比丘
仏教用語 比丘 | |
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袈裟を着たカンボジアの比丘 | |
パーリ語 | Bhikkhu |
サンスクリット語 | Bhikṣu |
中国語 |
比丘 (拼音: bǐqiū) |
日本語 |
比丘 (ローマ字: Biku) |
英語 | Monk |
クメール語 |
ភិក្ខុ (UNGEGN: Bhikkhu) |
シンハラ語 | භික්ෂුව |
タイ語 | ภิกษุ |
比丘(びく、巴: Bhikkhu、梵: Bhikṣu)は、仏教において出家し、具足戒を守る男性の修行者である[1]。女性の出家修行者は比丘尼(びくに, Bhikkhunī)。梵語形のBhikṣuの音写から苾芻(びっしゅ)ともいう[2][3]。日本では一般には僧侶、お坊さんと呼ぶ。
比丘の生活は涅槃に達することを目的としており、質素な生活を送ることで自身の修行の助けとなるよう設計されている[4]。
インドでは紀元前六世紀ごろから、出家し各地を遊行しながら托鉢する修行者がおり、釈迦もその一人であった。釈迦の弟子が増え仏教教団(サンガ)が成立してからは、その主要な構成員として、信徒に教えを説き、教団を維持する働きをもつ[1]。しかし日本の伝統宗派とネパールのネワール仏教、チベットのニンマ派とカギュ派(ならびにその影響下にあるブータン)においては、僧侶の妻帯と世襲が常態化しており、戒律を始めから受けていないか、あるいは受戒しても守っていない[5][6]。
定義
[編集]元来は「食べ物を乞う人」という意味の言葉[1]。
ブッダゴーサは『清浄道論』で、「輪廻において恐れを見るので、比丘である」 (Pāli: Saṃsāre bhayaṃ ikkhatīti bhikkhu)と通俗語源解釈によって[注 1]定義しており、「輪廻からの解脱を求めて出家した者」としている[7]。
Na tena bhikkhū hoti yāvatā bhikkhate pare; Vissaṃ dhammaṃ samādāya bhikkhu hoti na tāvatā.
Yo'dha puññca pāpañca bāhetvā brahmacariyavā; Saṅkhāya loke carati sa ce bhikkhū'ti vuccati.他に乞ふのみにては比丘ならず、一切の所應行を服膺するのみにては比丘ならず。
人若し現世に於て罪福を離れて淨行に住し、愼重にして世を行けば眞の比丘と謂はる。
雲水
[編集]禅宗では、行雲流水という句から、修行者を雲水(うんすい)と呼ぶ[8]。宋史蘇軾伝に「文を作るは行雲流水の如く、初めより定質なし」とあることから、行雲流水の語は、行く雲や流れる水のような、大自然とおのずからなる無心無作のはたらきをいう[9]。禅の修行者は一か所にとどまらず諸方に師を求めて行脚することから、行雲流水の句が禅の修行僧をさすようになった[10]。そこから一般に、一定の僧堂に留まって修行する修行者をも雲水という[10]。雲水はまた、雲衲(うんのう:なお、衲は、雲水の着る破れ衣のこと)、衲子(のっす)、行脚僧ともいう[10]。
ギャラリー
[編集]-
インド
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ラオス(上座部仏教)
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中国
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台湾
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韓国
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米国(中国仏教)
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チベット
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ラオス ルアンパバーン郡
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タイ
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日本
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ bhayaṃ ikkhatiでbhikkhuとなる。
出典
[編集]- ^ a b c 三枝充悳、「比丘」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館
- ^ 「比丘」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。
- ^ 「苾蒭」 - デジタル大辞泉、小学館。
- ^ What is a bhikkhu?
- ^ 四津谷孝道「チベット仏教における継承・相続」『日本仏教学会年報』第69巻、日本仏教学会西部事務所、2003年、95-103頁。
- ^ 中井英基「チベットにおける仏教々団主の相続形態」『一橋論叢』第63巻第6号、一橋大学一橋学会一橋論叢編集所、1970年、82-101頁。
- ^ Resources: Monastic Vows
- ^ 講座禅第二巻 1967.
- ^ 岩波仏教辞典第2版 1989, p. 247.
- ^ a b c 岩波仏教辞典第2版 1989, p. 65.
参考文献
[編集]- 中村元他『岩波仏教辞典』(第2版)岩波書店、1989年。ISBN 4-00-080072-8。
- 柴山全慶、秋月龍珉『講座 禅 第二巻 禅の実践』筑摩書房、1967年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集] ウィキクォートには、比丘に関する引用句があります。
ウィキメディア・コモンズには、Buddhist monksに関するカテゴリがあります。