檀君陵

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檀君陵
各種表記
ハングル 단군릉
漢字 檀君陵
発音 タングンルン
日本語読み: だんくんりょう
英語表記: Tangunrǔng
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檀君

檀君陵(だんくんりょう、단군릉)は、紀元前2500年前頃に朝鮮を建国(檀君朝鮮)したとされる檀君である。朝鮮民主主義人民共和国の国宝en:National Treasures of North Korea)174号である。1994年(主体83年)10月11日朝鮮民主主義人民共和国平壌市江東郡江東邑大朴山に建造された。

位置[編集]

北朝鮮の平壌市から東に30kmにある江東郡江東邑大朴山の檀君陵(地名としての檀君陵は、李氏朝鮮時代から続く地名である)という場所にある。

由来[編集]

北朝鮮の発表によると、1993年主体82年)に発掘調査が行なわれ、高句麗時代の積石塚古墳であることが確認されたが、出土した夫婦のものと見られる古い男女の骨を「電子常磁性共鳴法(または「電子スピン共鳴法」)」という特殊な年代測定にかけたところ、5011年±267年前という結果が出たため、檀君は実在人物であり、檀君の生没年は檀君紀元よりも遡ることが実証されたとしている。

同年9月には元々あった墳墓の近くに幅50 m、高さ22 mの9段積みのコンクリート製塚(同じ高句麗の将軍塚に類似する)の建設を開始し、翌1994年(主体83年)10月11日に竣工した。

なお、檀君の生没年が5000年前であるという結果から、北朝鮮では平壌周辺にこれまでの世界四大文明に匹敵する古代文明が存在したと主張するようになり、これを大同江文化(대동강문화)』と名付けた。

評価[編集]

北朝鮮の学界では、高句麗時代に檀君を始祖の父として祀るための施設として築かれたとされている。実際、高麗時代に編纂された『三国遺事』では、高句麗の始祖である朱蒙を檀君の子であると記している。しかし、高句麗の歴史書である『三国史記』では、朱蒙は扶余北部で河神の娘から生まれ南下したとしており、檀君の名は一切登場しない。そもそも、檀君の存在自体が考古学的にも疑わしく、檀君陵の積石塚に葬られていたのは高句麗人と考えるのが無難である。

なお北朝鮮の考古学界では、檀君陵の発見されて以降平壌周辺で檀君時代のものとされる土城や墓の発見が次々と報告されており、古朝鮮の中心は従来の遼東半島付近ではなく、平壌こそが朝鮮民族の発祥地であるという主張が主流となりつつあるが、檀君の存在が疑わしい以上、これらの遺跡の時期も疑わしい。

田中俊明は、「ここは、朝鮮民族の始祖とされる檀君の故地でもある。近年、その東の江東で『檀君陵』が発掘・整備され、その実在化が進んでいるが、明確な記録による限り、天帝の子と熊女との間に生まれた神人であり、神話として受け取るしかない。」と評する[1]

武田幸男 は、「そのうち男性の骨は5011年前に出生した人物のものであり、そしてこれこそが檀君自身の遺骨だと判定された。そうなると、古来の檀紀でも新しすぎるので、それも誤りということになった。墓はさっそく改修された。長くつづく石の墓道には石人・石獣などが向き合い、登りつめた微高地に、底辺が一辺50メートル、高さ22メートル、石築9段のピラミッド型の陵墓がそそり立つ。高句麗最盛期を代表する中国吉林省集安の将軍塚に似ているが、その規模ははるかに大きい。高句麗墓がこの巨大な檀君陵に生まれかわったのは、発掘調査の翌年であった。発掘調査にあたった朝鮮社会科学院は、『檀君は実在古朝鮮建国の始祖』であると宣言した。北朝鮮では檀君神話が独特な形で考古学と結びつき、檀君が現代によみがえりつつある。これまでは、檀君神話の歴史性が議論されてきた。今度は、檀君そのものの実在が主張されるのである。」と評する[2]

岡田英弘は、「さて、韓半島では、最初の歴史書『三国史記』から約100年後の13世紀になって、『三国遺事』という本が書かれた。これは、一然という坊さんが書いた本だが、このなかに、檀君という朝鮮の建国の王の神話があらわれてくる。この檀君は、天帝の息子で、それが地上に天下って、中国神話の帝堯と同時代に朝鮮に君臨し、1500年間在位して、1908歳の長寿を保ったということになっている。ご記憶の方もあるかと思うのだが、北朝鮮の金日成主席は、1994年7月8日に死んだ。その直前、この檀君の墓が北朝鮮で発見されたという報道があった。墓のなかには、身長が3メートルぐらいで、玉のように白くて美しい、巨大な人骨があったという。当時、朝鮮民主主義人民共和国が国力を傾けて、莫大な金をかけて檀君陵を建造したが、陵ができ上るのとほとんど同時に、金日成が死んでしまった。なぜ、神話中の登場人物である、檀君の遺骨をわざわざ見つけたか。それは北朝鮮の国是である主体思想のせいなのだ。朝鮮の起源は、中国に匹敵するぐらい古い。しかも、中国文明とは無関係に成立していたんだ、ということを言いたいがために、そういうものをつくったのだ。」と評する[3]

脚注[編集]

  1. ^ 田中俊明「朝鮮地域史の形成」『世界歴史9』岩波講座1999年ISBN 978-4000108294 p148
  2. ^ 礪波護武田幸男「隋唐帝国と古代朝鮮」『世界の歴史6』中央公論社1997年ISBN 978-4124034066 p252
  3. ^ 岡田英弘 『歴史とはなにか』 文藝春秋〈文春新書 155〉、2001年2月20日ISBN 4-16-660155-5p130₋p131

参考文献[編集]