平野隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

平野 隆(ひらの たかし)はTBSテレビ事業局映画・アニメ事業部所属の映画プロデューサー。映画・アニメ事業部 エキスパート職(部長待遇)・企画統括[1][リンク切れ]

来歴[編集]

大分県[2]竹田市[要出典]出身。大分県立大分上野丘高等学校卒業[要出典]一橋大学卒業後[3]1991年TBS入社[4]同期にはアナウンサーの安東弘樹秋沢淳子が、他職では武田一顯TBSラジオ国会担当記者)、竹内明(報道局記者・キャスター)がいて、TBSが1991年9月までおよそ30年使用していた筆記体ロゴ時代最後の入社組である[要出典]

4年間テレビドラマ制作現場を経験する。この時代のことは小泉すみれ著『プロデューサーになりたい』 (ISBN 978-4-06-364597-2)でも登場する。その後、1997年に事業局映像事業センター映像事業への異動により映画製作に携わるようになる。上司である濱名一哉の指導の元、製作を学び、2人で映画事業部の基礎を築く。映画事業部次長、映画事業部担当部長[4]を経て2016年4月1日付で現職。

主な作品[編集]

プロデューサー[編集]

共同プロデューサー[編集]

企画プロデュース[編集]

エグゼクティブプロデューサー[編集]

アソシエイトプロデューサー[編集]

製作捕[編集]

製作総指揮[編集]

脚本[編集]

制作参加作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “想〜県人エッセー 平野 隆さん(47)”. 大分合同新聞 (大分合同新聞社). (2014年4月18日). http://www.oita-press.co.jp/1010000000/2014/04/18/011345ik [リンク切れ]
  2. ^ 「映画作りの原点は「希望」。」ここから本文エリア 朝日新聞デジタル > 転職 > あの人とこんな話
  3. ^ 「映画作りの原点は「希望」。」ここから本文エリア 朝日新聞デジタル > 転職 > あの人とこんな話
  4. ^ a b No.411 2012年10月号「私の新人時代」”. 会報. 一般社団法人 日本映画テレビプロデューサー協会. 2015年9月19日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 平野隆 - allcinema
  6. ^ ドリームメーカー - KINENOTE
  7. ^ MOON CHILD - KINENOTE
  8. ^ クレジット”. 映画「チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~」公式サイト. 2016年12月26日閲覧。
  9. ^ 大安に仏滅!? - KINENOTE
  10. ^ あずみ - KINENOTE

外部リンク[編集]