笑撃的電影箱
『笑撃的電影箱』(しょうげきてきでんえいばこ)は、一部日本テレビ系列局が編成していたバラエティ番組放送枠の名称。日本テレビでは1991年10月20日から1994年3月27日まで、毎週日曜 22:30 - 23:25 (JST) に編成されていた。
概要
日本テレビの日曜22:30 - 23:25枠はローカルセールス枠で、1988年4月から1990年3月までは『全日本プロレス中継』[1]を、1990年4月からは再び海外ドラマを放送していたが、1991年10月にバラエティ枠に変更するとともに、火曜深夜に放送され人気を呼んでいたウッチャンナンチャンとダウンタウン両コンビの番組がプライムタイムへと移動する際にセットにされる形で当枠が編成された。
構成番組(タイムフォーマット)
1991年10月 - 1992年6月
- 22:30 - 22:55 ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.
- 22:55 - 23:25 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!
1992年7月 - 1994年3月
- 22:30 - 22:55 進め!電波少年
- 22:55 - 23:25 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
『笑撃的電影箱』枠解体後
枠の解体後も『電波少年』と『ガキの使い』はそれぞれ終わることなく存続し、放送日時はそのままに単独番組化した。『電波少年』は1998年1月1日まで同タイトルで放送されたあと、同年1月11日に『進ぬ!電波少年』(OPタイトルは、「進め(me)」から「進ぬ(nu)」に変わっていくアニメーション)へとリニューアルし、2002年9月29日まで放送された。『ガキの使い』は1999年4月に放送開始時刻が1分繰り下がったのみで特に大きな移動などはなかったが、2015年4月に『日曜ドラマ』が新設され、バラエティ枠からドラマ枠に変更した。それに伴い『ガキの使い』は放送時間が29分繰り下がった(『電波少年』移転・終了後、『別れてもチュキな人』〈のちに『ワカチュキ』と改題〉→『中井正広のブラックバラエティ』→『有吉反省会』に変更、こちらもドラマ新設で放送枠移転し、現在に至る)。
備考
各局での放送事情
- 札幌テレビ・テレビ岩手・ミヤギテレビ・テレビ新潟[2]・テレビ信州・中京テレビ・読売テレビ・広島テレビ・福岡放送はこの時間帯、自社制作番組を放送していた[3]。ただし、読売テレビは1992年頃、月曜から金曜の夕方に『SHA.LA.LA.』終了分までの回を集中放送したことがある。福岡放送では6日遅れの土曜17:00台に編成していた。該当時間に自主製作番組『日高晤郎のスーパーサンデー』を放送していた札幌テレビ及びテレビ岩手[4]では、それぞれ日曜正午[5]にこの枠を編成していた。
- 秋田放送・福井放送・四国放送・南海放送はこの時間帯、『ナショナル劇場』を放送していた(南海放送のみ1992年9月まで)。その後、南海放送は1992年10月からこの枠を編成し、福井放送も同時期から深夜帯での遅れネットを開始した[6]。
- 青森放送では、1991年10月25日(金曜日)からネット開始。時差ネット時代の放送時間は金曜16:00から放送され、1993年4月から日本テレビ同時ネットに移行。[7]
- 1993年3月までNNS・ANNとのクロスネット局だった山形放送はこの時間帯、同時期まで『日曜洋画劇場』を同時ネットで放送していた。山形放送が1993年4月にNNSフルネット局に変更されると同時にこの枠を編成した。
- 中京テレビは、深夜時代の『SHA.LA.LA.』および『ガキの使い』に関してはともにレギュラーで放送していたが、『笑撃的電影箱』以後は金曜16:00台での不定期放送へと移行した。これは、同日曜22:30から放送していた自社製作番組『ヴィヴィアン』の存続を優先させたためである。しかしその後、土曜24:00からの自社製作番組『小堺一機の恋愛専科 色恋ざうるす』が終了したのを機に、中京テレビは1993年10月から同時間帯でのレギュラー放送を開始した。当初は枠を60分とやや多めに取っていたが、実尺が55分程度であるという点は他局と同様であり、末期においては空いた時間を使ってミニ番組を放送していた。
- 1993年9月までNNS・ANNとのクロスネット局だった山口放送はこの時間帯、本来木曜20時台に放送するはずの時代劇(『名奉行 遠山の金さん』ほか)を遅れネットで放送していた。山口放送が1993年10月にNNSフルネット局に変更されると同時にこの枠を編成した。『電波少年』司会者の松村邦洋が山口県出身であることから、山口放送は編成開始の際の事前告知で『進め!電波少年』を前面に出してアピールしていた。
- 高知放送はこの時間帯、フジテレビ制作の連続ドラマ(『木曜劇場』など月9以外の枠)を番販ネットしていた。そのため、1週遅れの日曜12:30台に編成していた。そのため、同時ネットで放送されていた『スーパージョッキー』は月曜深夜の遅れネットに変更された。なお、同枠の解体後は『電波少年』単体での放送へと移行し、『ガキの使い』は不定期放送へと降格した[8]。
- くまもと県民テレビではこの時間帯に前半枠は『ファッション通信』、後半枠に『MOTOR LAND2』を放送していたため日曜の昼に遅れネットで放送していた。
- 日本テレビ系列局が存在しない沖縄県では、TBS系列に属する琉球放送がネットしていたが、編成の都合上時差ネットという形だった。
各局共通事項
- 自主編成の特番などを放送するために、その日の放送を休止するネット局も多かった。
- 逆に2時間スペシャル企画に関しては、同枠を編成していなかった局でも放送された。
脚注
- ^ 土曜19時から移動、1990年4月からは月曜未明(日曜深夜)に再移動。
- ^ 1993年11月7日より同時ネット。それまでは水曜深夜に放送。出典:『ザ・テレビジョン長野・新潟版』1993年10月27日、11月3日発売分掲載の番組表
- ^ ミヤギテレビ、テレビ新潟、テレビ信州ではその後この枠において2番組セットでの同時ネットに移行したほか、札幌テレビ、テレビ岩手、広島テレビでも一時期同時ネットしていた。
- ^ 但し、テレビ岩手でのネット開始は1991年11月10日(出典:1991年11月付け東奥日報朝刊のTVIテレビ欄)。
- ^ 出典:東奥日報1991年11月と1992年6月・7月の朝刊テレビ欄から。
- ^ 秋田放送・福井放送・南海放送では現在では『有吉反省会』『ガキの使い』の両方共同時ネット(南海放送は1995年4月から、秋田放送・福井放送は2013年4月からそれぞれ日曜夜のローカル枠を2番組セットで同時ネット)しているほか、四国放送では読売テレビ制作の番組を同時ネットしている。
- ^ 本番組内包前も、1991年3月までは「SHA・LA・LA」と「ガキ使」が連続放送されていた。出典:1991年3月から4月及び10月から11月と1992年6月から7月及び1994年3月の東奥日報朝刊・RABテレビ欄(五所川原市立図書館で閲覧)より。
- ^ 現在は『有吉反省会』・『ガキの使い』の両方とも同時ネット。
関連項目
日本テレビ 日曜22:30 - 23:25枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
笑撃的電影箱
(1991.10 - 1994.3) 【ここからバラエティ枠】 |