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en:S.C. Braga 10:34, 27 May 2013‎を訳出、参考文献で加筆
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|原語表記=Sporting Clube de Braga
|原語表記=Sporting Clube de Braga
|愛称= Os Arcebispos(大主教), <br />Os Arsenalistas(アルセナリスタス), <br />Minhotos(ミーニョ地方出身者), <br />Os Guerreiros do Minho(ミーニョの戦士), <br />Bracarenses(ブラカレンセス)
|愛称=Os Arsenalistas
|カラー=赤と白
|カラー=赤と白
|創設=1921
|創設=1921
|リーグ=ポルトガルリーグ
|リーグ=ポルトガル・サッカーリーグ
|ディビジョン=[[スーペルリーガ|リーガサグレス]](1部)
|ディビジョン=[[スーペルリーガ|リーガサグレス]](1部)
|ホームタウン=[[ブラガ]]
|ホームタウン=[[ブラガ]]
|スタジアム=[[エスタディオ・ムニシパル・デ・ブラガ|エスタディオ・アクサ]]
|スタジアム=[[エスタディオ・ムニシパル・デ・ブラガ|エスタディオ・アクサ]]
|キャパ=30,154
|キャパ=30,286
|代表={{flagicon|POR}} アントニオ・サルヴァドール
|代表={{flagicon|POR}} アントニオ・サルヴァドール
|監督={{flagicon|POR}} [[ジェズアウド・フェレイラ]]
|監督={{flagicon|POR}} [[ジェズアウド・フェレイラ]]
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}}
}}
'''スポルティング・クルービ・ジ・ブラガ'''({{lang-pt|Sporting Clube de Braga}}, {{IPA-pt|ˈspɔɾtĩŋ ˈkluβ(ɨ) ðɨ ˈβɾaɣɐ}})は、[[ポルトガル]]北西部の都市[[ブラガ]]に本拠地を置く総合[[スポーツ]]クラブ。特に[[サッカー]]チームが有名であり、ポルトガルで開催された[[UEFA EURO 2004]]開幕前に建設された[[エスタディオ・ムニシパル・デ・ブラガ|エスタディオ・アクサ]](愛称は「石切り場」)をホームスタジアムとしている。[[マクロン (スポーツウェア)|マクロン]](スポーツ衣料品、イタリア)や[[アクサ]](保険会社、フランス)がスポンサーを務めている。


国内大会では、1965-66シーズンに[[タッサ・デ・ポルトガル]]で優勝し、2012-13シーズンに[[タッサ・ダ・リーガ]]で優勝している。2009-10シーズンには[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]で過去最高位の2位となった。21世紀に入ってからの躍進が目覚ましく、ポルトガルの伝統的なビッグ3([[FCポルト]]、[[SLベンフィカ]]、[[スポルティング・リスボン|スポルティングCP]])の支配構造に風穴をあけるクラブに成長している<ref>鰐部 (2012)、128頁</ref>。
'''スポルティング・クルービ・ジ・ブラガ'''({{lang-pt|Sporting Clube de Braga}})は、[[ポルトガル]]北西部の都市[[ブラガ]]に本拠地を置く[[サッカー]]クラブチーム。


国際大会では、2008年に[[UEFAインタートトカップ]]で優勝し、2010-11シーズンの[[UEFAヨーロッパリーグ]]で準優勝した。2010-11シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ]]ではクラブ史上初めて本選グループリーグに出場し、2012-13シーズンには再び本選グループリーグに出場した。
== 概要 ==
2002年から2003年まで、[[廣山望]]がポルトガルリーグ初の日本人選手として在籍した<ref name="スポナビ">[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0910/portugal/text/200910220005-spnavi.html “ポルトガルのアーセナル”の大躍進]スポーツナビ、2009年10月23日</ref>。


== 歴史 ==
2009-10シーズンは開幕から7連勝を記録し、その後も安定した成績を残して2010年1月まで首位を守った。その後も2位の座を守りきり、[[SLベンフィカ]]と勝ち点5差の2位で[[UEFAチャンピオンズリーグ]]本戦出場権を獲得した。
[[File:BragavsCelta.jpg|thumb|right|300px|赤色のユニフォームでプレーした最初期の試合([[セルタ・デ・ビーゴ]]戦)]]


トップチームのユニフォームカラ―が変更された1946-47シーズンにセカンド・ディヴィジョン(当時2部)で優勝し、クラブ史上初めて[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]](1部)に昇格した。また、ユースチームの名称をアルセナル・デ・ブラガに変更した。1960年代と1970年代にはリーグ戦で好成績を収め、何度か欧州カップ戦に参加した。
2010-11シーズンはリーグこそ4位と順位を落としたが、UEFAチャンピオンズリーグではホームで[[アーセナルFC]]を下す躍進を見せ、3位でグループリーグを終え[[UEFAヨーロッパリーグ]]への出場権を得ると、2回戦では[[リヴァプールFC]]を退け、決勝まで上り詰めた。決勝は同じポルトガル勢の[[FCポルト]]に0-1で惜敗した。シーズン終了後、躍進の立役者である[[ドミンゴス・パシエンシア]]監督が[[スポルティング・リスボン]]に引き抜かれ、[[レオナルド・ジャルディム]]監督が就任した。


=== 2000年代 ===
2012-13シーズン、リーグカップの[[タッサ・ダ・リーガ]]で初優勝を果たし、1965-66シーズンの[[タッサ・デ・ポルトガル]]以来となるタイトルを獲得した。
アジアとの関係を見ると、2003年には[[廣山望]]がプリメイラ・リーガ初の日本人選手として在籍し<ref name="スポナビ">[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0910/portugal/text/200910220005-spnavi.html “ポルトガルのアーセナル”の大躍進]スポーツナビ、2009年10月23日</ref>、2005-06シーズンには[[金東ヒョン|金東炫]]が同リーグ初の韓国人選手として在籍している<ref>鰐部 (2012)、142頁</ref>。2003年夏には[[ジェズアウド・フェレイラ]]監督が就任し、2003-04シーズンにはリーグ戦で5位となって[[UEFAカップ]]出場権を獲得。この時期から国内と国外での躍進が始まった。2005-06シーズンにはシーズン終盤まで優勝を争いって4位となり、2006年夏に[[カルロス・カルヴァリャル]]監督が就任すると、2006-07シーズン序盤は低調な成績であり、UEFAカップでは1回戦で[[キエーヴォ・ヴェローナ]](イタリア)に2試合合計3-2で勝利したが、グループリーグ序盤戦では[[AZアルクマール]](オランダ)に0-4で敗れたほか、国内リーグでは[[CSマリティモ]]に1-4で敗れた。カルバリャル監督は2006年11月に辞任し、[[ロジェリオ・ゴンサウヴェス]]が後任監督に就任すると、アシスタントコーチに元[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル代表]]キャプテンの[[ジョルジュ・コスタ]]が就任。ゴンサウヴェス監督就任初戦の[[SLベンフィカ]]戦には1-3で敗れ、UEFAカップでは[[セビージャFC]](スペイン)に0-2で敗れた。[[ウニオン・レイリア]]に0-1で敗れた後、ゴンサウヴェス監督は2007年2月18日に辞任した。アントニオ・サルヴァドール会長はジョルジュ・コスタの監督就任を発表し、ジョルジュ・コスタ監督は就任初戦となったUEFAカップ・決勝トーナメント1回戦の[[パルマFC]](イタリア)に1-0で勝利。決勝トーナメント2回戦では[[トッテナム・ホットスパーFC]](イングランド)と対戦したが、2試合合計4-6で敗れた。国内リーグ戦では最終節で[[CFベレネンセス]]を交わし、3シーズン連続で4位となった。


2006年7月、フランスの保険会社である[[アクサ]]が年間数百万ドルを支払うスポンサーとなり、スタジアムの名称がエスタディオ・ムニシパル・デ・ブラガ(ブラガ市営スタジアム)から[[エスタディオ・ムニシパル・デ・ブラガ|エスタディオ・アクサ]]に変更された。スタジアムに命名権名称を導入したのはポルトガル初(2012年時点で唯一)である<ref name="魔力128頁">鰐部 (2012)、133頁</ref>。2007-08シーズンのUEFAカップでは[[ハンマルビーIF]](スウェーデン)と対戦し、アウェーで行なわれたファーストレグには1-2で敗れたが、ホームで行なわれたセカンドレグには4-0で勝利して2シーズン連続のグループリーグ出場を決めた。グループリーグ初戦の[[ボルトン・ワンダラーズFC]](イングランド)戦には1-1で引き分け、2戦目は優勝候補の[[バイエルン・ミュンヘン]](ドイツ)戦だったが、[[ロランド・ルイス]]の得点でやはり1-1で引き分けた。3戦目の[[アリス・テッサロニキFC]](ギリシャ)戦ではリンツの得点で1-1で引き分け、最終戦の[[レッドスター・ベオグラード]](セルビア)戦は2-0で初勝利を飾った。決勝トーナメントでは[[ヴェルダー・ブレーメン]](ドイツ)と対戦し、ファーストレグではPKを2度も失敗して0-3で敗れた。セカンドレグには1-0で勝利したが、2試合合計1-3で敗退した。2008年夏の[[UEFAインタートトカップ]]では[[シヴァススポル]](トルコ)を下して優勝。その結果出場した2008-09シーズンのUEFAカップでは、予選2回戦で[[HŠKズリニスキ・モスタル]](ボスニア・ヘルツェゴビナ)を2試合合計3-0で下し、本選1回戦の[[FCペトルジャルカ1898]](スロバキア)戦ではファーストレグで[[アルベール・メヨン・ゼ]]がハットトリックを達成するなどして2試合合計6-0で快勝した。3シーズン連続でグループリーグ出場権を獲得し、グループリーグでは[[ポーツマスFC]](イングランド)、[[ACミラン]](イタリア)、[[VfLヴォルフスブルク]](ドイツ)、[[SCヘーレンフェーン]](オランダ)と同組となった。初戦のポーツマス戦には[[ルイス・アギラール]]の1得点2アシストで3-0と勝利し、この試合は相手監督である[[ハリー・レドナップ]]のトッテナム監督就任前ラストゲームとなった。[[サン・シーロ]]で行なわれたミラン戦では長い時間試合を支配し、試合終了直前の93分まで無失点に抑えていたが、35mの距離から[[ロナウジーニョ]]にミドルシュートを決められて敗れた。決勝トーナメント1回戦では[[フェリックス・マガト]]監督率いるヴォルフスブルクと対戦し、2点を先行したが2-3で敗れた。ヘーレンフェーン戦には2-1で勝利し、2勝2敗の勝ち点6でグループ3位となって決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦では[[スタンダール・リエージュ]](ベルギー)と対戦し、2試合合計4-1で勝利した。決勝トーナメント2回戦では[[パリ・サンジェルマンFC]](フランス)に2試合合計0-1で敗れたが、UEFAインタートトカップ優勝組(11クラブ)の中では最高の成績を残した。
== ライバル ==
スポルティング・ブラガのライバルは[[ヴィトリア・ギマランイス]]である。この2チームの対戦は[[オ・デルビー・デ・ミーニョ]](ミーニョ・ダービー)と言われている。


{| class="wikitable" style="text-align:center;font-size:100%;float:right;margin-left:1em;"
== ユニフォーム ==
|-
1920年、イングランドの[[アーセナル・スタジアム|ハイバリー・スタジアム]]に視察に訪れた[[ヨゼフ・サボー]]監督が施設と雰囲気に感銘を受け、緑色と白のストライプ模様だったユニフォームをアーセナルカラーの深いえんじ色に変更した<ref name="スポナビ"></ref>。
! シーズン !! <small>[[UEFAチームランキング]]</small> !! ポイント
|-
| 2003–04 || – || –
|-
| 2004–05 || 139位 [[File:Green Arrow Up.svg|15px]] || 15.739
|-
| 2005–06 || 136位 [[File:Green Arrow Up.svg|15px]] || 17.533
|-
| 2006–07 || 96位 [[File:Green Arrow Up.svg|15px]] || 27.107
|-
| 2007–08 || 79位 [[File:Green Arrow Up.svg|15px]] || 33.176
|-
| 2008–09 || 50位 [[File:Green Arrow Up.svg|15px]] || 39.292
|-
| 2009–10 || 48位 [[File:Green Arrow Up.svg|15px]] || 39.659
|-
| 2010–11 || 28位 [[File:Green Arrow Up.svg|15px]] || 62.319
|-
| 2011–12 || 29位 [[File:Red Arrow Down.svg|15px]] || 63.069
|-
| 2012–13 || 29位 {{steady}} || 62.833
|}

2009-10シーズンの国内リーグでは開幕から7連勝を記録し、その後も安定した成績を残して2010年1月まで首位を守った。その後も2位の座を守りきり、ベンフィカと勝ち点5差の2位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した<ref name="魔力144頁">鰐部 (2012)、144頁</ref>。2010-11シーズンにはクラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグに出場した<ref name="魔力144頁"/>。予選3回戦の[[セルティックFC]](スコットランド)戦ではホームで3-0と快勝し<ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/8860029.stm |title=Braga 3 – 0 Celtic |date=28 July 2010 |work=BBC Sport |accessdate=25 August 2010}}</ref>、アウェーの[[セルティック・パーク]]では1-2と敗れたものの、2試合合計4-2としてプレーオフ出場を決めた<ref>{{cite news |url=http://www.telegraph.co.uk/sport/football/teams/celtic/7927359/Celtic-2-Sporting-Braga-1-agg-2-4-match-report.html |title=Celtic 2 Sporting Braga 1; agg 2–4: match report |date=4 August 2010 |work=The Telegraph |accessdate=25 August 2010 |location=London |first=Ewing |last=Grahame}}</ref>。プレーオフではセビージャと対戦し、2試合合計4-4(ホームで1-0、アウェーで3-4)ではあったがアウェーゴールルールで本選グループリーグ初出場を決め<ref>{{cite news |url=http://edition.cnn.com/2010/SPORT/football/08/24/champions.league.braga.sevilla/#fbid=0LcUJtIUDm0&wom=false |title=Sevilla dumped out by Sporting Braga |date=24 August 2010 |work=CNN.com |accessdate=25 August 2010}}</ref>、[[アーセナルFC]](イングランド)、[[FCシャフタール・ドネツク]](ウクライナ)、[[FKパルチザン・ベオグラード]](セルビア)と同組となった。ブラガのユニフォームカラ―はアーセナルに由来している([[スポルティング・ブラガ#ユニフォームとサポーター|後述]])。グループリーグ初戦、[[エミレーツ・スタジアム]]で行なわれたアーセナル戦には0-6で大敗し<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/8995161.stm|title=Arsenal 6 – 0 Braga|date=15 September 2010|work=BBC Sport|accessdate=28 September 2010}}</ref>、シャフタール戦には0-3で敗れたが、パルチザン戦には2-0で勝利した。その2週間後には再びパルチザンに1-0で勝利し、ホームでのアーセナル戦には2-0で勝利した。5戦を終えて3勝2敗(勝ち点9)のグループ2位だったが、最終戦のシャフタール戦に0-2で敗れ、またアーセナルがパルチザンに勝利したことでグループ3位に転落し、シャフタールとアーセナルが決勝トーナメントに進出した。ブラガは[[UEFAヨーロッパリーグ]]に回り、[[レフ・ポズナン]](ポーランド)、[[リヴァプールFC]](イングランド)を破って準々決勝に進出した。欧州カップ戦でベスト8以上の成績を残すのはクラブ史上初だった。準々決勝では[[FCディナモ・キエフ]](ウクライナ)を破り、ベンフィカや[[FCポルト]]とともに、欧州カップ戦で初めてベスト4にポルトガルから3クラブが勝ち残った。同国対決となった準決勝のベンフィカ戦ファーストレグには1-2で敗れたが、セカンドレグには1-0で勝利し、2試合合計2-2ながらアウェーゴール差で決勝進出を決めた。アイルランド・ダブリンの[[アビバ・スタジアム]]で行なわれたポルトとの決勝には0-1で敗れて準優勝に終わった。国内リーグこそ4位と順位を落としたが、[[ドミンゴス・パシエンシア]]監督の下、クラブ史上最高のシーズンのひとつとなった。

2011年夏にはパシエンシア監督が[[スポルティング・リスボン]]に引き抜かれ、[[レオナルド・ジャルディム]]監督が就任した。国内リーグではクラブ新記録となる13連勝を記録し、最終的に3位となった<ref name="魔力144頁"/>。2012-13シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・プレーオフでは[[ウディネーゼ・カルチョ]](イタリア)と対戦し、ホーム&アウェーの2試合とも1-1だったが、PK戦に勝利して2シーズンぶりの本選グループリーグ出場を決めた<ref>{{cite web |url=http://www.abola.pt/nnh/ver.aspx?id=349622 |title="Podíamos ter ganho o jogo nos 90 minutos" – Rúben Micael |date=28 August 2012 |work=A Bola |accessdate=11 October 2012}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.abola.pt/nnh/ver.aspx?id=349626|title="Estou satisfeito e emocionado; fomos uma equipa soberba" – José Peseiro |date=28 August 2012 |work=A Bola|accessdate=11 October 2012}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.abola.pt/nnh/ver.aspx?id=349648 |title=Mil adeptos receberam a equipa, Salvador levado em ombros (fotos) |date=29 August 2012|work=A Bola |accessdate=11 October 2012}}</ref>。ホームで行なわれたグループリーグ初戦の[[CFRクルジュ]](ルーマニア)戦に0-2で敗れ、アウェーで行なわれた2戦目の[[ガラタサライSK (サッカー)|ガラタサライSK]](トルコ)戦には2-0で勝利した。[[オールド・トラッフォード]]で行なわれた[[マンチェスター・ユナイテッドFC]](イングランド)戦では2点を先行したが、その後逆転されて2-3で敗れた。ホームでのマンチェスター・U戦でも80分まで1-0でリードしていたが、やはり逆転されて1-3で敗れた。アウェーでのCFR戦、ホームでのガラタサライ戦にも敗れ、1勝5敗(勝ち点3)のグループ最下位で敗退した。同シーズンの国内リーグ戦では前年度からひとつ順位を落として4位となり、4シーズンぶりにビッグ3以外のクラブ(3位は[[FCパソス・デ・フェレイラ]])の後塵を拝した。[[タッサ・ダ・リーガ]](リーグカップ)の準決勝では4連覇中のベンフィカと対戦し、ポルトガル国内の3大会(リーグ、カップ、リーグカップ)でシーズン開幕から26戦無敗を続けていたベンフィカにPK戦の末勝利した。決勝では国内リーグで開幕から25戦無敗を続けていたポルトを1-0で下した。2007-08シーズンの初開催以来ベンフィカが4連覇していた大会で初優勝を果たし、1965-66シーズンの[[タッサ・デ・ポルトガル]]以来となるタイトルを獲得した。

== 文化 ==
=== ライバル ===
最大のライバルは[[ヴィトリア・ギマランイス]]であり、ブラガとヴィトリア・ギマランイスの対戦は[[オ・デルビー・デ・ミーニョ]](ミーニョ・ダービー)と呼ばれる。[[ブラガ]]と[[ギマランイス]]はともに[[ブラガ県]]に所在し、両都市は約18kmの近距離にある。ブラガ県はかつてミーニョ州という行政区分に含まれ、現在でも付近はミーニョ地方と呼ばれる。このダービーはポルトガルでもっとも白熱する試合のひとつであり、13歳以下の子どもは保護者同伴でない限り入場を制限される。ライバル意識はブラガがガラエキア([[古代ローマ]]の[[属州]])の首都だった時代に遡る。12世紀に[[アフォンソ1世 (ポルトガル王)|アフォンソ1世]]がポルトガル王国を形成するまで、ブラガはポルトガル最大の都市だったが、その後ギマランイスが国王と貴族の地となり、ブラガは宗教の中心地(大主教の地)としての地位にとどまった。

=== エンブレム ===
ブラガ市のエンブレムは青色の盾の上に銀色の城壁冠が被された構図であり、盾の中には[[イエス・キリスト|イエス]]を胸に抱いた[[聖母マリア]]と2本の塔が配置されている。スポルティング・ブラガのエンブレムもブラガ市のエンブレムに良く似ているが、盾の色は赤色と白色であり、城壁冠の色は金色である。また、盾の中には「Sporting Clube de Braga」というクラブ名称が刻まれている。多くのブラガファンは聖母マリアがクラブに幸運をもたらすとしている。

=== ユニフォーム ===
当初は[[スポルティング・リスボン]]のような緑色と白色のユニフォームだったが、1940年代に在職したジョゼ・アントゥネス・ギマランイス会長が[[アーセナルFC]](イングランド)のファンであり、ロンドンに仕事上のつながりを持っていたため、1940年代半ば<ref>リザーブチームは1945-46シーズンから、トップチームは1946-47シーズンから赤色のユニフォームを着用している。</ref>にアーセナルのような赤色のユニフォームに変更した。なお、これは一つの説であり、アーセナルのプレースタイルを愛したハンガリー人の[[ヨゼフ・サボー]]監督が会長にユニフォームカラ―の変更を求めたとする説もある<ref name="スポナビ"/><ref>なお、「”ポルトガルのアーセナル”の大躍進」では1920年にサボー監督の発案でユニフォームカラ―が変更されたとしているが、サボー監督が在職したのは1930年代から1940年代であり、1920年代にはまだハンガリーのクラブでプレーする現役選手だった。</ref>。これらのことから、クラブやサポーターにアルセナリスタス(Arsenalistas)という愛称が用いられる<ref>[http://en.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=1521713.html#braga+break+into+time Braga break into big time] UEFA.com</ref>。また、ブラガがあるミーニョ地方はかつて[[ケルト人]]が居住してブラカリ(Bracari)と呼ばれていた土地であるため、ブラカレンセスという愛称も持っている。


== タイトル ==
== タイトル ==
=== 国内タイトル ===
=== 国内タイトル ===
* '''[[タッサ・デ・ポ|カップ]]:1回'''
* '''[[スーペ・リーガ|プリメイラ・リーガ]]'''
: 2位 (1) : 2009-10
: 1965-66


* '''[[タッサ・リー|リーグカップ]]:1回'''
* '''[[タッサ・ポルト]]'''
: 優勝 (1) : 1965-66
: 2012-13
: 準優勝 (3) : 1976–77, 1981–82, 1997–98

* '''[[タッサ・ダ・リーガ]]'''
: 優勝 (1) : 2012-13

*'''[[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ]]'''
: 準優勝 (2) : 1982, 1998

*'''セカンド・ディヴィジョン'''<ref name="liga_de_honra">1990年に[[リーガ・デ・オンラ]](現2部)が創設されるまで、セカンド・ディヴィジョンがポルトガルの2部リーグだった。</ref>
: 優勝 (2) : 1946–47, 1963–64
: 準優勝 (2) : 1956–57, 1974–75

*'''[[タッサ・リベイロ・ドス・レイス]]'''
: 準優勝 (1) : 1970–71

*'''[[タッサ・フェデラシオン・ポルトゥゲーザ]]'''
: 優勝 (1) : ''' 1976–77


=== 国際タイトル ===
=== 国際タイトル ===
* '''[[UEFAインタートトカップ]]'''
: 優勝 (1) : 2008

*'''[[UEFAヨーロッパリーグ]]'''
: 準優勝 (1) : 2010–11


== 過去の成績 ==
== 過去の成績 ==
{|class="wikitable" style="font-size:90%; text-align: center"
{|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align: center"
|-
|-
!rowspan="2"|シーズン
!rowspan="2"|シーズン
!colspan="9"|ディビジョン
!colspan="9"|国内リーグ
!rowspan="2"|[[タッサ・デ・ポルトガル]]
!rowspan="2"|[[タッサ・デ・ポルトガル|国内カップ]]
!rowspan="2"|[[タッサ・ダ・リーガ]]
!rowspan="2"|[[タッサ・ダ・リーガ|国内リーグカップ]]
!colspan="2" rowspan="2"|欧州カップ
!colspan="2" rowspan="2"|欧州カップ
!colspan="2" rowspan="2"|その他
!colspan="2" rowspan="2"|その他
|-
|-
! ディビジョン !! 順位 !! 試合数 !! 勝 !! 分 !! 敗 !! 得点 !! 失点 !! 勝ち点
!リーグ
!順位
!試合数
!勝
!分
!敗
!得点
!失点
!勝ち点
|-
|-
!1989–90
!1989–90
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''12位'''
|'''12位'''
|34 || 8 || 12 || 14 || 32 || 41 || '''28'''
|34 || 8 || 12 || 14 || 32 || 41 || '''28'''
|4回戦敗退
|4回戦敗退
|rowspan=18| 創設前
|なし
| || || ||
|
|
|
|
|-
|-
!1990–91
!1990–91
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''7位'''
|'''7位'''
|38 || 13 || 8 || 17 || 42 || 45 || '''34'''
|38 || 13 || 8 || 17 || 42 || 45 || '''34'''
|準々決勝敗退
|準々決勝敗退
| || || ||
|なし
|
|
|
|
|-
|-
!1991–92
!1991–92
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''12位'''
|'''12位'''
|34 || 12 || 5 || 17 || 41 || 49 || '''29'''
|34 || 12 || 5 || 17 || 41 || 49 || '''29'''
|準々決勝敗退
|準々決勝敗退
| || || ||
|なし
|
|
|
|
|-
|-
!1992–93
!1992–93
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''12位'''
|'''12位'''
|34 || 12 || 6 || 16 || 33 || 34 || '''30'''
|34 || 12 || 6 || 16 || 33 || 34 || '''30'''
|準々決勝敗退
|準々決勝敗退
| || || ||
|なし
|
|
|
|
|-
|-
!1993–94
!1993–94
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''15位'''
|'''15位'''
|34 || 9 || 10 || 15 || 33 || 43 || '''28'''
|34 || 9 || 10 || 15 || 33 || 43 || '''28'''
|4回戦敗退
|4回戦敗退
| || || ||
|なし
|
|
|
|
|-
|-
!1994–95
!1994–95
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''10位'''
|'''10位'''
|34 || 11 || 10 || 13 || 34 || 42 || '''32'''
|34 || 11 || 10 || 13 || 34 || 42 || '''32'''
|5回戦敗退
|5回戦敗退
| || || ||
|なし
|
|
|
|
|-
|-
!1995–96
!1995–96
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''8位'''
|'''8位'''
|34 || 12 || 9 || 3 || 44 || 47 || '''45'''
|34 || 12 || 9 || 3 || 44 || 47 || '''45'''
|3回戦敗退
|3回戦敗退
| || || ||
|なし
|
|
|
|
|-
|-
!1996–97
!1996–97
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''4位'''
|'''4位'''
|34 || 15 || 10 || 9 || 39 || 40 || '''55'''
|34 || 15 || 10 || 9 || 39 || 40 || '''55'''
|準々決勝敗退
|準々決勝敗退
| || || ||
|なし
|
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|
|-
|-
!1997-98
!1997-98
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''10位'''
|'''10位'''
|34 || 11 || 12 || 11 || 48 || 49 || '''45'''
|34 || 11 || 12 || 11 || 48 || 49 || '''45'''
|bgcolor=silver|'''準優勝'''
|bgcolor=silver|'''準優勝'''
|なし
|align="left"|[[UEFAカップ 1997-98|UEFAカップ]]
|align="left"|[[UEFAカップ 1997-98|UEFAカップ]]
|3回戦敗退
|3回戦敗退
| ||
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!1998-99
!1998-99
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''9位'''
|'''9位'''
|34 || 10 || 12 || 12 || 38 || 50 || '''42'''
|34 || 10 || 12 || 12 || 38 || 50 || '''42'''
|3回戦敗退
|3回戦敗退
|align="left"|[[UEFAカップウィナーズカップ 1998-99|UCWC]]
|なし
|align="left"|[[UEFAカップウィナーズカップ 1998-99|UEFAカップウィナーズカップ]]
|2回戦敗退
|2回戦敗退
|align="left"|[[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|ポルトガル・スーパーカ]]
|align="left"|[[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|スーペルタ]]
|bgcolor=silver|'''準優勝'''
|bgcolor=silver|'''準優勝'''
|-
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!1999–00
!1999–2000
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''9位'''
|'''9位'''
|34 || 12 || 7 || 15 || 44 || 45 || '''43'''
|34 || 12 || 7 || 15 || 44 || 45 || '''43'''
|4回戦敗退
|4回戦敗退
| || || ||
|なし
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!2000–01
!2000–01
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''4位'''
|'''4位'''
|34 || 16 || 9 || 9 || 58 || 48 || '''57'''
|34 || 16 || 9 || 9 || 58 || 48 || '''57'''
|3回戦敗退
|3回戦敗退
| || || ||
|なし
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!2001–02
!2001–02
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''10位'''
|'''10位'''
|34 || 10 || 12 || 12 || 43 || 43 || '''42'''
|34 || 10 || 12 || 12 || 43 || 43 || '''42'''
|bgcolor=#CD7F32|準決勝敗退
|bgcolor=#CD7F32|準決勝敗退
| || || ||
|なし
|
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|
|-
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!2002–03
!2002–03
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''14位'''
|'''14位'''
|34 || 8 || 14 || 12 || 34 || 47 || '''38'''
|34 || 8 || 14 || 12 || 34 || 47 || '''38'''
|4回戦敗退
|4回戦敗退
| || || ||
|なし
|
|
|
|
|-
|-
!2003–04
!2003–04
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''5位'''
|'''5位'''
|34 || 15 || 9 || 10 || 36 || 38 || '''54'''
|34 || 15 || 9 || 10 || 36 || 38 || '''54'''
|bgcolor=#CD7F32|準決勝敗退
|bgcolor=#CD7F32|準決勝敗退
| || || ||
|なし
|
|
|
|
|-
|-
!2004–05
!2004–05
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''4位'''
|'''4位'''
|34 || 16 || 10 || 8 || 45 || 28 || '''58'''
|34 || 16 || 10 || 8 || 45 || 28 || '''58'''
|準々決勝敗退
|準々決勝敗退
|なし
|align="left"|[[UEFAカップ 2004-05|UEFAカップ]]
|align="left"|[[UEFAカップ 2004-05|UEFAカップ]]
|1回戦敗退
|1回戦敗退
246行目: 242行目:
|-
|-
!2005–06
!2005–06
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''4位'''
|'''4位'''
|34 || 17 || 7 || 10 || 38 || 22 || '''58'''
|34 || 17 || 7 || 10 || 38 || 22 || '''58'''
|4回戦敗退
|4回戦敗退
|なし
|align="left"|[[UEFAカップ 2005-06|UEFAカップ]]
|align="left"|[[UEFAカップ 2005-06|UEFAカップ]]
|1回戦敗退
|1回戦敗退
257行目: 252行目:
|-
|-
!2006–07
!2006–07
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''4位'''
|'''4位'''
|30 || 14 || 8 || 8 || 35 || 30 || '''50'''
|30 || 14 || 8 || 8 || 35 || 30 || '''50'''
|bgcolor=#CD7F32|準決勝敗退
|bgcolor=#CD7F32|準決勝敗退
|なし
|align="left"|[[UEFAカップ 2006-07|UEFAカップ]]
|align="left"|[[UEFAカップ 2006-07|UEFAカップ]]
|ベスト16
|ベスト16
268行目: 262行目:
|-
|-
!2007–08
!2007–08
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''7位'''
|'''7位'''
|30 || 10 || 11 || 9 || 32 || 34 || '''41'''
|30 || 10 || 11 || 9 || 32 || 34 || '''41'''
279行目: 273行目:
|-
|-
!2008–09
!2008–09
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''5位'''
|'''5位'''
|30 || 13 || 11 || 6 || 38 || 21 || '''50'''
|30 || 13 || 11 || 6 || 38 || 21 || '''50'''
286行目: 280行目:
|align="left"|[[UEFAカップ 2008-09|UEFAカップ]]
|align="left"|[[UEFAカップ 2008-09|UEFAカップ]]
|ベスト16
|ベスト16
| align="left"|[[UEFAインタートトカップ 2008|UEFAインタートトカップ]]
| align="left"|[[UEFAインタートトカップ 2008|インタートトカップ]]
| bgcolor=gold|'''優勝'''
| bgcolor=gold|'''優勝'''
|-
|-
!2009–10
!2009–10
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|bgcolor=silver|'''2位'''
|bgcolor=silver|'''2位'''
|30 || 22 || 5 || 3 || 48 || 20 || '''71'''
|30 || 22 || 5 || 3 || 48 || 20 || '''71'''
|準々決勝敗退
|準々決勝敗退
|3回戦敗退
|3回戦敗退
|align="left"|[[UEFAヨーロッパリーグ 2009-10|UEFAヨーロッパリーグ]]
|align="left"|[[UEFAヨーロッパリーグ 2009-10|EL]]
|予選3回戦敗退
|予選3回戦敗退
|
|
301行目: 295行目:
|-
|-
!2010–11
!2010–11
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''4位'''
|'''4位'''
|30 || 13 || 7 || 10 || 45 || 33 || '''46'''
|30 || 13 || 7 || 10 || 45 || 33 || '''46'''
|4回戦敗退
|4回戦敗退
|3回戦敗退
|3回戦敗退
|bgcolor=silver align="left"|'''[[UEFAヨーロッパリーグ 2010-11|UEFAヨーロッパリーグ]]'''
|bgcolor=silver align="left"|'''[[UEFAヨーロッパリーグ 2010-11|EL]]'''
|bgcolor=silver|'''準優勝'''
|bgcolor=silver|'''準優勝'''
|
|
312行目: 306行目:
|-
|-
!2011–12
!2011–12
|プリメイラ・リーガ
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|bgcolor=#CD7F32|'''3位'''
|bgcolor=#CD7F32|'''3位'''
|30 || 19 || 5 || 6 || 59 || 29 || '''62'''
|30 || 19 || 5 || 6 || 59 || 29 || '''62'''
|4回戦敗退
|4回戦敗退
|bgcolor=#CD7F32|準決勝敗退
|bgcolor=#CD7F32|準決勝敗退
|align="left"|[[UEFAヨーロッパリーグ 2011-12|UEFAヨーロッパリーグ]]
|align="left"|[[UEFAヨーロッパリーグ 2011-12|EL]]
|ベスト32
|ベスト32
|
|
|-
!2012–13
| [[スーペル・リーガ|プリメイラ]]
|'''4位'''
|30 || 16 || 4 || 10 || 60 || 44 || '''52'''
|ベスト16
|bgcolor=gold|'''優勝'''
|align="left"|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13|CL]]
|グループリーグ敗退
|
|
|
|
|}
|}



== 現所属メンバー ==
== 現所属メンバー ==
; [[2013年]][[2月12日]]現在
; 2013年2月12日時点


{{サッカークラブチーム選手一覧 開始}}
{{サッカークラブチーム選手一覧 開始}}
362行目: 368行目:


== 歴代監督 ==
== 歴代監督 ==
{{表2列|
* {{Flagicon|POR}} [[ウンベルト・コエリョ]] 1985-1986
* {{Flagicon|POR}} [[ジェズアウドフェレイラ]] 2003-2006
*{{flagicon|HUN}} [[ヨゼフサボー]] 1935–1937
* {{flagicon|POR}} [[ジョルジュコスタ]] 2006-2007.10
*{{flagicon|HUN}} ヨゼフサボー 1945
* {{flagicon|POR}} [[マヌエルマシャド]] 2007.10-2008
*{{flagicon|HUN}} ヨゼフサボー 1953–1954
* {{flagicon|POR}} [[ジョルジェ・ジェズス]] 2008-2009
*{{flagicon|POR}} Mario Imbelloni 1955–1956
* {{flagicon|POR}} [[ドミンゴス・パシエンシア]] 2009-2011
*{{flagicon|POR}} Eduardo Viso 1955–1956
* {{flagicon|POR}} [[レオナルドジャルディム]] 2011-2012
*{{flagicon|HUN}} ヨゼフサボー 1956–1957
* {{flagicon|POR}} [[ジョゼ・ペセイロ]] 2012-2013
*{{flagicon|HUN}} サボー 1960–1961
* {{Flagicon|POR}} [[ジェズウドイラ]] 2013-
*{{flagicon|POR}} アントニオテイシェイラ 1964–1965
*{{flagicon|ARG}} [[ホセ・バジェ]] 1965–1966
*{{flagicon|POR}} Rui Sim-Sim 1966
*{{flagicon|POR}} [[フェルナンド・カイアド]] 1966–1967
*{{flagicon|ARG}} [[ホセ・バジェ]] 1967
*{{flagicon|POR}} ジョゼ・マリア・ヴィエイラ 1967–1968
*{{flagicon|POR}} [[アルトゥール・カレスマ]] 1968–1969
*{{flagicon|POR}} フェデリコ・パソス 1969
*{{flagicon|POR}} [[アルベルト・ダ・コスタ・ペレイラ|アルベルト・ペレイラ]] 1969–1970
*{{flagicon|POR}} Joaquim Coimbra 1970
*{{flagicon|POR}} ジョゼ・カルロス 1975–1976
*{{flagicon|POR}} マリオ・リノ 1976–1977
*{{flagicon|POR}} [[イラリオ・コンセイソン]] 1977
*{{flagicon|POR}} Mario Imbelloni 1977–1978
*{{flagicon|POR}} [[フェルナンド・カイアド]] 1978–1979
*{{flagicon|POR}} [[イラリオ・コンセイソン]] 1979–1980
*{{flagicon|POR}} マリオ・リーノ 1980–1981
*{{flagicon|POR}} [[キニート]] 1981–1982
*{{flagicon|POR}} [[ジュカ (ポルトガルのサッカー選手)|ジュカ]] 1982–1983
|
*{{flagicon|POR}} [[キニート]] 1983–1985
*{{flagicon|POR}} [[エンリケ・カリスト]] 1985
* {{Flagicon|POR}} [[ウンベルト・コエリョ]] 1985-1987
* {{flagicon|POR}} [[マヌエル・ジョゼ・デ・ジェズス|マヌエル・ジョゼ]] 1987–1989
* {{flagicon|POR}} [[ラウル・アグアス]] 1990
* {{flagicon|POR}} カルロス・ガルシア 1990–1992
* {{flagicon|POR}} ヴィトール・マヌエル 1992
* {{flagicon|POR}} [[アントニオ・オリヴェイラ]] 1992–1994
* {{flagicon|POR}} [[マヌエル・ゴメス|ネカ]] 1994
* {{flagicon|POR}} [[マヌエル・カジューダ]] 1994.7–1997.6
* {{flagicon|ESP}} [[フェルナンド・カストロ・サントス]] 1997–1998
* {{flagicon|POR}} [[ヴィトール・オリヴェイラ]] 1998
* {{flagicon|POR}} [[カルロス・マヌエル]] 1998
* {{flagicon|POR}} [[マヌエル・カジューダ]] 1999.4-2002.6
* {{flagicon|ESP}} [[フェルナンド・カストロ・サントス]] 2002–2003
* {{Flagicon|POR}} [[ジェズアウド・フェレイラ]] 2003.4-2006.5
* {{flagicon|POR}} [[カルロス・カルヴァリャル]] 2006.5–2006.11
* {{flagicon|POR}} [[ロジェリオ・ゴンサウヴェス]] 2006.11–2007.2
* {{flagicon|POR}} [[ジョルジュ・コスタ]] 2007.2–2007.10
* {{flagicon|POR}} [[アントニオ・カルダス]] 2007.10–2007.11(暫定)
* {{flagicon|POR}} [[マヌエル・マシャド]] 2007.11-2008.4
* {{flagicon|POR}} [[ジョルジェ・ジェズス]] 2008.5-2009.6
* {{flagicon|POR}} [[ドミンゴス・パシエンシア]] 2009.6-2011.6
* {{flagicon|POR}} [[レオナルド・ジャルディム]] 2011.7-2012.6
* {{flagicon|POR}} [[ジョゼ・ペセイロ]] 2012.7-2013.5
* {{flagicon|POR}} [[ジェズアウド・フェレイラ]] 2013.5-
}}


== 歴代所属選手 ==
== 歴代所属選手 ==
376行目: 428行目:


=== GK ===
=== GK ===
{{表2列|
* {{flagicon|POR}} [[ジョアキン・シルヴァ|キム]] 1996-2004, 2010-
* {{flagicon|POR}} [[ジョアキン・シルヴァ|キム]] 1996-2004, 2010-
* {{flagicon|POR}} [[パウロ・サントス]] 2003-2008
* {{flagicon|POR}} [[パウロ・サントス]] 2003-2008
* {{flagicon|POR}} [[エドゥアルド・ドス・レイス・カルヴァーリョ|エドゥアルド]] 2005-2010
* {{flagicon|POR}} [[エドゥアルド・ドス・レイス・カルヴァーリョ|エドゥアルド]] 2005-2010
* {{flagicon|POR}} [[クリスティアーノ・ペレイラ]] 2009-
* {{flagicon|POR}} [[クリスティアーノ・ペレイラ]] 2009-
|
* {{flagicon|BRA}} [[アルトゥール・モラエス]] 2010-2011
* {{flagicon|BRA}} [[アルトゥール・モラエス]] 2010-2011
* {{flagicon|ITA}} [[トンマーゾ・ベルニ]] 2011-2012
* {{flagicon|ITA}} [[トンマーゾ・ベルニ]] 2011-2012
* {{flagicon|POR}} [[アントニオ・アルベルト・バストス・ピンパレル|ベト]] 2012-
* {{flagicon|POR}} [[アントニオ・アルベルト・バストス・ピンパレル|ベト]] 2012-
}}


=== DF ===
=== DF ===
{{表2列|
* {{flagicon|POR}} [[カルロス・セクレタリオ]] 1992-1993
* {{flagicon|POR}} [[カルロス・セクレタリオ]] 1992-1993
* {{flagicon|POR}} [[アベル・フェレイラ|アベル]] 2004-2005
* {{flagicon|POR}} [[アベル・フェレイラ|アベル]] 2004-2005
390行目: 446行目:
* {{flagicon|POR}} [[ヌーノ・フレシャウト]] 2006-2009
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* {{flagicon|POR}} [[ジョアン・ペレイラ]] 2007-2009
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|
* {{flagicon|CHL}} [[パブロ・コントレラス]] 2008
* {{flagicon|CHL}} [[パブロ・コントレラス]] 2008
* {{flagicon|POR}} [[シルヴィオ・マヌエル・ペレイラ|シルヴィオ]] 2010-2011
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* {{flagicon|FRA}} [[マルコ・ラモス]] 2011-2012
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* {{flagicon|POR}} [[ミゲル・ロペス]] 2012
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}}


=== MF ===
=== MF ===
{{表2列|
* {{flagicon|POR}} [[チアゴ・メンデス]] 1999-2002
* {{flagicon|POR}} [[チアゴ・メンデス]] 1999-2002
* {{flagicon|JPN}} [[廣山望]] 2002-2003
* {{flagicon|JPN}} [[廣山望]] 2002-2003
403行目: 462行目:
* {{flagicon|BRA}} [[ロドリゴ・ポセボン]] 2009-2010
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* {{flagicon|URU}} [[ルイス・アギアル]] 2010-2011
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|
* {{flagicon|POR}} [[ウーゴ・ヴィアナ]] 2010-
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* {{flagicon|POR}} [[ルベン・アモリム]] 2012-
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* {{flagicon|POR}} [[ルベン・ミカエル]] 2012-
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}}


=== FW ===
=== FW ===
{{表2列|
* {{flagicon|BRA}} [[エウピジオ・ペレイラ・ダ・シルバ・フィーリョ|エウピジオ・シルバ]] 1998-2000
* {{flagicon|BRA}} [[エウピジオ・ペレイラ・ダ・シルバ・フィーリョ|エウピジオ・シルバ]] 1998-2000
* {{flagicon|HUN}} [[フェヘール・ミクローシュ]] 2000-2001
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* {{flagicon|BRA}} [[マテウス・レイテ・ナシメント|マテウス]] 2006-2011
* {{flagicon|BRA}} [[マテウス・レイテ・ナシメント|マテウス]] 2006-2011
* {{flagicon|BRA}} [[マルセウ・アウグスト・オルトラン|マルセウ]] 2006
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|
* {{flagicon|BRA}} [[ジエゴ・ダ・シウヴァ・コスタ|ジエゴ・コスタ]] 2006-2007
* {{flagicon|BRA}} [[ジエゴ・ダ・シウヴァ・コスタ|ジエゴ・コスタ]] 2006-2007
* {{flagicon|AUT}} [[ローランド・リンツ]] 2007-2009
* {{flagicon|AUT}} [[ローランド・リンツ]] 2007-2009
434行目: 497行目:
* {{flagicon|POR}} [[ヌーノ・ゴメス]] 2011-2012
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}}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* 鰐部哲也『ポルトガルサッカーの魔力』白夜書房サッカー小僧新書、2012年


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.scbraga.pt/ 公式サイト]
* [http://www.scbraga.pt/ 公式サイト] {{pt icon}}
* [http://www.portugoal.net/index.php/clubs/braga Detailed up-to-date Braga news]
* [http://www.football-lineups.com/games/?t=Campaign&campaign=32.92 Football Lineups team profile]
* [http://www.portuguesesoccernewslinks.com/braga.html Braga News at PSNL Soccer]


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446行目: 516行目:
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[[Category:ポルトガルのサッカークラブ]]
[[Category:ポルトガルのサッカークラブ]]
[[Category:ブラガ]]
[[Category:ブラガ]]

2013年7月15日 (月) 08:48時点における版

SCブラガ
原語表記 Sporting Clube de Braga
愛称 Os Arcebispos(大主教),
Os Arsenalistas(アルセナリスタス),
Minhotos(ミーニョ地方出身者),
Os Guerreiros do Minho(ミーニョの戦士),
Bracarenses(ブラカレンセス)
クラブカラー 赤と白
創設年 1921年
所属リーグ ポルトガル・サッカーリーグ
所属ディビジョン リーガ・サグレス(1部)
ホームタウン ブラガ
ホームスタジアム エスタディオ・アクサ
収容人数 30,286
代表者 ポルトガルの旗 アントニオ・サルヴァドール
監督 ポルトガルの旗 ジェズアウド・フェレイラ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

スポルティング・クルービ・ジ・ブラガポルトガル語: Sporting Clube de Braga, ポルトガル語発音: [ˈspɔɾtĩŋ ˈkluβ(ɨ) ðɨ ˈβɾaɣɐ])は、ポルトガル北西部の都市ブラガに本拠地を置く総合スポーツクラブ。特にサッカーチームが有名であり、ポルトガルで開催されたUEFA EURO 2004開幕前に建設されたエスタディオ・アクサ(愛称は「石切り場」)をホームスタジアムとしている。マクロン(スポーツ衣料品、イタリア)やアクサ(保険会社、フランス)がスポンサーを務めている。

国内大会では、1965-66シーズンにタッサ・デ・ポルトガルで優勝し、2012-13シーズンにタッサ・ダ・リーガで優勝している。2009-10シーズンにはプリメイラ・リーガで過去最高位の2位となった。21世紀に入ってからの躍進が目覚ましく、ポルトガルの伝統的なビッグ3(FCポルトSLベンフィカスポルティングCP)の支配構造に風穴をあけるクラブに成長している[1]

国際大会では、2008年にUEFAインタートトカップで優勝し、2010-11シーズンのUEFAヨーロッパリーグで準優勝した。2010-11シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではクラブ史上初めて本選グループリーグに出場し、2012-13シーズンには再び本選グループリーグに出場した。

歴史

赤色のユニフォームでプレーした最初期の試合(セルタ・デ・ビーゴ戦)

トップチームのユニフォームカラ―が変更された1946-47シーズンにセカンド・ディヴィジョン(当時2部)で優勝し、クラブ史上初めてプリメイラ・リーガ(1部)に昇格した。また、ユースチームの名称をアルセナル・デ・ブラガに変更した。1960年代と1970年代にはリーグ戦で好成績を収め、何度か欧州カップ戦に参加した。

2000年代

アジアとの関係を見ると、2003年には廣山望がプリメイラ・リーガ初の日本人選手として在籍し[2]、2005-06シーズンには金東炫が同リーグ初の韓国人選手として在籍している[3]。2003年夏にはジェズアウド・フェレイラ監督が就任し、2003-04シーズンにはリーグ戦で5位となってUEFAカップ出場権を獲得。この時期から国内と国外での躍進が始まった。2005-06シーズンにはシーズン終盤まで優勝を争いって4位となり、2006年夏にカルロス・カルヴァリャル監督が就任すると、2006-07シーズン序盤は低調な成績であり、UEFAカップでは1回戦でキエーヴォ・ヴェローナ(イタリア)に2試合合計3-2で勝利したが、グループリーグ序盤戦ではAZアルクマール(オランダ)に0-4で敗れたほか、国内リーグではCSマリティモに1-4で敗れた。カルバリャル監督は2006年11月に辞任し、ロジェリオ・ゴンサウヴェスが後任監督に就任すると、アシスタントコーチに元ポルトガル代表キャプテンのジョルジュ・コスタが就任。ゴンサウヴェス監督就任初戦のSLベンフィカ戦には1-3で敗れ、UEFAカップではセビージャFC(スペイン)に0-2で敗れた。ウニオン・レイリアに0-1で敗れた後、ゴンサウヴェス監督は2007年2月18日に辞任した。アントニオ・サルヴァドール会長はジョルジュ・コスタの監督就任を発表し、ジョルジュ・コスタ監督は就任初戦となったUEFAカップ・決勝トーナメント1回戦のパルマFC(イタリア)に1-0で勝利。決勝トーナメント2回戦ではトッテナム・ホットスパーFC(イングランド)と対戦したが、2試合合計4-6で敗れた。国内リーグ戦では最終節でCFベレネンセスを交わし、3シーズン連続で4位となった。

2006年7月、フランスの保険会社であるアクサが年間数百万ドルを支払うスポンサーとなり、スタジアムの名称がエスタディオ・ムニシパル・デ・ブラガ(ブラガ市営スタジアム)からエスタディオ・アクサに変更された。スタジアムに命名権名称を導入したのはポルトガル初(2012年時点で唯一)である[4]。2007-08シーズンのUEFAカップではハンマルビーIF(スウェーデン)と対戦し、アウェーで行なわれたファーストレグには1-2で敗れたが、ホームで行なわれたセカンドレグには4-0で勝利して2シーズン連続のグループリーグ出場を決めた。グループリーグ初戦のボルトン・ワンダラーズFC(イングランド)戦には1-1で引き分け、2戦目は優勝候補のバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)戦だったが、ロランド・ルイスの得点でやはり1-1で引き分けた。3戦目のアリス・テッサロニキFC(ギリシャ)戦ではリンツの得点で1-1で引き分け、最終戦のレッドスター・ベオグラード(セルビア)戦は2-0で初勝利を飾った。決勝トーナメントではヴェルダー・ブレーメン(ドイツ)と対戦し、ファーストレグではPKを2度も失敗して0-3で敗れた。セカンドレグには1-0で勝利したが、2試合合計1-3で敗退した。2008年夏のUEFAインタートトカップではシヴァススポル(トルコ)を下して優勝。その結果出場した2008-09シーズンのUEFAカップでは、予選2回戦でHŠKズリニスキ・モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)を2試合合計3-0で下し、本選1回戦のFCペトルジャルカ1898(スロバキア)戦ではファーストレグでアルベール・メヨン・ゼがハットトリックを達成するなどして2試合合計6-0で快勝した。3シーズン連続でグループリーグ出場権を獲得し、グループリーグではポーツマスFC(イングランド)、ACミラン(イタリア)、VfLヴォルフスブルク(ドイツ)、SCヘーレンフェーン(オランダ)と同組となった。初戦のポーツマス戦にはルイス・アギラールの1得点2アシストで3-0と勝利し、この試合は相手監督であるハリー・レドナップのトッテナム監督就任前ラストゲームとなった。サン・シーロで行なわれたミラン戦では長い時間試合を支配し、試合終了直前の93分まで無失点に抑えていたが、35mの距離からロナウジーニョにミドルシュートを決められて敗れた。決勝トーナメント1回戦ではフェリックス・マガト監督率いるヴォルフスブルクと対戦し、2点を先行したが2-3で敗れた。ヘーレンフェーン戦には2-1で勝利し、2勝2敗の勝ち点6でグループ3位となって決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦ではスタンダール・リエージュ(ベルギー)と対戦し、2試合合計4-1で勝利した。決勝トーナメント2回戦ではパリ・サンジェルマンFC(フランス)に2試合合計0-1で敗れたが、UEFAインタートトカップ優勝組(11クラブ)の中では最高の成績を残した。

シーズン UEFAチームランキング ポイント
2003–04
2004–05 139位 15.739
2005–06 136位 17.533
2006–07 96位 27.107
2007–08 79位 33.176
2008–09 50位 39.292
2009–10 48位 39.659
2010–11 28位 62.319
2011–12 29位 63.069
2012–13 29位 増減なし 62.833

2009-10シーズンの国内リーグでは開幕から7連勝を記録し、その後も安定した成績を残して2010年1月まで首位を守った。その後も2位の座を守りきり、ベンフィカと勝ち点5差の2位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した[5]。2010-11シーズンにはクラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグに出場した[5]。予選3回戦のセルティックFC(スコットランド)戦ではホームで3-0と快勝し[6]、アウェーのセルティック・パークでは1-2と敗れたものの、2試合合計4-2としてプレーオフ出場を決めた[7]。プレーオフではセビージャと対戦し、2試合合計4-4(ホームで1-0、アウェーで3-4)ではあったがアウェーゴールルールで本選グループリーグ初出場を決め[8]アーセナルFC(イングランド)、FCシャフタール・ドネツク(ウクライナ)、FKパルチザン・ベオグラード(セルビア)と同組となった。ブラガのユニフォームカラ―はアーセナルに由来している(後述)。グループリーグ初戦、エミレーツ・スタジアムで行なわれたアーセナル戦には0-6で大敗し[9]、シャフタール戦には0-3で敗れたが、パルチザン戦には2-0で勝利した。その2週間後には再びパルチザンに1-0で勝利し、ホームでのアーセナル戦には2-0で勝利した。5戦を終えて3勝2敗(勝ち点9)のグループ2位だったが、最終戦のシャフタール戦に0-2で敗れ、またアーセナルがパルチザンに勝利したことでグループ3位に転落し、シャフタールとアーセナルが決勝トーナメントに進出した。ブラガはUEFAヨーロッパリーグに回り、レフ・ポズナン(ポーランド)、リヴァプールFC(イングランド)を破って準々決勝に進出した。欧州カップ戦でベスト8以上の成績を残すのはクラブ史上初だった。準々決勝ではFCディナモ・キエフ(ウクライナ)を破り、ベンフィカやFCポルトとともに、欧州カップ戦で初めてベスト4にポルトガルから3クラブが勝ち残った。同国対決となった準決勝のベンフィカ戦ファーストレグには1-2で敗れたが、セカンドレグには1-0で勝利し、2試合合計2-2ながらアウェーゴール差で決勝進出を決めた。アイルランド・ダブリンのアビバ・スタジアムで行なわれたポルトとの決勝には0-1で敗れて準優勝に終わった。国内リーグこそ4位と順位を落としたが、ドミンゴス・パシエンシア監督の下、クラブ史上最高のシーズンのひとつとなった。

2011年夏にはパシエンシア監督がスポルティング・リスボンに引き抜かれ、レオナルド・ジャルディム監督が就任した。国内リーグではクラブ新記録となる13連勝を記録し、最終的に3位となった[5]。2012-13シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・プレーオフではウディネーゼ・カルチョ(イタリア)と対戦し、ホーム&アウェーの2試合とも1-1だったが、PK戦に勝利して2シーズンぶりの本選グループリーグ出場を決めた[10][11][12]。ホームで行なわれたグループリーグ初戦のCFRクルジュ(ルーマニア)戦に0-2で敗れ、アウェーで行なわれた2戦目のガラタサライSK(トルコ)戦には2-0で勝利した。オールド・トラッフォードで行なわれたマンチェスター・ユナイテッドFC(イングランド)戦では2点を先行したが、その後逆転されて2-3で敗れた。ホームでのマンチェスター・U戦でも80分まで1-0でリードしていたが、やはり逆転されて1-3で敗れた。アウェーでのCFR戦、ホームでのガラタサライ戦にも敗れ、1勝5敗(勝ち点3)のグループ最下位で敗退した。同シーズンの国内リーグ戦では前年度からひとつ順位を落として4位となり、4シーズンぶりにビッグ3以外のクラブ(3位はFCパソス・デ・フェレイラ)の後塵を拝した。タッサ・ダ・リーガ(リーグカップ)の準決勝では4連覇中のベンフィカと対戦し、ポルトガル国内の3大会(リーグ、カップ、リーグカップ)でシーズン開幕から26戦無敗を続けていたベンフィカにPK戦の末勝利した。決勝では国内リーグで開幕から25戦無敗を続けていたポルトを1-0で下した。2007-08シーズンの初開催以来ベンフィカが4連覇していた大会で初優勝を果たし、1965-66シーズンのタッサ・デ・ポルトガル以来となるタイトルを獲得した。

文化

ライバル

最大のライバルはヴィトリア・ギマランイスであり、ブラガとヴィトリア・ギマランイスの対戦はオ・デルビー・デ・ミーニョ(ミーニョ・ダービー)と呼ばれる。ブラガギマランイスはともにブラガ県に所在し、両都市は約18kmの近距離にある。ブラガ県はかつてミーニョ州という行政区分に含まれ、現在でも付近はミーニョ地方と呼ばれる。このダービーはポルトガルでもっとも白熱する試合のひとつであり、13歳以下の子どもは保護者同伴でない限り入場を制限される。ライバル意識はブラガがガラエキア(古代ローマ属州)の首都だった時代に遡る。12世紀にアフォンソ1世がポルトガル王国を形成するまで、ブラガはポルトガル最大の都市だったが、その後ギマランイスが国王と貴族の地となり、ブラガは宗教の中心地(大主教の地)としての地位にとどまった。

エンブレム

ブラガ市のエンブレムは青色の盾の上に銀色の城壁冠が被された構図であり、盾の中にはイエスを胸に抱いた聖母マリアと2本の塔が配置されている。スポルティング・ブラガのエンブレムもブラガ市のエンブレムに良く似ているが、盾の色は赤色と白色であり、城壁冠の色は金色である。また、盾の中には「Sporting Clube de Braga」というクラブ名称が刻まれている。多くのブラガファンは聖母マリアがクラブに幸運をもたらすとしている。

ユニフォーム

当初はスポルティング・リスボンのような緑色と白色のユニフォームだったが、1940年代に在職したジョゼ・アントゥネス・ギマランイス会長がアーセナルFC(イングランド)のファンであり、ロンドンに仕事上のつながりを持っていたため、1940年代半ば[13]にアーセナルのような赤色のユニフォームに変更した。なお、これは一つの説であり、アーセナルのプレースタイルを愛したハンガリー人のヨゼフ・サボー監督が会長にユニフォームカラ―の変更を求めたとする説もある[2][14]。これらのことから、クラブやサポーターにアルセナリスタス(Arsenalistas)という愛称が用いられる[15]。また、ブラガがあるミーニョ地方はかつてケルト人が居住してブラカリ(Bracari)と呼ばれていた土地であるため、ブラカレンセスという愛称も持っている。

タイトル

国内タイトル

2位 (1) : 2009-10
優勝 (1) : 1965-66
準優勝 (3) : 1976–77, 1981–82, 1997–98
優勝 (1) : 2012-13
準優勝 (2) : 1982, 1998
  • セカンド・ディヴィジョン[16]
優勝 (2) : 1946–47, 1963–64
準優勝 (2) : 1956–57, 1974–75
準優勝 (1) : 1970–71
優勝 (1) : 1976–77

国際タイトル

優勝 (1) : 2008
準優勝 (1) : 2010–11

過去の成績

シーズン 国内リーグ 国内カップ 国内リーグカップ 欧州カップ その他
ディビジョン 順位 試合数 得点 失点 勝ち点
1989–90 プリメイラ 12位 34 8 12 14 32 41 28 4回戦敗退 創設前
1990–91 プリメイラ 7位 38 13 8 17 42 45 34 準々決勝敗退
1991–92 プリメイラ 12位 34 12 5 17 41 49 29 準々決勝敗退
1992–93 プリメイラ 12位 34 12 6 16 33 34 30 準々決勝敗退
1993–94 プリメイラ 15位 34 9 10 15 33 43 28 4回戦敗退
1994–95 プリメイラ 10位 34 11 10 13 34 42 32 5回戦敗退
1995–96 プリメイラ 8位 34 12 9 3 44 47 45 3回戦敗退
1996–97 プリメイラ 4位 34 15 10 9 39 40 55 準々決勝敗退
1997-98 プリメイラ 10位 34 11 12 11 48 49 45 準優勝 UEFAカップ 3回戦敗退
1998-99 プリメイラ 9位 34 10 12 12 38 50 42 3回戦敗退 UCWC 2回戦敗退 スーペルタッサ 準優勝
1999–00 プリメイラ 9位 34 12 7 15 44 45 43 4回戦敗退
2000–01 プリメイラ 4位 34 16 9 9 58 48 57 3回戦敗退
2001–02 プリメイラ 10位 34 10 12 12 43 43 42 準決勝敗退
2002–03 プリメイラ 14位 34 8 14 12 34 47 38 4回戦敗退
2003–04 プリメイラ 5位 34 15 9 10 36 38 54 準決勝敗退
2004–05 プリメイラ 4位 34 16 10 8 45 28 58 準々決勝敗退 UEFAカップ 1回戦敗退
2005–06 プリメイラ 4位 34 17 7 10 38 22 58 4回戦敗退 UEFAカップ 1回戦敗退
2006–07 プリメイラ 4位 30 14 8 8 35 30 50 準決勝敗退 UEFAカップ ベスト16
2007–08 プリメイラ 7位 30 10 11 9 32 34 41 4回戦敗退 3回戦敗退 UEFAカップ ベスト32
2008–09 プリメイラ 5位 30 13 11 6 38 21 50 4回戦敗退 2回戦敗退 UEFAカップ ベスト16 インタートトカップ 優勝
2009–10 プリメイラ 2位 30 22 5 3 48 20 71 準々決勝敗退 3回戦敗退 EL 予選3回戦敗退
2010–11 プリメイラ 4位 30 13 7 10 45 33 46 4回戦敗退 3回戦敗退 EL 準優勝
2011–12 プリメイラ 3位 30 19 5 6 59 29 62 4回戦敗退 準決勝敗退 EL ベスト32
2012–13 プリメイラ 4位 30 16 4 10 60 44 52 ベスト16 優勝 CL グループリーグ敗退


現所属メンバー

2013年2月12日時点

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ポルトガル キム
2 DF フランス ヴァンサン・サッソ
3 DF ドイツ マキシミリアン・ハース
4 DF ポルトガル ヌーノ・アンドレ・コエーリョ
5 MF ポルトガル ルベン・アモリム
6 DF ポルトガル エミディオ・ラファエル
7 FW ポルトガル ジョアン・ペドロ
8 MF ブラジル モッソロ
10 FW ポルトガル エルデル・バルボーザ
12 FW ブラジル ミチェル
14 MF ポルトガル ルベン・ミカエル
15 DF ブラジル バイアーノ
17 FW ポルトガル エデル ()
19 FW ポルトガル ラビオラ
20 DF ナイジェリア ウーワ・エウデルソン・エチデレ
No. Pos. 選手名
21 DF ブラジル イスマイリー
22 MF リビア ジャマル・マハマト
23 GK ポルトガル クリスティアーノ・ペレイラ ()
24 GK ロシア スタニスラフ・クリツュク
25 MF ブラジル レアンドロ・サリーノ
26 DF ブラジル パウロ・ヴィニシウス
27 MF ポルトガル クストディオ
29 FW カーボベルデ ゼ・ルイス
30 FW ブラジル アラン主将
44 DF ブラジル ダグラン
45 MF ポルトガル ウーゴ・ヴィアナ
78 FW ロシア マクシム・ジェストコフ
83 FW ブラジル カルロン
99 FW ブラジル マノエル

括弧内の国旗はその他の保有国籍を示す。

歴代監督


歴代所属選手

GK


DF


MF


FW


脚注

  1. ^ 鰐部 (2012)、128頁
  2. ^ a b “ポルトガルのアーセナル”の大躍進スポーツナビ、2009年10月23日
  3. ^ 鰐部 (2012)、142頁
  4. ^ 鰐部 (2012)、133頁
  5. ^ a b c 鰐部 (2012)、144頁
  6. ^ “Braga 3 – 0 Celtic”. BBC Sport. (2010年7月28日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/8860029.stm 2010年8月25日閲覧。 
  7. ^ Grahame, Ewing (2010年8月4日). “Celtic 2 Sporting Braga 1; agg 2–4: match report”. The Telegraph (London). http://www.telegraph.co.uk/sport/football/teams/celtic/7927359/Celtic-2-Sporting-Braga-1-agg-2-4-match-report.html 2010年8月25日閲覧。 
  8. ^ “Sevilla dumped out by Sporting Braga”. CNN.com. (2010年8月24日). http://edition.cnn.com/2010/SPORT/football/08/24/champions.league.braga.sevilla/#fbid=0LcUJtIUDm0&wom=false 2010年8月25日閲覧。 
  9. ^ “Arsenal 6 – 0 Braga”. BBC Sport. (2010年9月15日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/8995161.stm 2010年9月28日閲覧。 
  10. ^ "Podíamos ter ganho o jogo nos 90 minutos" – Rúben Micael”. A Bola (2012年8月28日). 2012年10月11日閲覧。
  11. ^ "Estou satisfeito e emocionado; fomos uma equipa soberba" – José Peseiro”. A Bola (2012年8月28日). 2012年10月11日閲覧。
  12. ^ Mil adeptos receberam a equipa, Salvador levado em ombros (fotos)”. A Bola (2012年8月29日). 2012年10月11日閲覧。
  13. ^ リザーブチームは1945-46シーズンから、トップチームは1946-47シーズンから赤色のユニフォームを着用している。
  14. ^ なお、「”ポルトガルのアーセナル”の大躍進」では1920年にサボー監督の発案でユニフォームカラ―が変更されたとしているが、サボー監督が在職したのは1930年代から1940年代であり、1920年代にはまだハンガリーのクラブでプレーする現役選手だった。
  15. ^ Braga break into big time UEFA.com
  16. ^ 1990年にリーガ・デ・オンラ(現2部)が創設されるまで、セカンド・ディヴィジョンがポルトガルの2部リーグだった。

参考文献

  • 鰐部哲也『ポルトガルサッカーの魔力』白夜書房サッカー小僧新書、2012年

外部リンク