世界都市博覧会

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世界都市博覧会(せかいとしはくらんかい)は、東京臨海副都心1996年(平成8年)3月24日から10月13日まで開催される予定であった博覧会。通称:世界都市博都市博。主催団体は財団法人東京フロンティア協会(会長・平岩外四)。

開催の経緯[編集]

世界都市博覧会の開催が決定された1993年当時の東京都知事鈴木俊一は、1970年に開催された日本万国博覧会において事務総長理事を務めた経験がある。万国博の会場選定において、当初から鈴木は首都圏開催を主張しており、最後まで東京にこだわったものの、政府内での「東京はオリンピックをやった、その次は大阪でないとまずい」という流れに押され、結局「首都圏での博覧会開催」という本人の夢は果たせぬまま時は流れていった。

そんな鈴木も高齢となり、自身が知事現職中のうちに、果たせぬ夢であった「首都圏での博覧会開催」をどうしても実現させたい、そんな強い希望から最後のチャンスとばかり、1993年に鈴木の肝いりで開催が決定する。以後、国連や海外の46都市、国内122自治体が参加する計画が進められることとなった。

もともと都市博のコンセプトは「臨海開発の起爆剤」で、神戸ポートアイランド博覧会1981年、ポートピア'81)のように博覧会を契機に臨海部開発を推進しようというところにあった。

跡地は記念公園にする予定であった。

青島都知事の中止決定[編集]

しかし、バブル崩壊によりオフィス需要拡大の思惑が外れ、また徐々に賃料が上昇する新土地利用方式の評判も悪かったことから、1992年頃より進出内定企業の契約辞退が相次ぐことになる。このような背景のもと、青島幸男1995年4月9日の東京都知事選挙に立候補し、世界都市博の中止、臨海副都心開発の見直し、乱脈経営(二信組事件)で経営危機となっていた東京協和・安全信用組合の非救済を公約にした。青島は約170万票を獲得し、鈴木知事の後継で都市博開催を公約にした石原信雄(約123万5千票)に大差で勝利した。都市博を中止せよという世論が青島の大量票獲得に貢献したといえる。

都市博中止を公約にした青島は、知事に当選してから初めて博覧会場を訪れ、かなり準備が進んでいることに驚いた。中止した場合、約1,000億円の損失が出ると事務局側は青島都知事へ伝えていた。開催を行うかどうかの決断は1995年5月31日までにしなければならなくなり、タイムリミットは迫っていた。

そうした中、東京都議会の「世界都市博開催に関する特別委員会」は5月16日に「都市博開催決議」を可決した。また同じ日、青島知事宛ての小包が爆発する東京都庁小包爆弾事件が起きた(ただし、爆弾事件はオウム真理教によるものであり、中止問題とは無関係と後に判明している)。続いて5月23日、東京都議会・本会議において100対23の大差で「都市博開催決議」が可決された。

都知事の公約は貫徹されない、という観測が広まったが、青島都知事は全国の注目を集める中で都市博の中止を発表した。公約を実行するのが困難だと見ていた人々は「公約は公約でも本当に中止するとは信じられない」と衝撃が走った。青島は都市博の中止を、家族や知人と相談して決断したという。

この決定を受けた鈴木前知事は、「首都圏での博覧会開催」という夢を潰されたことに怒りをあらわにして、「サリンをばら撒かれたようだ」と発言し、各方面から非難を浴びた。

中止決定の余波[編集]

知事が中止の決断をしたことで、事務局は発注済の業者への賠償など、様々な後処理に追われることになった。

金銭的影響[編集]

1996年4月22日、東京都から最終財政影響額が発表された。これによれば、青島都知事に事務局側が「中止した場合、東京都に982億円(誤差は50億円)程度の損失が出る」と伝えていたのに対し、実際の損失額は610億円にとどまった。開催されていた場合に予定されていた支出である約830億円よりも220億円も下回ったこととなる。

博覧会が中止になったため、既に会場内の工事やイベント企画を受注していた企業が、発注先の企業から代金を受け取れないという問題が発生した。救済策として、東京都は1社あたり2億円を限度とした緊急融資を実施し、最終的に280社に合計約77億8500万円を融資した。中止から14年が経過した2009年12月の時点で全額返済したのは181社で、総額は58億円にとどまっており、2009年3月に約2億6000万円の債権を放棄したものの、約20億円が未回収のまま残っている。都の決定した博覧会中止がそもそもの原因であるといった経緯もあり、強制的な措置を講じることも困難な状況という[1]

開発戦略の練り直し[編集]

都市博を中止した青島であったが、後に「(臨海開発のため)何かイベントを開催する必要がある」といった発言をしている。

その後、世界都市博が中止になった臨海副都心をどのように開発するか論議が繰り返されるが、都市博中止による意外な効果もあった。都市博の中止が多くのマスコミで報道されたことで、逆に都民の臨海副都心の認知度は大いに高まった。噂の臨海副都心はどんな所なのかという関心から、開業したゆりかもめは、まだ荒涼とした埋立地だけの状態だったにもかかわらず、満員の乗客を運んだ。その後、東京国際展示場フジテレビジョン本社ビルなどが開業し、商業施設が充実すると、更に多くの観光客が訪れることとなり、臨海副都心は当初予定したオフィス街ではなく、アーバンリゾートの性格を持つに至っている。

前売入場券の払い戻し[編集]

1995年より発売されていた一般向け前売入場券については、同年8月1日から12月28日までの期間、日本全国の主要旅行代理店(近畿日本ツーリストJTBなど)やJR東日本びゅうプラザなどで払い戻しが行われた。

中止の妥当性[編集]

開催が予定されていた当時はバブル崩壊が進行しつつあり、仮に博覧会を実施した場合、どの程度経済的な効果があったかどうかは不明である。当時既に、第一次公募企業の進出中止や延期が相次いでおり、その前に立川市で開催されたTAMAらいふ211993年)でも企業の協賛が思うように得られない状況で、観客数も伸び悩んでいた。

また都市博が開催された場合、大人数が会場に押し寄せ、相当の混乱を招いた可能性も否定できない。当時、臨海副都心のインフラ整備はまだ進んでおらず、主要な公共交通機関はゆりかもめりんかい線程度であった(りんかい線は都心と直結する東京テレポート駅以西が未開通だった上、埼京線にも乗り入れておらず、編成も4両と短かった。さらに東京駅からのアクセスには京葉線を経由し、新木場駅での乗り換えが必要だった)。さらに都営バス京浜急行電鉄(当時。現:京浜急行バス)も4路線のみであった(2014年時点では複数の路線が運行しているが、当時、虹01(2代目)[注 1]、急行05、急行06〈江東区深川シャトル〉、お台場レインボーバスは未開通、門19は存在していたが国際展示場駅まで運行しておらず[注 2]、都05は存在しているものの東京ビッグサイトまで運行していなかった[注 3]。そのため海01と虹02、1996年3月30日に開設された東16、そして京浜急行電鉄が運行する井30・森30・森40のみが頼りだった)。

先述のとおり、都市博を中止した張本人である青島が臨海開発のためのイベント開催の必要性に言及したこともあり、世界都市博中止は失敗だったのではないか、と批判された。青島の3つの公約のうち、臨海副都心開発と二信組救済はその後も進められ、青島在任中に実現されたのは博覧会中止のみであった。

予定されていたパビリオン[編集]

出展企業・省庁の名称は当時のもの。

出展企業・グループには主催者側より、1社・グループあたり前売入場券(大人一枚2,500円。なお、当日券は3,200円を予定していた)10万〜15万枚の購入依頼があった。

このほか、主催者はゼネコン業界団体である日本建設業団体連合会にも出展を要請していたが、用意された敷地が他の企業用区画の5倍あり、出展費用が過大となることから、日建連は出展を断念した。[2]

関連の話題[編集]

  • 博覧会には「東京大使」というマスコットキャラクターが存在し、東京都庁のロビーにも博覧会のPR用にプラスチック製の人形が設置されたが、博覧会中止を受け直ちに職員によって撤収され、お蔵入りとなった。
  • イメージキャラクターは女優の戸田麻衣子戸田菜穂の妹)でCMにも出演していた。
  • 博覧会が中止と決まるとすぐに都庁の売店などで売られていたテレホンカードなどが売り切れに。中止か開催かで揉めていた頃には急激にグッズの売り上げが伸び、テレカなどがコレクターにも人気に。中止になると「グッズを買いたい」という問い合わせが相次ぎ、青島知事はグッズ製造業者に「責任もって買います」と発言した。
  • 都営バスの側面に広告ステッカーがつけられていたが中止になれば全面撤去された。
  • イメージソングはスティーヴィー・ワンダーの「For Your Love」(アルバム「カンバセーション・ピース」に収録)で、横山輝一の日本語ヴァージョンも作られた。日本語ヴァージョンはシングルCDも発売され、ディスクジャケットには世界都市博覧会のロゴや開催予定日、東京大使も印刷されていた。
  • 文化放送梶原しげるの本気でDONDON」で都市博がテーマだった際、1995年4月の都知事選より遥か前だったことからアシスタントがナレーションとして「どの候補が当選しても行われる都市博」と発言した。しかし実際には当選した青島が中止を決めている。この件について文化放送からコメントは出ていない。
  • 中止当時のニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニはお詫び行脚で青島知事と初対面した際には「公約を守ったことを尊敬している」と話した。
  • 1995年12月9日に公開された映画『ゴジラvsデストロイア』では、当初都市博の会場の一部が舞台に設定されていたが博覧会の中止によって脚本段階で変更を余儀なくされた。同作のプロデューサー・富山省吾は後日、「青島ザウルスに壊されてしまいました」と苦笑しながら語っている。
  • 1996年、としまえんで、「とし博」と題したイベントが行われた。言うまでもなくこの時期に本博覧会が行われるはずだったことに対する皮肉で、CMには三波春夫が出演していた。
  • 1999年、台場で開催されたフジテレビ主催のイベント「BANG PARK」(万博と語呂合わせ)のCMに青島幸男が登場し、「BANG PARKやります!(「万博やります」かけている)」と宣伝していた。
  • こちら葛飾区亀有公園前派出所』では都市博をモデルとした「未来博」会場の工事現場が描かれ、その後も作中の会話内で「都市博」という単語は複数回出ていた。
  • ニッポン放送キャイ〜ン天野ひろゆきのMEGAうま!ラジオバーガー!!」では「世界ドジ博」という企画が存在した。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2013年3月31日を以って虹01系統は廃止となり、翌日4月1日からケイエム観光バスが運行するkmフラワーバスとなった。
  2. ^ 門19が国際展示場駅発着となったのは2006年4月1日から。
  3. ^ 都05がお台場まで行くようになったのは2007年3月26日からで、東京ビッグサイトまで行くようになったのは2013年4月1日から。

出典[編集]

  1. ^ “都市博中止での都緊急融資、20億円未回収”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2009年12月14日). オリジナル2009年12月15日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091215074031/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091214-OYT1T00494.htm 2009年12月14日閲覧。 
  2. ^ 『臨海副都心物語』平本一雄著、2000年中公新書。ISBN 9784121015419

関連項目[編集]