ハビエル・ペレス・デ・クエヤル
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| この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はペレス・デ・クエヤル、第二姓(母方の姓)はデ・ラ・ゲーラです。 |
| ハビエル・ペレス・デ・クエヤル Javier Pérez de Cuéllar | |
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| 生年月日 | 1920年1月19日(99歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 | ペルー・カトリカ大学 |
| 配偶者 | マルセラ・テンプル・セミナリオ |
| サイン |
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| 在任期間 | 1982年1月1日 - 1991年12月31日 |
| 在任期間 | 2000年11月22日 - 2001年7月28日 |
| 元首 | バレンティン・パニアグア |
ハビエル・フェリペ・リカルド・ペレス・デ・クエヤル・デ・ラ・ゲーラ[1](スペイン語: Javier Felipe Ricardo Pérez de Cuéllar de la Guerra, 1920年1月19日 - )は、ペルーの政治家、外交官。第5代国際連合事務総長(任期:1982年1月 - 1991年12月)。第28代ペルー首相(任期:2000年11月 - 2001年7月、首相兼外務大臣)。アメリカ大陸出身では初の国連事務総長。
人物・来歴[編集]
1920年、ペルー共和国・リマ生まれ。1940年、ペルー外務省に入省。1944年に大使館勤務となり、書記官としてフランス、イギリス、ボリビアとブラジルのペルー大使館で勤務する。その後、スイス、ソビエト連邦、ポーランドとベネズエラのペルー大使を務める。1946年の国連初総会にはペルー代表団の一員として参加している。1971年に国連大使となり、1975年まで同職。1973年と1974年に安全保障理事会で議長を務めており、1974年7月にキプロスで発生した騒乱時(キプロスの項目参照)、議長職であった。1975年9月18日に、キプロス問題における特別代表に任命され、1977年12月まで同職を務める。1979年2月27日に、国連事務次長として任命される。1981年4月、アフガニスタン問題における国際連合事務総長特別代表に任命され、同年4月と8月にパキスタンとアフガニスタンを訪問した。
1981年12月31日、クルト・ヴァルトハイムの後任として国連事務総長となる。任期中、フォークランド紛争(マルビナス紛争)の影響で悪化したイギリスとアルゼンチンとの和解や中央アメリカの平和と安定のために尽力し、またナミビアの独立交渉、西サハラでのモロッコとポリサリオ戦線(サハラ・アラブ民主共和国)との紛争やキプロス問題についても取り組んだ。
1992年1月、事務総長の任期を終える。
1995年にペルーの大統領選挙に出馬するが、アルベルト・フジモリに敗れる。駐フランス大使であったが、2004年9月に辞任した。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代: フェデリコ・サラス |
第28代:2000年 - 2001年 |
次代: ロベルト・ダニーノ |
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