ナイジェル・ファラージ

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イギリスの旗 イギリスの政治家
ナイジェル・ファラージ
Nigel Farage
Nigel Farage.jpg
生年月日 (1964-04-03) 1964年4月3日(53歳)
出生地 イギリスの旗 イギリスイングランドの旗 イングランドケント
出身校 ダリッジ・カレッジ
所属政党 イギリス独立党
配偶者 カーステン・メーア
公式サイト UK Independence Party - UKIP

在任期間 2010年5月11日 - 2016年11月28日

イギリスの旗 欧州議会議員南東イギリス代表
在任期間 1999年6月10日 - 現職

在任期間 2009年7月1日 - 現職
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ナイジェル・ファラージNigel Farage [ˈfærɑːʒ]1964年4月3日 - )は、イギリス政治家イギリス独立党党首、欧州議会議員(4期)。イギリスの欧州連合からの脱退と主権回復を目指す欧州懐疑主義運動のパイオニア的存在である。

来歴[編集]

政治家になるまで[編集]

1964年4月3日にケント近郊のダウン英語版で生まれる。ファラージの家系はフランスにおけるカトリック教会の弾圧を逃れイングランドに亡命したユグノーのファラージュ家の末裔である。また妻はドイツ人であり、子供はドイツ語を話すバイリンガルに育てている。このことからも、ファラージは自らの反EUの立場は大陸ヨーロッパへの嫌悪ではなく、あくまでEUという政治機構に対する反発であると主張している。1982年にダリッジ・カレッジを卒業したのち、大学に進学せず、シティ・オブ・ロンドンの商品先物取引市場で主に亜鉛などの非金属売買取引に関わり、アメリカのコモディティー・ブローカー会社のドレクセル・バーナム・ランバート英語版やフランスのクレディ・リヨネー銀行英語版などの金融機関を転々する。

政治の経歴[編集]

若年期[編集]

ダリッジ・カレッジでの学生時代にジョン・スチュアート・ミルの『自由論』を読み、古典的自由主義思想に感銘し、それ以来マーガレット・サッチャーの熱烈な支持者となり、また保守党の党員であったが、後任のジョン・メージャー政権がヨーロッパ連合マーストリヒト条約で発足させたことに抗議して1992年に脱党した。その後、1993年に数人と共にイギリス独立党、別名UKIPを創設した。

欧州議会[編集]

1994年の欧州議会選挙、1997年のイギリス総選挙で落選した。1999年から2010年の間、5回連続総選挙に立候補したが、全て落選した。しかし、1999年に、南東イングランドを代表して欧州議会選挙に当選した。2004年、2009年、2014年の欧州議会選挙で4期連続で当選した。現在、欧州議会で26名のUKIPを代表している。また、自由と民主主義のヨーロッパの共同代表を務めた。

イギリス独立党党首[編集]

2006年9月12日に行われた代表選挙で45%の票を取り、イギリス独立党の第5代党首に就任した。翌日、党に規律をもたらして、地域、国会等の選挙でUKIPの影響力をより拡大する、と誓った。

演説[編集]

ファラージは演説の名手であり、知名度の上昇は、欧州議会でのEUの高級官僚(ユーロクラート英語版)に対する歯に衣着せぬ批判や、様々なスピーチがYouTubeなどを通じてネット上で好評を得たことにある。ファラージの毒舌は国家元首や首相にも同様に向けられ、ヘルマン・ファン・ロンパウのEU大統領就任において、「あなたは何者だ」「私もヨーロッパの誰もあなたの名前など一度も聞いたこともない」「全ての英国人を代表して言うが、私たちはあなたを知らないし、必要ともしないから、さっさとお辞めになりなさい」と言い放ち、後に2700ユーロの懲罰金を払わされることとなった。

辞任と再任[編集]

2016年9月16日、イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票での勝利が達成されたことから「自分の生活を取り戻す」として党首を辞任[1]。その後、後任のダイアン・ジェームス英語版)も早々と辞任したため、10月5日に暫定的な党首に選ばれた[2]。11月28日にはポール・ナットル英語版が党首に選ばれたため、暫定党首を退任した[3]

発言録[編集]

  • 2005年、当時イギリス首相であったトニー・ブレアに対して
    「何で我々のロンドンの公共サービスがボロボロになっているというのに、ワルシャワの新型下水道やらブダペストの新地下鉄網建設に我々が金を払わなきゃいけないんですか?」
  • 2008年、当時のフランス大統領ニコラ・サルコジに対して
    「あんたは物事を理解できてないですね。ヨーロッパの人々はこれ以上深い政治的統合を望んでいないんですよ。だからフランスでも、オランダでも、アイルランドでも、(EU憲法に対して国民投票で)NOと言ったんですよ」
  • 2009年、当時のイギリス首相ゴードン・ブラウンに対して
    「あなたが財務大臣に就任して最初にやったことは、400トンの金を1オンスあたり275ドルで売ったことでした。今日(2009年3月24日)の相場だったら100億ドル以上になってました。」「私たちは何の謝罪も聞いてませんよ。あなたはアムリットサル事件について謝罪しました、奴隷制について謝罪しました。ほとんどあらゆる全てのことについて謝罪しました。それじゃあ、あなたが財務大臣としてやったことについても謝罪していただけますか?」

脚注[編集]

外部リンク[編集]