ブトロス・ブトロス=ガーリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ブトロス・ブトロス=ガーリ
بطرس بطرس غالي
Naelachohanboutrosghali-3.jpg
ブトロス・ブトロス=ガーリ(2002年3月頃)
生年月日 (1922-11-14) 1922年11月14日
出生地 エジプトの旗 エジプトカイロ
没年月日 (2016-02-16) 2016年2月16日(満93歳没)
死没地  エジプトカイロ
出身校 カイロ大学
配偶者 レイア・マリア
サイン Signature of Boutros Boutros-Ghali.svg

在任期間 1992年1月1日 - 1996年12月31日

エジプトの旗 エジプト・アラブ共和国
外務担当国務大臣代行
在任期間 1977年11月17日 - 12月15日
首相 マムドゥ・サレム
在任期間 1978年9月17日 - 1979年2月17日
首相 マムドゥ・サレム
ムスタファ・ハリル

在任期間 1998年 - 2002年
テンプレートを表示

ブトロス・ブトロス=ガーリBoutros Boutros-Ghali1922年11月14日 - 2016年2月16日)は、エジプト国際法学者で、第6代国連事務総長。事務総長在任当時の報道等ではブトロス・ガリと表記されることが多かった。1997年から2002年までフランコフォニー国際機関事務総長を務めた。

アラビア語: بطرس بطرس غالي, ラテン文字転写: Butrus Butrus Ghālī(ブトロス・ブトロス・ガーリー)。「ブトロス」とはラテン語ペトルスフランス語ピエール英語ピーターと同一の語源を持つ名前で、使徒ペトロに由来する。

経歴[編集]

1922年、カイロに生まれる。コプト正教会信徒であり、ユダヤ系エジプト人のレイア・マリアを妻に持つ[1]。祖父のブトロス・ガーリームハンマド・アリー朝期に首相を務めた。カイロ大学を卒業し、1946年パリ大学において国際法で博士号を取得、同年よりカイロ大学教授として国際法および国際関係論を講じた。

1977年、大統領アンワル・アッ=サーダートによって外務担当国務大臣代行に任ぜられ、イスラエルとの和平合意に尽力した。サーダート暗殺後も、ホスニー・ムバーラクの元で1991年まで務めた。1989年、ムバーラクに随行して日本の昭和天皇大喪の礼に参列している。

1992年、第6代国連事務総長に選出された。アフリカ大陸出身者では初の国連事務総長。『平和への課題』(アジェンダ・フォー・ピース)などの提言書を次々と発表し、国連改革(主に財政改革)、PKO改革を実施した。就任時点での年齢69歳と1ヶ月は、歴代の国際連合事務総長のなかで最高齢の記録である。

しかし、ガーリが主張したPKO改革の大きな柱であった「平和強制部隊(平和執行部隊)」は、ソマリア内戦への介入(第二次国際連合ソマリア活動)で予想以上の損害を出し、アメリカ軍を始めとした平和強制部隊を構成する部隊の多くが撤退。ソマリア内戦は一層の泥沼化を見せて、ガーリの平和強制部隊構想は失敗に終わる。また、この失敗を受けて、1996年の事務総長選挙の際にはアメリカが拒否権を発動して再選を阻止したため退任した。この判断には圧倒的多数の理事国がガーリを選出していたにも関わらず、アメリカ一国の反対で押し切られたとして、国際社会から大きな批判がアメリカに集中した。一方で人員削減・給与カットなどに終始し、国連の業務に支障が出るなど、改革が必ずしもいい方向に行かなかったためにアメリカは分担金の支払いを拒否しており、この退任は妥当であるという評価もある。学者であるがゆえに国連政策の理論を構築したが、実務面では非常に評価が低いという見方も存在する。国連改革およびガーリの後任は、国連事務局に長年勤めていたコフィー・アナンに引き継がれることになる。

1997年11月、ハノイにおいて開催された第7回フランコフォニー・サミットにおいて、新設の事務総長フランス語版に選出され、翌1998年から2002年まで務めた。

2006年、イスラエル元首相シモン・ペレスと共著を出版。2007年1月、従兄弟が役員を務める石油会社がイラクの復興事業に絡み、国連事務次長だったベノン・セヴァン英語版にリベートを送っていたことが判明した(国連汚職問題 - 石油食料交換プログラム)。

2016年2月16日、カイロ市内の病院で93歳で死去[2]

日本との関係[編集]

訪日時には必ず東郷神社に参拝していた[3]

著書[編集]

出典[編集]

  1. ^ “At Home With: Boutros Boutros-Ghali”. New York Times. (1995年10月19日). http://www.nytimes.com/books/97/07/20/reviews/ghali-home.html 
  2. ^ “Former U.N. chief Boutros Boutros-Ghali dead at 93”. ロイター. (2016年2月16日). http://uk.reuters.com/article/uk-people-boutrosghali-idUKKCN0VP1XT 2016年2月17日閲覧。 
  3. ^ ニューヨーク・タイムズ Boutros-Ghali vs. 'Goliath': His AccountBy BARBARA CROSSETTE Published: November 20, 1996 [1] "When Boutros Boutros-Ghali visits Japan, he inevitably makes a quiet pilgrimage to an obscure shrine in what an aide calls some godawful far-reaching corner of Tokyo. There, with incense drifting around him, the Secretary General pauses alone for a moment or two and bows. The shrine is a monument to Adm. Heihachiro Togo, the Japanese naval commander who defeated Russian fleets at Port Arthur and the Tsushima Strait in 1904 and 1905 "

参考文献[編集]

外交職
先代:
(新設)
Flag of La Francophonie.svg フランコフォニー国際機関事務総長
初代:1998年 - 2002年
次代:
アブドゥ・ディウフ