発声するのは一人ひとりの自発性により、外から統制されるべきものではない。五音博士はまさにそのような自発性をうながす方法であり、一定の内容を伝える記号とは考えにくい。ただし、伝統のなかで、たくさんの慣習がそこにからまっている。それらを忘れて、自分の声でひたすら描かれた線をたどる作業がもとめられる。不必要に新しい記号をもちこむことをさけ、伝統とは距離をとってたよらず、といってその破壊・解体・現代化でもない。音楽は完結した作品もなく、解釈でもないが、即興だけのものではない。作曲は音響空間の設計図を書くことよりは、行事の式次第案の提出に似ている。楽譜に書かれていない部分があり、口伝とは秘密のためではなく、その場での話し合いを意味して、楽譜とひとしく重要な役割をになう。楽譜は解読すべき記号のシステムというよりは、各自の作業のための手がかりにすぎない。◇プログラム・ノート「明恵上人 夢記切」(声明のために)『カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』みすず書房、2011年 pp.97-98、「音に向かって」『カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』みすず書房、2011年 p.128
  82. ^ 同年に弥生時代のコトが復元された機会に、それと縄文時代の石笛・土笛、歌、フィリピンのバリンビン(竹音叉)と水牛の首に付ける木鈴、舞を加えた。高橋悠治『現代の日本音楽4 高橋悠治 残絲に惑い……』春秋社、2000年 p.2
  83. ^ 高田和子との共同制作。全体は5章にわかれ、第2章はサンプリングによる三絃に取り囲まれた三絃ソロ、第3章には詩人朝吹亮二の「水……」をテクストにした三絃の弾き語りで、コンピュータは4種のノイズをあしらう。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.180
  84. ^ 同年に国立劇場により復元された前5世紀の中国の曾侯乙墓出土の五絃琴と声のための曲。委嘱された作品。初演は1993年(平成5年)1月14日、国立劇場小劇場。五絃琴高田和子。音量がきわめて小さく、夜の静寂の中で巫がトランス状態にはいるための楽器。「初演記録」高橋悠治『現代の日本音楽4 高橋悠治 残絲に惑い……』春秋社、2000年 p.(3)、青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 pp.181-182
  85. ^ 弥生のコトと箜篌を含む合奏とコンピュータのための曲。高橋悠治『現代の日本音楽4 高橋悠治 残絲に惑い……』春秋社、2000年 p.2
  86. ^ 1995年、サントリー大ホールの「作曲家の個展」で初演。中央・東・東南アジアには古代からさまざまの楽器の自律的集合体としてのオーケストラが存在した。多くは左右に分かれた楽器群に唄と舞をともなう形式で、宮廷や寺院で儀式や祭礼、宴などの場でおこなわれた。雅楽や邦楽の伝統楽器と西洋楽器の合奏と声明や唄、さらに一部で舞をともなうコンサートを考えてみる。語られ、となえられ、唄われることばは、音と音楽についての仏教の教説。テラヴァーダ仏教や大乗仏教の経典からの引用、空海の言語論やサキャ・パンディタの顕教の音楽論、ツォンカパによる密教のなかでの音楽の女神の観想など。音楽は人のたくみな技と楽器を構成する部分のかかわりから生じる。飛ぶ鳥の跡のようにとどめようのない音の空性は、華厳経にあるインドラ神の宝石の網のたとえのように、一音がすべての音を映し、すべての音が一音を映す相互依存による生起を意味する。流動する心身運動の連続が、音とともに時空間をつくりだす。だが、音は運動の残像、動きが停止すれば跡形もない幻、夢、陽炎のようなものにすぎない。微かでかぎりなく遠く、この瞬間だけでふたたび逢うこともできないゆえに、うつくしい。演奏家は楽器とともに、それぞれの音の輪をもっている。それは、実体のない音の顕われの、固定することのできない一つの形にすぎない。演奏法は次のように指示されている。「音の現われる前、音の消えた後を聴く。二つの音の間を感じる。聞こえるように入り、それから音の微細な身体を意識する。音の輪は、回りながらピッチ、装飾、リズム、テンポ、音数、音色、手法が自然にゆらめき、浮動する。漂う音の形を繋ぎあわせる。」音楽家がはじまりのない時からいつもおこなってきたことでもあり、同時にいまだ意識されたことのなかった技法でもある。音楽をつくりあげるというよりは、まだ存在していなかった身体をつくりあげるためのものだ。高橋悠治「音楽のおしえについて」『高橋悠治リアルタイム7 音楽のおしえ』フォンテック、1996年 ライナーノーツ所収、青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.181
  87. ^ 初演は1996年(平成8年)7月5日、国立劇場小劇場。新羅琴・唄米川裕枝、瑟・唄小宮端代、箜篌海老原華名江、竿宮田まゆみ、石川高、排簫笹本武志、平井裕子、編鐘高橋、声・所作巻上公一。音量がきわめて小さく、夜の静寂の中で巫がトランス状態にはいるための楽器。「初演記録」高橋悠治『現代の日本音楽4 高橋悠治 残絲に惑い……』春秋社、2000年 p.(3)、青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 pp.181-182
  88. ^ 消滅に関わる曲。夕顔は源氏の愛した少女。逢い引きのあと、生き霊に殺させる。この曲は、菊岡検校の筝曲からとった3つのフレーズに基づく即興。高橋悠治『高橋悠治リアルタイム8 別れのために』フォンテック、1999年 ライナーノーツ所収
  89. ^ 消滅に関わる曲。山田検校の筝曲の唄と三絃パートをそのままに、他の楽器を重ね、いくつかの部分で縁取ったもの。女の姿でインド、中国、日本三国の后になった狐の物語。その亡霊がかつての栄光と愛の日々をふりかえる。高橋悠治『高橋悠治リアルタイム8 別れのために』フォンテック、1999年 ライナーノーツ所収
  90. ^ 藤井貞和の詩に基づく。床に仰向けになった歌手と箏奏者のための曲。歌手は、登場人物に結び付いたメロディーの変化以外は、ほとんど1音上で語る。箏はいくつかの型に基づいて自由に演奏する。照明は床に置かれたランプだけ。フィリピンのパラワン島の叙事詩や、日本古代のコトによる託宣にヒントを得た。高橋悠治『高橋悠治リアルタイム10 泥の海』フォンテック、2001年 ライナーノーツ所収
  91. ^ 詩集『供花』思潮社、1997年 による。各楽器は異なる調子に調弦され、統一する拍子も音律もなく、全体はみはからいによって進行する。そろうことなく折り重なる楽器の音色と声の出会いが一つの場をつくり、また崩れ去る。一絃琴も加わって、全員が楽器を演奏しながら、町田康の8編の詩をうたい、となえる。高橋悠治「作品について」『糸』フォンテック、1999年 ライナーノーツ所収
  92. ^ 藤井貞和の詩に基づく。合唱のための舞台作品であり、日本の神楽をモデルとしている。男女のソロ歌手は、2人のプロンプターに操られる人形としてあつかわれる。男女に分かれた合唱は床に座って竹筒を打ち、吹き鳴らし、時に中央の演技空間に進み出る。2人の打楽器奏者が、当り鉦、榊の枝、桶、梓弓、すりざさら、神楽鈴を打つ。詩人自身は司祭役として、神事の開始と終了の祝詞をよむ。高橋悠治『高橋悠治リアルタイム10 泥の海』フォンテック、2001年 ライナーノーツ所収
  93. ^ 小熊秀雄『或る夫婦牛の話』原作。1927年3月に雑誌『愛国夫人』に掲載された。殺され皮を剥がれ太鼓になって棒で打たれても、陽気に歌う牛たち。ソプラノとピアノのためのモノオペラ。高橋による台本・作曲。高橋悠治「『ひとりっ切り』の声」『竹田恵子オペラひとりっ切り 高橋悠治作品集』ALM Records、2019年 ライナーノーツ所収
  94. ^ 1824年シューベルトが友人ショーバーに送った書簡に書き入れた詩を、アフロ・アメリカ的リズムにのせてうたう歌曲。詩は、当時のオーストリア社会の閉塞感を嘆き、運命に妥協せず、民衆の力と行為を伝えるのは芸術だけだとする。斉藤晴彦の『日本語でうたう冬の旅』コンサートのアンコール用に作られた。高橋悠治「曲目について」『影の庭●栃尾克樹(バリトン・サクソフォン)&高橋悠治(ピアノ)』マイスター・ミュージック、2007年 ライナーノーツ所収
  95. ^ 『鉛筆の生命』(1941)、『送行』(1942)、『ソルシコス的夜』(1954)、『消えていくpoésie』(1956)、『冬』(1959)、『BLUE』(出版年1979)と年代順に北園の詩の実験の跡をたどる。高橋悠治「ソルシコス的夜」『ソルシコス的夜 肥後幹子+高橋悠治』フォンテック、2011年 ライナーノーツ所収
  96. ^ 宮澤賢治原作。執筆推定1922年。カリメラの夢を見ながら雪嵐に埋もれる子ども。高橋による台本・作曲。音楽は、作品ごとに、場面によってスタイルを変え、中断と転換で、劇的効果や叙情を避ける。音程は感触と色彩、リズムは対象からの距離と「間」。声は書かれた音程の抑揚を歌っても語ってもよい。楽器のパートも、演奏家がその場で強弱や速度を決められる余地を残した。下手側のピアノに対してヴァイオリンとチェロがステージ上手にいる。同じ編成のショスタコーヴィチ『アレクサンドル・ブロークの詩による組曲』作品127(1967)を参照した。高橋悠治「『ひとりっ切り』の声」『竹田恵子オペラひとりっ切り 高橋悠治作品集』ALM Records、2019年 ライナーノーツ所収
  97. ^ 古典落語の「よっぱらい、夜明けの浜、革財布」の三題噺による、人情噺や更生美談を装うおどけ語り。高橋による台本・作曲。音楽は、作品ごとに、場面によってスタイルを変え、中断と転換で、劇的効果や叙情を避ける。音程は感触と色彩、リズムは対象からの距離と「間」。声は書かれた音程の抑揚を歌っても語ってもよい。楽器のパートも、演奏家がその場で強弱や速度を決められる余地を残した。下手側のピアノに対してヴァイオリンとチェロがステージ上手にいる。高橋悠治「『ひとりっ切り』の声」『竹田恵子オペラひとりっ切り 高橋悠治作品集』ALM Records、2019年 ライナーノーツ所収
  98. ^ 2013年に声楽に対するピアノ・パートのために新たに作られた3つの曲に、1979年にヴァイオリン曲に転用した「七つのバラがやぶにさく」を合わせて『四つの愛の歌』とした。高橋悠治「詩人ブレヒトと作曲家たち」『ブレヒト・ソングス 肥後幹子+高橋悠治』フォンテック、2013年 ライナーノーツ所収
  99. ^ 戦争で二人の息子を國に取られ、ひとり蚕部屋で口ずさんでいた祖母のことば。ソプラノとピアノのためのモノオペラ。高橋による作曲。高橋悠治「『ひとりっ切り』の声」『竹田恵子オペラひとりっ切り 高橋悠治作品集』ALM Records、2019年 ライナーノーツ所収
  100. ^ 消滅に関わる曲。3つのパーリ語経典とその日本語訳の組み合わせをとなえ、あるいはうたう。第1のテクストでは、ブッダの死が近いことを知って泣いているアーナンダにブッダが思い出させること。生まれ、生きるものは、死ななければならない。第2は、毎日思い出すようにとブッダが勧める5つのこと。だれも老・病・死を超えることはできず、したしいものからも離れていかなければならない。自分のしたこと(カルマ)からは逃れられない。第3はブッダの死の際にとなえられた詩。つくられたものはすぎさるもの。そのやすらいこそ、真のしあわせ。高橋悠治『高橋悠治リアルタイム8 別れのために』フォンテック、1999年 ライナーノーツ所収
  101. ^ 消滅に関わる曲。1989 慈善病院の白い病室で私が、の2つの部分をつくりかえたもの。その曲の録音は、数住の告別式のときに流されていた。原曲はベルトルト・ブレヒトの最後の詩によるもので、その訳文は今回の演奏とともに朗読された。音楽の方は、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番『暁』と、つぐみの歌の採譜に基づく。高橋悠治『高橋悠治リアルタイム8 別れのために』フォンテック、1999年 ライナーノーツ所収
  102. ^ エゲン(慧眼)は、仏の慈悲のまなざしを意味する慧眼に対応して、人間の側からの真理への道をあらわす。バッシェの音響彫刻と木管楽器の音を素材とする4つの3元ステレオ録音がかさねあわされている。細部の構成は作曲プログラムにしたがってIBM360によって実現された。高橋悠治『スペース・シアター/EXPO'70鉄鋼館の記録』ビクター音楽産業、1970年 ライナーノーツ所収
  103. ^ 音による結界を意図。空間内部で起こることとは直接のかかわりをもたないが、偶然のように発生する音が、時間や空間に影を落す。それが「翳り」であり、音のつくりだす陽炎でもある。高橋悠治『高橋悠治リアルタイム5 翳り』フォンテック、1994年 ライナーノーツ所収
  104. ^ 北園の各期の代表的実験詩4つの詩(単語の絵「記号説(抄)」(1929)、迷走する都市「熱いモノクル(抄)」(1939)、郷土の俊寛「送行」(1942)、痕跡のミニマリズム「消えていくpoésie」(1953)。最初の2つの(抄)とは、作者自身が詩論中に引用した部分すべて、の意。)の朗読と変形された単語の響き、それに北園が好んでいたと思われるサティのピアノ曲「ジムノペディ」3曲と「グノシェンヌ」2、3、5番の録音(演奏:高橋)をミックスしたもの。朗読は、詩のリズムに基づく。サティの曲と詩は並行する異なる時間。高橋16歳のとき、セリエル技法の習作に「記号説」をテクストとして師であった柴田南雄に見せると、柴田はソプラノとオーケストラのための『白いアルバムより,記号説』を作曲した。なお、北園、杉浦康平松岡正剛の鼎談(『北園克衛とVOU』(1988))において、北園は詩のリズムを無視しないこと、朗読は、無表情につぶやけばいいこと、を求めていた。高橋悠治『記号説/う・む』ナヤ・コレクティブ、2006年 ライナーノーツ所収

出典

  1. ^ a b 高橋アキほか31名共著『脳科学と芸術』工作舎、2008年 p.314
  2. ^ 『ぼくのしょうらいのゆめ』文春文庫、2009年 p.100
  3. ^ a b c d e 『標準 音楽辞典 補遺』音楽之友社、1973年 p.220
  4. ^ a b c d e f g h i 高橋悠治 - 『デジタル版日本人名大辞典Plus』講談社コトバンク
  5. ^ 青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.129
  6. ^ 青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.23
  7. ^ 高橋アキほか31名共著『脳科学と芸術』工作舎、2008年 p.315
  8. ^ 青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 pp.130-131
  9. ^ 青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.132
  10. ^ 青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 pp.146-147
  11. ^ 中島健蔵『証言・現代音楽の歩み』講談社、1978年 p.250
  12. ^ 青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.139
  13. ^ 青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 pp.153-160
  14. ^ 解説文『風がおもてで呼んでいる◉沢井一恵プレイズ高橋悠治』ALM RECORDS、1990年 ライナーノーツ所収
  15. ^ 青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 pp.192-195
  16. ^ 『高橋悠治―J.S.バッハ フーガの技法』フォンテック、1995年 ライナーノーツ所収
  17. ^ 青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 pp.195-199
  18. ^ 青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.180
  19. ^ 『ぼくのしょうらいのゆめ』文春文庫、2009年 p.101
  20. ^ 高橋悠治略歴『ドビュッシー 映像・第1集 映像・第2集 版画 喜びの島』デンオン、2006年 ライナーノーツ所収
  21. ^ 青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.203
  22. ^ 「アーティスト・プロフィール」『ワルツ形式によるカプリス〇栃尾克樹バリトン・サクソフォン 高橋悠治ピアノ』マイスター・ミュージック、2009年 ライナーノーツ所収
  23. ^ 「プロフィール 高橋悠治」『高橋悠治の肖像』エイベックス、2010年 ライナーノーツ所収
  24. ^ [1]-『アーティストのご紹介 高橋悠治』
  25. ^ YUJI TAKAHASHI -『Bach Cantatas Website』
  26. ^ Yuji Takahashi略歴『Into the Depth of Time』Grammofon AB BIS、1998年 ライナーノーツ所収
  27. ^ 『たたかう音楽』晶文社、1978年 p.13
  28. ^ 高橋悠治『カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』みすず書房、2011年 p.134
  29. ^ 高橋悠治『音楽のおしえ』晶文社、1978年に附せられたデジタルブックレット
  30. ^ 伊藤睦 編『三里塚燃ゆ―北総台地の農民魂』平原社、2017年 p.132

外部リンク