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浅田舞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅田 舞
Mai ASADA
フィギュアスケート選手
生誕 (1988-07-17) 1988年7月17日(36歳)
愛知県名古屋市名東区
親族 浅田真央(妹)
身長 165 cm
所属事務所 ヒーローズマネジメント株式会社
選手情報
代表国 日本の旗 日本
コーチ 本田武史[1]
所属クラブ ヒーローズマネジメント株式会社
ISUパーソナルベストスコア
総合141.652006 四大陸選手権
SP55.802005 JGPアンドラ杯
FS89.632006 GPスケートアメリカ

浅田 舞(あさだ まい、1988年7月17日[2] - )は、2000年代に活動していた日本フィギュアスケート選手(女子シングル)。現役引退後はスポーツキャスタータレントとして活動している。ヒーローズマネジメント株式会社がマネジメントしていが2024年9月10日で終了した[3]

女子フィギュアスケート選手の浅田真央は妹。

人物

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名古屋市立高針小学校名古屋市立高針台中学校東海学園高等学校卒業後、中京大学体育学部体育科学科へ進学[4]

長い手足を生かした優雅な演技が持ち味で[5]、スパイラルシークエンスを得意技とする[6]。ジュニア時代は5種類の3回転ジャンプを跳べる数少ない選手の1人として頭角を現した。2002-2003シーズンには、全日本ジュニア選手権[7] と世界ジュニア選手権で3回転アクセルにも挑戦した。2004-2005シーズンの怪我からジャンプが不調になっている。2007-2008シーズンから厳格になった判定によりルッツはエラーエッジ判定を受けるようになった。

2005年3月、第2回国際モードルオーディションORIBEでグランプリに選ばれ[8]、およそ1年の間モデルとしても活動。2006年には所属していたホリプロを退所した。テレビのレポーターなどを務めることがあり、GET SPORTS(テレビ朝日系)では「MAI FOCUS」としてアスリートを紹介するコーナーを持っている。2010年9月12日の放送ではシンクロ選手の乾友紀子を特集。自ら競泳水着姿となりシンクロの演技指導を受けた[9]

2014年2月7日に放送された『快傑えみちゃんねる』(関西テレビ)で、普段はノーパン派であること[10] や、自宅では「ヨレヨレのズボンとヨレヨレのTシャツ」で、仕事以外の時は「化粧もしない」ことなどを告白した[11]

趣味は読書[4]

プライベートでも広島に遠征に行くこともある広島東洋カープファン[12][13][14]で、新井貴浩[注 1] のファンを公言している。

妹はスケートツアーやテレビやイベントで数多く共演している。妹が自分より上位に入賞する事が多くなった時期には、一切の会話がなくなるほど不仲だった[15]

中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)の企画で社交ダンスに挑戦[16]。俳優の進藤学とペアを組み、2021年3月にデビュー戦となる「第34回京都市ダンススポーツ競技会」で優勝[17]。同年5月、全日本選手権に初出場し、準決勝進出[17]。同年9月の全日本では6位[17]。2022年4月の全日本で6位[18]。同年10月3日、ダンス留学でイタリアへ行くことを明らかにした[19]

タンゴを学ぶため2023年にアルゼンチンへ留学した。

経歴

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7歳の時にスケートを始める[20]2001年まで名東フィギュアスケートクラブで門奈裕子に師事[21]2001年からはグランプリ東海クラブの山田満知子樋口美穂子の指導を受ける[20]

2002-2003シーズンの全日本ジュニア選手権で2位となり、世界ジュニア選手権に出場。国際大会初出場ながら、予選2位。フリースケーティング(フリー)では3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプを不完全ながら着氷し[注 2][23]、総合4位入賞を果たした。2003-2004シーズン、ジュニアグランプリ (JGP)スロバキア大会でJGP初優勝。世界ジュニア選手権では、試合直前に食あたりを起こしながらも2年連続の4位に入った[24]

2004-2005シーズン、野辺山合宿の練習中に他の選手と衝突し、顔を4針縫う怪我を負った[25]

2006年からアメリカロサンゼルスに練習拠点を移し、ラファエル・アルトゥニアンに師事[4]。同年10月のキャンベルカップ団体戦でフリーを滑り、参考記録ながらパーソナルベストを大きく上回る103.27点を出した。この2006-2007シーズンからISUグランプリシリーズに参戦した。

2007年にはコーチをナディア・カナエワ(アルトゥニアンのアシスタント)に変更[4]。2007-2008シーズン、澤田亜紀の欠場で急遽NHK杯に出場するが、浅田も風邪をひいており、会場練習ができないままSPに臨むこととなった。フリーは熱が上がったため棄権[26]全日本選手権では12位だった。

2008年から拠点を名古屋に戻した。オフシーズン中にジャンプが跳べなくなり、6月から本田武史の指導を受けて立て直しをはかる[27][28]全日本選手権では15位となり、それにより、2009年度では、シニア強化選手指定外にされる。中部フィギュアスケート選手権大会を棄権した後[29]、フィギュアスケート競技会へは出場しておらず、フィギュアスケート競技と並行してのアイスショーやイベント等への出演、スポーツ番組のコメンテーター、スポーツキャスター、レポーター、タレント等での活動となる。

2014年2月のソチオリンピックでは、主にフィギュアスケートのコメンテーターとしてテレビ出演。女子シングル種目では、実妹の真央がSPでジャンプミスを連発し16位と大きく出遅れてしまいメダル絶望となったが、フリーでは女子で唯一3回転アクセルを成功させるなど3位と挽回し、総合で6位入賞を果たす。真央のフリー演技後、NHKの番組で「本当は(真央に)『大丈夫だよ』って言ってあげたかったが、喝(かつ)を入れるために敢えて叱った」と涙ながらに告白していた[30]

これまで、引退について明確にしていなかったが、2010年に引退していることを話すようになっている[31]

主な戦績

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大会/年 2000-01 2001-02 2002-03 2003-04 2004-05 2005-06 2006-07 2007-08 2008-09
四大陸選手権 6
全日本選手権 8 6 8 8 8 12 15
GPNHK杯 棄権
GPスケートアメリカ 6 8
GP中国杯 6
世界Jr.選手権 4 4
全日本Jr.選手権 2 2 2 7
JGPファイナル 4 5
JGPアンドラ杯 1
JGP SBC杯 2 4
JGPベオグラード・スパロー 5
JGPスケートロングビーチ 棄権
JGPスケートスロバキア 1

詳細

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2008-2009 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2008年12月25日-27日 第77回全日本フィギュアスケート選手権長野 15
44.50
16
76.27
15
120.77


2007-2008 シーズン
開催日 大会名 SP FP 結果
2007年12月26日-28日 第76回全日本フィギュアスケート選手権大阪 17
43.92
9
91.63
12
135.55
2007年11月29日-12月2日 ISUグランプリシリーズ NHK杯仙台 11
35.98
棄権 -
2007年10月25日-28日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカレディング 5
46.82
9
73.67
8
120.49


2006-2007 シーズン
開催日 大会名 SP FP 結果
2006年12月27日-29日 第75回全日本フィギュアスケート選手権名古屋 6
55.56
11
92.72
8
148.28
2006年11月9日-12日 ISUグランプリシリーズ 中国杯南京 8
47.26
4
87.01
6
134.27
2006年10月26日-29日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカハートフォード 6
48.66
7
89.63
6
138.29


2005-2006 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2006年1月23日-29日 2006年四大陸フィギュアスケート選手権コロラドスプリングス 4
52.13
7
89.52
6
141.65
2005年12月23日-25日 第74回全日本フィギュアスケート選手権東京 7
53.94
9
96.72
8
150.66
2005年12月10日-11日 第74回全日本フィギュアスケートジュニア選手権長野 6
45.10
7
78.66
7
123.76
2005年12月24日-27日 2005/2006 ISUジュニアグランプリファイナルオストラヴァ 7
42.21
5
87.78
5
129.99
2005年10月20日-23日 ISUジュニアグランプリ SBC杯岡谷 2
49.86
5
73.66
4
123.52
2005年9月8日-11日 ISUジュニアグランプリ アンドラ杯カニーリョ 1
55.80
2
85.49
1
141.29


2004-2005 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2004年12月24日-26日 第73回全日本フィギュアスケート選手権横浜 8
48.17
7
88.60
8
136.77
2004年11月20日-21日 第73回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(横浜 2
52.19
3
95.31
2
147.50
2004年10月29日-31日 ISUジュニアグランプリ ベオグラード・スパローベオグラード 4
41.48
6
63.93
5
105.41


2003-2004 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2004年3月1日-7日 2004年世界ジュニアフィギュアスケート選手権ハーグ 1 6 4 4
2003年12月25日-26日 第72回全日本フィギュアスケート選手権長野 - 9 6 6
2003年12月12日-14日 2003/2004 ISUジュニアグランプリファイナルマルメ - 3 4 4
2003年11月22日-23日 第72回全日本フィギュアスケートジュニア選手権京都 - 2 2 2
2003年10月16日-19日 ISUジュニアグランプリ SBC杯岡谷 - 4 2 2
2003年9月18日-21日 ISUジュニアグランプリ スケートスロバキアブラチスラヴァ - 1 1 1


2002-2003 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2003年2月24日-3月2日 2003年世界ジュニアフィギュアスケート選手権オストラヴァ 2 7 3 4
2002年12月20日-22日 第71回全日本フィギュアスケート選手権京都 - 8 8 8
2002年11月23日-24日 第71回全日本フィギュアスケートジュニア選手権名古屋 - 4 3 2

プログラム

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シーズン SP FS EX
2009-2010 アランフエス協奏曲[1]
作曲:ホアキン・ロドリーゴ
2008-2009[27][32][33] 映画『ある日どこかで』サウンドトラック
作曲:ジョン・バリー
振付:宮本賢二
映画『SAYURI』より 芸者
作曲:ジョン・ウィリアムズ
振付:リー=アン・ミラー
映画『シェルブールの雨傘』サウンドトラック
作曲:ミシェル・ルグラン
振付:宮本賢二
2007-2008[34] ロミオとジュリエット
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
アンジェパッセ
作曲:アラン・ルフェーブル
白鳥の湖
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:ローリー・ニコル
ロミオとジュリエット
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
2006-2007[35] オブリビオン
作曲:アストル・ピアソラ、演奏:Lucia Micarelli
リベルタンゴ
作曲:アストル・ピアソラ、演奏:ボンド
振付:ニコライ・モロゾフ
白鳥の湖
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:ローリー・ニコル[36]
恋のアランフェス
作曲:ホアキン・ロドリーゴ、ボーカル:サラ・ブライトマン
2005-2006[2][37] 朝 『ペール・ギュント』第1組曲より
作曲:エドヴァルド・グリーグ
振付:樋口美穂子
アメジスト
作曲:YOSHIKI
振付:樋口美穂子
In The Arms Of An Angel
作曲:サラ・マクラクラン、ボーカル:サラ・ブライトマン
振付:樋口美穂子
When It Is Cold I'd Like Die
Moby
2004-2005[38] Sunset 5.45 + Scherzo + Reaching for the Stars
作曲:ミッチェル・カーマン
振付:リー=アン・ミラー
バレエ組曲『シルヴィア』より
作曲:レオ・ドリーブ
振付:リー=アン・ミラー
What Am I To You
ボーカル:ノラ・ジョーンズ
振付:山田満知子、樋口美穂子
2003-2004[39] スペイン舞曲第1番
作曲:マヌエル・デ・ファリャ[40]
振付:山田満知子、樋口美穂子
ロマンス
作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
振付:山田満知子、樋口美穂子
「エンジェル・オブ・ライト」「プロスペクト」
作曲:トッド・マコーヴァー
振付:山田満知子、樋口美穂子
2002-2003[39] 映画『ミッション』より カブリエルのオーボエ
作曲:エンニオ・モリコーネ
ヴァイオリン協奏曲第1番
(Rondo-Adagio Espressivo)
作曲:ニコロ・パガニーニ
エンジェル・オブ・ライト & プロスペクト
作曲:トッド・マコーヴァー
振付:山田満知子、樋口美穂子

出演

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テレビ

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過去のレギュラー

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過去に出演した番組

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  • 突然ですが占ってもいいですか?(2021年2月、フジテレビ)[43]

ラジオ

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以下過去

以下のダイジェスト番組は、ロンドンオリンピック開催期間中(2012年7月28日 - 8月12日)に、民放連加盟のラジオ局で1日数回にわたって放送。

  • ロンドンオリンピックハイライト
  • ロンドンオリンピックリポート
  • トゥデーズロンドンオリンピック

劇場アニメ

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舞台

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CM

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PV

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書籍等

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スポンサー

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脚注

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注釈

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  1. ^ 2018年限りで現役を引退した。
  2. ^ 3回転アクセルが両足着氷だったとみなされ、ISUの成功認定は得ていない[22]
  3. ^ a b 不定期番組

出典

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  1. ^ a b 『フィギュアスケートDays Plus 2009-2010女子シングル読本』 ダイエックス出版 2009年9月 p.34
  2. ^ a b 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.22
  3. ^ 浅田真央&舞 事務所退所で“姉妹格差”浮上…「押しの強さが好きになれない」ビキニ投稿で“セクシー路線”の姉には厳しい声”. FLASH. 2024年9月11日閲覧。
  4. ^ a b c d 『フィギュアスケート日本女子ファンブック2009』扶桑社、2008年12月、p.68
  5. ^ 『氷上のアーティストたち』p.158
  6. ^ 浅田 舞 プロフィール”. 浅田 舞 オフィシャルウェブサイト. 2015年1月29日閲覧。
  7. ^ 『氷上のアーティストたち』p.167
  8. ^ 八木沼純子著『氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月、p.170
  9. ^ 浅田舞さん新コーナー第2弾!
  10. ^ 浅田舞さん「ノーパン」主義を告白 デイリースポーツ online 2014年2月7日
  11. ^ 浅田舞さん「ノーパン」主義を告白 (2) デイリースポーツ online 2014年2月7日
  12. ^ “浅田舞 “始球式”ノーバンならず ホントはカープ女子”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年9月2日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/09/02/kiji/K20160902013276180.html 201-09-05閲覧。 
  13. ^ 浅田舞 (@asadamai717) | Twitter浅田舞 (@asadamai717) | Twitter
  14. ^ “浅田舞「カープ女子」宣言で“にわか”バッシング”. 東スポWeb (東京スポーツ新聞社). (2016年10月3日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/162939 2016年10月3日閲覧。 
  15. ^ 浅田真央、姉・舞との確執を語る「同じ家に住んでいるのに一言もしゃべらない時期があった(2/2)徹子の部屋 最強夢トークスペシャル」2018年3月12日放送
  16. ^ “浅田舞「金スマ」で社交ダンスに挑戦「やっぱり舞ちゃんだった」「感動して号泣」と反響”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2021年11月20日). https://hochi.news/articles/20211120-OHT1T51075.html?page=1 2022年10月4日閲覧。 
  17. ^ a b c “浅田舞、社交ダンス出場の裏で左足首を骨折していた…ネット反響「すごすぎる」「泣いちゃう」”. RBB TODAY (イード). (2022年1月29日). https://www.rbbtoday.com/article/2022/01/29/195675.html 2022年10月4日閲覧。 
  18. ^ “浅田舞・オチョペア、3度目の社交ダンス「全日本」が6位に終わり弱さを自覚!背水の陣「次が最後」”. RBB TODAY (イード). (2022年8月6日). https://www.rbbtoday.com/article/2022/08/06/200893.html 2022年10月4日閲覧。 
  19. ^ “浅田舞 ダンス留学でイタリアへ 「海外社交ダンスの世界に憧れ…今が行くべきチャンスだと」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2022年10月3日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/10/03/kiji/20221003s00041000445000c.html 2022年10月4日閲覧。 
  20. ^ a b 『little wings 新世代の女子フィギュアスケーター8人の素顔』双葉社、2003年12月
  21. ^ 城田憲子 (2011年9月3日). “日本のメダリストのコーチたち〜門奈裕子編〈1〉”. スポーツ報知、コラム 城田憲子の「フィギュアの世界」. 報知新聞社. 2011年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月12日閲覧。
  22. ^ 『little wings』p.78, p.107
  23. ^ 宇都宮直子著「浅田舞 深い闇からの覚醒」『Number』667号
  24. ^ 『応援ブック』p.67
  25. ^ 『応援ブック』p.70
  26. ^ 『日本女子フィギュアスケートキャラクターブック 2008-2009』マガジンハウス、2008年10月、p.41
  27. ^ a b 『キャラクターブック 2008-2009』pp.39-40
  28. ^ 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009女子シングル読本』ダイエックス出版、2008年9月、p.39
  29. ^ '09中部フィギュアスケート選手権大会 女子 - 最終結果”. 日本スケート連盟 (2016年2月17日). 2017年3月17日閲覧。
  30. ^ “浅田舞が涙で告白 SP後「喝を入れるために叱った」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2014年2月21日). https://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2014/02/21/kiji/K20140221007637971.html 2015年12月11日閲覧。 
  31. ^ 12月12日(土)放送内容 マネープラス”. サタデープラス. 毎日放送 (2015年12月12日). 2017年3月12日閲覧。
  32. ^ 『2008-2009女子シングル読本』p.38
  33. ^ 『ファンブック2009』p.92
  34. ^ 『ファンブック2009』pp.67-69
  35. ^ 『2008-2009女子シングル読本』pp.39-40
  36. ^ 第75回全日本フィギュアスケート選手権パンフレット
  37. ^ 『日本女子フィギュアスケート オフィシャル応援ブック2006』実業之日本社、2005年10月、p.94
  38. ^ 『応援ブック』p.94
  39. ^ a b 『little wings』pp.134-135
  40. ^ 『ファンブック2009』p.85
  41. ^ “浅田舞:初のメインMC番組が1月スタート 地元名古屋で町歩き「新しい発見ばかり」”. まんたんウェブ (毎日新聞デジタル). (2015年12月11日). https://mantan-web.jp/article/20151209dog00m200011000c.html 2015年12月11日閲覧。 
  42. ^ “浅田舞、リオ五輪メインMC抜てきも「不安しかない…」”. ORICON STYLE. (2016年7月21日). https://www.oricon.co.jp/news/2075442/full/ 2016年7月21日閲覧。 
  43. ^ 「突然ですが占ってもいいですか」に出演した占い師の名前を全員公開【常に更新】”. 占いバンク. 2023年5月12日閲覧。
  44. ^ “浅田舞、織田信成が「ドラえもん」で声優デビューへ”. 日刊スポーツ. (2016年10月28日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1730198.html 2016年10月28日閲覧。 
  45. ^ 「マッスルミュージカル」5年ぶりに復活、主役の浅田舞は舞台初挑戦”. ステージナタリー (2016年2月8日). 2021年3月8日閲覧。
  46. ^ 池谷直樹&浅田舞ら、アスリートが鍛え上げた肉体で表現「八犬伝」全国へ”. ステージナタリー (2017年4月30日). 2021年3月8日閲覧。
  47. ^ “「煉獄に笑う」遊女・弓月役に浅田舞、東京&大阪で追加公演決定”. ステージナタリー. (2017年6月2日). https://natalie.mu/stage/news/235128 2021年3月8日閲覧。 
  48. ^ “浅田舞、全米フィギュア女王にメロメロ「直視できない」”. ORICON STYLE. (2016年9月29日). https://www.oricon.co.jp/news/2079178/full/ 2016年9月29日閲覧。 
  49. ^ 浅田舞、キスシーン初挑戦 SPICY CHOCOLATE新曲MVで初主演”. ORICON (2015年6月24日). 2015年6月24日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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