フォークロック
フォークロック (Folk Rock)は、音楽の分野のひとつで、フォークとロックの要素が結合された楽曲、演奏様式を指す。しかし、その演奏法や歌唱法、また、楽曲の旋律や歌詞の度合いによって、フォーク、あるいはロックのいずれか一方へと捉えられることもあり、明確な分類の定義は無い。生みの親の一人に挙げられるボブ・ディランは、「フォークロック」という言葉そのものを毛嫌いしている。
概要
フォークロックは、1960年代半ば、北アメリカで生まれた。当初、フォークロックと呼ばれた楽曲の特徴は、北アメリカの民俗音楽、あるいは、当時のシンガーソングライターの楽曲をレパートリーとし、ハーモニーを生かした歌唱と、従来の楽器に加え、電気楽器をあまりエフェクターをかけずに用いた演奏であった。
この北アメリカでの動きに触発され、ケルト圏で様々なフォークロックの様式が見られるようになった。スコットランド、ウェールズ、コーンウォール、ブルターニュ等、各地域の民俗音楽とロックの融合が図られたのである。これは、フォーク(民俗音楽、ポピュラー音楽いずれからも)、ロック、それぞれのミュージシャンが取り組んだ。そして更には、ヨーロッパの他の地域におけるよく似た傾向の分野や活動も含めて、フォークロックと捉えられていくようになる。
但し、ブルースやアフリカ地域の音楽、ケイジャンによる音楽、また、ヨーロッパ以外の地域の民俗音楽の影響による場合は、あまりフォークロックとは呼ばれず、ワールドミュージックに分類される傾向にある。
フォークは社会性の強い歌詞に特徴があったが、表現の幅を広げ、聴衆への伝達力を増すためロックの手法を大幅に導入した。当初、聴衆の側から"音楽的堕落"、"世俗への迎合"といった反発があったことから、当時のフォークの位置づけが窺える。
結果、深い人間洞察や社会の有り様を詩的に活写した優れた作品を生み出し、社会的な視点からの製作姿勢、深みのある歌詞などは他のロックミュージシャンにも多くの影響を与えた。
フォークロックの流れ
フォークロック誕生の背景
フォークロックは、主に次の3つが背景となっている。
- 都市や大学を拠点としてフォークソングを合唱するグループ
- シンガーソングライター
- ブリティッシュ・インヴェイジョン
このうち始めの2つは、ウッディ・ガスリーとピート・シーガー、及び、1930年代の人民戦線運動から生まれた文化に強く影響を受けている。
都市を拠点としてフォークソングを歌い始めたのは、アルマナック・シンガーズであった。このグループは、1930年代後期から1940年代初期にかけて、ガスリー、シーガー、リー・ヘイズ他、メンバーを替えつつ活動した。そして1947年に、シーガーとヘイズは、ロニー・ギルバート、フレッド・ヘルマンと組み、ウィーヴァーズを結成する。ウィーヴァーズは、レッドベリーの「アイリーン」をカバーし大ヒットさせ、この分野は一般大衆の間に広がっていった。
1950年代初期の赤狩りに巻き込まれてしまったのだが、彼らの音作り、及び、民俗音楽や社会問題を題材とした楽曲は、キングストン・トリオ、チャド・ミッチェル・トリオや、あまり政治的では無かったカレッジ・フォーク・グループ(例えばブラザーズ・フォー、フォー・フレッシュメン、フォー・プレップス、ハイウェイマンのようなグループにも影響を与えた。全ての楽曲を通してみられるハーモニーとレパートリーは、フォークソング、そして、トピカルソング、社会性の強い歌)の始まりといえる。
ボブ・ディランや主にニューヨークで活動していたフォーク系のソングライター達、またスコットランドのドノヴァンは、1960年代中頃より「シンガーソングライター」と呼ばれ始めた。そして、ディラン達の作る楽曲の多くが、アメリカに留まらずイギリスにおいても、フォークロックのレパートリーとして用いられていくことになっていくのである。
しかし、ブリティッシュ・インヴェイジョンが起こらなければ、フォークとロックが交差することは無かった。ビートルズやローリング・ストーンズ、その他多くのイギリスのバンドは、ロックンロールには創造的な媒体として幅広い可能性があることを、アメリカに改めて認識させることとなった。
やがて、ディランを中心としてフォークとロックの融合が積極的に行われるようになり、1964年から65年にかけて、アニマルズの「朝日のあたる家」、バーズの「ミスター・タンブリン・マン」、ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」などのヒット曲が生まれ、フォークロックは北アメリカにおける主要な音楽ジャンルとなった。
アメリカのフォークロック
アメリカ合衆国で最もフォークロックが活動的であったのは1960年代中頃から1970年代中頃であった。これはヒッピー現象とほぼ時を同じくする。
ボブ・ディランやそれ以前のウッディ・ガスリーらのミュージシャンのフォークソング、フォーク・リヴァイヴァルにおけるボーカル・グループ、ブリティッシュ・インヴェイジョンのロック、これらの要素が融合されていき、ハンク・ウィリアムズらの古いカントリーからの影響も見られるようになった。
しかし、ブリティッシュ・インヴェイジョンが起きる前のアメリカにおいて、全くフォークロック様式が見られなかった訳ではない。例えば、ロック初期に活躍したバディ・ホリーの活動後期の作品にはフォークロック様式とみられているものがある。これらの作品は、ディランやバーズのようなミュージシャン達に強い影響を与えている。
また、エヴァリー・ブラザーズのようなカントリーに影響を受けたポピュラーなミュージシャンの作品にもフォークロック様式を見ることができる。
いずれも、発表時点で特に新たな音楽の分野と見られていたのではなかったが、ブリティッシュ・インヴェイジョンが起きた後、フォークロック様式であったことを認識されるにようになった。
また、ブリティッシュ・インヴェイジョンに応えて、60年代後半の一時期に斬新なポップ・サウンドを作ったとされるザ・ビーチ・ボーイズは、フォークロックのジャンルに含まれることは無いが、フォークロックがブームであった1966年に、1920年代の西インド諸島に伝わる民謡「スループ・ジョン・B」をカバーしヒットさせた。
イギリスのフォークロック
イギリスにもフォーク・リヴァイヴァルの動きがあり労働運動の流れから1950年代にイアン・マッコール(Ewan MacColl en)、A. L.ロイド(A. L. Lloyd en)、若手でシャーリー・コリンズ(Shirley Collins en)など、グループでアイルランドのダブリンからダブリナーズ(en)、スコットランドのザ・コリーズ(The Corries en)などが活躍し彼らはおもにパブやフォーク・クラブで演奏活動していた。
フォーク以外の出来事でイギリスジャズ界でクリス・バーパー(Chris Barber en)のバンドに在籍するロニー・ドネガンが試行したジャグ・バンド風アレンジスキッフルが大人気になり、その模倣でアマチュアバンド結成も流行し、一方同じバンドにいたシリル・デイヴィス、アレクシス・コーナーらは訪英したB.B.キングらに衝撃を受けブルースに傾倒し、コーナーは1961年ブルース・インコーポレイテッド(Blues Incorporated en)を結成する。ジャズからスキッフルとブルースへの動きはイギリス・ロックの原点として知られビートルズやブリティッシュ・インヴェイジョンとそれ以降にも影響が及んだ。この流れは大御所マッコール、ロイドが君臨する保守的なフォークにも影響し、アメリカの現代カントリー音楽やフォークを取り上げる機会とアマチュアバンド結成ブームはギターでコーラスのフォークグループに変化をもたらした。1958年結成のイアン・キャンベル・フォーク・グループ(Ian Campbell Folk Group en)は前身がスキッフルバンドでモダン・フォーク、トラディショナル・フォーク(民謡)、ジャズなどのミュージシャンが[1]参加した。アレクシス・コーナーらのブルース・ギターは60年代イアン・A・アンダーソン(Ian A. Anderson en・ジェスロ・タルのイアン・アンダーソンとは別人)、デイヴィ・グレアム、のちペンタングルを結成するバート・ヤンシュとジョン・レンボーンがソロやデュオに影響を与え同時にイギリスのフォーク・リヴァイバルに不足していたブルースとギター奏法の進歩を補完した。
1964年アニマルズの「朝日のあたる家」以降、おもにフォーク・ミュージシャンによる取り組みでは、前出のドノヴァンが1965年デビュー、1966年(イギリス発売は1967年)ドノヴァンはアルバム「サンシャイン・スーパーマン」を発表。この年からプロデュースを担当するミッキー・モストが初期サイケデリック・ロックの影響をここに持ち込みアレンジに工夫を凝らした。
1965年にはアメリカのエレクトラ・レコードがイギリス現地法人を設立する。エレクトラから開設準備を依頼され渡英したアメリカ人ジョー・ボイド(en)はアメリカのフォーク・ミュージシャン達と関係が深く、ニューポート・フォーク・フェスティバルの運営スタッフを務めた経験もあった。エレクトラはアメリカン・フォークなどを直接販売しイギリスのおもにフォーク・ミュージシャン発掘を計画したがボイドは活況を呈するロンドンの音楽事情に感激し個人事務所ウイッチシーズン・プロダクション(Witchseason Production)を立ち上げエレクトラとは一定の距離を保ち独立した。ボイドは契約したミュージシャン達のアルバム・プロデュースとレコード会社を取り次ぎ、インクレディブル・ストリング・バンドはエレクトラから、フェアポート・コンヴェンションがアイランド・レコード、ドクター・ストレンジリー・ストレンジ(en)をヴァーティゴ・レコードとエレクトラに固執することはなかった。
1966年6月にエレクトラから発売されたオムニバス・アルバム「ホワッツ・シェイキン(en)」のイギリス側プロデュースをボイドが担当した。ブルース・ロックのセッション・アルバムでアメリカはラヴィン・スプーンフルなどのバンド、イギリスはボイドの呼びかけでこのアルバムにエリック・クラプトン&ザ・パワーハウスが結成されポール・ジョーンズ(en)、スティーヴ・ウィンウッドらが参加した。
1966年12月、トテナム・コート・ロード(トテナム・コート・ロード)にボイドはジョン・ホプキンス(en)と共同でライブハウス「UFOクラブ(en)」を開店、ピンク・フロイド、ソフト・マシーンにフェアポート・コンヴェンションなどのサイケデリック・ロック・バンドが出演している。
1968年ペンタングル結成。フォークソロ歌手ジャッキー・マクシー(en)とそのギタリストバート・ヤンシュ、ジョン・レンボーンにドラムスとウッドベースのリズム担当はジャズ奏者でアコースティック楽器を電気増幅で音量を大きくした、ジャズ色のあるアレンジでトラディショナル・ブリティッシュ・フォークやオリジナルを演奏した。1962年創業でフォーク作品中心に販売していたトランスアトランティック・レコード(en)と契約、この頃はイギリスで「エレクトリック・フォーク」(Electric Folk)とも呼んでいた。
1967年デビューのフェアポート・コンヴェンションは当初アメリカのフォークロックを取り上げメンバー編成から「イギリスのジェファーソン・エアプレイン」と称された[2]。フォークソロ歌手サンディ・デニーの加入から変化しイアン・キャンベル・フォーク・グループに在籍した経歴を持つ民謡奏者のデイヴィッド・スウォーブリック(en)を加えて1969年アルバム「リージ・アンド・リーフ(Liege & Lief en)」を発表する。民謡研究家セシル・シャープが設立した英国民族舞踊民謡協会にアシュリー・ハッチングス(en)は通いトラディショナル・ブリティッシュ・フォーク(民謡)を大胆にアレンジしサイケデリック・ロックの影響を含むアルバムはディラン以降のフォークロックと異なる流れでイギリス独自のフォーク・ロックを提示した。
しかしアンプなど電気増幅で音量を上げた「エレクトリック・フォーク」と異なり、ロックの要素が強い改変に世論の否定的な反響を心配し1965年7月25日ニューポート・フォーク・フェスティバルでエレキ・ギターを持ったボブ・ディランの賛否騒動を踏まえ、事前にフォーク音楽評論家から判断を仰ぎ慎重を期したという。
1970年スティーライ・スパンは、フェアポート・コンヴェンションを脱退したアシュリー・ハッチングスがアイルランドの夫妻でのちフォーク・デュオのゲイ&テリー・ウッズ(en)と[3]とイングランド人で同じくマディ・プライア&ティム・ハートに呼びかけ5人で結成した。フェアポート・コンヴェンションのアルバム「リージ・アンド・リーフ」から歌唱やコーラスを発展させたデビュー・アルバム「ホーク!ザ・ヴィレッジ・ウエイト(en)」を発表したが直後にゲイ&テリー・ウッズが脱退、ハッチングスは伝承民謡若手大家の一人であるギター奏者マーティン・カーシー(en)[4]を加入させ「プリーズ・トゥ・シー・ザ・キング(en)」を1971年に発表。トラディショナルフォークの基本に則ってアレンジはドラムスによるロック・ビートを排除し「エレクトリック・フォーク」では使わないエフェクター導入のエレキ・ギターなどでトラディショナル・フォークを荒々しく演奏し再現した。ハッチングスが英国民族舞踊民謡協会で得た知識と継承者マーティン・カーシーの実験作で内容は「モダン・トラディショナル・フォーク」でモリス・ダンスといったフォークダンス音楽などでロックのビートは無くフォーク・ロックとは言い難いものとなった。
1972年前作の延長にあたる「テン・マン・モップ(en)」発表後ハッチングスとカーシーは脱退、スティーライ・スパンはマディ・プライアを中心にドラムス担当を加入させトラディショナル・フォークをロック寄りにしたフォーク・ロックを展開した。
1972年以降アシュリー・ハッチングスはトラディショナル・フォークのセッションアルバム「モーリス・オン」を発表し、自身のバンドでアルビオン・バンド(またはアルビオン・カントリー・バンド en)を結成しモダン・トラディショナル・フォークをさらに追求している。
マーティン・カーシーは再び伝承民謡でソロ活動の基本に戻り、平行してアシュリー・ハッチングスらのセッションやブラス・モンキーに参加し現在に至る。
また、イギリス海峡を渡ったブルトンにおいても、フォークとロックの融合が起きた。1970年代にそれはマリコルヌやアラン・スティーヴェル(en)の作品に見ることができる。
そして、インクレディブル・ストリング・バンドのようなイギリスのフォークロックにおける様々な試みは、やがて、プログレッシブ・ロックへ繋がっていく。
その他のヨーロッパ、及び、地中海沿岸の地域のフォークロック
ルーマニアにおいては、1962年に結成されたトランシルヴァニア・フェニックスは、1972年に始まった政府のロック弾圧に対する妥協策として、民族音楽のロックへの導入を試みたが、チャウシェスク政権下では追放されていた。
しかし、フォークロックは生き残り、ルーマニアのスピタルル・デ・ウルジェンツァとモルドバのズドッブ・シ・ズドッブらは、民族音楽とロックを融合した楽曲を発表している。
スペインのニュー・フラメンコ、北アフリカのポップを指向したライ等にフォークとロックの融合を見ることができる。
アイルランドでは、ポーグスとドロップキック・マーフィーズがアイルランド民謡とパンク・ロックを結び合わせた。
トルコでは1960年代、イギリスのシャドウズからロック・エレキ・ギターが伝播し1970年代から1980年代にかけてフォークロックが盛んであった。国民的歌手とされたバルシュ・マンチョ(en)、ソロフォーク歌手セルダ(en)がロックバンドを従え、ギタリストのエルシン・コライ(en)はバラライカなど民族楽器をエレキ・ギターに置き換える実験音楽からアプローチした。フォークでは国粋主義、マルクス主義陣営下のミュージシャン達は、激しい政治紛争の地において、アナトリア半島やバルカン半島、ユーラシア、黒海沿岸の多くの民族から感化を受けたのである。
ノルウェーでは、ゴーテが、ノルウェーの伝承文学のひとつであるスティーヴ(stev、即興詩)とロックの融合を演じている。
タイもトルコ同様シャドウズに影響を受けロック音楽は「シャドウ」と称した。 1970年代トップバンドの一つだったジ・インポッシブルズ[1]初期はサイモン&ガーファンク版ではないスカボロー・フェアを取り上げタイのローカル音楽モーラムやルークトゥンと欧米のポップスを取りれたアレンジで演奏している。
実験試行のフォークロック
フォークロックの広義拡大解釈で1971年イギリスのスティーライ・スパンが発表した「プリーズ・トゥ・シー・ザ・キング(en)」以前に1960年代イギリスのシャドウズ、ザ・ベンチャーズなどロック・エレキ・ギターのインストロメンタルが流行した頃ロック楽器による現地民謡の演奏が数多く残されている。
日本では1967年3月寺内タケシ「勧進帳」、1965年11月ザ・スパイダース「越天楽ゴーゴー」など。
南米ではチリ1963年結成Los Jaivasやタイ1970年頃P.M.5(Pocket Music 5)、1978年?ROYAL SPRITESのアルバム
前項目トルコのエルシン・コライ(en)も作品によってこの範囲にある。
主なミュージシャン
北米のミュージシャン
- ギリアン・ウェルチ
- マンハッタン出身、ロサンジェルス育ち。ブルーグラス、オールドタイム、ネオトラディショナル・カントリーのシンガーソングライター。
- フィル・オクス
- 1940年、テキサス州エル・パソ出身。トピカルソング・シンガー。
- アーロ・ガスリー
- ジム・クロウチ
- 1943年、ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。1973年死去。シンガーソングライター。
- レナード・コーエン
- カナダ モントリオール出身。詩人、小説家、シンガーソングライター。
- ジュディ・コリンズ
- ポール・サイモン
- 「母と子の絆」がヒット。
- アラン・スティーヴェル
- ブルトン出身。ハープ奏者。
- ボブ・ディラン
- フレッド・ニール
- ネイサン・ビショップ
- カナダ出身。ケルト音楽のシンガーソングライター。
- ジョナサ・ブルック
- ボストン出身。シンガーソングライター。
- リッチー・ヘヴンス
- ジョニ・ミッチェル :カナダ出身。
- メラニー:ウッドストックに出演。
- バフィー・セント・メリー
- いちご白書の主題歌「サークル・ゲーム」(ジョニ・ミッチェル作曲)で知られ女性フォークシンガー。
- ニール・ヤング:カナダ出身。72年の「孤独の旅路」で知られる。ジョン・レノンと並ぶカウンター・カルチャーのアイコン。
- ジェシ・コリン・ヤング;元ヤング・ブラッズ。
- ゴードン・ライトフット
- カナダのシンガーソングライター。1938年生まれ。1950年代後半に活動開始。
バンド
- インディゴ・ガールズ
- 1985年にジョージア州で結成したデュオ。
- グレイト・ビッグ・シー
- カナダのフォークロック・バンド。北アメリカにおける初期のフォークロックに良く類似している。
- グレープス・オブ・ラズ
- カナダのフォークロック・バンド。1983年結成、1992年解散。
- CSN&Y
- ケルタエ
- ケープブレトン島とニューファンドランド島の民俗音楽を融合させたケルト・フォークロック・バンド。それぞれの伝承曲の持ち味を残しつつ、ハードロックやファンク、ジャズの要素を含み、ロックの定義を広げた。
- サイモン&ガーファンクル
- スピリット・オブ・ザ・ウェスト
- カナダのバンド。北アメリカにおける初期のフォークロックに良く類似している。
- ダックス
- カナダのフォークロック・バンド。ケルト民謡をベースとし、ゴスペル、ブルーグラス、北アメリカの民謡を織り交ぜ、ラテン的なパーカッションとロックで表現。
- タートルズ
- 1965年にカリフォルニアで結成。ボブ・ディランのカバーがヒット。
- バーズ
- バッファロー・スプリングフィールド
- ザ・バンド
- ピーター・ポール&マリー
- ファゾム
- アメリカのロック・バンド。2001年にニューヨークで結成。ケルトの伝統的な楽器をロックに取り込んでいる。
- フロッギング・モリー
- 1997年にロサンゼルスで結成したパンクロック・バンド。アイルランド民謡をベースとし、フィドルやバグパイプ、マンドリン等を用いている。
- ブルース・プロジェクト
- ボー・ブラメルズ
- 1963年にサンフランシスコで結成。ビートルズやイギリスのバンドに影響を受ける。
- ママス&パパス
- ヤング・ブラッズ
- ラヴィン・スプーンフル
その他のミュージシャン
一般的にはフォークロックに分類されていないが、その傾向が見られるミュージシャンとバンド。
- グレイトフル・デッド
- 1965年にサンフランシスコで結成。フォーク、ブルーグラス、ブルース、カントリー、ジャズ等を融合させたサイケデリックロック・バンド。
- ソニー&シェール
- 1960年代後半のヒッピー風デュオ。
- ジェファーソン・エアプレイン
- 1965年にサンフランシスコで結成。活動当初はフォークロックを指向していたが、やがてサイケデリックロックへと転身した。
- ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ
- 「Child Is Father to the Man(子供は人類の父である)[2]」ブラス・ロックの代表格だがアル・クーパーの采配だった1968年この第一作目はカヴァーでティム・バックリィなどを取り上げボサノヴァアレンジなどフォークロックの延長にあった。
- モビー・グレープ
- 1966年にカリフォルニアで結成。ジャズ、カントリー、ブルース等を融合させたサイケデリックロック・バンド。
- ラヴ
- 1965年にロサンジェルスで結成。ロックンロール、ガレージロック、フォーク等を融合させたサイケデリックロック・バンド。
イギリス及びアイルランドのミュージシャン
シンガーソングライター
- ゴードン・ギルトラップ
- イギリスの著名なギタリスト。1948年生まれ。フォークロック以外にも、フォーク、ロック、ブルース等、多彩な分野で活動している。
- ドノヴァン
- リチャード・トンプソン
- フェアポート・コンヴェンションの創設メンバーの一人。フォークロックのギタリストとしても著名。
- ロイ・ハーパー
- 英国のアーティスト。
- アンディ・ホワイト
- シンガーソングライター。1962年、北アイルランドのベルファスト生まれ。1985年デビュー。
- ヴァン・モリソン
- チーフタンズとフォークロックの楽曲を共同制作している。
- ディック・ゴーハン
- 英国のフォーク、フォーク・ロックのミュージシャン。
- ユアン・マッコール
- 英国のフォーク・ロックのミュージシャン。
- エイミー・マクドナルド
- 1987年生まれ。スコットランド出身のシンガーソングライター。
バンド
- インクレディブル・ストリング・バンド
- 1965年、結成。サイケデリックなフォーク・バンドとして知られているが、フォークロック・バンドとして活動を開始した。
- ウォーターボーイズ
- 1983年に結成した、イギリスのフォークロック・バンド。
- エナジー・ オーチャード
- アイルランドのフォークロック・バンド。1980年代後半、北アイルランドのベルファストで結成。
- カパーケリー
- スコットランドのフォーク・バンド。
- ザ・コアーズ
- 1991年に結成した、アイルランドのフォークロック・バンド。
- スティーライ・スパン
- イギリスのフォークロック・バンド。1970年に結成され、2006年現在も活動中。
- シャーリー&ドリーコリンズ
- 代表作は、アンセムズインエデン。姉がドリー、妹がシャーリー。
- トリックス・アップオン・トラベラーズ
- 1984年頃結成されたイギリスのフォークロック・バンド。
- ピクト(The Picts)
- スコットランドのフォークロック・バンド。1997年結成。
- ファイブ・ハンド・リール
- フェアポート・コンヴェンション
- 1967年にイギリスで結成したフォークロック・バンド。ウェストコースト風のカバーから活動を開始したが、イギリス民謡を取り込んでいくようになった。
- プランクシティ
- 1972年に結成されたアイルランドのフォークバンド。
- ヘッジホッグ・パイ
- ブリティッシュ・トラッドをベースとしたプログレッシブ・ロック色が強いバンド。
- ペンタングル
- 1967年にイギリスで結成したフォークロック・バンド。
- ザ・ポーグス
- アイルランド人のシェイン・マガウアンを中心として1982年に結成された、イギリスのフォークロック・バンド。
- ホースリップス
- アイルランドのジグ、リール、をベースとしたケルトロック・バンド。
- マグナカルタ
- 1969年にロンドンで結成したフォークバンド。
- マリコルヌ
- 1974年に結成したフランスのフォークロック・バンド。
- ランリグ
- スコットランドのフォークロック・バンド。1973年に結成。ゲール語によるロックを演奏する。
- リンディスファーン
- イギリスのフォークロック・バンド。
- ルネッサンス
- イギリス民謡とクラシック音楽をベースとしたプログレッシブロック・バンド。1969年にイギリスで結成。
- ルビー・ブルー
- レヴェラーズ
- イギリスのフォークロック・バンド。1988年結成。イギリス民謡とパンクロックを混合。
- ワールド・パーティ
- イギリスのポップス的なロックバンド。フォークの要素も織り交ぜている。
その他のミュージシャン
- ジェスロ・タル
- イギリスのプログレッシブロック・バンド。全ての楽曲にフォークの要素がある訳ではないが、『神秘の森』(Song From The Wood、1977年)、『逞しい馬』(Heavy Horses、1978年)、『ストーム・ウォッチ~北海油田の謎』(Stormwatch、1979年)は、フォークロックの分野に属する。
- ストローブス
- 1964年にイギリスで結成したロック・バンド。ブルーグラス・バンドとして活動を開始し、一時リック・ウェイクマンが参加していたことがある。フォークロックや、プログレッシブロックなど多様な音楽性を表現し、労働党を支持した「パート・オブ・ユニオン」のヒットがある。
その他の地域
- ウェディングス・パーティーズ・エニシング
- オーストラリアのフォークロック・バンド。1985年結成、1998年解散。2005年に再結成。
- ガルマルナ
- スウェーデンのフォークロック・バンド。スンズバルで1990年結成。バンド名は北欧神話に登場する猟犬ガルムに由来(複数形)。
- グンドゥラ・クラウス
- ドイツのフォーク・バイオリスト。1992年にデビュー。ロサンゼルスでブルーグラスやケイジャン音楽を学び、アイルランドでアイルランド民謡やフォークロックを学んだ。
- ロイツマ
- フィンランドのフォークユニット。
- ローリング・ジャック
- オーストラリアのフォークロック・バンド。1985年結成、1992年解散。労働者の悲哀をアイルランド民謡を基に歌った。
- ジャガー: ジャガーさん。
参考資料
- ロック百科 vol.2 著フィル・ハーディ/デイブ・ラング 訳 三井徹 サンリオ 1981年
- ロック・エンサイクロペディア THE ENCYCLOPEDIA OF ROCK1950's-1970's 著フィル・ハーディ/デイヴ・ラング 訳 三井徹 みすず書房 ISBN 978-4-622-07344-4 C0073 2009年11月25日発行
- アローン・トゥゲザー ロックの扉を通って 著 北中正和 而立書房 ASIN B000J93QK8 1976年発行
脚注
- ^ スペンサー・デイヴィス・グループのスペンサー・デイヴィス、フェアポート・コンヴェンションのメンバーなど。
- ^ ジョー・ボイドはジョニ・ミッチェルらの版権を扱い、楽曲作者を差し置いてフェアポート・コンヴェンションが先に録音した曲がある。
- ^ テリー・ウッズはこれ以前スウィニーズ・メン(en)に参加していた。
- ^ デイヴィッド・スウォーブリックの友人で、共同名義でフォークアルバムを発表している。