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北越急行ほくほく線

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北越急行ほくほく線
683系8000番台とHK100形
683系8000番台とHK100形
683系8000番台とHK100形
北越急行ほくほく線の路線図
北越急行ほくほく線の路線図
路線総延長59.5 km
軌間1,067 mm
電圧1,500 V(直流
最高速度160 km/h
STR
上越線(↑高崎方)
STR STRrg
上越新幹線
HST HST
越後湯沢駅
LUECKE TUNNELa
STRrg ABZrf tSTR
BHF BHF tSTR
0.0 六日町駅
STRrf BRÜCKEa tSTR
上越線(←宮内方)
hBHF tSTR
3.6 魚沼丘陵駅
TUNNELa tSTR
赤倉T 10,472 m
tSTRq tKRZt tSTRrf
tDST
8.5 赤倉信号場
tBHF
12.2 美佐島駅
TUNNELe
hBHF
14.4 しんざ駅
STRq hKRZ STRlg
飯山線(←越後川口方)
hBHF BHF
15.9 十日町駅
TUNNELa STRlf
飯山線(豊野方→)
TUNNELe
十日町T 1,695 m
WBRÜCKE
信濃川 406.7 m
TUNNELa
薬師峠T 6,199 m
tDST
23.8 薬師峠信号場
TUNNELe
TUNNEL2
犬伏T 667 m
TUNNEL1
第一・第二田沢T 125 m/1,934 m
WBRÜCKE
渋海川 148.0 m
TUNNEL2
松代T 275 m
hBHF
29.2 まつだい駅
TUNNELa
鍋立山T 9,130 m
tDST
34.1 儀明信号場
TUNNELe
hBHF
38.6 ほくほく大島駅
TUNNEL1
深沢T 1,582 m
TUNNEL1
霧ヶ岳T 3,727 m
hBHF
44.8 虫川大杉駅
TUNNEL2
有島T
hBHF
46.8 うらがわら駅
TUNNEL1
第一・第二飯室T 3,279 m/290 m
hBHF
51.7 大池いこいの森駅
TUNNEL2
中島T 250 m
hBHF
53.6 くびき駅
hAKRZo
北陸自動車道
STRq hKRZ STRlg
信越本線(←新潟方)
BRÜCKEe STR
BHF BHF
59.5 犀潟駅
ABZrg STRrf
LUECKE
HST
直江津駅
ABZlf STRq
信越本線(篠ノ井方→)
STR
北陸本線(↓米原方)

T:トンネル

北越急行HK100形電車 虫川大杉駅
ほくほく線内の普通・快速に運用される
車窓からの田園風景
犀潟駅 - くびき駅

ほくほく線(ほくほくせん)は、新潟県南魚沼市六日町駅と新潟県上越市犀潟駅を結ぶ北越急行鉄道路線である。

概要

ほくほく線には上越新幹線と接続して越後湯沢駅と北陸地方の各都市を結ぶ特急はくたか」が運行されている。1997年にほくほく線が開業して以来、富山県石川県方面と関東方面を鉄道で移動する場合は、本路線を通る特急「はくたか」と上越新幹線を越後湯沢駅で乗り継いで利用する方法が最も短時間であることが多い。

日本の地方私鉄は全国的に赤字になっている路線も多いが、ほくほく線は毎年数億円の黒字となっており、地方の鉄道会社の路線としては利益の大きい部類に入る。2001年度の営業収支率は73.0%であり、第三セクター鉄道の中では経営状態は良好であるが、全体の9割が特急による収益で普通列車の収益は全体の1割にも満たない。2014年度に北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間が延伸開業する際に、利用者が新幹線へ大幅に移行することが確実視されており、沿線利用者の確保や活性化が課題となる。

構想当初から首都圏と北陸を結ぶ優等列車や貨物列車の運転が考えられていた。しかし国鉄再建法に伴う工事中断とその後の第三セクター方式での建設再開に際して、旅客専用線として計画を改めており、重い機関車の入線は不可能となっている[1]

踏切が両端の起点・終点にあたる犀潟駅付近と六日町駅付近に各1か所あるのみで他の区間にはないことが高速走行を支えており、特急は在来線では京成成田空港線の「スカイライナー」とともに日本一速い最高速度160 km/hで運転される。また、普通列車は高速・高加減速性能を持つ車両(最高110 km/h)で運転され、駅構内を除き全線単線であるほくほく線内で、後続の特急に追いつかれることを極力防ぐダイヤが設定されている。それでも速度差があるため、ほくほく線内で追い越しが行われる場合もあるが、駅以外にも、トンネルの中で特急列車が普通列車を追い越すことが可能な信号場が線内に3箇所存在する。なお、トンネル内に追い越し設備があるのは、高速で走行できるようにできるだけ線形を直線に近くした結果、トンネル区間の割合が多くなったためだが、沿線は豪雪地帯であることから、雪によるポイントの不転換、待避停車中のパンタグラフへの着雪を防止するといったメリットもある。

起点・終点駅である六日町駅・犀潟駅十日町駅以外は、すべて無人駅である。また、それらの駅では列車通過の際にそれぞれの駅ごとに違った「通過警告メロディ」が流れる。

なお、正式な起点は六日町駅だが、列車運行および旅客案内では犀潟駅から六日町駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ): 59.5 km
  • 軌間: 1,067 mm
  • 駅数(起終点を含む): 12
  • 最高速度: 160 km/h(特急、右記の区間以外。京成成田空港線と共に営業在来線日本国内最速)、140 km/h(薬師峠信号場 - まつだい間、虫川大杉 - くびき間)、110 km/h(普通・快速)
  • 複線区間: なし(全線単線
  • 電化区間: 全線(直流1,500 V
  • 高架区間: 全線
  • 最小曲線半径: 400 m
  • 最急勾配: 33 パーミル
  • 最長トンネル: 赤倉トンネル(10,472 m、魚沼丘陵 - しんざ間。トンネル内に赤倉信号場と美佐島駅があり、地下鉄JR線以外では日本最長の鉄道トンネル[2]
  • 閉塞方式: 単線自動閉塞式
  • 保安装置: ATS-P
  • 運転指令所: 六日町指令所

歴史

本来は改正鉄道敷設法別表第55号の3に「新潟縣直江津ヨリ松代(現 まつだい駅)附近ヲ經テ六日町ニ至ル鐡道」として規定された路線で、国鉄北越北線として敷設が計画された路線である。北越北線を略して平仮名書きしたのが現在の「ほくほく線」という路線名で、公募により決定した。愛称のようだが、これが正式名称である。

昭和初期にこの地方にバスの運行が開始されたが、当時は道路の除雪体制がまったく整っておらず、冬季には運行できなくなり各集落は完全に孤立状態となるのが常であった。このためかえって鉄道への熱望が高まることになり、大正時代に開通した頸城鉄道と連絡して北陸本線と上越線を短絡する鉄道を実現する運動が開始された。当初は上越線との連絡点は六日町とされたのに対して、西側は信越本線の高田とする案と、直江津とする案があった。しかし上越線と北陸本線を短絡する路線の機能を考えて、最終的に直江津案にまとまった。一方1940年(昭和15年)になると、上越線側を越後湯沢とする案が出され、当時の鉄道省も両案を実際に比較測量している。この越後湯沢と接続する案が鉄道敷設法の同号に「及松代附近ヨリ分岐シテ湯澤(現 越後湯沢駅)ニ至ル鐡道」として規定される北越南線であった。こうして「南北戦争」と称される激しい誘致合戦が始まった。1944年(昭和19年)に一度は信濃川発電所の工事専用線を転用する形で北越北線が採択されて工事予算がついたが、第二次世界大戦の戦況悪化に伴い工事は中止された[3]

第二次世界大戦後は、1950年(昭和25年)から誘致運動が再開されたが、相変わらず南北の対立は残ったままであった。北線の利点は、より大きな都市を通過するため採算性がよく沿線の発展にも貢献すること、地すべり地帯がなく防災上有利なことで、南線の利点は距離が短く勾配も緩く、未開発の資源や温泉地帯を通過することなどとされた。これらの両線を合わせて「上越西線」とも称されていた。南線のルートは浦川原で分岐して、松之山町を通り、飯山線越後鹿渡駅 - 越後田沢駅間を共用して信濃川を渡り、越後湯沢へつなぐ、道路の国道353号に近いものであった。1953年(昭和28年)2月の鉄道建設審議会では、地元の意見が未統一との理由で着工案を保留とした。南北両派の合意により、新潟県知事に裁定を一任することとなったが、同年8月に新潟県知事が北線採択の裁定を下すと、9月の期成同盟会総会を南線側がボイコットする事態となった。それからさらに両派の争いは続き、事態が動いたのは1962年(昭和37年)のこととなった。この頃、松之山町の中心部で地すべり災害が発生しており鉄道の通過ルートとしてふさわしくないとされたことと、道路交通の発達でそれほど鉄道にこだわる必要がなくなったことなどから、一方の路線が採択された際にはもう一方の路線側から鉄道へ連絡する道路を整備するということを条件に、国鉄に裁定を一任することになった。1964年(昭和39年)4月22日に北越北線が調査線に昇格し、9月28日に工事線となって、北越北線が正式に採択されることになった[4]

1968年(昭和43年)8月14日にまず六日町 - 十日町間で着工した。概算工事費は50億1800万円とされた。さらに1973年(昭和48年)3月24日に十日町 - 犀潟間に着工し、この区間の概算工事費は239億3400万円とされた。国鉄との協議により、将来的な優等列車や貨物列車の運行を想定することになっていた。当初の仮称駅名は、六日町、西六日町、赤倉信号場、津池、十日町、薬師峠信号場、松代、儀明信号場、頸城大島、沢田、増田、犀潟とされていた。さらに当初は非電化で計画されていたが、途中で将来の電化に備えることになり、工事費は511億8600万円と見積もられるようになった。しかし鍋立山トンネルの難工事などにより工事は見込みよりかなり遅れることになった。そうしているうちに国鉄の経営悪化が進み、その対策として1980年(昭和55年)に日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)の施行により鉄道新線の工事は凍結されることになった。国鉄再建法での工事続行基準は、推定輸送密度が4,000 人/日以上とされていたが、北越北線の推定輸送密度は1,600 人/日であった。この時点で用地取得は73%、路盤工事は58%まで進捗しており、工事費は415億円が投じられていた[5]

国鉄再建法では、建設が中断された地方鉄道新線について、地元が第三セクターを設立して引き受けることが可能であると定めていた。1983年(昭和58年)に元首相の田中角栄の働きによりこの方向で動き出した。ただし、当時の君健男新潟県知事は第三セクター化に慎重であり、第三者のコンサルタントを入れて経営分析を行うことと、国鉄への乗り入れを行うことを条件としてつけた。コンサルタントも、秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線に対して「永久に黒字転換する見込みがない」と厳しい診断を下した会社に依頼した。ところが新潟県の予想に反し、コンサルタントは「5年で単年度黒字、10年で累積黒字」との報告書を出し、また国鉄も直通運転を了承した。こうして1984年(昭和59年)8月30日に北越急行が設立され、1985年(昭和60年)2月1日に鉄道事業の免許を取得し、3月16日に工事が再開された[6]

工事を中断した時点で鍋立山トンネルは中央部で645 mの未掘削区間が残されていた。しかしこのわずかな区間に、さらに10年余りの歳月と146億円の工費が投入されることになった。当初の中央導坑先進工法では強大な土圧により支保工が座屈するなどの問題を生じた。続いてトンネルボーリングマシンを導入したが、これも掘削中に土圧により発進地点より手前まで押し戻されてしまう事態となった。さらに注入剤を入れて、最終的には手掘りも実施するなどして、645 mを掘るために実に29の工法が駆使された。1992年(平成4年)10月29日にようやく先進導坑が貫通し、1995年(平成7年)3月7日に竣工に漕ぎ着けた[7]

1988年(昭和63年)になり、整備新幹線問題の関係で北陸新幹線の建設の見通しが立たなかったことから、北越北線を高速化してスーパー特急を走らせる計画が運輸省から打ち出された。もともと優等列車の運転を想定して高い規格で建設されていたこともあり、翌1989年(平成元年)5月31日に高速化に伴う工事実施計画の変更が申請され、高速化事業が動き出した。これにより、JRと直通の特急列車を走らせるために電化が実施されることになった。建設に要するとされた310億円は、建設に当たっていた日本鉄道建設公団(鉄道公団)の地方新線工事費から70億円、幹線鉄道活性化事業費補助金が42億円、北越急行出資金が40億円、JR東日本の負担金が158億円とされた[8]

当初計画では、六日町駅では北越急行専用プラットホームよりも高崎方でJRとの線路の接続を行うことになっていたが、専用プラットホームで発着する普通列車とは別に、越後湯沢からの特急列車が北越急行に直接進入できるようにする渡り線が追加されることになった。十日町駅では、JR線を乗り越した後に地上に降りてプラットホームを設ける計画であったが、プラットホーム前後に生じる急勾配と急曲線を解消するために高架上にプラットホームを設置することになった。犀潟駅では、高架でJR線を乗り越した後に海側に北越急行専用プラットホームを設ける計画であったが、信越本線の上下線の間に降りてJR線に乗り入れる構造に改めた。また、高速化の制約となっていた分岐器の通過速度制限を緩和するために、一線スルーにする改良を実施した。さらにカントの向上を行った[8]

1997年(平成9年)3月22日に開業した。首都圏では「北陸新線」という名で宣伝された。同時に本路線を経由する特急はくたか」の運転が開始された。当初から160 km/h運行に対応する設備で開業したが、さらなる技術的な検討を待ってから実際の160 km/h運転を開始することにしたため、当初の特急列車の最高速度は140 km/hとされた[9]

1998年(平成10年)12月から「はくたか」が150 km/h運転を開始し、続いて2002年(平成14年)3月から当初の予定通りの160 km/h運転が開始されている[9]

2004年(平成16年)10月23日の新潟県中越地震では発生後全線で運転を見合わせた。10月26日より被害の少なかった犀潟 - まつだい間で普通列車に限った臨時ダイヤによる運転を再開。11月2日に全線で運転を再開した。当初は速度制限つきの運転で、12月17日から160 km/h運転を再開している。また、2005年(平成17年)2月11日より上越線が全面復旧する3月24日までの間、週末を中心にのべ13日にわたって急行能登」がほくほく線を経由して運転された[1]

2007年(平成19年)7月16日に発生した新潟県中越沖地震では、特急「はくたか」が終日運休となる。翌17日から運転を再開した。

年表

  • 1931年(昭和6年)9月 - 地元の関係者による鉄道敷設運動が始まる。
  • 1940年(昭和15年) - 北越南線の計画が持ち上がって「南北戦争」勃発。
  • 1953年(昭和28年)
    • 2月 - 第9回鉄道建設審議会で地元意見の不一致を理由として審議未了・保留。
    • 8月 - 新潟県知事裁定により北越北線採択。
    • 9月 - 期成同盟会総会を南線側がボイコット。
  • 1961年(昭和36年)2月23日 - 南北両派が一本化で協力推進する協約を締結。
  • 1962年(昭和37年)
    • 4月22日 - 鉄道建設審議会が上越西線(北越北線)を予定線に採択。
    • 5月12日 - 鉄道敷設法別表第55の3号により、予定路線に編入。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月22日 - 運輸大臣により、北越北線を調査線に指示。
    • 9月28日 - 工事線に昇格、日本鉄道建設公団(鉄道公団)に対して工事実施計画の指示。
  • 1968年(昭和43年)
    • 2月23日 - 北越北線六日町 - 十日町間工事実施計画の認可申請。
    • 3月28日 - 六日町 - 十日町間工事実施計画認可。
    • 8月14日 - 六日町 - 十日町間着工。
  • 1972年(昭和47年)
    • 8月21日 - 十日町 - 犀潟間工事実施計画の認可申請。
    • 10月11日 - 十日町 - 犀潟間工事実施計画認可。
  • 1973年(昭和48年)3月24日 - 十日町 - 犀潟間着工。
  • 1978年(昭和53年)7月20日 - 停車場有効長の延伸、スラブ軌道の採用、電化準備工事などを含めた工事実施計画変更。
  • 1980年(昭和55年)12月27日 - 日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により工事凍結。
  • 1983年(昭和58年)6月22日 - 北越北線建設促進期成同盟会総会において、田中角栄元首相から第三セクター化の構想が提示される。
  • 1984年(昭和59年)
    • 3月1日 - 第三セクター設立準備会設立。
    • 8月27日 - 北越急行創立総会を新潟市で開催。
    • 8月30日 - 北越急行株式会社設立登記。
    • 11月8日 - 国鉄再建法第14条第1項に基づく国鉄新線の告示。
  • 1985年(昭和60年)
    • 2月1日 - 北越急行が地方鉄道業の免許を受ける。
    • 2月25日 - 運輸大臣により鉄道公団へ工事実施計画の指示。
    • 3月16日 - 鉄道公団により工事再開。
  • 1988年(昭和63年)8月 - 運輸省が「整備新幹線運輸省規格案」を発表、北陸新幹線と連携した幹線鉄道とするための、北越急行の電化・高規格化を提唱。
  • 1989年(平成元年)
    • 3月28日 - JR東日本と北越急行の間で北越北線高規格化に関する基本協定を締結。
    • 5月31日 - 北越急行、事業基本計画の変更申請、最高速度を95 km/hから160 km/hへ、動力方式を内燃から電気へ。
    • 7月31日 - 運輸大臣が鉄道公団に対して工事実施計画の変更指示。
    • 10月2日 - 高規格化対応工事に着手。
  • 1997年(平成9年)3月22日 - ほくほく線開業。
  • 1998年(平成10年)12月 - 「はくたか」を150 km/hにスピードアップ。
  • 2002年(平成14年)3月 - 「はくたか」を160 km/hにスピードアップ。
  • 2004年(平成16年)
    • 10月23日 - 新潟県中越地震発生、全線で運休となる。
    • 10月26日 - 犀潟 - まつだい間で運転再開。
    • 11月2日 - 全線で運転を再開。
  • 2007年(平成19年)7月16日 - 新潟県中越沖地震発生、「はくたか」の運転を1日休止。

運行形態

上越新幹線越後湯沢駅と北陸方面とを結ぶ特急「はくたか」が、ほくほく線を経由する。「はくたか」は2002年(平成14年)3月からほくほく線内で、最高速度160 km/hでの営業運転を行っている。これは、日本の狭軌の鉄道では最も速い速度である。

この速度で運転する681系683系8000番台に限り、同車に搭載した信号読替装置(トランスポンダ)により130 km/h以上の走行が許可され、信号機には青を上下に2灯点灯させた「高速進行」信号が現示される。

特急のほかに快速各駅停車も設定されている。このうち快速列車は2往復のみで、あとは全て各駅停車である。ほとんど全ての列車が六日町 - 犀潟間を通しで運行するが、日中に六日町 - 虫川大杉間(平日のみ。土休日は犀潟行き)、夜間に六日町 - まつだい間に各1往復ずつの区間列車が設定されている。また、一部の列車は東日本旅客鉄道(JR東日本)信越本線直江津駅上越線越後湯沢駅まで直通運転する。さらに、信越本線直江津駅を経て、新井駅までの延長臨時運転を行うこともここ数年で数回ある。快速・各駅停車は「はくたか」の合間を縫って走ることや、駅間距離が長いことから、ローカル線の普通列車としては高速の部類に入る最高速度110 km/hで運転され、またこれに使用される車両HK100形は優れた加速性能を持つ。普通列車はワンマン運転である。

JR線内へ乗り入れる快速・各駅停車は、JR線内の石打駅大沢駅黒井駅などいくつかの駅を通過する。

「はくたか」・快速が停車しない駅では、列車が高速で通過して危険であることから、ホームへの入口にはスイングゲートが付いていて、列車に乗降する時以外はホームに入らないようにとの注意書きがしてある。特に美佐島駅はホームがトンネル内にあり、通過列車が接近した場合、風圧によって飛ばされる危険が高いことから、列車到着後2分以内にホームから出る必要がある。このため、無人駅ながら危険防止のため、ホーム部分は常に監視カメラによって管理されており、列車が発着した後もホームに残っているとアナウンスで注意される。

ほくほく線ではトンネルが多くあまり景色が見られないという路線特徴を逆手に取り、トンネル走行時に車内にて映像を鑑賞できる「ゆめぞら号」(北越急行HK100形電車の項を参照)という遊び心満載の車両が運行されている。この「ゆめぞら号」は主に土曜・日曜・祝日に運行中で、季節によって異なる映像が上映される。詳しい運行状況は北越急行株式会社のホームページで確認することができる。

「はくたか」を優先したダイヤであり、その合間を普通、快速が走っていることから、ほくほく線と接続する北陸本線飯山線上越線、いずれも限られた運行本数でありながら、普通列車同士の接続はきわめて悪く、上下線ともに数分差で乗り継げないダイヤ設定が多い。また、JR東日本、西日本のダイヤ改正日が異なることが多い一方で両社に合わせたダイヤを組まなくてはならないため、ダイヤ改正が行われる頻度が高い。

直通先のJR上越線(越後湯沢 - 六日町)JR信越本線(犀潟 - 直江津)を含めた運行形態別停車駅一覧[拡大して見る

使用車両

すべて電車。

2011年5月中旬以降、従来の489系に代わって特急「サンダーバード」用の683系4000番台がはくたかの異常時代走運用を担っている。但し、同線内の運転最高速度は制動装置などの関係で489系と同様130km/hに制限されるが、JR線内は所定のW・N編成と同等の性能で運転可能なため、489系と比べると遅延は大幅に削減される。

過去の使用車両

利用状況

輸送実績

収入実績

駅一覧

  • 全線新潟県内に所在。
  • 便宜上、ほくほく線の列車が直通するJR上越線・信越本線の区間も合わせて記載する。なおJRの普通列車は、下表のJRの駅すべてに停車する。
凡例
停車駅 … ●:全列車停車、|:全列車通過、*:一部の列車が停車、※:夏季・冬季のみ一部の列車が停車、△:一部の下り列車が通過。
線路 … ∥:複線区間、◇:単線区間(列車交換可能)、|:単線区間(列車交換不可)、∨:ここより下は単線、∧:ここより下は複線
運営会社 路線名 駅名 駅間キロ 六日町からの営業キロ 北越急行普通 北越急行快速 特急はくたか 接続路線 線路 所在地
JR東日本 上越線 越後湯沢駅 - 17.6 東日本旅客鉄道上越新幹線上越線水上方面・ガーラ湯沢支線) 南魚沼郡
湯沢町
石打駅 6.4 11.2   南魚沼市
大沢駅 4.0 7.2  
上越国際スキー場前駅 1.0 6.2  
塩沢駅 2.3 3.9  
六日町駅 3.9 0.0 東日本旅客鉄道:上越線(小出方面)
北越急行 ほくほく線
魚沼丘陵駅 3.6 3.6  
赤倉信号場 - (8.5)   十日町市
美佐島駅 8.6 12.2  
しんざ駅 2.2 14.4  
十日町駅 1.5 15.9 東日本旅客鉄道:飯山線
薬師峠信号場 - (23.8)  
まつだい駅 13.3 29.2  
儀明信号場 - (34.1)  
ほくほく大島駅 9.4 38.6   上越市
虫川大杉駅 6.2 44.8  
うらがわら駅 2.0 46.8  
大池いこいの森駅 4.9 51.7  
くびき駅 1.9 53.6  
犀潟駅 5.9 59.5 東日本旅客鉄道:信越本線柏崎方面)
JR東日本 信越本線
黒井駅 4.4 63.9  
直江津駅 2.7 66.6 東日本旅客鉄道:信越本線(長野方面)
西日本旅客鉄道北陸本線(特急「はくたか」直通)

脚注

  1. ^ a b ほくほく博士 13 新潟県中越震災および豪雪でこんなことがありました”. 北越急行. 2010年6月19日閲覧。
  2. ^ ほくほく博士 5 ほくほく線の高速運転を支える設備”. 北越急行. 2010年6月19日閲覧。
  3. ^ 『三セク新線高速化の軌跡』pp.140 - 142
  4. ^ 『三セク新線高速化の軌跡』pp.144 - 149
  5. ^ 『三セク新線高速化の軌跡』pp.150 - 153
  6. ^ 『三セク新線高速化の軌跡』pp.154 - 155, 284
  7. ^ 『三セク新線高速化の軌跡』pp.216 - 221
  8. ^ a b 『三セク新線高速化の軌跡』pp.156 - 207
  9. ^ a b 開業までの経緯・沿革”. 北越急行. 2010年6月19日閲覧。
  10. ^ http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2011/07/jr6834000t52.html

参考文献

  • 日本鉄道建設公団高速化研究会 編『三セク新線高速化の軌跡』(初版)交通新聞社、1998年10月20日。ISBN 4-87513-077-5 

外部リンク