マイク・マダックス

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マイク・マダックス
Mike Maddux
セントルイス・カージナルス 投手コーチ
Mike Maddux on August 22, 2016.jpg
ナショナルズでのコーチ時代(2016年8月22日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州モンゴメリー郡デイトン
生年月日 (1961-08-27) 1961年8月27日(56歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1982年 MLBドラフト5巡目(全体119位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名
初出場 1986年6月3日 ロサンゼルス・ドジャース
最終出場 2000年7月4日 アリゾナ・ダイヤモンドバックス
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

マイク・オースリー・マダックスMichael Ausley Maddux, 1961年8月27日 - )はアメリカ合衆国オハイオ州モンゴメリー郡デイトン出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者。右投左打。2018年シーズンからMLBセントルイス・カージナルスの投手コーチを務める。

実弟は元プロ野球選手のグレッグ・マダックス

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1979年MLBドラフト36巡目(全体838位)でシンシナティ・レッズから指名されたが、テキサス大学エル・パソ校英語版へ進学した。

プロ入りとフィリーズ時代[編集]

1982年MLBドラフト5巡目(全体119位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名され、6月21日に契約。契約後、傘下のA-級ベンド・フィリーズ英語版でプロデビュー。11試合(先発10試合)に登板して3勝6敗・防御率3.99・59奪三振の成績を残した。

1983年はA級スパルタンバーグ・スピナーズ英語版、A+級ペニンシュラ・パイロッツ英語版、AA級レディング・フィリーズでプレー。A+級ペニンシュラでは14試合に先発登板して8勝4敗・防御率3.62・78奪三振の成績を残した。

1984年はAA級レディングとAAA級ポートランド・ビーバーズでプレー。AAA級ポートランドでは8試合に先発登板して2勝4敗・防御率5.84・22奪三振の成績を残した。

1985年はAAA級ポートランドでプレーし、27試合(先発26試合)に登板して9勝12敗・防御率5.31・96奪三振の成績を残した。

1986年はAAA級ポートランドで開幕を迎え、6月にメジャーへ昇格。6月3日ロサンゼルス・ドジャース戦で先発起用されメジャーデビュー。初回から4失点を失い、2回にも1失点し、2回1死で降板。この日は5安打5失点2四球と抑えられず、メジャー初黒星を喫した[1]。この年は16試合に先発登板して3勝7敗・防御率5.42・44奪三振の成績を残した。

1987年はAAA級メイン・ガイズで開幕を迎え、8月にメジャーへ昇格。昇格後2試合は先発として登板していたが、3度目の登板となった9月5日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦からリリーフに転向。この年は7試合(先発2試合)に登板して2勝0敗・防御率2.65・15奪三振の成績を残した。

1988年はリリーフとして開幕ロースター入りし、5試合に登板後、4月にAAA級メインへ降格した。6月に先発としてメジャーへ再昇格したが、8月下旬から再びリリーフに転向。この年は25試合(先発11試合)に登板して4勝3敗・防御率3.76・59奪三振の成績を残した。

1989年はリリーフとして開幕を迎え、4月29日シンシナティ・レッズ戦から先発に転向。同試合では9回を2安打無失点1四球4奪三振に抑え、メジャー初完封を記録した[2]。この年は16試合(先発4試合)に登板して1勝3敗1セーブ・防御率5.15・26奪三振の成績を残した。オフの11月20日に放出された。

ドジャース時代[編集]

1989年12月21日にドジャースと契約。

1990年は傘下のAAA級アルバカーキ・デュークスで開幕を迎え、5月にメジャーへ昇格した。昇格後はリリーフとして9試合に登板していたが、防御率4.15と結果を残していないまま、6月から先発に転向。6月6日アトランタ・ブレーブス戦では3回2失点で降板し、2度目の先発となった12日のヒューストン・アストロズ戦では、5安打5失点で1死しか取れず降板し[3]、AAA級アルバカーキへ降格した。この年は11試合(先発2試合)に登板して0勝1敗・防御率6.53・11奪三振の成績を残した。10月15日FAとなった。

パドレス時代[編集]

1991年3月30日サンディエゴ・パドレスと契約。開幕後はリリーフに定着し、自己最多でチームトップタイの64試合(先発1試合)に登板。7勝2敗5セーブ・防御率2.46・57奪三振の成績を残した。

1992年は開幕から15日間の故障者リスト入りし、4月27日に復帰。復帰後は前年と同様にリリーフに定着。この年は50試合(先発1試合)に登板して2勝2敗5セーブ・防御率2.37・60奪三振の成績を残した。

メッツ時代[編集]

1992年12月17日ロジャー・メイソン英語版マイク・フレイタスとのトレードで、ニューヨーク・メッツへ移籍した。

1993年はリリーフとして58試合に登板して3勝8敗5セーブ・防御率3.60・57奪三振の成績を残した。

1994年は27試合に登板して2勝1敗2セーブ・防御率5.11・32奪三振の成績を残した。オフの10月18日にFAとなった。

パイレーツ時代[編集]

1995年4月10日ピッツバーグ・パイレーツと契約。昇格後は8試合に登板したが、防御率9.00と結果を出せず、5月16日に放出された。

レッドソックス時代[編集]

1995年5月30日ボストン・レッドソックスと契約。移籍後は36試合(先発4試合)に登板して4勝1敗1セーブ・防御率3.61・65奪三振の成績を残した。オフの11月6日にFAとなったが、12月15日にレッドソックスと再契約した。

1996年は開幕ロースター入りし、開幕後は13試合に登板していたが、5月6日に15日間の故障者リスト入りした。8月6日に復帰。復帰後は先発に転向した。この年は23試合(先発7試合)に登板して3勝2敗・防御率4.48・32奪三振の成績を残した。オフの11月1日にFAとなったが、12月7日にレッドソックスと再契約した。

1997年3月26日に放出された。

マリナーズ時代[編集]

1997年4月11日シアトル・マリナーズと契約。昇格後はリリーフとして6試合に登板したが、防御率10.13と結果を残せず、7月23日に放出された。

パドレス傘下時代[編集]

1997年8月19日サンディエゴ・パドレスと契約。契約後は傘下のAAA級ラスベガス・スターズで先発として3試合に先発登板して0勝2敗・防御率5.62・13奪三振の成績を残した。オフの10月15日にFAとなった。

エクスポズ時代[編集]

1998年3月30日モントリオール・エクスポズと契約。開幕ロースター入りし、リリーフとして1993年以来の50試合登板を記録した。この年は51試合に登板して3勝4敗1セーブ・防御率3.72・33奪三振の成績を残した。オフの9月29日にFAとなった。

1999年2月2日にエクスポズと再契約した。開幕後は4試合に登板したが、4月15日に放出された。

ドジャース復帰[編集]

1999年4月24日に古巣・ドジャースと契約。リリーフとして49試合に登板して1勝1敗・防御率3.29・41奪三振の成績を残した。オフの10月14日にFAとなった。

アストロズ時代[編集]

2000年2月1日にアストロズと契約。開幕後はリリーフとして18試合に登板していたが、5月21日に15日間の故障者リスト入りした。6月23日に復帰。復帰後は3試合に登板したが、7月5日に放出され、現役引退を発表した。

引退後[編集]

2000年のシーズン途中からアストロズ傘下AA級ラウンドロック・エクスプレスの投手コーチに就任。同年のテキサスリーグ優勝に貢献した。

2001年カルロス・ヘルナンデスティム・レディングの好投もあり、テキサスリーグ1位のチーム防御率を記録し、2年連続の優勝を経験。

2002年もテキサスリーグ三連覇に貢献。

ブルワーズでのコーチ時代[編集]

2002年オフにミルウォーキー・ブルワーズの投手コーチに就任した[4]

2003年ネッド・ヨスト監督の下でコーチ1年目を迎えたが、チーム防御率はリーグ平均(4.28)を大きく下回るワースト3位の5.02だった。先発陣もベン・シーツウェイン・フランクリンマット・キニーの三本柱こそ二桁勝利を挙げたが、4番手のグレンドン・ラッシュは1勝12敗、5番手のウェス・オーバーミューラーは2勝5敗と、先発投手の不足も露呈し、投手コーチとしては頭の痛いシーズンとなった。

2004年はベン・シーツとダグ・デービスがリーグ3位タイとなる24度のクオリティ・スタートを記録し、チーム防御率がリーグ平均の4.30を上回る4.24に向上。

2005年はリーグ5位となるチーム防御率3.97を記録。

2006年は前年防御率1点台を記録したクローザーのデリック・ターンボウが不調でシーズン途中にマイナーへ異動するなど、リリーフ陣が崩壊し、チーム防御率はリーグワースト2位の4.82に降格。

2007年は前年の開幕投手であるデービスが移籍したが、新加入のジェフ・スーパンの活躍もあり、二桁投手を4人輩出。ターンボウからクローザーの座を奪ったフランシスコ・コルデロが球団新記録の44セーブを挙げるなど、先発・リリーフ共に活躍し、チーム防御率はリーグ9位の4.41まで回復した。

2008年は防御率1点台を記録したCC・サバシアの加入もあり、チーム防御率はリーグ2位となる3.85に向上。チームは地区2位となり、ワイルドカード獲得に貢献したが、ヨスト監督の退任に伴い、同年限りでブルワーズを退団した。

レンジャーズでのコーチ時代[編集]

2008年11月3日テキサス・レンジャーズの投手コーチに就任が発表された[5]

2009年は前年リーグ最下位のチーム防御率5.37を、リーグ8位の4.38まで改善。

2010年はリーグ3位となるチーム防御率を3.93まで向上させ、地区優勝・リーグ優勝に貢献した。

2011年はチーム防御率が昨年を上回る3.79を記録(リーグ5位)。先発5本柱(C・J・ウィルソンコルビー・ルイスデレク・ホランドマット・ハリソンアレクシー・オガンド)全員が二桁勝利を挙げ、2年連続の地区優勝・リーグ優勝に貢献した。

2012年はチーム防御率が3.99と前年を下回った。

2013年はチーム防御率を3.62まで向上させた。

ナショナルズでのコーチ時代[編集]

2015年11月4日にワシントン・ナショナルズの投手コーチへの就任が発表され[6]2017年まで務めた[7]

カージナルスでのコーチ時代[編集]

2018年シーズンからはセントルイス・カージナルスの投手コーチを務める[8]

詳細情報[編集]

背番号[編集]

  • 44(1986年 - 1989年)
  • 54(1990年)
  • 51(1991年 - 1994年、1998年 - 1999年、2016年- 2017年)
  • 60(1995年 - 同年途中)
  • 19(1995年途中 - 1996年)
  • 20(1997年)
  • 36(2000年、2003年- 2008年)
  • 31(2009年- 2015年)

脚注[編集]

  1. ^ Tuesday, June 3, 1986, , Veterans Stadium”. Baseball Reference. 2014年5月27日閲覧。
  2. ^ Saturday, April 29, 1989, 3:51, Veterans Stadium”. Baseball Reference. 2014年5月27日閲覧。
  3. ^ Tuesday, June 12, 1990, 7:35, Astrodome”. Baseball Reference. 2014年5月27日閲覧。
  4. ^ Donnelly rounds out Brewers coaching staff”. MLB.com Brewers Press Release (2002年11月27日). 2014年5月27日閲覧。
  5. ^ Rangers name Mike Maddux pitching coach”. MLB.com Rangers Press Release (2014年11月3日). 2014年5月27日閲覧。
  6. ^ Chelsea Janes (2015年11月4日). “Nationals hire Mike Maddux as pitching coach” (英語). ワシントン・ポスト. 2017年11月20日閲覧。
  7. ^ Chelsea Janes (2017年10月24日). “On collateral damage and the Nationals’ future coaching staff” (英語). ワシントン・ポスト. 2017年11月20日閲覧。
  8. ^ Jenifer Langosch (2017年10月26日). “Mike Maddux hired to be Cards pitching coach” (英語). MLB.com. http://m.cardinals.mlb.com/news/article/259762400/mike-maddux-named-cardinals-pitching-coach/ 2017年11月20日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]