斉藤敏豪

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さいとう としひで
斉藤 敏豪
生誕 1954年11月16日(60歳)
日本の旗 日本 東京都文京区
職業 テレビ演出家

斉藤 敏豪(さいとう としひで、1954年11月16日 - )は、日本のテレビ演出家東京都文京区出身。

概要[編集]

オフィスぼくら」副社長を経て、制作プロダクションファクト」所属。日本テレビ系『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(以下「ガキの使い」と表記)にスタッフとして初回から参加。通称「ヘイポー」。名付け親は同期の菅賢治である(後述)。番組の企画に参加する際にはタレントらは「ヘイポー」「ヘイポーさん」と呼ぶが、企画に直接関わらない場合は一貫して「斎藤さん」と呼ばれており、職務上の使い分けがみられる。

高校を卒業してからしばらくの間、都内のストリップ劇場でアルバイトを始め、照明の手伝いなどをしていた。この時、ストリップ嬢の間から「お豆(おまめ)」というニックネームを付けられて可愛がられていたという[1]

結婚歴は無く、現在に至るまで独身である。『ガキの使い』で過去に何度も「ときめきデート」などの企画が組まれている[2][3]

「ヘイポー」として[編集]

『ガキの使い』では1990年末/1991年初頭からスタッフいじりの一環で「パーマン2号」として売り出される。この頃、(パーマン2号もそうだが)おそ松くんイヤミばりの出っ歯だったが、今は差し歯。

1992年11月8日の放送で、初めて「ヘイポー」のクレジットが出る。元番組プロデューサーの菅賢治の説明によると「彼は(声が)こもるから『斉藤です』が『ヘイポウです』に聞こえる」。その後、「世界のサカモト」こと坂本龍一の出演を経て、1994年9月11日の放送で初めて「世界のヘイポー」のクレジットに。当初は「斉藤さん」「ヘイポー」「世界のヘイポー」等、呼称は一定しなかったが、1990年代末には「ヘイポーさん」でほぼ統一されるようになった。なお、番組終了後のクレジットでは本名表記である。

番組内ではヘイポー主役の企画が度々放送されている。ちょっとした物音がしただけで小動物のようにおびえ、子供向けの小型フリーフォールに乗るだけで長時間ゴネて隣にいた子供たちに馬鹿にされたり、お化け屋敷に入るロケでは長時間ゴネた上にパニック状態に陥って他の出演者・スタッフに多大な迷惑をかけた[4]。「ヘイポーうすっぺら裁判」の企画は、ガキの使い裁判で最多の5回行われている。あまりにもビビるため一部の視聴者からは「あれは演技ではないのか?」との声もあるが、「本当に正真正銘のビビリである」とラジオ番組『放送室』の番組内にて松本と高須光聖が発言している[5]。しかし同僚の菅や高須にいわせると、昔はしっかりしていたらしいが、年をとるに従ってヘタレ度がどんどん増していったという[4]

自身がメインの企画において、企画に対して不服があると、ロケに同行している番組のスタッフに延々と不満を漏らす事がある[6]

2014年、生誕60周年(還暦)になり、「ガキの使い」から「世界のヘイポーDVD」(自身がメインの企画の内容)が2014年3月5日に5巻同時に発売された(番組内での宣伝(2014年3月30日放送)には実弟(斉藤篤司郎)も出演した)。

主な担当番組[編集]

現在[編集]

過去[編集]

BEST HIT TV→Matthew's Best Hit TV→Matthew's Best Hit TV+→Matthew's Best Hit UV

脚注[編集]

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  1. ^ CDBOX『放送室(4)』(よしもとアール・アンド・シー)収録(図書館などでも試聴可能)
  2. ^ 日テレ屋Web(「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 世界のヘイポー 傑作集①」参照)
  3. ^ 『ガキの使い』世界のヘイポーのDVDが発売!!”. オリコン (2014年2月3日). 2015年5月10日閲覧。
  4. ^ a b 菅賢治『笑う仕事術』(ワニブックス)「第2章 ダウンタウンから学んだバラエティ番組の作り方―『ガキの使い』が25年も続いている理由」より
  5. ^ 放送室 第119回 04年01月08日[リンク切れ]
  6. ^ TVでた蔵「2010年8月15日放送 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」”. ワイヤーアクション (2010年8月15日). 2015年5月10日閲覧。

関連項目[編集]