白壁
白壁 | |
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「ふれ愛のみち白壁」石碑 (白壁五丁目・東白壁小学校前) | |
北緯35度10分59.4秒 東経136度54分48.7秒 / 北緯35.183167度 東経136.913528度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 名古屋市 |
区 | 東区 |
町名制定[1] | 1878年(明治11年)12月20日 |
面積 | |
• 合計 | 0.542722157 km2 |
人口 | |
• 合計 | 4,776人 |
• 密度 | 8,800人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
461-0011[WEB 3] |
市外局番 | 052 (名古屋MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
白壁(しらかべ)は、愛知県名古屋市東区の地名。現行行政地名は白壁一丁目から白壁五丁目。住居表示一部実施地域。
以下において本項で扱う白壁一丁目から白壁五丁目までの町丁を個別に指す場合には、適宜「白壁」を省略し「○丁目」の形式で記述する。
地理
[編集]名古屋市東区のJR中央本線より西側の地域の北部を構成する地域であり、北区および中区と接している。地域を南北に走る空港線(国道41号)と東西に走る出来町通(愛知県道215号田籾名古屋線)を中心とする。両者の交点が清水口交差点である。
空港線の西側南にある一丁目には名古屋市市政資料館、名古屋拘置所といった行政施設がある。また、清水橋(名古屋城の外堀を跨ぐ出来町通の橋)を越え中区に入ると名古屋市役所や愛知県庁にも近い。地域全体としては住宅や小規模なビルが多いが、空港線の東側南にある四丁目、五丁目は主税町や橦木町とともに武家屋敷の面影を残し、名古屋市によって「白壁・主税・橦木町並み保存地区」に指定される[WEB 5]とともに、文化のみちの中核を成している。名古屋市随一の高級住宅街ということから、県内の財界人・著名人も多く住んでいる。
出来町通の北側西にある二丁目、北側東にある三丁目は隣接する北区からの坂が続いている[注釈 1][2]。坂を下り北区の清水・大杉地区へ出ると、今までとは趣が全く違う戦前からある古い住宅街が建ち並んでいる。
歴史
[編集]白壁地区のうち現町名の由来となった旧白壁町地域は、江戸時代は名古屋城下の1町で禄高にして三百石級の組頭階級の武家屋敷が多く立ち並んでいた[3]。中でも豊田太郎左衛門の武家屋敷は当時としては珍しい白塗りで、これが見事であったためその後周囲の屋敷もこれを真似て白壁の屋敷が多くなったことから地名になったとされる[注釈 2][4][5]。その他の地域も、旧長塀町・東二葉町・西二葉町など尾張徳川家の家老であった成瀬家・竹腰家の中屋敷やその家中の者が居住していたと考えられている地域が多い。
明治以降には町並みの道路改修が行われ、また太平洋戦争後の復興事業により周辺地域との間で町域の移動があったが、1980年(昭和55年)2月の住居表示実施によりこれらの各町(2町の全部と9町の一部)[注釈 3]が白壁一丁目から五丁目までに再編成され[4]、現在に至っている。
沿革
[編集]- 1878年(明治11年)12月20日 - 郡区町村編制法により、名古屋区白壁町となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 市制施行に伴い、名古屋市白壁町となる[1]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 行政区新設に伴い、東区所属となる[1]。
- 1980年(昭和55年)2月10日 - 以下の通り、白壁一〜五丁目が成立[1]。
世帯数と人口
[編集]2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
白壁一丁目 | 246世帯 | 484人 |
白壁二丁目 | 635世帯 | 1,172人 |
白壁三丁目 | 851世帯 | 1,802人 |
白壁四丁目 | 477世帯 | 1,055人 |
白壁五丁目 | 112世帯 | 263人 |
計 | 2,321世帯 | 4,776人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 3920人[WEB 6] | ||
2000年(平成12年) | 4387人[WEB 7] | ||
2005年(平成17年) | 4809人[WEB 8] | ||
2010年(平成22年) | 4646人[WEB 9] | ||
2015年(平成27年) | 5001人[WEB 10] |
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 1612世帯[WEB 6] | ||
2000年(平成12年) | 1942世帯[WEB 7] | ||
2005年(平成17年) | 1977世帯[WEB 8] | ||
2010年(平成22年) | 2094世帯[WEB 9] | ||
2015年(平成27年) | 2358世帯[WEB 10] |
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。なお、小学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
丁目 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
白壁一丁目 | 名古屋市立山吹小学校 | 名古屋市立冨士中学校 | 尾張学区 |
白壁二丁目 | |||
白壁三丁目 | 名古屋市立山吹小学校 名古屋市立東白壁小学校 | ||
白壁四丁目 | |||
白壁五丁目 |
交通
[編集]白壁地区は地区内を走っていた名古屋市電が廃止された1971年(昭和46年)以降は[注釈 4]名古屋市東区の中では公共交通機関の点でやや恵まれていない面があったが、1985年に基幹バス新出来町線が地域を東西に貫通する愛知県道215号田籾名古屋線(出来町通)で運行開始されたことによりかなり改善が図られた。詳細は「基幹バス (名古屋市)」を参照。
鉄道
[編集]次の駅が利用可能であるが、いずれも駅としては地域外にある[注釈 5]。
道路
[編集]以下の2本の幹線道路の他、生活道路についてもほぼ碁盤目に整備されている。ただし一方通行となっている道路も多い。
なお、白壁地域内にある基幹バス新出来町線の停留所は清水口と白壁の2ヶ所である。
- 空港線(国道41号)
- 出来町通(愛知県道215号田籾名古屋線)
施設
[編集]白壁一丁目
[編集]- 敷地北側には1898年(明治31年)に名古屋陸軍地方幼年学校が設置された[6]。1920年(大正9年)名古屋陸軍幼年学校に改称[6]。1923年(大正12年)廃止[6]。
-
中区との境の清水橋。ここを越えると官公庁街。
白壁二丁目
[編集]- 七尾天神社
- 西二葉公園
- 1978年(昭和53年)6月25日供用開始[WEB 13]。
- 清滝寺・清滝保育園
-
愛知県立明和高等学校
白壁三丁目
[編集]- 1980年(昭和55年)4月1日供用開始[WEB 13]。
- 東二葉公園
- 2018年(平成30年)3月26日供用開始[WEB 13]。
- シアターカフェ
- 映画上映を行うカフェ。かつては大須に所在したが、建物の老朽化により、2020年(令和2年)8月1日、白壁四丁目の古民家を改装し移転[8]。
-
中産連ビル本館
-
中産連ビル新館
-
シアターカフェ
-
北区との境の坂(三丁目)。ここを下ると北区清水・大杉地区。
白壁四丁目
[編集]-
四丁目の町並み。
-
老舗料亭・か茂免(旧中井家・名古屋別邸)
-
旧料亭・樟(四丁目)。
白壁五丁目
[編集]- 名古屋市立東白壁小学校
- 敷島製パン本社・名古屋工場
- 名古屋東郵便局
- ヤマナカ白壁フランテ
- 東白壁公園
- 1980年(昭和55年)4月1日供用開始[WEB 13]。
-
敷島製パン本社
-
東白壁小学校
文化のみち関連
[編集]-
名古屋市市政資料館
-
文化のみち百花百草
関係者
[編集]- 主な出身者
その他
[編集]- 石原裕次郎の楽曲『白い街』の2番に白壁町[注釈 7]が登場する。
- 白壁界隈の高級住宅地に住むマダムのことを「シラカベーゼ」と呼ぶことがある。これは名古屋の女性雑誌「メナージュケリー」の2001年創刊時にライターが生んだ単語である[WEB 14]。また、名古屋を拠点に活動する女性ラッパーANTY the 紅乃壱のミニアルバムに同名の楽曲が収録されている。
日本郵便
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ この地域は名古屋台地(熱田台地)の北端にあたり、台地の下に向かって坂となっている。
- ^ 『なごやの町名』P142においても同様の記述があり、『蓬州旧勝録』による説とされている。
- ^ 清水町・東二葉町の全部と長塀町・白壁町・主税町・上竪杉町・東外堀町・西二葉町・長久寺町・芳野町・赤塚町の各一部
- ^ 1967年2月に名古屋市電高岳線清水口 - 赤塚間が廃止され、1971年4月には同線東新町 - 清水口間も廃止となった。
- ^ 東大手駅は駅としての所在地は中区三の丸。ただし駅出口は白壁地区内の明和高等学校正面(住所地としては東区三の丸)となる。清水駅・尼ヶ坂駅は北区所在。
- ^ 麻薬取締部は、三の丸2丁目の名古屋合同庁舎第2号館にある。
- ^ 『白い街』の発売は1967年(昭和42年)であり、当時は町名変更・住居表示実施前であった。旧白壁町はおおむね現在の白壁四丁目・五丁目の一部にあたる。
出典
[編集]WEB
[編集]- ^ “愛知県名古屋市東区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年3月18日閲覧。
- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年2月20日). 2019年3月10日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年3月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ “町並み保存地区”. 名古屋市住宅都市局まちづくり企画部歴史まちづくり推進室. (2012年10月23日) 2012年11月17日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ a b c d “都市公園の名称、位置及び区域並びに供用開始の期日” (2019年5月1日). 2019年11月3日閲覧。
- ^ 名古屋発、セレブミセスマガジン「メナージュケリー」
- ^ 郵便番号簿 平成29年度版 - 日本郵便. 2019年03月10日閲覧 (PDF)
書籍
[編集]参考文献
[編集]- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。
- 東区史編さん委員会 編『東区史』東区総合庁舎建設後援会、1973年8月20日。
- 伊藤厚史『名古屋市歴史文化基本構想で読み解く 再発見!なごやの歴史と文化』風媒社、2020年4月15日。ISBN 978-4-8331-0189-9。