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大井ダム

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大井ダム
大井ダム
左岸所在地 岐阜県恵那市大井町字奥戸
右岸所在地 岐阜県中津川市蛭川
位置
大井ダムの位置(日本内)
大井ダム
北緯35度28分52.9秒 東経137度23分46.3秒 / 北緯35.481361度 東経137.396194度 / 35.481361; 137.396194
河川 木曽川水系木曽川
ダム湖 恵那峡[1]ダム湖百選
ダム諸元
ダム型式 重力式コンクリートダム
堤高 53.4 m
堤頂長 275.8 m
堤体積 153,000
流域面積 2,083.0 km²
湛水面積 141.0 ha
総貯水容量 29,400,000 m³
有効貯水容量 9,250,000 m³
利用目的 発電
事業主体 関西電力
電気事業者 関西電力
発電所名
(認可出力)
大井発電所
(48,000kW)
新大井発電所
(32,000kW)
施工業者 大同電力
着手年/竣工年 1922年/1924年
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大井ダム(おおいダム)は、岐阜県恵那市大井町と中津川市蛭川(旧・恵那郡蛭川村)の境、木曽川本川中流部に建設された発電専用ダムである。土木学会選奨土木遺産

木曽川水系で最初に造られたダムで、1924年(大正13年)に完成。ダムの形式は重力式コンクリートダムで高さは53.4メートル。日本では帝釈川ダム高梁川水系帝釈川)に次ぐ、50メートル超級のダムである。ダムに付設する大井発電所はダム式発電所としては日本で初めての例である。さらに1983年(昭和58年)には直下流に新大井発電所が増設され、両発電所による合計の認可出力は8万キロワット(大井48,000kW・新大井32,000kW)である。

歴史

木曽川は急流である上に水量が豊富な事から、水力発電には絶好の適地であった。1911年(大正元年)には電気事業法が制定され、一挙に水力発電の開発機運は高まった。だが当時は氾濫を繰り返し木曽川本川のダム建設は困難極まりなかった。木曽川に目をつけたのは、後に「日本の電力王」と渾名された福澤桃介である。慶應義塾大学創設者・福澤諭吉の養子であった桃介は、木曽川の電源開発を企図しこの地にダムによる水力発電を計画した。建設は「半川締切工法」で行われたが、度重なる洪水による資材流出など困難を極めた。だが、日本初の女優マダム貞奴(さだやっこ)の援助等もあり、苦難の末完成させた。この偉業は、当時世界のビッグ・プロジェクトの一つに数えられた。

福澤桃介はこの後も木曽川水系の電源開発を進めていき、後に当時の五大電力資本となる大同電力を設立し社長に就任する。これが後に関西電力株式会社の礎となっていく。現在でも、木曽川における発電水利権は王滝川を含めて関西電力が一手に握っている。桃介の偉業は、長野県木曽郡南木曽町にある木造の吊り橋で国の重要文化財1994年平成6年)に指定された桃介橋にその名を留めている。桃介はその後天竜川水系の開発に乗り出し、後の天竜川電源開発への道筋を付けて事業から引退している。

周辺

大井ダムによって誕生した人造湖によって、恵那峡という新たなる名勝が誕生した。10キロメートル以上にわたって奇岩・絶壁が湖の両岸にそびえ、春の桜や秋の紅葉の時期は絶景の一言である。遊覧船で30分程度のクルーズが楽しめる。下流の丸山ダムによって出来た丸山蘇水湖と共に、飛騨木曽川国定公園に指定されている。2005年(平成17年)には財団法人ダム水源地環境整備センターより、恵那市の推薦を得てダム湖百選に指定されている。

大井発電所と新大井発電所はダム直下右岸に並んでいる。左岸にも小さな発電所があるが、これは中部電力奥戸発電所である。大井ダム直下で木曽川へ合流する阿木川の上流で取水し、最大500キロワットの電力を発生するもので、大井ダムから取水するものではない。

脚注

  1. ^ 大井ダム湖とその周辺の景観とを総じて「恵那峡」と称している。

関連項目

外部リンク