ジョン・ボルトン

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ジョン・ボルトン
John Bolton
John Bolton by Gage Skidmore.jpg
生年月日 (1948-11-20) 1948年11月20日(68歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア
現職 法律家, 外交官
所属政党 共和党
配偶者 グレチェン・ボルトン
子女 ジェニファー・サラ・ボルトン

在任期間 2005年8月1日 - 2006年12月9日
元首 ジョージ・W・ブッシュ
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ジョン・ロバート・ボルトン英語: John Robert Bolton1948年11月20日 - )は、アメリカ合衆国政治家外交官。元米国国連大使

メリーランド州ボルチモア生まれ。1970年イェール大学を最優等(summa cum laude)で卒業、1974年同大学ロー・スクール修了(法務博士 J.D.)。ネオコンの代表的な人物で、国務省きってのタカ派。「親イスラエル」・ブルーチームと呼ばれる親台派の一人でもある。

政策・人物像[編集]

高校時代には1964年アメリカ合衆国大統領選挙における共和党バリー・ゴールドウォーターの選挙運動に参加している。ロースクールでは後の最高裁判事のクラレンス・トーマスと同じクラスであり、またビル・クリントンヒラリー・クリントンも同時期に在学していた。ワシントンの法律事務所勤務、保守派大御所的存在ジェシー・ヘルムズ上院議員の補佐官を経て、1981年レーガン政権の8年間、国際開発庁および司法省に勤務し、1989年から1993年まで、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ政権で国務次官補を務める。担当は対国際連合。クリントン政権期は保守系シンクタンクアメリカン・エンタープライズ公共政策研究所副所長に就任し、クリントン政権の外交政策に対して一貫して批判を続け、アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)にも関与した。

2001年ジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権によって国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)に任命され、北朝鮮との六者会合イランの核開発問題などを担当したが、強硬なスタイルは多くの敵を作った。イランの外務省はボルトンを「無作法で非外交的」と避難した[1]。また北朝鮮を巡っては、時の総書記金正日を「圧政的な独裁者」と呼び、北朝鮮で生きることは「地獄の悪夢」などと発言したことから、北朝鮮はボルトンを「人間のクズ」(human scum)と激しく批判した。ボルトンの発言は非外交的だとして議会などから問題視された。また、開戦への慎重論が少なくなかった国務省内の対イラク開戦推進派としてイラク戦争への流れをつくる。

2005年、駐国際連合アメリカ大使に推されたが、民主党がフィリバスターで対抗するなど強い反発を浴びた。ブッシュは反対を押し切って8月に任命を強行(休会任命の為未承認)。上院が承認しなかった為、2006年12月4日に辞任を表明し年内に任期満了で退任した。在任中は北朝鮮イランの圧政を国務次官時代と同様一貫して激しく批判しており、両国に対する強硬路線を主導した。

2006年7月5日に北朝鮮が行ったテポドン2号発射及び、同年10月9日に強行された核実験の後は安倍晋三(当時内閣官房長官)や外務大臣(当時)の麻生太郎と共に北朝鮮への制裁路線を推進。10月15日には対北制裁決議の採択を実現する。バンコ・デルタ・アジアの北の不正資金凍結も断行した。

国際連合を軽視する発言等で何かと物議を醸しているが、それが後に失脚する一因となっている。また、日本の国連常任理事国入りと台湾の国連加盟を支持している。自身と米国政府が推薦した大韓民国出身の潘基文が国連事務総長に当選した際は歓迎している[2]。しかし、国連大使退任後、潘基文が台湾の加盟を拒否した際は批判している[3]。また、ブッシュ政権が2期目に押し進めた対北融和路線も激しく批判。拉致被害者家族からの信頼も厚く、2007年11月北朝鮮による拉致被害者家族連絡会北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会が訪米した際、最初に面会した要人である。また、北朝鮮の脅威に対抗するために日本と韓国が核武装を検討することを主張している[4]

セルビアからのコソボ独立についてボルトンは、「コソボがイスラーム過激派の温床になるかもしれない」と懸念を表明、安易に独立を認めたブッシュ政権の政策を批判する論文をローレンス・イーグルバーガー元国務長官と共にワシントン・タイムズに寄稿した。

またウゴ・チャベス大統領のアメリカ批判に対しては、「チャベスこそ言論の自由を自国民に与えていない」と返答した。

かねてから2016年アメリカ合衆国大統領選挙の共和党候補ドナルド・トランプはボルトンの外交手腕を買って国務長官候補として検討しており[5]、政権移行チームでもルドルフ・ジュリアーニと並び、次期国務長官の筆頭候補の一人として名前が挙がっていた[6][7]

語録[編集]

  • 「国連などというものはない。あるのは国際社会だけで、それは唯一のスーパーパワーたるアメリカ合衆国によって率いられる」[8]
  • 国連本部ビルの最上層10階分(事務総長執務室など幹部の部屋がある)がなくなったとしても何ら困る事はない」[9]
  • 「アメリカ政府はアメリカ合衆国憲法修正第2条(市民の武装権)に反するあらゆる提案を拒否する」
  • 「北朝鮮は採択後45分以内に決議を拒否するという世界記録を樹立した」[10]
  • 「深く考慮した結果、私はあなたの政権下での米国連大使としての役職を、現在の任期が終了次第辞任するべきだという結論に達した」(ジョージ・W・ブッシュに対して)
  • 「関係正常化は北朝鮮の利益になるだけだ。米国はそんな事には関心はないとはっきり言うべき。北朝鮮がまともな国になるまで関係を持つべきではない」
  • 「金正日は少々のダイエットをすることになるだろう」(経済制裁決議案採択後)[11]
  • 「拉致問題が解決するまでは、米政府による北朝鮮のテロ支援国指定解除は交渉すらすべきでない」
  • 「6か国協議における合意は完全な失敗であり、最悪の取引だ。金正日が核を放棄することはあり得ない。大統領が目を覚ましてくれることを期待する。こんな合意はならず者政権の指導者たちに米国の交渉担当者を疲れさせることが出来たら、褒賞がもらえることを教えるようなものだ、大統領の今までの方針は正しい。半年の間にブッシュ大統領はこの合意を反故にするかの局面に立たされる。北朝鮮は約束を守らないだろう。彼らはあらゆる口実を用いて交渉を引き延ばし、更なる代償を求めてくる」
  • 「アメリカがだまされたと証明されるのは時間の問題だ」
  • 「金正日は吸血動物であり、恥知らずな独裁者だ。国民を飢餓に晒し、強制収容所や監獄に押し込んでいるような暴虐な独裁者だ。北朝鮮の生活は地獄のような悪夢にある。金正日はインターネットで世界を楽しむが、国民には外の世界は知らせない。国民に知られるのがそんなに怖いのだろうか?」[12]
  • 「国際社会に入りたければ、金正日が自ら決断すべきだ。韓国や日本の拉致被害者を祖国に帰し、事件の全容を明らかにすべきだ」
  • 「言論の自由を行使するなら、(ニューヨークの)セントラル・パークに歩いて行って、好きなだけ話せばいい」(チャベスのアメリカ批判にて)

著書[編集]

  • Surrender Is Not an Option: Defending America at the United Nations (Threshold Editions, 2007)

出典[編集]

  1. ^ Kaplan, Lawrence F. (2004年3月29日). “THE SECRETS OF JOHN BOLTON'S SUCCESS.”. The New Republic 
  2. ^ “Council Backs South Korean for U.N. Secretary General ”. ニューヨーク・タイムズ. (2006年10月3日). http://www.nytimes.com/2006/10/03/world/03nations.html 2016年9月13日閲覧。 
  3. ^ “UNPO: Taiwan: Bolton Urges Recognition ”. 代表なき国家民族機構. (2007年8月16日). http://unpo.org/article/7066 2016年9月13日閲覧。 
  4. ^ “【緯度経度】日本核武装論 再び ”. 産経新聞. (2016年2月23日). http://www.sankei.com/world/news/130223/wor1302230007-n1.html 2016年3月29日閲覧。 
  5. ^ Former U.N. Amb. Bolton says he'd meet with Trump about secretary of state”. Politico (2016年8月23日). 2016年11月15日閲覧。
  6. ^ 米次期政権の国務長官にボルトン氏浮上…米紙”. 読売新聞 (2016年11月15日). 2016年11月15日閲覧。
  7. ^ トランプ米次期大統領、イラク戦争支持派の政権幹部起用を検討”. ダイアモンド・オンライン (2016年11月15日). 2016年11月15日閲覧。
  8. ^ Bolton, John (1994年2月3日). “John Bolton on the United Nations”. Gouda. http://www.liveleak.com/view?i=be1_1188736724 2016年11月16日閲覧。 
  9. ^ Applebaum, Anne (2005年3月9日). “Defending Bolton”. The Washington Post. pp. A21. http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A18706-2005Mar8.html 2016年11月15日閲覧。 
  10. ^ U.N. Imposes Limited Sanctions on N. Koreaワシントン・ポスト、 July 15, 2006
  11. ^ U.N. Seeks to Put Kim Jong Il on Dietワシントン・ポスト、October 14, 2006
  12. ^ Kralev, Nicholas (2003年8月4日). “Bush backs Bolton's tough talk”. The Washington Times. http://washingtontimes.com/world/20030804-111212-6491r.htm 2016年11月15日閲覧。 

外部リンク[編集]

公職
先代:
ジョン・デイヴィッド・ホルム
アメリカ合衆国国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)
2001年5月11日 - 2005年7月31日
次代:
ロバート・ジョセフ
先代:
リチャード・ソールズベリー・ウィリアムソン
アメリカ合衆国国務次官補(国際機関担当)
1989年5月5日 - 1993年1月19日
次代:
ダグラス・ジョセフ・ベネット
外交職
先代:
アン・パターソン
(代行)
アメリカ合衆国国連大使
2005年8月1日 - 2006年12月9日
次代:
アレジャンドロ・ダニエル・ウルフ
(代理大使)