エドゥアルド・ドス・レイス・カルヴァーリョ
| この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はドス・レイス、第二姓(父方の姓)はカルヴァーリョです。 |
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| 名前 | ||||||
| 本名 |
エドゥアルド・ドス・レイス・カルヴァーリョ Eduardo dos Reis Carvalho | |||||
| ラテン文字 | Eduardo | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1982年9月19日(36歳) | |||||
| 出身地 | ミランデラ | |||||
| 身長 | 188cm | |||||
| 体重 | 89kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム |
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| ポジション | GK | |||||
| 背番号 | 1 | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1992-1996 |
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| 1996-1997 |
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| 1997-1998 |
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| 1998-2001 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2001-2006 |
| 113 | (0) | |||
| 2006-2010 |
| 6 | (0) | |||
| 2007 |
→ | 15 | (0) | |||
| 2007-2008 |
→ | 30 | (0) | |||
| 2010-2014 |
| 37 | (0) | |||
| 2011-2012 |
→ | 1 | (0) | |||
| 2012-2013 |
→ | 33 | (0) | |||
| 2013-2014 |
→ | 29 | (0) | |||
| 2014-2016 |
| 70 | (0) | |||
| 2016- |
| 0 | (0) | |||
| 2018- |
→ | |||||
| 代表歴2 | ||||||
| 2004 |
| 2 | (0) | |||
| 2009- |
| 36 | (0) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。2016年8月31日現在。 2. 2016年9月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
エドゥアルド・ドス・レイス・カルヴァーリョ(Eduardo dos Reis Carvalho、1982年9月19日 - )は、ポルトガル・ミランデラ出身のサッカー選手。フィテッセ所属。ポルトガル代表。ポジションはGK。
経歴[編集]
クラブ[編集]
SCブラガの下部組織の出身だが、キム、パウロ・サントスの影に隠れ、23歳までリザーブチームでの生活を強いられた。飛躍のきっかけとなったのは、2007-2008シーズンのタッサ・ダ・リーガであり、当時レンタルで所属していたヴィトーリアFCの優勝に貢献し、大会MVPに輝いた。
2010年にはアーセナルFCへの移籍も噂されたが[1]、7月8日にマルコ・アメリアをACミランに放出していたジェノアCFCへ完全移籍した[2]。ジェノアは移籍金450万ユーロを支払って保有権の75%を獲得している。
ジェノアでは37試合に出場し、レギュラーとしてプレー。失点こそ前シーズンに比べて減少(61→47)したもののチームは10位に終わり、さらに時折無謀な飛び出しが目立ったために首脳陣の信頼を得ることはできなかった。2011-12シーズンは3年ぶりのUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得を目指し、ACFフィオレンティーナからセバスティアン・フレイを獲得。構想外となり、SLベンフィカへレンタル移籍し母国に復帰した。しかし、前年にSCブラガの正GKとしてUEFAヨーロッパリーグで準優勝したアルトゥール・モラエスの控えに甘んじ出場機会はなかった。
2014年6月27日、クロアチアのディナモ・ザグレブに移籍した[3]。
2016年8月25日、チェルシーFCに移籍した[4]。ティボ・クルトワ、アスミル・ベゴヴィッチに次ぐ第3GKとして加入した。2016-2017シーズンは出場機会は無かったが、2017年5月23日に契約を1年間延長した[5]。
代表[編集]
前述のセトゥーバルでの活躍は当時のルイス・フェリペ・スコラーリポルトガル代表監督も注目していたが、EURO2008のエントリーメンバーには選ばれなかった。2008-09シーズンからはブラガに復帰し、ポルトガル代表にも招集されるようになる。当初はリカルド・ペレイラに代わって定位置を確保したキムの控えだったが、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選序盤戦ではキムの不安定なプレーが続き、2009年3月28日のスウェーデン戦からスタメンで起用されて以降、好パフォーマンスを披露。ボスニア・ヘルツェゴビナとのプレーオフでも2試合通じて無失点に抑え、2010 FIFAワールドカップ本大会進出に貢献した。その後、ベト、ジョゼ・モレイラ、ダニエル・フェルナンデス、エンリケ・イラーリオ等との激しい争いの末、代表メンバーに選出され更に正GKを任される。本大会では4試合で1失点と奮闘したものの、チームは決勝トーナメント1回戦でスペインに敗れ、ベスト16に終わった。
2011年に入るとルイ・パトリシオに定位置を譲るようになっている。
所属クラブ[編集]
ジェノアCFC 2010-2014
NKディナモ・ザグレブ 2014-2016
チェルシーFC 2016-
- →
フィテッセ 2018-
タイトル[編集]
- チェルシーFC
- FAカップ : 2017-18
脚注[編集]
- ^ ポルトガル代表GKがアーセナルへ?Goal.com、2010年7月5日
- ^ ポルトガルの守護神がジェノアへUEFA.com、2010年7月8日
- ^ “Veliko pojačanje na golu: Eduardo potpisao za Dinamo!” (クロアチア語). gnkdinamo.hr (2014年6月27日). 2018年5月2日閲覧。
- ^ “チェルシーに新戦力 ポルトガル代表35キャップのベテランGKが加入”. サッカーキング. (2016年8月26日) 2018年5月2日閲覧。
- ^ “チェルシー、第3GK務めるポルトガル代表GKエドゥアルドと1年の契約延長”. 超ワールドサッカー (2017年5月24日). 2018年5月2日閲覧。
- ^ “Doelman Eduardo naar Vitesse” (オランダ語). Vitesse.nl (2018年7月6日). 2018年7月6日閲覧。
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