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高瀬ダム

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高瀬ダム

高瀬ダム

地図
所在地 左岸:長野県大町市平高瀬入
右岸:長野県大町市平高瀬入
位置 北緯36度28分26秒 東経137度41分24秒 / 北緯36.47389度 東経137.69000度 / 36.47389; 137.69000
河川 信濃川水系高瀬川
ダム湖 高瀬ダム調整湖
ダム湖百選
ダム諸元
ダム型式 中央土質遮水壁型
ロックフィルダム
堤高 176.0 m
堤頂長 362.0 m
堤体積 11,590,000 m3
流域面積 131.0 km2
湛水面積 178.0 ha
総貯水容量 76,200,000 m3
有効貯水容量 16,200,000 m3
利用目的 発電
事業主体 東京電力(竣工当時)
電気事業者 東京電力リニューアブルパワー
発電所名
(認可出力)
新高瀬川発電所
(1,280,000 kW)
施工業者 前田建設工業
着手年 / 竣工年 1969年1979年
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高瀬ダム(たかせダム)は、長野県大町市一級河川信濃川水系高瀬川の上流部に建設されたダムである。

東京電力リニューアブルパワーが管理する発電用ダムで、富山県黒部ダム黒部川)に次ぎ日本第二位の高さ[1]。高さ176 mロックフィルダムであり、揚水水力発電所である新高瀬川発電所の上部調整池を形成し、下部調整池である七倉ダムとの間で最大128万キロワット (kW) を発電する日本有数の大規模水力発電所を擁する。ダムによって形成された人造湖高瀬ダム調整湖(たかせダムちょうせいこ)と呼ばれ、通称はない。2005年(平成17年)には大町市の推薦を受け財団法人ダム水源地環境整備センターが選定するダム湖百選に選ばれている。中部山岳国立公園に指定されており、黒部ダムと同様に自家用車で行くことができないダムである[注 1]

歴史

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信濃川水系犀川支流である高瀬川は、飛騨山脈という日本国内有数の豪雪地帯に端を発する急流河川であり、水力発電に適しているとして古くから注目されてきた。電源開発計画を進めていた東信電気は、1922年(大正11年)に完成させた高瀬川第一発電所を足がかりに、高瀬川第二、第三、第四、第五発電所を次々に建設した。


第二次世界大戦後、 一級河川である高瀬川本流の崩れ沢砂防堰堤、不動沢砂防堰堤が昭和25年時には満砂になっており(大町山岳博物館報に写真記事あり),砂防堰堤の新設が建設省で計画された。産総研による調査では堆積物は年30万m3(昭和30年に公開、渡辺レポート)。 この堆砂計画量を設計基準として採用し、「新不動沢砂防堰堤」の名称で計画がスタートした。  砂防区域にて単なる砂防ダム計画(建設省)であったが、豊富な水量を生かした電源再開発が後々盛り込まれた。「新不動沢砂防堰堤計画」を引き継ぎ、建設省がダム位置を決定した。1970年頃に「高瀬ダム」の名称に改称された。(神奈川県の不動沢ダムとの混在を防ぐ目的)  構造物所有者は建設省、 施設管理者が東京電力。

当初は上流に高さ170メートル級の巨大なダムを築き、下流6か所の水力発電所によって最大43万キロワットを発生させ、一年間あたり6億キロワット時もの電力量を得ることを構想していた。しかし、その後の火力発電の進歩により、電力供給の主体が水力発電から火力発電に移行したことを受け、高瀬川電源再開発計画は大きく変更される。

最終的には高瀬ダム、七倉ダムという2基のダムを建設し、各ダム湖間で水を往来させる揚水発電所建設計画としてまとめられた。深夜の余剰電力を下池・七倉ダム湖より上池・高瀬ダム湖へ汲み上げることで吸収し、大量の電力が必要な昼間に備えるという運用により、大規模な火力発電所を安定して効率よく運転させることができる。

1969年(昭和44年)、高瀬ダムを上池、七倉ダムを下池とした新高瀬川発電所の建設に着手。1979年(昭和54年)に事業は完成した。

しかし、高瀬ダム運用を開始すると不動沢、崩沢からの崩落、堆積が多く、満砂までの期間が当初計画(250年)の半分以下になることが判明した。国内平均値の10倍速く堆積するとの京都大学論文もでている。延命策として堆積物をコンベア搬出する「高瀬ダム再編計画」(トンネル全長11kmのシングルコンベア)が2006年より検討され、2024年から工事スタートしておる。 年間堆積量70万m3(千曲川河川事務所公開数値)に対して20万m3だけをコンベア排出する。 非排出量は50万m3(毎年)もあり計画が実現しても2115年ころに満砂になる。当初予算は500億円。  崩れ沢、不動沢の崩落物は生石灰が主成分。つまり魚類は二つの沢には生息できない。高瀬川の水質はフッ素濃度0.4ppmもあり、下流の清水集落、和田川水系では歯が黒ずむ子供が主流だった(大町山岳博物館報:水道普及以前)

高瀬ダム再編計画

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2110年代での満砂到達、治水不能が見込まれるので、国土交通省がダム堆積物のコンベア搬出計画し、2024年トンネル工事がはじまった。 年20万m3のコンベア搬出予定。(冬季は降雪にてコンベアへの積み込み不可)

トンネル工事は 前田・間 JV. 搬出コンベアは 未発注。 コンベア運転電力は、中部電力が北松本から新連携。送電鉄塔330本は新設。(工事開始済み)  

新高瀬川発電所

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新高瀬川発電所(しんたかせがわはつでんしょ)は、東京電力リニューアブルパワーの水力発電所。上池・高瀬ダム湖と下池・七倉ダム湖との間で水を往来させ、最大で128万キロワットもの電力を発生させる大規模な揚水式水力発電所である。発電所は高瀬川右岸の地下にあり、30万キロワット級の水車発電機を4台と変電設備を設置。発生した電力は送電線を通じて長野県東筑摩郡朝日村にある新信濃変電所を経由し首都圏に向けて送電されている。

高瀬川テプコ館では高瀬ダムおよび新高瀬川発電所の見学を無料にて実施していた。完成当時は日本最大級の規模で、1980年代には東京電力のテレビコマーシャルにて放映されていた。しかしその後2011年の東北地方太平洋沖地震東日本大震災)によって発生した福島第一原子力発電所の事故をきっかけにテプコ館は休館となり、放射能汚染の賠償のための資金調達の一環として6月には廃止された。

アクセス

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信濃大町駅から自家用車が入れる七倉山荘前までタクシーで30分、約6400円[2]。七倉山荘から上流は、東京電力の私道にて車両侵入はできない。 東信電気のトロッコ軌道(1915年完成)が昭和44年災害時に流出し、廃線道を自動車専用道路として東京電力が修繕した経緯があり、大正時代からの私道。


許可車両以外通行禁止の七倉山荘前ゲートから高瀬ダムまでは特定タクシーで15分、約2100円[3]。徒歩では、七倉山荘前から高瀬ダムまで片道1時間30分から2時間[4]

かつては高瀬川テプコ館より発車する無料送迎バス(予約制)が存在した。約2時間の行程でダムと発電所を見学することができたが、同館の廃止に伴い送迎バスも廃止された。

周辺

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高瀬ダム調整湖。エメラルドグリーンの湖水である。ダム湖百選中部山岳国立公園に指定されている。

高瀬ダムは、長野県内屈指の紅葉の名所・高瀬渓谷にあり、特に堤頂から見る紅葉は燃え立つように鮮やかで見る者を感動させる。曽野綾子の小説『湖水誕生』にも描かれている、高瀬ダム調整湖は2005年(平成17年)、大町市の推薦によって、ダム水源地環境整備センターが選定する『ダム湖百選』に選定された。


このように、国立公園内の自然環境保護を目的に、自家用車乗り入れを全面的に禁止しているダムとしては、高瀬ダムのほか黒部ダム、豊平峡ダム豊平川)がある。ダム湖の奥にある秘湯湯俣温泉晴嵐荘は、槍ヶ岳北面や野口五郎岳へ登山するにあたり重要なベースキャンプで、高瀬ダムからは徒歩2時間半[4]の距離にある。キャンプ場では70cm手掘りで温泉がわき出る。

付近には、七倉ダム・大町ダムのほか、大町市エネルギー博物館などがあり、自動車で20分ほど北に向かえば、黒部ダムに向かう大町側入口の関電トンネルに、1時間30分ほど南へ向かえば奈川渡水殿稲核の安曇三ダムにも行くことが可能であり、日本屈指の電源地帯を周遊することができる。

ギャラリー

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ タクシーでアクセスすることはできる[1]

出典

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外部リンク

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