コンテンツにスキップ

姿三四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

姿三四郎』(すがたさんしろう)は、富田常雄長編小説

概要

[編集]

柔道創成前後の明治時代を背景に、実在の人物をモデルとした柔術家・柔道家および実在の政治家ら(谷干城伊藤博文井上馨など)をおりまぜた登場人物により、さまざまな人間模様、柔術・柔道等の戦い、歴史的事件をとりまく人々などを描く。

主人公の姿三四郎は会津に生まれ、明治15年、17歳で上京した。これは実在の柔道家で講道館四天王の一人、西郷四郎の来歴と全く同じであり、西郷がモデルだと言われる。 また諸説として、他の実在の柔道家でモデルの一人とされ影響を与えたのではないかとされる人物としては、その強さと嘉納治五郎から破門・謹慎を言い渡され後に復帰した経歴の徳三宝[1][2]や、“姿”という珍しい姓と富田常雄が『姿三四郎』を執筆していたころに学生柔道界の花形として活躍していた姿節雄[3][4]などの名も挙げられている。

三四郎は学士の矢野正五郎(やはり講道館柔道の創設者、嘉納治五郎がモデル)の柔道場に入門し、天才児と言われた。他の柔術家やボクサー空手(唐手)家などに勝利しつつ、人間として成長してゆく。得意技は山嵐良移心当流の柔術家村井半助との試合、右京が原での檜垣源之助との決闘、峰の薬師での檜垣鉄心・源三郎兄弟との決闘、「すぱあら」(ボクシング)のウィリアム・リスターとの他流試合、砲兵工廠・回向院(えこういん)での琉球人の間諜との格闘、西日本を代表する柔術家津久井譲介との格闘などが有名で、峰の薬師の決闘の地には石碑も建てられた。

今日までに多数の映画、テレビドラマ、漫画作品の原作となり、後の柔道を扱った作品に大きな影響を与えている。また、柔道界で小柄でありながら大きな選手を相手に活躍した選手に「三四郎」とニックネームをつけて呼ぶのは、この作品から取ったものである(重量級の山下泰裕などは「三四郎」とは呼ばれない)。

2017年に作者の没50年を迎え、日本では当時の著作権法に基づいて翌2018年元日に著作権が消滅。パブリックドメインとなった。

連載形態

[編集]

1942年9月に錦城出版社から『姿三四郎』が(〈巻雲の章〉から〈碧落(へきらく)の章〉まで)、1944年7月に増進堂から『続・姿三四郎』が(〈すぱあらの章〉から〈一空の章〉まで)出版され、それらの好評のあとを受けて1944年から東京新聞に連載された『柔(やわら)』には、〈不惜の章〉から〈明星の章〉までを、1945年に同紙に掲載した『続・柔』には〈琴の章〉から〈落花の章〉までを含んでいた。それに『姿三四郎』の前史にあたる『明治武魂』(〈生死の章〉までを含む)を加え、今日見られるような形にまとまった。『明治武魂』は1944年に大阪新聞に連載されたものである[5]

全体の構成

[編集]
  • 序の章
  • 天狗の章
  • 佳人の章
  • 生死の章
  • 巻雲の章
  • 四天王の章
  • 流水の章
  • 碧落(へきらく)の章
  • すぱあらの章
  • 愛染(あいぜん)の章
  • 有縁(うえん)の章
  • 一空の章
  • 不惜(ふしゃく)の章
  • 鏢(ひょう)の章
  • ひとくきの章
  • 明星の章
  • 琴の章
  • 女怨(じょえん)の章
  • 落花の章

映像化作品

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

テレビアニメ

[編集]
【声の出演】
【スタッフ】
【声の出演】
【スタッフ】

漫画

[編集]
  • 「少年姿三四郎」作者:富永一朗 (1954年 − 1955年、全5巻、発行:きんらん社) ※1954年の東映映画「少年姿三四郎」とのタイアップ企画
  • 「姿三四郎」作者:奥田邦夫 (「少年画報」 1970年4号 − 8号に連載) ※竹脇無我主演のテレビドラマ「姿三四郎」とのタイアップ企画
  • 「姿三四郎」作者:みなもと太郎 (1972年「週刊少年マガジン」に連載)
  • 「姿三四郎」作者:本宮ひろ志 (1976年 - 1977年「週刊少年マガジン」に連載)
  • 「風の柔士」作者:真船一雄 (2002年「週刊少年マガジン」に連載) ※主人公(矢野浩)は三四郎の師匠の矢野正五郎

「三四郎」と呼ばれた柔道家

[編集]
  • 木村政彦:作者の富田常雄は、「木村の前に木村無く、木村の後に木村無し」とその強さを称賛している。
  • 小崎甲子:「女三四郎」。大日本武徳会講道館からそれぞれ女性として初めて段位を授与され、明治以降の近代柔道において女性として初めて黒帯を許された人物。[6][7]
  • 岡野功:「昭和の三四郎」。中量級の世界王者が、体重無差別の全日本選手権で重量級を破り二度も優勝した[8]
  • 山口香:「女三四郎」。日本の女子柔道の中興の祖ともいえる存在[9]
  • 古賀稔彦:怪我に耐えつつ五輪金メダルを獲得した偉業や、豪快な背負い投げを得意としたことから「平成の三四郎」と称えられた[10][11][12]
  • 野村忠宏:アジア人初の五輪三連覇の偉業や、華麗な背負い投げが得意であったことから、古賀稔彦と同様「平成の三四郎」と称された。ただ多くの場合、「平成の三四郎」は古賀を指す。
  • 村尾三四郎:名前になぞらえて「令和の三四郎」と称される[13]。「三四郎」という名前は「生粋の日本人に育つように」との両親による願いから名付けられた[14]

派生創作物とその登場人物

[編集]

姿三四郎と、そのモデルとなった実在人物西郷四郎の伝説的強さにあやかり、柔道やそれに関する格闘技を題材とした創作物のタイトル名やその登場人物、及びそのパロディ創作物の登場人物の名称に三四郎が使用されることも多い。

テレビCM

[編集]

関連項目

[編集]
  • せがた三四郎
  • 教養小説
  • 松山三四六 - 歌手・ものまね芸人、彼の芸名は姿三四郎から命名された。
  • 女三四郎
  • 猪木アリ状態 - 原作小説中の「一空の章」(1944年出版)において、三四郎がボクサーとの他流試合でとった戦法に猪木アリ状態に酷似した体勢があり、猪木がアリ戦直前に『姿三四郎』を読んでいたという証言もあるという(雑誌『Gスピリッツ』12号、2009年)。また、猪木は『ゴング格闘技 2014年5月号』のインタビューで、かつて明治初期から昭和初期に行われていた柔道vsボクシング(拳闘)の柔拳興行において柔道家が対ボクサー相手にこの戦法を取っていたことを映像で見ていたことから、自身も対ボクサーのアリ戦に自然とこの形を取ったことを語っている。[15]

脚注

[編集]
  1. ^ 指宿営造・著『柔道一代 徳三宝』(南方新社)2007年
  2. ^ 「家族の目から見た柔道家・庄司彦男とは?」(インタビュー)2002年
  3. ^ くろだたけし (1981年4月20日). “名選手ものがたり18 -8段姿節雄の巻-”. 近代柔道(1981年4月号)、58-59頁 (ベースボール・マガジン社) 
  4. ^ 百瀬恵夫「姿節雄"三四郎"物語」『大学史紀要・紫紺の歴程』第4巻、明治大学大学史料委員会、2000年3月、138-147頁、ISSN 1342-9965NAID 120002909184 
  5. ^ 「姿三四郎 下巻」、富田常雄著、新潮社(1973)の「解説」(1973年6月尾崎秀樹執筆)
  6. ^ 『おんな三四郎83歳宙をとぶ 女性黒帯第一号、小崎甲子の柔道一直線』内藤洋子 (エッセイスト)・著 エフエー出版 1992年 isbn=4-87208-023-8
  7. ^ 中日新聞』1997年2月18日付朝刊31面「”元祖”おんな三四郎 小崎甲子さん死去」。
  8. ^ 大野将平“昭和の三四郎”岡野功氏から技術指導「私の柔道の最終地点」と心酔/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online (2024年7月31日). 2024年7月31日閲覧。
  9. ^ “女三四郎”山口香氏「私たちの世代では、こんなに日本人がメジャーで活躍するというのは…凄い時代」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年7月31日閲覧。
  10. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2021年3月25日). “さらば平成の三四郎…古賀稔彦さん死去 がん闘病1年、バルセロナ五輪で金”. サンスポ. 2024年7月31日閲覧。
  11. ^ 日本放送協会『「古賀稔彦さんが遺したもの~平成の三四郎からのメッセージ~」 - あの日 あのとき あの番組https://www.nhk.jp/p/nhk-archives/ts/RY1XL52811/episode/te/7W6MY1PM37/2024年7月31日閲覧 
  12. ^ 「平成の三四郎」古賀稔彦さん死去 53歳バルセロナ金:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2021年3月24日). 2024年7月31日閲覧。
  13. ^ 月刊オリパラ:パリの燦歩道 進め「令和の三四郎」 柔道・村尾三四郎”. 毎日新聞. 2024年7月31日閲覧。
  14. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年4月2日). “「令和の三四郎」になる! 柔道男子・村尾が東海大入学式で決意”. サンスポ. 2024年7月31日閲覧。
  15. ^ 『ゴング格闘技 2014年5月号』