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周代諸侯国
国姓 姫姓
爵位 伯爵
侯爵(頃侯の代より)
公爵(武公の代より)
君(嗣君の代より)
国都 朝歌
河南省淇県

(河南省滑県
楚丘
(河南省滑県)
帝丘
(河南省濮陽県
野王
(河南省沁陽市
分封者 武王
始祖 康叔
存在時期 紀元前11世紀 - 前209年
滅亡原因 二世皇帝により廃立
史書の記載 史記
(巻37)
春秋左氏伝
(隠公元年に初見)
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衛の位置

(えい、紀元前11世紀 - 紀元前209年)は、中国代・春秋時代から戦国時代にかけて河南省の一部を支配した諸侯国。

衛の始祖は周の文王の九男の康叔である。三兄の管叔鮮等がより周を攻め、四兄の周公旦が乱を鎮めた後に、康叔は周より衛君に封じられ、二分された殷の遺民の一方を民とし朝歌を都とした。

第8代頃侯の時、多くの財物を周王朝に献上したことから侯爵に叙された。第10代武公の時には、周の幽王犬戎に殺されると、兵を率いて犬戎討伐に駆けつけ、その功により周王室から公爵に叙された。

その領土は狭いとはいえ、黄河流域の中原の中心地であり、先進地帯であった。しかしそのため、衛は周辺諸国との折衝に忙殺されることになる。紀元前660年にはにより滅ぼされるが、桓公の助力により国を復活した。のちには亡命時代の文公を冷遇して他国へ移らせ、孔子を迎え入れた時にも冷遇して他国へ追いやるなど、優秀な人材が滞在してもすぐに出国してしまう状況であった。また、公族の一人であった商鞅を経てに仕えて活躍している。

戦国時代にはの半属国状態となり、紀元前240年にはに事実上滅ぼされるものの、名目的には細々と続き、最終的には最後の君主・衛君角紀元前209年に秦の二世皇帝(胡亥)に廃されることによって滅んだ。

歴代君主[編集]

  1. 康叔(紀元前? - ?)(封) - 文王の九男
  2. 康伯(紀元前? - ?)(代) - 康叔の子
  3. 孝伯(紀元前? - ?) - 康伯の子
  4. 嗣伯(紀元前? - ?) - 孝伯の子
  5. 𢈻伯[1](紀元前? - ?) - 嗣伯の子
  6. 靖伯(紀元前? - ?) - 𢈻伯の子
  7. 貞伯(紀元前? - 前867年) - 靖伯の子
  8. 頃侯前866年 - 前855年) - 貞伯の子
  9. 釐侯(前855年 - 前813年
  10. 共伯(余)(前813年)
  11. 武公(和)(前812年 - 前758年
  12. 荘公(揚)(前757年 - 前735年
  13. 桓公(完)(前734年 - 前719年
  14. 州吁(州吁)(前719年)
  15. 宣公(晋)(前718年 - 前700年
  16. 恵公(朔)(前699年 - 前696年
  17. 黔牟(黔牟)(前696年 - 前688年
  18. 恵公(朔)(前688年 - 前669年)※復位
  19. 懿公(赤)(前668年 - 前660年
  20. 戴公(申)(前660年)
  21. 文公(燬)(前659年 - 前635年
  22. 成公(鄭)(前634年 - 前600年
  23. 穆公)(前599年 - 前589年
  24. 定公(臧)(前588年 - 前577年
  25. 献公)(前576年 - 前559年
  26. 殤公(秋)(前558年 - 前547年
  27. 献公()(前546年 - 前544年)※復位
  28. 襄公(悪)(前543年 - 前535年
  29. 霊公(元)(前534年 - 前493年
  30. 出公(輒)(前492年 - 前480年
  31. 荘公蒯聵)(前479年 - 前478年
  32. 衛君起(起)(前477年
  33. 出公(輒)(前476年 - 前470年)※復位
  34. 悼公(黔)(前469年 - 前465年
  35. 敬公(弗)(前464年 - 前432年
  36. 昭公(糾)(前431年 - 前426年
  37. 懐公(亶)(前425年 - 前415年
  38. 慎公)(前414年 - 前383年
  39. 声公(訓)(前382年 - 前372年
  40. 成侯(不逝)(前371年 - 前343年
  41. 平侯(勁)(前342年 - 前335年
  42. 嗣君前334年 - 前293年
  43. 懐君前292年 - 前254年
  44. 元君前254年 - 前230年
  45. 衛君角(角)(前229年 - 前209年

に滅ぼされる

脚注[編集]

  1. ^ 𢈻の音はしょうです。