パニック

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1873年恐慌で銀行に殺到する人々

パニック (panic) とは、個人において突発的な不安恐怖ストレス)による混乱した心理状態、またそれに伴う行動を指す。恐慌とも言う。動物の同種行動に関しては、暴発行動とも呼ばれる。

語源[編集]

語源は、ギリシア神話の神・パーンにちなむ[1][2]。古代ギリシアの人々は、家畜の群れが何の前触れもなく突然騒ぎだし、集団で逃げ出す現象について、家畜の感情を揺り動かす見えない存在が牧神・パーンと関係していると考え、これを「パーンに関係するもの」(古代ギリシア語: πανικόν = 英語: panic)と呼んだ。古代ギリシアでも既に語源俗解がなされ、神話上の物語が幾つか伝わっている。例えば、魔神テューポーンが神々の集うオリンポス山に出現した際、神々は恐れて動物に化けて逃げ回ったが、パーンは恐慌のあまり、上半身が山羊で下半身が魚という姿に化けるという醜態をさらし、これがパニックの語源になった、などである。

近代以降は、人間や動物の集団を突然襲う恐慌状態を「パニック」と呼ぶようになり、やがて群集心理に留まらず、個々人の恐慌状態や心理状態をも指すようになった。今では心拍数120を超えるとパニック状態と判断される場合がある。

概要[編集]

現在[いつ?]、パニックという語は個人の心理状態を指すことが多いが、群集心理学においては天災人災などの危機に遭遇した場合に発生する社会秩序に従わず、個々の成員が自己を守るための乱衆行動を指す。個々が個人的な思惑に従って無秩序に行動する上に反響反応によって混乱が拡大するため、群集事故にも発展し得る。

パニックの脅威は、1942年11月28日にアメリカ合衆国のボストンで500人近い死者を出したココナッツ・グローヴ火災英語版によって広く知られることになった[3]。この事件については大惨事を引き起こした原因や責任の所在が解明できないまま、パニック説がスケープゴートにされたに過ぎないと見る分析もある一方[4]、やがて災害そのものよりも災害による群衆のパニックこそが最大の脅威であるという認識が[5]、時にはパニックに対する誤った誇張や過剰な恐怖心を交えつつも[5]、一般的な社会常識として広く共有されるようになる[6]

現在[いつ?]ではパニック症状に襲われても脱出を容易に行えるよう、シミュレーションを用いて建物や街を設計することが主流になっているが、古い建物の中にはデザインや利便性を重視したため、パニックに陥りやすいものが多数ある。逆に、要塞や砦は、侵入者がパニックを起こしやすいように、わざわざ錯覚を引き起こすような複雑な構造になっていることが多い。

社会学では、集団が非論理的な行動を取ることをパニックと呼ぶ場合がある(→集団ヒステリーとも)。

暴発行動[編集]

動物の場合、の処理能力を超える状況に陥った場合に、人間のパニック状態同様の、非論理的な行動が見られる。例を挙げれば、室内に閉じ込められた鳥が出口を求めて窓ガラスや壁などに体当たりをする行動や、ネズミが川へ群れで飛び込む集団行動、罠に掛かった動物が傷付くのも厭わずに暴れ回る行動などがある。

人間にしても動物にしても、強いストレスの下で衝動的な行為を起こした場合、偶発的にでも、ストレスの元から逃れる可能性が生じるため、このような緊急的な行動様式が発達したと考えられている。

パニックの功罪[編集]

パニックによって引き起こされる衝動的な行動は、目前の火災や頭上から崩れ落ちてくる岩石群といった危険物からいち早く逃れようとする場合には一定の効果が見られるわけだが[要出典]、特に集団的なパニックが発生した場合や、本来は危険度が低い現象であるにもかかわらず、強いストレスを受けてパニックを起こした結果、被害が拡大するケースも見られる。

火災によるパニック状態では、天ぷら油火災の際に鍋の中で火柱が立っている(まだ周囲への延焼は無い)状態にて、消火器の使用を思い付かず慌てて水を掛けてしまう人は少なくない。この場合は油が燃えながら飛び散るため、被害が拡大する事故が報じられている。また、ビル火災では、「一見押してあけるように見えるが実は引いてあける扉」の前で人が折り重なって死んでいたという事例がある。押してあかなければ普通は引いてみるところであるが、火事でパニックになっているため必死で押してあけようとしているうちに煙に巻かれたのである[7]

集団的なパニック現象が発生した場合、個々が先を争ってその場から逃れようとするのが一般的だが、そのような一定集団がパニックに陥り易いケースでは、危険状況の発生が広範囲に及んでいる場合が多い。このような場合、無理に移動しようとすると、他のパニック状態にある被災者同士で衝突したり踏まれたりする現象も起き易く、事実そのような事態によって死傷者が発生しているケースは多い。(とはいえ、パニック状態に陥ると「火には水をかける」「押してあけるように見える扉は押す」「とにかく今いる場所から逃れようとする」といった一種反射的な行動にかられがちなのも事実である)

また地震等の災害発生時には、屋内で家具や調度品等の倒壊を目の当たりにしてパニックに陥った際に、とにかく頭上に何も無い屋外に飛び出したいという衝動に駆られることが知られているが、今日の都市部では高層ビルの窓ガラスや外壁に用いる建材などが、ビル周辺部に降り注ぐ現象が起き易いとされる。これを考慮に入れず咄嗟に屋外へ飛び出して、それら落下物の犠牲となるケースも報告されており、特に補強の入った屋内にいる場合は、外に飛び出さなかった人のほうが安全な場合が多い。また、日本家屋ではの落下や塀の倒壊に伴う事故が報告されている。

今日では、このような緊急事態に於ける適切な行動の情報が多く出回っており、またそのような緊急事態が発生しやすい環境(地域)では、一定の訓練を繰り返す所もある。このような場合では、緊急事態を模擬的に体験することで、そのような事態への耐性を高め、パニックによる事故を未然に防ぐ効果があるとされている。事実、それにより被害を最小限に食い止めた事例は数多い。

パニックの起こる状況[編集]

パニックは、正しい情報を得られない状況に陥った人々が冷静な判断力を失った時に発生する[8]。こうしたパニックが発生する状況には幾つかの必要条件がある[9]。それはまず群衆が差し迫った脅威を現実のものとして実感していること[10]、何からの方法によってその危険から逃れて助かる見込みがあると信じられていること[11]、しかし確実な脱出が困難であり、他の脱出者との競争に勝たなければ生き残れないかもしれないという危機感が集団の間に広がること[12]、そしてコミュニケーションが機能せず全体の状況を把握することができなくなること[13]、といった条件である。これらの条件はいずれも実際の状況がそのようなものであるかどうかに関係なく、人々の主観的な思い込みだけで引き起こされるが[14]、条件のうちの幾つかが成り立たなくなれば、パニックを防ぐことができる[14]

一方、差し迫った脅威から助かるために争って出口に殺到することが、たとえ理性的に判断したとしても唯一の合理的な生存手段となる状況で、そのような避難行動を取ったことによって助かった成果が、避難行動のせいで生じた犠牲を上回るような場合、このような集団行動をパニックと呼ぶことには異論がある[15][2]。ただし生存者が少なく現場の損傷が激しいような場合、そのような避難行動が合理的な判断に基づく行動であったかどうかは判断が困難な場合もあり、折り重なった遺体の状況から「パニックが起こった」と安易に結論づけられてしまう場合もある[15]

パニックの起こりにくい環境[編集]

第一には、生き残りの可能性がない場合にはパニックは起こりにくい[11]。一般に、パニックは危機的状況にある閉鎖的な空間で発生しやすいと思われている。だが、完全に逃げ場がない閉鎖的な空間においては、実際にはむしろ、パニック状態には陥りにくいことが知られている[11]。例を挙げれば、過去の大規模な航空機事故発生時には、逃げ場のない機内で乗客は強いストレスに晒されながらも、一定の理性を保っていたという報告がなされている(→日本航空123便墜落事故など)。パニックに陥り、搭乗口をこじ開けて機外に飛び出したなどの事例は極めて少ない。航空機事故の他にも潜水艦や宇宙船、鉱山での坑内事故などでは、パニックが起こらないことが知られている[11]

このことは、危機を逃れる可能性がたとえ僅かでもある場合にこそ、人は何としてもそれを達成しようしてパニック状態になることを示唆している[11]。他人と争うことで生存できるという見返りがあるのなら、人は利己的にもなるが[12]、見返りがないのなら争う動機が生まれない。あるいは絶望的な状況にあっては、生き残る希望を懸けて行動する衝動が起こらないのであろう[独自研究?]。航空機事故の場合、既に搭乗者は死を覚悟しているためにパニックは起こりにくい(助かるのは偶然の結果に過ぎない)。

次に、充分に訓練された集団ではパニックが発生しにくい。これは、充分に訓練を受けた個人であっても同様だが、特に集団では、危機的状況でも速やかに各人の役割分担がなされ、全員が全員で同じ行動に走り、結果パニックに陷る事態が防止される。また、各々が割り当てられた役割を果たすことで、危機的状況が引き起こすストレスを軽減できる。強度のストレスに晒された人間の脳は、より衝動的な考えが支配的になるが、このストレスを軽減できれば、結果として理性的な行動を行いやすいという理屈である。

第三に、集団中に一定の権力や威厳といったヒエラルキーが存在する場合も、パニック状態が抑制されやすい。この場合、集団はストレスの原因となる事象よりも、上位の存在の言動に注目するため、ストレスが緩和されるとも考えられる[独自研究?]。一方、上位の存在が真っ先にパニックを起こす集団では、むしろ集団全体のパニックが増幅され、悲劇的な結果に陥りやすい。よって、上位存在が良かれ悪かれ一定のリーダーシップを発揮している限り一定の安全性が保持され、パニックによる集団の被害は軽減すると言えよう。特にリーダーが適切な判断を下す能力があれば、その集団が危険を脱する可能性は格段に向上する。

興味深い事例としては、1980年8月14日富士山吉田口の9合目付近で発生した落石事故が存在する。夏山シーズンで行楽登山者が多かったため、下山中の登山者らは背後から落ちてきた岩に当たりパニックから斜面を滑落したりして、死者12名負傷者29名に上る惨事となった。このなかで、ある子供連れの家族は父親を先頭として落石方向に正対して一列になり、この落石の矢面に立った父親の号令一下、転がり落ちてくる岩塊を右へ左へとかわし続け、全員が無傷で下山したというものである。

この他、視認性の高い安全経路情報の提示や、他者からの誘導がある場合も、パニックが起こりにくい。これも前出のリーダーシップによるストレス軽減効果の一種と推察される[独自研究?]

なお、災害に対する不安や危機感がなかったり、避難するよりもその場に留まった方が安全だという認識が広まると、人は避難行動を開始しない[16]。その場合、危機が本当に差し迫ったものであると、結果として人々が逃げ遅れる結果に繋がることもあり得る[17]。例えば1981年10月31日に神奈川県平塚市では、手違いにより、東海地震に備えてあらかじめ用意されていた「地震予知により間もなく大地震の発生が予想されるので警戒せよ」という旨のメッセージが、誤って防災無線から放送されてしまうという誤報があったが[18][19]、その放送内容はパニックを起こさないことばかりを意識した回りくどい内容であったため[20]、予想されていたパニックは全く起こらなかった[21]。しかしこの誤報は80パーセントの市民には届かず、何らかの形で耳にした人でも真に受けた人はわずかに3.9パーセント、半信半疑だった人も10.0パーセントに留まり、大多数の市民は聞いても無視するか信じず、更に誤報の内容を真に受けたわずかな人も、そのうち60パーセント以上は何ら具体的な行動を起こさなかった[22]。安全な場所に避難したのは1パーセントにも達しなかったという[18]。この放送では確かにパニックこそ起きなかったが[注釈 1]、避難を呼びかける放送としては毒にも薬にもならないものであった[20]

パニックに対する過大評価と正常性バイアス[編集]

パニックによって引き起こされる脅威の大きさは社会常識として広く知られており、しばしば映画やテレビドラマなどのフィクション作品では、パニックに陥って錯乱する群衆の姿が、凶暴かつ残忍に誇張されて描かれる[23][8]。その一方、こうしたパニックの脅威は過大に警戒されすぎているという主張もある[24][25]

広く浸透した社会常識では、地震や火災などの災害に巻き込まれた群衆は、多くの場合においてたやすくパニックに陥るものであると信じられているが[1][26]、実際はほとんどの場合でパニックは起こらない[1][27][28][29]。このような場合、多くの人間は呆然としてしまって行動を起こせないことが分かっている[29]。更に人間の心理には正常性バイアスと呼ばれる、目の前の異常事態に対して平常心を保とうとする精神の働きがあり[30][18][31][29]、これが過剰に作用すると差し迫った危険の大きさを理解できずに過小評価してしまう[30][31][29]。こうした結果、ただちに避難を開始しなければ生命に関わるような差し迫った危機を前にした群衆が、様子を見ているばかりで避難しようとしなかったり[32]、記念撮影に興じたりするなど[29]、過剰に落ち着きすぎていて客観的な判断を欠いた行動を取ってしまうようなことがある。

恒常的な避難訓練を受けていない人間が、差し迫った危機に対して適切な行動を取ることができず、理性を欠いた集団行動を取ってしまうという経緯だけを見れば、パニックに陥った集団も、正常性バイアスに支配された集団も同じである。しかし正常性バイアスの脅威と比べて、パニックに対する過剰な恐怖心は人々の間に広く介在している[33]。時には災害そのものよりも集団のパニックを抑止することを優先した対処が裏目に出て、危機感が共有されず、群衆が火災などの災害から逃げ遅れて被害が拡大した事例も知られている[34][18][35]。例えば1977年5月28日にアメリカ合衆国で164人が死亡したビバリーヒルズ・サパークラブ火災英語版はそうした例で、従業員から「単なるボヤである」という呼びかけがなされた結果、人々はリラックスしたままゆっくりと避難を開始し、席についたまま談笑したり飲み物を飲んだりしていた人々も多かったが、そうした人々はそのまま煙に巻かれて犠牲となった[36]。また1903年12月30日にシカゴで602人が死亡したイロコイ劇場火災英語版では、施設側から「火災ではない」という情報隠しがされたが、避難が遅れていた人々が火災に気がついてから一気にパニックが起こり、多くの人々が錯乱した群衆に踏み倒されて圧死した[35]

災害そのものよりもパニックの方が恐ろしいとする主張もある一方で[5]、パニックより更に恐ろしいのは、パニックへの過剰な警戒心が引き起こす情報隠しであるという主張もある[35]。2011年に日本で起きた福島第一原子力発電所事故では、国民がパニックを起こすことへの過剰な警戒心から、放射性物質の拡散状況を被災地の人々に提供すべきではないという判断がされ、政府による情報の公開が遅れた[37][27]。このような「災害の情報を正しく知らせれば必ず大きなパニックが起きてしまう」といった先入観は、パニック神話などと呼ばれて批判の対象ともなっている[38][27]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ただし翌朝の新聞各社の報道ではこの出来事について、「避難騒ぎ」「パニック」といった、事実に反した内容が報道された[18]

出典[編集]

  1. ^ a b c 広瀬 2004, pp. 15-16.
  2. ^ a b 山村 2015, p. 127.
  3. ^ 広瀬 2004, pp. 136-140.
  4. ^ 広瀬 2004, p. 139.
  5. ^ a b c 広瀬 2004, p. 128.
  6. ^ 広瀬 2004, pp. 14-16.
  7. ^ 芳賀繁 『失敗のメカニズム—忘れ物から巨大事故まで』 角川書店、2003年ISBN 404371601X
  8. ^ a b 山村 2015, p. 126.
  9. ^ 広瀬 2004, p. 140-145.
  10. ^ 広瀬 2004, p. 141.
  11. ^ a b c d e 広瀬 2004, p. 142.
  12. ^ a b 広瀬 2004, pp. 143-145.
  13. ^ 広瀬 2004, p. 145.
  14. ^ a b 広瀬 2004, p. 140.
  15. ^ a b 広瀬 2004, p. 147-149.
  16. ^ 広瀬 2004, p. 84.
  17. ^ 広瀬 2004, p. 16-18.
  18. ^ a b c d e 松田 2014, p. 32.
  19. ^ 山村 2015, pp. 120-121.
  20. ^ a b 山村 2015, p. 125.
  21. ^ 山村 2015, pp. 120-126.
  22. ^ 山村 2015, p. 122.
  23. ^ 広瀬 2004, pp. 128-129.
  24. ^ 広瀬 2004, pp. 14-18,128,147-149.
  25. ^ 山村 2015, pp. 124-130.
  26. ^ 山村 2015, pp. 118,127.
  27. ^ a b c 松田 2014, p. 31.
  28. ^ 山村 2015, pp. 118,126-127.
  29. ^ a b c d e Mika Yamamoto (2015年4月18日). “正常性バイアスを知っていますか?「自分は大丈夫」と思い込む、脳の危険なメカニズム”. tenki.jp. 日本気象協会. 2016年4月24日閲覧。
  30. ^ a b 広瀬 2004, pp. 11-14.
  31. ^ a b 山村 2015, pp. 18-19.
  32. ^ 広瀬 2004, pp. 12-14.
  33. ^ 広瀬 2004, pp. 147-148.
  34. ^ 広瀬 2004, pp. 13,16-17,129-130.
  35. ^ a b c 山村 2015, pp. 128-129.
  36. ^ 広瀬 2004, pp. 16-17,129-130.
  37. ^ 山村 2015, p. 130.
  38. ^ 広瀬 2004.

参考文献[編集]

関連項目[編集]