共感

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共感(きょうかん、英語:empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。もしくはその感情のこと。たとえば知り合いがつらい表情をしているとき、相手が「つらい思いをしているのだ」ということがわかるだけでなく、自分もつらい感情を持つのがこれである。通常は、人間に本能的に備わっているものである。しかし、例えば自己愛性パーソナリティ障害の人物では、 ”共感の欠如”が、見られる[1]近藤章久は深い共感と直観を精神治療の根幹とした。

共感性がたとえば友情を生み出す。友人になったきっかけは、「何となく」であることが多いが、「何となく」の本性は、共感性である。

動物においても類似の例はあり、たとえばコンラート・ローレンツはガンが湖に群れで舞い降り、また新たな餌場に移動する際に、鳴き声を互いに聞くことで気分を共有するのだと論じている。

荘子の考えた共感[編集]

しかしながら、実際に共感によって他人の感情がわかるのか、は永遠の謎である。論理的には、他人の感情は他人のものであり、それを確認する方法は実在しない。中国思想家である荘子の著書に「知魚楽(魚の楽しみを知る)」という小編があり、そこでは橋の上に立って魚を見て、「あれが魚の楽しみだ」という荘子に対して「君は魚でないのに、なぜ魚の楽しみがわかるのか」とくってかかる恵子の姿が描かれているが、論理的には恵子の言葉に反論するのは不可能である。にもかかわらず、共感は感情を共有する方法として機能している。

実際には本当に感情そのものを共有しているのではない点は重要である。たとえば俳優は偽りの感情を創造することで観客の共感を引き出すことが可能である。ただし俳優は演技により架空の人物と自分自身の共感性を高め偽りの感情を本物に近いものにすることもできる。

情動的共感と認知的共感[編集]

マーチン・ホフマンによれば、幼児期における共感の発達段階として、自己を投影して相手も同じことを感じているであろうとする段階(いわば自己中心的な共感であり、ヒトや場合によって状況が異なる可能性を考えない)を経て、やがて自分の境遇とは異なる相手の様子を推し量る段階に達するとしている。

共感の欠如[編集]

ヒトの自然な発達段階において阻害されると、共感することを欠如するようになる場合がある。 また、一般に男性は女性より共感性が低い傾向がある。

病的な見地からは、自己愛性パーソナリティ障害自閉症アスペルガー症候群の代表的な特徴とされる。精神医学ではまだ厳密に定義されていないが、先天的に極端に共感性が低いサイコパスと呼ばれる人達もいる[2]

脚注[編集]

  1. ^ DSM-IV-TR diagnostic criteria for narcissistic personality disorder,2000年
  2. ^ 日経サイエンス2013年2月号サイコパス特集

関連項目[編集]

外部リンク[編集]