小倉朗
小倉 朗 | |
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生誕 | 1916年1月19日 |
出身地 |
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死没 | 1990年8月26日(74歳没) |
ジャンル | 音楽 |
職業 | 作曲家 |
小倉 朗(おぐら ろう、1916年1月19日 - 1990年8月26日)は、日本の作曲家。
人物・来歴[編集]
鉄道技師の五男として福岡県門司市(現北九州市門司区)の鉄道官舎に生まれ、生後3ヶ月から東京市京橋区木挽町(現東京都中央区)の銅鉄商小倉家の養子として東京に育つ。1933年、早稲田第一高等学院中退。1934年、東洋音楽学校中退。1936年、明治大学文芸科中退。同年服部正が創設したコンセール・ポピュレール(後の青年日本交響楽団)に、打楽器奏者として参加している[1]。
深井史郎や池内友次郎からフランス近代音楽を学んだが、ヨーゼフ・ローゼンシュトックにベートーヴェンの交響曲の指揮法を学ぶうちに次第にドイツ古典音楽に傾倒した。交響曲などを書くが、その内容があまりにドイツ古典主義的だったため、“オグラームス”と綽名されたほどであった。しかしその後、西欧の古典一辺倒に行き詰まりを感じ、それまでのほとんどの作品を破棄した。
その後はバルトークに傾倒し、日本民謡やわらべうたを題材にした作品を手掛けて新境地を開く。
1978年4月、芥川也寸志と新交響楽団による「日本の交響作品展2 小倉朗」が2夜にわたって開催される[2]。
座光寺公明(1958年 - 1987年)の師。
主要作品[編集]
破棄されたもの、所在不明の作品は、原則除く。
校歌[編集]
オペラ[編集]
- 寝太
管弦楽[編集]
- 交響曲ヘ長調(破棄)
- 交響組曲イ短調(1941年)
- 管弦楽のための「舞踏組曲」(1953年)
- 日本民謡による5楽章(1957年)
- 管弦楽のためのブルレスク(1959年)- 兼田敏による吹奏楽編曲譜がある
- 交響曲ト調(1968年)
- ヴァイオリン協奏曲(1971年)
- 弦楽合奏のためのコンポジション(1972年)
- オーケストラのためのコンポジション嬰ヘ調(1975年)
- チェロ協奏曲(1980年)
吹奏楽[編集]
- 行進曲(1942年、日本海軍に献納)
室内楽・独奏曲[編集]
- ピアノ・ソナチネ(1937年)
- 2台のピアノのための「舞踊組曲」(1953年)
- 弦楽四重奏曲 ロ調(1954年)
- 2提のヴァイオリンのためのソナタ(1955年)
- ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ(1960年)
- ピアノのためのコンポジション I (1966年)、 II(1968年)
- 8つの管楽器のためのディヴェルティメント(1972年)
- フルート、ヴァイオリン、ピアノのためのコンポジション(1977年)
独唱・重唱曲[編集]
- 遠き笛の抒情(1937年)
- クラリネット・ホルン・ファゴットの伴奏による二重唱「蛙・秋の夜の話」(1938年)
- 三好達治の詩による三つの歌(1946年)
- 室生犀星、萩原朔太郎の詩による三つの歌(1947年)
- 木下夕爾の詩による八つの歌(1956年)
合唱曲[編集]
- 東北地方のわらべうたによる九つの無伴奏女声合唱曲(1958年)
- 日向地方の民謡による三つの無伴奏混声合唱曲(1960年)
- 三つの音頭による 無伴奏混声合唱曲
- 南日本のわらべうたによる 三つの無伴奏混声合唱曲
- 東北地方の民謡による七つの無伴奏男声合唱曲(1964年)
- 佐賀のわらべうたによる七つの無伴奏女声合唱曲(1967年)
- 混声合唱と打楽器のための組曲「イソップ物語」(1967年)
- 山中節(1967年)
放送音楽[編集]
- NHKテレビ「事件記者」のテーマ(1958年)
- NHK総合・放送開始テーマ音楽
著書[編集]
テープ[編集]
- 座光寺公明 / 対談 『小倉朗に聞く』(1983年11月6日) 日本近代音楽館蔵
脚注[編集]
注釈・出典[編集]
外部リンク[編集]
- Japan Composer's Association, or JACOMPA, 日本作曲家協会
- 対談 『小倉朗に聞く』 ( Hiroaki Zakoji / Interview with Roh Ogura ) Download