曾侯乙墓

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曾侯乙墓(そうこういつぼ)あるいは擂鼓墩1号墓(らいことんいちごうぼ)は、中国の湖北省随県で発見された戦国時代初期の墓。「卜」字形の竪穴墓で、南北16.5メートル、東西21メートル。

発見の経緯[編集]

1977年9月、随県の東団破で中国人民解放軍空軍の営舎の拡張のために山腹に発破をかけていたところ、地下の褐色の泥土の中から墓の一部が発見された。施工者の王家貴と鄭国賢が県の文化部門に通報したが、当初は重視されなかった。このとき墓の車馬坑からは青銅製の文物が出土していたが、現場の工事担当者によって廃品として売り払われていた。その後、王家貴が3回にわたって県城におもむいて専門家の視察を求めたため、関連部門の注意を引いた。1978年5月11日に文物考古部門が発掘を開始し、17日に泥水につかった墓の排水をはじめた。21日に盗掘洞を発見し、23日には水位が下降して、曾侯乙編鐘が水面に露出した。

墓主[編集]

墓主は45歳前後の男性、殉葬者は13~25歳の女性。出土した銅鐘の銘文の鑑定を経て、戦国初期の国の名を「乙」という君主の墓であると判明し、このため墓主は曾侯乙と呼ばれるようになった。墓葬年代は恵王56年(紀元前433年)頃と推定されている。

出土文物[編集]

墓の中から大量の青銅製の礼器をはじめ楽器兵器・金器・玉器・車馬器・漆器・木器・竹器および竹簡などの文物15404件が発見され、そのうち8件が国宝に指定された。