檀君陵

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檀君陵(タングンりょう、단군릉)は、紀元前2500年前頃に朝鮮を建国(檀君朝鮮)したとされる檀君である。朝鮮民主主義人民共和国の国宝en:National Treasures of North Korea)174号である。1994年10月11日朝鮮民主主義人民共和国平壌市江東郡江東邑大朴山に建造された。

位置[編集]

北朝鮮の平壌市から東に30kmにある江東郡江東邑大朴山の檀君陵(地名としての檀君陵は、李氏朝鮮時代から続く地名である)という場所にある。

由来[編集]

北朝鮮の発表によると、1993年発掘調査が行なわれ、高句麗時代の積石塚古墳であることが確認されたが、出土した夫婦のものと見られる古い男女の骨を「電子常磁性共鳴法(または「電子スピン共鳴法」)」という特殊な年代測定にかけたところ、5011年±267年前という結果が出たため、檀君は実在人物であり、檀君の生没年は檀君紀元よりも遡ることが実証されたとしている。

同年9月には元々あった墳墓の近くに幅50 m、高さ22 mの9段積みのコンクリート製塚(同じ高句麗の将軍塚に類似する)の建設を開始し、翌1994年10月11日に竣工した。

性格[編集]

北朝鮮の学界では、高句麗時代に檀君を始祖の父として祀るための施設として築かれたとされている。実際、高麗時代に編纂された『三国遺事』では、高句麗の始祖である朱蒙を檀君の子であると記している。しかし、高句麗の歴史書である『三国史記』では、朱蒙は扶余北部で河神の娘から生まれ南下したとしており、檀君の名は一切登場しない。そもそも、檀君の存在自体が考古学的にも疑わしく、檀君陵の積石塚に葬られていたのは高句麗人と考えるのが無難である。

なお北朝鮮の考古学界では、檀君陵の発見されて以降平壌周辺で檀君時代のものとされる土城や墓の発見が次々と報告されており、古朝鮮の中心は従来の遼東半島付近ではなく、平壌こそが朝鮮民族の発祥地であるという主張が主流となりつつあるが、檀君の存在が疑わしい以上、これらの遺跡の時期も疑わしい。

参考文献[編集]

関連項目[編集]