ヘンリー・オブ・ウェールズ

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ヘンリー
Prince Henry of Wales
ウィンザー家
Prince Harry in the US.jpg
2013年
続柄 ウェールズ公チャールズ第2男子(エリザベス2世孫)
全名 ヘンリー・チャールズ・アルバート・デイヴィッド[1][2]
身位 Prince(王子)
敬称 His Royal Highness(殿下)
出生 1984年9月15日(29歳)
イングランドの旗 イングランドパディントン、聖メアリ病院
父親 ウェールズ公チャールズ
母親 ウェールズ公妃ダイアナ
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ヘンリー・オブ・ウェールズ王子(Prince Henry of Wales, Henry Charles Albert David1984年9月15日 - )は、イギリス王室の成員、陸軍軍人。英語圏では通常公式の場・非公式の場を問わずPrince Harryハリー王子)という通称で呼ばれている。

経歴[編集]

ヘンリー王子(左)と兄のケンブリッジ公、2009年

生い立ち[編集]

女王エリザベス2世の孫、ウェールズ公チャールズダイアナ妃の次男である。兄はケンブリッジ公ウィリアム。父、兄、ジョージ・オブ・ケンブリッジ王子に次いで英国王位継承順位第4位にある。公式な称号および敬称はHis Royal Highness Prince Henry of Wales(ヘンリー・オブ・ウェールズ王子殿下)と称するが、英語圏では通常公式の場・非公式の場を問わずPrince Harryハリー王子)という通称で呼ばれている。

ハリーが誕生した1984年頃には既にダイアナとチャールズの仲は悪化していた。後にダイアナの愛人であると暴露された王室騎馬隊のジェームズ・ヒューイットとハリーの容姿が似ていたことから、ハリーの実の父親はチャールズではなくヒューイットであるとの主張がある。ダイアナとヒューイットは二人の性的関係が始まったのは1986年であるとしていた。2005年になりヒューイットは二人の関係は1982年には始まっていたと修正している。

イートン校を卒業した後、ヘンリーはオーストラリアの牧場で働いたり、レソトの孤児院で奉仕活動を行ったりした。その後アルゼンチンに渡ったが、飲酒と誘拐未遂を理由に帰国させられた。2005年にはサンドハースト王立陸軍士官学校に入学し、将来は近衛騎兵になりたいと語っていた。

軍歴[編集]

ヘンリー王子の紋章

2006年4月の陸軍士官学校卒業後に近衛騎兵連隊ブルーズ・アンド・ロイヤルズに配属された。同連隊は儀礼的任務だけでなく戦闘地域における任務にも投入されており、ヘンリーのイラク派遣も一旦決まったが、イスラーム過激派等がヘンリーを標的に攻撃すると予告したため取り止めとなった[3]。ヘンリーは特別な待遇を望んでおらず、「失望している」との声明を発表するとともに[4]、「軍を辞めるつもりはない」ともコメントしている。

2007年末からアフガニスタンにおけるタリバーン掃討作戦に極秘に加わっていた。ヘンリーは前線航空管制官としてタリバン部隊への爆撃を誘導する任務に就いており、これは相当の危険が伴うものであった。イギリスのメディアとは協定が結ばれ派遣の事実は公表されていなかったが、10週間後にアメリカのインターネットメディアのDrudge Reportが記事を載せたのをきっかけに大手メディアも報道を開始し[5]、帰国した。首相のゴードン・ブラウンはハリーを「模範的な兵士」であり「イギリス全土は彼の行っている素晴らしい任務を誇りに思うだろう」と称賛した。

アフガニスタンの旧支配勢力タリバン(Taliban)は2012年9月10日、前週末から同国に英陸軍航空隊の一員として再派遣された王子について、断固として殺害する計画があると明らかにした。2012年10月下旬、派遣先のアフガニスタン南部ヘルマンドで戦闘に参加した際に地上部隊からの求めを受け、戦闘ヘリコプターから空対地ミサイルを発射し、結果的にタリバンの兵士を殺害することとなった。このときの作戦がヘンリーにとって初の殺害行為を伴う戦闘となった。この王位継承順位3位(当時)のヘンリー王子による「初の殺害実行」に対し、イギリスの新聞は「英雄的行為」だとして称賛しているが、日本の産経新聞は「殺害した相手が民間人ではなくタリバン兵だと断定した根拠がない」と指摘している[6]

現在、陸軍大尉である。

人物[編集]

スポーツ好きとして知られ、イートン校時代はラグビーポロのチームに所属した。現在もスキーモトクロスポロなどを趣味としている。サッカーでは、アーセナルFCのファンである。 スキャンダルを起こすことも多いが、笑顔が多く陽気な性格であることから国民からの人気は高い。レゲエヒップホップなどの音楽への造詣も深く、若者層の間ではヘンリー王子のファンサイトが立ち上がるなど、特に支持が厚い様子である。

私生活[編集]

私生活では、ジンバブエ出身の恋人チェルシー・デービーと交際していたが、2007年11月10日、英紙『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』において王子とチェルシーの破局が報じられた[7]

スキャンダル[編集]

イギリス王室
Badge of the House of Windsor.svg

エリザベス2世女王
エディンバラ公爵フィリップ王配


握手を求められるヘンリー王子、2011年

ヘンリー王子は、これまでの人生で数多くのスキャンダルを巻き起こしてきた。

11歳頃から酒や煙草に手を出し、イートン校時代に入学したばかりの14歳の時にはアルコール依存症を発病した。2002年の夏にはマリファナ吸引騒動を起こし、父チャールズの説得によって、麻薬中毒患者のセミナーに参加したこともあった。勉学には手を抜き、卒業ぎりぎりの最低ランクの成績だったという。そのため大学には進まず、軍隊に入ることを志願した。

なお、イートン校卒業試験については不正疑惑が持ち上がった。これはイートン校を解雇された美術教師が、王子が試験で提出した絵は自分が描いたとマスコミに暴露したものである。この疑惑を王子側は強く否定している。

2005年1月には、仮装パーティーにかつての敵国であるナチス・ドイツ制服を模したスタイルで現われたところをタブロイド紙にスクープされ、内外のマスコミから非難された。父チャールズは、ヘンリーと兄ウィリアムに、ドイツが国民の支持の元で起こしたホロコーストを理解するため、映画「シンドラーのリスト」を鑑賞することと、アウシュビッツを訪問することを命じた。

また、士官学校卒業式後のパーティではストリッパーを膝に乗せ酒を飲む様子がスクープされ、映画の題名をもじった「ダーティー・ハリー」(ワルのハリー)の見出しが紙面に踊った。

2008年には泥酔しパパラッチと乱闘騒ぎを起こしたことがある[7]

2009年1月、2006年のブルーズ・アンド・ロイヤルズ連隊所属時期に、同じ部隊のパキスタン人に対して「パキ」「ラグヘッド」と差別的発言をしていたことが発覚し、謝罪した[8]

2012年8月、ラスベガスの高級ホテルのスイートルームで撮影された2枚のヘンリー王子の全裸写真がアメリカのゴシップサイトで流出した。1枚は腕時計とネックレスだけを身につけて手で股間を隠したヘンリー王子と、その後ろに立つ別の裸の人物が写っていた。もう1枚は性別不詳の裸の人物に後ろから抱きつくヘンリー王子が写っていた。英王室は写真を本物と認め、「現時点でのコメントは無い。後日コメントするかもしれないが」と述べた。英王室はプライバシーの侵害だとして、英メディアにこの2枚の写真を掲載しないよう要請した[9]。しかし、大衆紙「ザ・サン」は王子の写真を掲載。誌の代表者は、読者には知る権利があり、また会長であるルパート・マードックの娘が「彼(ヘンリー王子)はキュートだから載せるべき」だと助言してきたとコメントした。

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 姓は「マウントバッテン=ウィンザー」であるがRoyal Highnessの敬称とPrinceの身位を有するためこれを通常使用することはなく、公式には父の称号からオブ・ウェールズを姓のように用いる。
  2. ^ alt.talk.royalty FAQ: British royalty and nobility:”. Heraldica.org. 2011年4月15日閲覧。
  3. ^ AFPBB News (2007年4月28日). “イラク武装勢力、ヘンリー王子の誘拐を予告 - 英国”. 2008年11月17日閲覧。
  4. ^ AFPBB News (2008年3月2日). “アフガンから帰国のヘンリー王子、インタビューで心境を語る”. 2008年11月17日閲覧。
  5. ^ Prince Harry secretly serving in Afghanistan、ガーディアン、28 February 2008
  6. ^ 産経新聞』(2012年12月24日)「英王子が戦闘参加、タリバン兵死亡 アフガン
  7. ^ a b ALL Abouto WEEKENDER (2008年1月30日). “『イギリス、イケメン王子の大恋愛に注目!』ナイト・ライフも満喫”. 2008年11月17日閲覧。
  8. ^ AFPBB News (2009年1月11日). “英ヘンリー王子、士官学校時代に差別語使用で謝罪”. 2009年1月22日閲覧。
  9. ^ http://www.sanspo.com/geino/news/20120823/sot12082305060001-n2.html

外部リンク[編集]

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上位:
ジョージ・オブ・ケンブリッジ王子
イギリス王位継承順位
継承順位第 4
他の英連邦王国の王位継承権も同様
下位:
アンドルー王子
ヨーク公爵