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そのアガペーとはいかなるものなのか、その特質を説明するにあたって、キリスト教関連の書物や西欧文化圏の書物では、あえて4種類の感情(すでに[[古代ギリシア]]時代から考えられていた4種類の"愛"、いずれもギリシア語表現。)について説明している<ref>スコット・ペック『愛と心理療法』創元社, 1987年, ISBN 4422110837 など</ref>ことが多い。それらは以下のとおり。 |
そのアガペーとはいかなるものなのか、その特質を説明するにあたって、キリスト教関連の書物や西欧文化圏の書物では、あえて4種類の感情(すでに[[古代ギリシア]]時代から考えられていた4種類の"愛"、いずれもギリシア語表現。)について説明している<ref>スコット・ペック『愛と心理療法』創元社, 1987年, ISBN 4422110837 など</ref>ことが多い。それらは以下のとおり。 |
2012年6月29日 (金) 09:40時点における版
人間関係 |
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種類 |
恋愛的な出来事 |
気持ちと感情 |
習慣 |
虐待 |
カテゴリ |
愛(あい、英: Love、仏: Amour)とは、崇高なものから、恋愛、そして欲望に至るまで様々な意味で用いられる概念である。
概説
「愛」の意味は、時代とともに多様化してきている。
最初に辞書における語義の説明に軽く触れ、次に、伝統的な用法、各宗教における説明で人々の間に定着している意味を解説し、その後、現代の多様な用法まで、歴史に沿って解説する。
辞典などでの解説、主要な語義
広辞苑では、次のような用法をあげている。
- 親兄弟のいつくしみあう心。ひろく、人間や生物への思いやり[1]。
- 男女間の愛情。恋愛[1]。
- 大切にすること。かわいがること。めでること[1]。
- 〔キリスト教〕 神が、全ての人間をあまねく限りなく いつくしんでいること。アガペー[1]。
- 〔仏教〕 渇愛、愛着(あいじゃく)、愛欲。「十二因縁」の説明では第八支に位置づけられ、迷いの根源として否定的に見られる[1]。
日本語の「愛」の意味の変遷
日本の古語においては、「かなし」という音に「愛」の文字を当て、「愛(かな)し」とも書き、相手をいとおしい、かわいい[2]、と思う気持ち、守りたい思いを抱くさま[2]、を意味した。[3]
近代に入り、西洋での語義、すなわち英語の「Love」やフランス語の「amour」などの語義が導入された。その際に、「1. キリスト教の愛の概念、2.ギリシア的な愛の概念、3. ロマン主義小説の恋愛至上主義での愛の概念」などの異なる概念が同時に流れ込み、現在の多用な用法が作られてきた。
伝統的な説明、宗教的な説明
キリスト教・古代ギリシアでの愛
キリスト教において最大のテーマとなっている愛と言えば、まずなによりもアガペーである。 そのアガペーとはいかなるものなのか、その特質を説明するにあたって、キリスト教関連の書物や西欧文化圏の書物では、あえて4種類の感情(すでに古代ギリシア時代から考えられていた4種類の"愛"、いずれもギリシア語表現。)について説明している[4]ことが多い。それらは以下のとおり。
- 「エロス」 έρως érōs
- 理性的な愛。主に男女関係の愛。自分のために他を求める愛。
- 「フィーリア」 φιλία philía
- 友情愛。自分を与えることで他人を生かす愛。配慮的な愛。
- 「アガペー」 αγάπη agápē
- もとはあるものを他より優遇する選択的な愛。キリスト教でいう一般的な「愛」。無条件の愛。万人に平等な愛。神が私達に与える愛。見返りを求めない愛。
キリスト教の愛は、隣人愛によって成立する人類という大きな家族像を示唆している。その隣人愛は、キリストが十字架にかけられ、全人類の(過去と現在と未来永劫の)罪を贖ったことにより実現される愛である。これは、全人類を創り、育て、救う、神の愛を示唆する。人類は神の創造物、神の姿を模った特別な「神の子供達」として、平等であるという点から、自然や組織による差別を超越して、同胞的愛を地上に実現しようとしている、とされる。
キリスト教の神は、聖書の「放蕩息子」の愚かな息子の帰りを純粋に信じ待ち続けた父親のように限りなく寛大な親であり、聖母は全ての人の母として尊敬されるべき慈愛あふれる庇護者であり、全ての人は善きサマリア人のように互いに支え合い、譲り合い許し合い和解すべきとされる。
イエスは言った「されど我ら汝らに告ぐ、汝らの敵を愛し、汝らを迫害する人のために祈れ」(マタイ 5:44)と。ここに自分を中傷し敵対する相手であれ、神の子供として、また、罪を贖われた者として、隣人とみなして赦し合うべきであるという、人類愛の宣言がある。
パウロは対神徳として信仰、希望、愛を掲げたが、「そのうち最も大いなるは愛なり」(1コリント 13:13)と言い、「山を移すほどの大いなる信仰ありとも、愛なくば数うるに足らず」(同13:2)、「愛を追い求めよ」(同14:1)としるし、すべての徳とキリスト教における愛の優位性を確立した。また彼は、神の永続的な無償の愛を恩寵charis(ロマ 1:5、ほか)と呼び、これはのちにgratiaとラテン語訳されて、キリスト教神学の原理的概念として重んぜられたのである。
西欧の伝統、キリスト教の信仰においては、愛は非常に大きなテーマである。キリスト教においては、「神は愛である」としばしば表現される。また、「無条件の愛」もたびたび言及されている。
仏教での愛
仏教での「愛」には、サンスクリット語でtRSNaa तृष्णा、kaama काम、preman प्रेमन्、sneha स्नेह の4種が挙げられる。
- tRSNaa
- 人間の最も根源的な欲望であり、原義は「渇き」であり、人が喉が渇いている時に、水を飲まないではいられないというような衝動をいう。それに例えられる根源的な衝動が人間存在の奥底に潜在しており、そこでこれを「愛」とか「渇愛」と訳し、時には「恩愛」とも訳す。
- 広義には煩悩を意味し、狭義には貪欲と同じ意味である。
- また、この「愛」は十二因縁に組み入れられ、第八支となる。前の受(感受)により、苦痛を受けるものに対しては憎しみ避けようという強い欲求を生じ、楽を与えるものに対してはこれを求めようと熱望する。苦楽の受に対して愛憎の念を生ずる段階である。
- kaama
- kaamaはふつう「性愛」「性的本能の衝動」「相擁して離れがたく思う男女の愛」「愛欲」の意味に用いられる。これを「婬」と表現することが多い。
- 仏教では、性愛については抑制を説いたが、後代の真言密教になると、男女の性的結合を絶対視するタントラ教の影響を受けて、仏教教理を男女の性に結びつけて説く傾向が現れ、男女の交会を涅槃そのもの、あるいは仏道成就とみなす傾向さえも見られた。
- 密教が空海によって日本に導入された時は、この傾向は払拭されたが、平安末期に立川流が現れ、男女の交会を理智不二に当てはめた。
- 性愛を表す愛染という語も、この流れであり、しばしば用いられる。
- preman, sneha
- preman, snehaは、他人に対する、隔てのない愛情を強調する。
- 子に対する親の愛が純粋であるように、一切衆生に対してそのような愛情を持てと教える。この慈愛の心を以て人に話しかけるのが愛語であり、愛情のこもった言葉をかけて人の心を豊かにし、励ます。この愛の心をもって全ての人々を助けるように働きかけるのが、菩薩の理想である。
- 一切衆生に対する愛情の純粋化・理想化されたものを慈悲という。それは仏に成就しているが、一般の人々にも多かれ少なかれ実践できる。
仏教では、中心的なテーマは愛ではなく、それは「瞑想の道」とも呼ばれ、愛の道と対比され、探求には愛の実践は含まれないか中心的な重要さはもっていない。しかし、道に到達した時には愛が起きる。例えば、禅の探求には愛は含まれない。しかし、悟りを開いた人々は愛に満ちていることは知られている通りである。[要出典]
- 慈悲
愛が更に進化した場合を、慈悲と呼んで区別する場合もある。
この場合は愛が状態であり、対象や相手を持たないが、更に愛があふれ出ている。近くに来る人は慈悲を受け取り、愛をいっぱいに受け取ることができるとも言われる[要出典]。
観音菩薩(や聖母マリア)は、このような状態の象徴であり、そのような状態を感じることができるように表現されている。
儒教での愛
仁は、人がふたり居るときの完成した愛であるが、孔子は、その実現困難性について「仁人は身を殺して以て仁を成すことあり」といい、愛に生きるならば生命を捧げる覚悟が必要だとした。仁は対人関係において自由な決断により成立する徳である。孔子は仁の根源を血縁愛であるとした(「孝弟なるものはそれ仁の本をなすか」)。そしてこの自己犠牲としての愛と、血縁愛としての自己保存欲との間に、恭(道に対するうやうやしさ)、寛(他者に対する許しとしての寛大)、信(他者に誠実で偽りを言わぬ信)、敏(仕事に対する愛)、恵(哀れな人に対するほどこし)などが錯綜し、仁が形成されるとした。
一方で孔子は「吾れ未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり」と述べた。
愛の対象
「人間が抱く「愛」の感情は、必ずしも対象を限定しておらず、その範囲は広大である。「 - を愛する」という動詞の表現はかなり広く用いられている。
自己愛
社会的な人間にとって根源的な愛の形態の一つ。自分自身を支える基本的な力となる。 ( 英語でself-love とも。 narcissism の訳語として用いられることもある。)
生まれてきたばかりの赤ん坊は、保護者と接しながら自己と他者の認識を形成する。その過程で(成人するまでに)自身が無条件に受け入れられていると実感することが、自己愛の形成に大きく関与している。「自分が望まれている」事を前提に生活できることは、自身を大切にし自己実現に向かって前進する土台となり得る。また、自己に対する信頼が安定すること、自分という身近な存在を愛せることは、その経験から他者を尊重することにも繋がる。
心理学者らからは、自己愛が育って初めて他人を本当に愛することができるようになる、としばしば指摘されている。自分を愛するように、人を愛することができるという訳である。自分を愛せない間は、人を愛するのは難しいと言われる。
しかし子供によっては、虐待されたり、自身の尊厳を侵されたりするような環境に置かれることがある。この場合、その子供は努力次第で逆境に打ち勝ち、人格者に成長する可能性もあるし、自己愛が希薄な自虐的な性格になるなど可能性もある。もし後者で自己愛を取り戻すには、自身が無条件で受け入れられていると強烈に実感する体験がかぎの一つとなる。
周囲から見て精神的に未熟な者が、恋愛の最中に「恋している自分に恋している」と評されることがある。これは、対象を愛して(気分が舞い上がりなどして)いる自己に酔っている、また、パートナーがいるという優越感に浸っている状態を揶揄するものである。しかし、本人の認識も、他者も、恋愛の対象も、全面的に真に相互的な恋愛感情を抱いていると誤認しやすい。
「自己愛にはいくらかの傾向が見出されるが、いずれも全く個別的なものではなく重なり合っていると言えるだろう[要出典]」と言う[誰?]。
親子間の愛
親子間、特に親が子に対して抱くものも愛であり、性別に応じて「母性愛」、「父性愛」などと呼ばれる。子供は特にその初期には守られなくては生存できない存在であり、親の愛はこれを守り育てる活動の原動力となるものである。ただし、母性愛と父性愛にはやや異なった傾向があるとも言われる。(これらについては、母性・父性の項を参照されたい。)
家族愛
親子、兄弟姉妹、祖父母と孫など肉親同士で発生する場合が多い。血が繋がらなくても養子など家族の形をとれば家族愛は生まれることがある。動物を家族の一員としてとらえる人もいる。
身近な人物
自分と直接かかわりのある人間だと好意が生まれやすい。異性であれば愛が生まれ恋人になる可能性がある。多くの恩を受けた師であれば師弟愛のようなものが生まれる。隣人愛という言葉もあるがせいぜい好意的に思っている程度だろう。親友の場合は友愛である。距離が離れていても連絡が取れるなら可能性はある。
長く親しんできたもの
自分が長く親しんできたものには愛着が生まれる。自身が所属する分野や組織(人類・国家・地域・宗教・家系・組織・企業・技能分野など)に対してがある。日本では、郷土や祖国、出身校などに対する愛がありうることも比較的広く受け入れられており、それぞれ「郷土愛」「祖国愛」「愛校精神」などと呼ばれている。
俳優や歌手など
直接触れ合うことはほとんどない俳優や歌手を愛しているものもいる。本人は尊敬や評価ないし愛着している。作品に登場する人物や生き物を好きなのも触れ合えないという点で似ている。
恋とLove
男女間・(同性愛者における)同性間の愛は、日本語においては恋という特別な言葉でも表現できる。愛とほぼ同じ意味で使われることも多い。しかし、恋は必ずしも人間に対してのみ持つ感情ではない。植物、土地、歴史等を恋しく思う場合にも用いられる。
恋と愛の両方を英語ではLoveと表現する。英語におけるLoveと日本語における恋と愛はイコールではない。これは両言語を用いる各種族の歴史観、宗教観、思想の相違による。日本語において「ラブ」「Love」は若者の言語や芸術では恋、愛両方を表す言葉として頻繁に用いられている。
性と愛
性的な愛、あるいは愛と性をまとめて扱う場合に「性愛」という言葉が使われる例もある。なお、「愛」という言葉は、文脈・状況によっては性交そのものを指す例もある(「いっぱい愛して」など)。
人名としての「愛」
日本では主に女性の名で「愛」という字が使われる。有名人の例では、シンガーソングライターの大塚愛、女優の前田愛、飯島愛などがいる。「愛」という名前はそのまま「あい」と読む場合も多々あるが、「愛子(あいこ)」「愛美(まなみ)」など別の字とも組み合わされる。また、「愛(まなみ、めぐみ)」と読む場合もある。具体的には皇族の敬宮愛子内親王などの例がある。名づける動機として、「愛」が表す慈しむ心やかわいらしさを持つ子になってほしいという親の願いが挙げられるだろう。
また、歴史上の人物では徳川家康の最も好んだ側室とも言われる西郷局の名も「愛」(お愛、愛の方)である。第2代征夷大将軍徳川秀忠や尾張国清洲藩主松平(東条)忠吉の生母である。
出典・脚注
- ^ a b c d e 広辞苑
- ^ a b 旺文社『古語辞典』
- ^ 竹取物語のかぐや姫の昇天の段には「翁をいとほしく愛しとおぼしつることも失せぬ」といった表現もある。
- ^ スコット・ペック『愛と心理療法』創元社, 1987年, ISBN 4422110837 など
関連事項
関連書籍
- エーリヒ・フロム『愛するということ』紀伊國屋書店, 1991年, ISBN 4314005580
- スコット・ペック『愛と心理療法』創元社, 1987年, ISBN 4422110837
- ジョーン・ボリセンコ『愛とゆるしの心理学』日本教文社, 1996年, ISBN 4531080971
- 飯田史彦『愛の論理』PHP研究所, 2000年, ISBN 4569612172
外部リンク
- 『愛を論ず』(1894年文献)国立国会図書館
- love (英語) - インターネット哲学百科事典「Philosophy of Love」の項目。
- Love (英語) - スタンフォード哲学百科事典「愛」の項目。