野島埼灯台
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野島埼灯台 | |
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航路標識番号 [国際標識番号] |
1910 [M6456] |
位置 | 北緯34度54分06秒 東経139度53分18秒 / 北緯34.90167度 東経139.88833度座標: 北緯34度54分06秒 東経139度53分18秒 / 北緯34.90167度 東経139.88833度 |
所在地 | 千葉県南房総市白浜町白浜630 |
塗色・構造 | 白色 塔形 コンクリート造 |
レンズ | 第2等フレネル式 |
灯質 | 単閃白赤光 毎15秒に1閃光 |
実効光度 | 730,000 cd |
光達距離 | 17海里(約 32 km) |
明弧 | 254度から101度まで |
塔高 | 29 m (地上 - 塔頂) |
灯火標高 | 38 m (平均海面 - 灯火) |
初点灯 |
1870年1月19日 (旧暦:明治2年12月18日) |
管轄 |
海上保安庁 第三管区海上保安本部 |
野島埼灯台(のじまさきとうだい)は、千葉県南房総市の野島崎に立つ日本の洋式灯台。南房総国定公園内に位置する。白亜の八角形をした大型灯台は江戸条約灯台の一つで、日本の灯台50選に選定され、国の登録有形文化財に登録されている。
歴史[編集]
- 1866年(慶応2年)5月:アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税条約」(別名・江戸条約)によって建設することを約束した8ヶ所の灯台(観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬、潮岬)の一つ。なお、これらを条約灯台とも呼ぶ。
- 1870年1月19日(旧暦:明治2年12月18日):観音埼灯台に続いて、日本の洋式灯台では2番目に初点灯した。野島崎は東京湾に出入りする船舶に とっては、昔からの重要ポイントだったので、他に先立って建設された。F・L・ヴェルニーを首長とするフランス人技師たちの設計によって建設された当初は、白色八角形の煉瓦造灯台で、基礎から灯火までが30メートルの高さ、フランス製の第1等フレネル式レンズを使用した第1等灯台で、石油灯器の6,500カンデラ(cd)だった。
- 1923年(大正12年)9月1日:関東大震災により地上6メートルの所で折れて、大音響と共に倒壊。
- 1925年(大正14年)8月15日[1]:現在の白色塔形(八角形)コンクリート造で再建される。
- 1945年(昭和20年):太平洋戦争の攻撃で大きな被害を受ける。
- 1946年(昭和21年)11月12日:完全復旧する。
- 2016年(平成28年)9月30日:船舶気象通報施設を廃止[2]。
付属施設[編集]
一般公開[編集]
内部の見学が可能な参観灯台である(参観料:大人200円)。周辺は南房総国定公園に指定されていて、雄大な太平洋のパノラマが展開している。また、この灯台を目指し東京湾に入る大型船の列が遠望できることもある[3]。
灯台からの眺望[編集]
野島埼灯台資料展示室[編集]
野島埼灯台資料展示室は、灯台に併設している資料館。愛称はきらりん館。野島崎灯台の歴史、機能・役割などを学ぶことができる施設となっている。日本財団の補助を受け設置[3]。
過去に烏帽子島灯台で実際に使われていた第2等フレネル式の灯台レンズなど、貴重な灯台関係資料も展示されている。
アクセス[編集]
- 公共交通機関
- 自動車
周辺施設[編集]
ギャラリー[編集]
脚注[編集]
- ^ 大正14年逓信省告示第1203号(『官報』第3891号、大正14年8月12日、p.324 )
- ^ 海上保安庁が実施する情報提供業務の一部終了について(PDF) - 海上保安庁交通部 (2016年5月) ※茨城県水産試験場漁業無線局ホームページでの掲載(2016年7月12日閲覧)
- ^ a b “野島埼灯台「灯台のことなら」 公益社団法人 燈光会” (日本語). 「灯台のことなら」 公益社団法人 燈光会. 2019年8月7日閲覧。
- ^ “灯台記念日|海上保安庁”. www.kaiho.mlit.go.jp. 2019年8月7日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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