菅島灯台

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菅島灯台

菅島灯台(2016年1月26日)

ブラントンの指導の下、三重県渡鹿野島の瓦師 竹内仙太郎が製造した菅島灯台建造用煉瓦。
菅島灯台の位置(三重県内)
菅島灯台
航路標識番号 2750
位置 北緯34度30分00秒 東経136度54分31秒 / 北緯34.50000度 東経136.90861度 / 34.50000; 136.90861座標: 北緯34度30分00秒 東経136度54分31秒 / 北緯34.50000度 東経136.90861度 / 34.50000; 136.90861
所在地 三重県鳥羽市菅島町122
塗色・構造 白色 塔形 煉瓦造
レンズ 第4等フレネル
灯質 単閃白光 毎4秒に1閃光
実効光度 12,000 cd
光達距離 14.5海里(約27km)
明弧 156度から8度まで
塔高 9.7 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 54.5 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1873年明治6年)7月1日
管轄 海上保安庁
第四管区海上保安本部(鳥羽海上保安部)

菅島灯台(すがしまとうだい)は、三重県鳥羽市にある菅島の白崎に立つ白亜の中型灯台。「日本の灯台50選」に選ばれている。また、現役では日本最古の煉瓦造灯台であり、建設当初の姿を現在に伝える歴史的・文化的価値の高さから、Aランクの保存灯台に指定されている。

周辺は、伊勢志摩国立公園に指定され、伊良湖水道を望む風光明媚の地。

歴史[編集]

  • 1673年延宝元年)、この地にかがり火を焚いて目印とする「御篝堂(おかがりどう)」が建てられた。菅島周辺では、難破する船が多く、当時の船乗りたちから「鬼ケ崎」と呼ばれ、恐れられていたが、この海域に多くの岩礁があったためだ。そこで、河村瑞賢江戸時代初期の政商で、東廻西廻海運の開拓者)の江戸幕府への建議等により、作られることになった。このため、日本初の公設灯台とされる。[1]その後、200年にわたって、海を守って、火が焚かれてきたが、その役割は、明治時代になって、洋式灯台へ引き継がれることとなった。
  • 1873年(明治6年)7月1日に、現在の洋式灯台が初点灯したが、これは、「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるレンガ造灯台で、国産の赤煉瓦を使っており、竣工式には、西郷隆盛など当時の政府高官が多数列席した。
  • 1959年(昭和34年)7月まで職員が駐在し、管理されていたが、以後無人化された。
  • 1964年(昭和39年)付属の旧退息所は、博物館明治村に移築保存され、1968年(昭和43年)4月25日、国の重要文化財に指定された。
  • 2009年2月、国の近代化産業遺産に指定された[2]
  • 2010年2月、国の登録有形文化財に登録された[2]

交通[編集]

鳥羽市営定期船乗り場から菅島行き市営定期船で20分、下船後徒歩20分[2]

周辺情報[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『県別シリーズ25 郷土資料事典 三重県・観光と旅』(人文社観光と旅編集部、人文社、、1968年(昭和43年)7月10日、p.77
  2. ^ a b c 第四管区海上保安本部 菅島灯台”. 第四管区海上保安本部. 2013年12月18日閲覧。

外部リンク[編集]