亘理町
わたりちょう 亘理町 | |||
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亘理町(亘理から荒浜への道) | |||
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国 | 日本 | ||
地方 | 東北地方 | ||
都道府県 | 宮城県 | ||
郡 | 亘理郡 | ||
市町村コード | 04361-3 | ||
法人番号 | 2000020043613 | ||
面積 |
73.60km2 | ||
総人口 |
32,551人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||
人口密度 | 442人/km2 | ||
隣接自治体 |
岩沼市、角田市、 亘理郡山元町、柴田郡柴田町 | ||
町の木 | クロマツ | ||
町の花 | サザンカ | ||
亘理町役場 | |||
町長 | 山田周伸 | ||
所在地 |
〒989-2393 宮城県亘理郡亘理町字下小路7番地4 北緯38度2分16秒 東経140度51分9.3秒 / 北緯38.03778度 東経140.852583度 | ||
外部リンク | わたりちょう | ||
ウィキプロジェクト |
亘理町(わたりちょう)は、宮城県南部の太平洋沿岸、阿武隈川の河口に位置する町。
温暖な気候を利用しての果樹・花卉栽培が盛んであり、特にイチゴが名産である。郷土料理のはらこ飯は近年農山漁村の郷土料理百選に選出された。 隣接する山元町とは平成14年(2002年)11月から合併に向けて協議が行われたが決裂した。県から代替案として名取市・岩沼市・亘理町・山元町を合併する案が示されたが[2]、人口規模のみを基準とする案であったため具体的な協議が行われることも無かった。
地理
- 山:阿武隈高地の最北端に位置し、四方山(274m)→黒森山(255m)→愛宕山(185m)→三門山(みつもんやま、205m)→七峰山(ななうねさん、124m)と北上して阿武隈川に至る。
- 河川:阿武隈川・鐙川・舟入川
- 年間の平均気温は12.5℃、年間降水量は1,224mm。
歴史
『日本書紀』巻七「日本武尊の遠征」に葦の浦・玉の浦を経て日高見へ至るという記述があり、この葦の浦が亘理にあたるという(玉の浦は岩沼市玉浦・仙台空港付近を、日高見は北上川流域を指す)。
- 養老2年(718年) - 『続日本紀』に曰理郡の名が登場。これが文献上での亘理の初見である。
- 天喜4年(1056年)頃 - 亘理権大夫・藤原経清が亘理郡に入部し、亘理地方を所領とする。
- 建久元年(1190年) - 武石胤盛(亘理氏の祖)、源頼朝に亘理郡を与えられる。
- 慶長7年12月30日(1603年2月10日) - 伊達政宗の一門・伊達成実が亘理城主となる(亘理伊達氏)。
- 明治3年(1870年) - 亘理伊達氏第14代当主・伊達邦成、北海道開拓のため家臣団を率いて胆振国有珠郡(現・伊達市一帯)への移住を開始。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、小堤村が亘理町(わたりまち)となる。また、荒浜村・吉田村・逢隈村がそれぞれ成立。
- 昭和18年(1943年)4月29日 - 荒浜村が町制施行。
- 昭和30年(1955年)2月1日 - 亘理町・荒浜町・吉田村・逢隈村が合併し、現在の亘理町(わたりちょう)となる。
- 平成23年(2011年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震が発生。亘理町では震度6弱を記録し、役場庁舎が使用不可能となる。さらに大津波により町の面積の47%が浸水し、荒浜・大畑浜・吉田浜・長瀞浜など沿岸の部落が壊滅的被害を受けた。この震災による町民の死者・行方不明者は計305人(町内で発見された遺体は257体)。また5,600棟を超える住宅が全半壊し、産業被害総額は3,353億円超にのぼった[3]。
- 平成27年(2015年)3月15日 - 荒浜にぎわい回廊商店街 開設
-
津波により浸入した海水を排出する作業の様子。津波によって町の農地の62.5%が水没した
(2011年3月23日、場所不明) -
一本松より長瀞小学校を望む。震災から8か月を経過した時点でも、依然として長瀞浜の田畑からは水が引いていない
(2011年11月3日、吉田字曽根下) -
津波により水没した高屋地区の水田
(2011年3月13日) -
津波により水没した高屋地区
(2011年3月13日) -
高屋地区で捜索救出活動中のUH-60ヘリコプター
(2011年3月13日) -
津波により被災した鳥の海北側の地区
(2011年4月1日) -
被災した蛭塚への橋「マリンレインボーブリッジ」
(2011年4月1日)
行政
首長
- 歴代町長
- 昭和の合併以前
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 齋藤源吉 | 明治22年(1889年)4月28日 | 明治23年(1890年)3月18日 | |
2 | 武田万治郎 | 明治23年(1890年)8月2日 | 明治31年(1898年)4月12日 | |
3 | 武田吉平 | 明治31年(1898年)7月26日 | 明治33年(1900年)10月23日 | |
4 | 鈴木賢精 | 明治33年(1900年)11月12日 | 明治34年(1901年)3月16日 | |
5 | 中村彬 | 明治34年(1901年)4月2日 | 明治37年(1904年)3月12日 | |
6 | 坂元長造 | 明治37年(1904年)4月14日 | 明治42年(1909年)5月30日 | |
7 | 隈川誠治 | 明治42年(1909年)7月7日 | 大正2年(1913年)3月25日 | |
8 | 武者省吾 | 大正2年(1913年)8月23日 | 大正10年(1921年)3月28日 | |
9 | 山田周吉 | 大正10年(1921年)5月30日 | 大正15年(1926年)3月31日 | |
10 | 永田万吉 | 大正15年(1926年)8月3日 | 昭和2年(1927年)9月9日 | |
11 | 松浦隆造 | 昭和3年(1928年)10月7日 | 昭和4年(1929年)2月22日 | |
12 | 門沢惣蔵 | 昭和4年(1929年)4月29日 | 昭和5年(1930年)4月8日 | |
13 | 丸谷由三郎 | 昭和5年(1930年)4月14日 | 昭和9年(1934年)3月1日 | |
14 | 齋藤譲一郎 | 昭和9年(1934年)3月2日 | 昭和11年(1936年)5月10日 | |
15 | 山田周蔵 | 昭和11年(1936年)5月11日 | 昭和15年(1940年)5月14日 | |
16 | 武田淑郎 | 昭和15年(1940年)5月20日 | 昭和19年(1944年)5月17日 | |
17 | 山田周蔵 | 昭和19年(1944年)5月18日 | 昭和21年(1946年)12月31日 | 再任 |
18 | 丹野恒二郎 | 昭和22年(1947年)4月5日 | 昭和26年(1951年)4月4日 | |
19 | 門沢惣蔵 | 昭和26年(1951年)4月22日 | 昭和30年(1955年)1月31日 | 再任 |
- 昭和の合併以後
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 玉田清 | 昭和30年(1955年)3月13日 | 昭和31年(1956年)11月30日 | 元・逢隈村長 |
2 | 山田周蔵 | 昭和32年(1957年)1月13日 | 昭和40年(1965年)1月12日 | 合併前を含めて三任 |
3 | 武田伸郎 | 昭和40年(1965年)1月13日 | 昭和48年(1973年)1月12日 | |
4 | 山形勝治 | 昭和48年(1973年)1月13日 | 昭和53年(1978年)4月20日 | |
5 | 深田伊三郎 | 昭和53年(1978年)5月28日 | 昭和57年(1982年)5月27日 | |
6 | 竹澤一雄 | 昭和57年(1982年)5月28日 | 平成2年(1990年)5月27日 | |
7 | 伊藤敏雄 | 平成2年(1990年)5月28日 | 平成14年(2002年)5月27日 | |
8 | 齋藤邦男 | 平成14年(2002年)5月28日 | 平成26年(2014年)5月27日 | |
9 | 齋藤貞 | 平成26年(2014年)5月28日 | 現職 |
町議会
第四次総合計画
2006年度より10ヶ年計画での総合発展計画を策定した。基本理念は「暮らしやすさNO.1」である。
経済
産業
- 産業構造
- 生産高では第三次産業が主だが、土地利用面では農用地が47.5%を占める。イチゴの出荷量が東北地方第1位であり、またリンゴの出荷量も宮城県第1位である。工業は地場食品加工業と自動車関連企業が主である。
- 地場産物
- 笹かまぼこ・はらこ飯。いちごワイン・梅羊羹などの果樹(リンゴ・イチゴ・ブドウ・アセロラ)利用産品
- 産業分類別就業者数
- 第一次産業:2,036人(11.7%)
- 第二次産業:5,751人(33.1%)
- 第三次産業:9,593人(55.2%)
- (平成17年(2005年)12月調べ)
郵便局
- 亘理郵便局(集配局)
- 荒浜郵便局
- 浜吉田郵便局
- 亘理逢隈郵便局
姉妹都市・提携都市
- ふるさと姉妹都市
かつて関係のあった都市
- 親善友好都市
地域
人口
亘理町(に相当する地域)の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
健康
安心して生涯を託せる「保健福祉のまちづくり」をめざす。
教育
生涯学習体制と学校教育の充実を指向。
小学校
町立小学校6校
中学校
町立中学校4校
高等学校
県立高校1校
- 文部科学省が推進する「学力向上フロンティア」指定校である。
他に幼稚園2園(私立)
交通
鉄道路線
バス
亘理町町民乗合自動車「さざんか号」
道路
- 宮城県道10号塩釜亘理線
- 宮城県道14号亘理大河原川崎線
- 福島県道・宮城県道38号相馬亘理線
- 宮城県道52号亘理村田線
- 宮城県道122号亘理停車場線
- 宮城県道123号荒浜港今泉線
- 宮城県道224号吉田浜山元線
- 宮城県道269号亘理インター線
名所・旧跡・祭事・催事等
- 鳥の海(汽水湖) - 平成18年(2006年)6月、明成高等学校科学部および早川紘之により、鳥の海の東南に広がる吉田浜において、全長3kmに及ぶ国内最大規模の鳴き砂の存在が確認された。
- わたり温泉鳥の海 - 弱アルカリ高温泉。泉温44度(東日本大震災により休業も2014年10月4日に温浴施設と休憩所が再開)
- 三十三間堂官衙遺跡(国の史跡、平安時代の亘理郡衙)
- 大雄寺の亘理伊達家御廟所(小堤城跡)
- 亘理神社(亘理城跡)
- 尊久老稲荷神社
- 称名寺のシイノキ(国の天然記念物) - 他所から移植してきた、高さ約14メートル・周囲約7.5メートルの巨木[4]。
- 末家焼(ばっけやき)
- 水森かおり「亘理の冬」 - ご当地ソング。アルバム『歌謡紀行Ⅸ~松島紀行~』(2010年9月)所収
- 荒浜にぎわい回廊商店街
- おおくまふれあいセンター
- 亘理公園
出身有名人
郷土料理
- あさり飯(春)・しゃこ飯(夏)・はらこ飯(秋)・ほっき飯(冬)
町民憲章
「みどり豊かなすみよい田園都市をつくるため」に、以下の憲章を定めている。
- 一、汗して働き、ゆとりある豊かな町をつくりましょう。
- 一、自然を生かし、美しい町をつくりましょう。
- 一、きまりをまもり、助け合う明るい町をつくりましょう。
- 一、すすんでまなび、郷土を護る文化の町をつくりましょう。
- 一、希望にみちた、活力のある伸びゆく町をつくりましょう。
参考文献
- 『亘理町史』現代編(宮城県亘理郡亘理町、2008年)
脚注
- ^ 『図典 日本の市町村章』p38、亘理町章及び亘理町旗制定について
- ^ 宮城県の市町村合併(宮城県)
- ^ 亘理町震災復興会議資料(2011.10.1付)による
- ^ 宮城県・指定文化財|天然記念物|称名寺のシイノキ