ライク・ア・ローリング・ストーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ライク・ア・ローリング・ストーン
ボブ・ディランシングル
収録アルバム 追憶のハイウェイ61
B面 エデンの門
リリース アメリカ合衆国の旗 1965年7月20日
規格 7" シングル
録音 1965年6月15日16日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
コロムビア・レコーディング・スタジオA
ジャンル フォークロックロック
時間 6分9秒
レーベル コロムビア
作詞・作曲 ボブ・ディラン
プロデュース トム・ウィルソン
チャート最高順位
ボブ・ディラン シングル 年表
サブタレニアン・ホームシック・ブルース
(1965年)
ライク・ア・ローリング・ストーン
(1965年)
寂しき4番街
(1965年)
テンプレートを表示

ライク・ア・ローリング・ストーン」(: Like a Rolling Stone)は、アメリカミュージシャンボブ・ディランの楽曲。1965年7月20日シングルとしてリリースされ、アルバム『追憶のハイウェイ61』に収録された。ディラン最大のヒット・シングルとなり、60年代のロック変革期を象徴する曲とされて、彼の名声を神話的レベルにまで高めた作品である。

解説[編集]

この曲は6分という、当時のシングルとしては異例の長い演奏時間を有していた(当時は3分程度というのがシングルの常識だった)。また、「孤独嬢(Miss Lonely)」の転落を通じて、虚飾に満ちた生き方からの脱却を説く歌詞も、従来のヒットソングにはない辛辣さを持っていた。それにもかかわらず、ラジオによる放送などで評判となり、大ヒットを記録。彼にとって、『キャッシュボックス』で初めて(そして唯一の)シングルチャートNo.1となった(ビルボードでは2位)。

ディランは、『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』からエレクトリックギターとバンド演奏によるサウンドを導入していたが、この曲でマイク・ブルームフィールドブルース・ギターとアル・クーパーキーボードを加えることによって、それまでより歌詞に相応しい重量感と起伏・深度を表現できるようになった。ザ・ホークス(後のザ・バンド)を従えた1966年のワールドツアーのバージョン(『ロイヤル・アルバート・ホール(Live 1966)』収録)では、そのサウンドが更に完成されたものとなっている。

フォークソングをロックと同様の電気楽器を主体としたサウンドによって演奏する音楽形態は、フォーク・ロックと呼ばれるようになっており、すでにアニマルズの「朝日のあたる家」や、バーズによるディラン作品のカバー曲「ミスター・タンブリン・マン」などのヒット曲も現れていた。しかし、それらと比べてこの曲はフォークのトーキングソングに近いスタイルであり、それを自在な拍子でビートと融合させることによって、一層多様な言語表現を可能にした。ディブ・マーシュは「この時代からごく普通のロックバンドでもメッセージ性の強い曲を作るようになったのは、節や拍子が自由で歌詞の内容が制約されないディランの作品の影響によるもの」[1]だとし、特にこの曲については「60年代の社会革命について言われるべきすべてのことが述べられている」というほどの重要性を認めている。

だが、旧来のフォークファンの間では、アコースティック楽器による演奏を純粋なフォークとして尊重する空気が強く、ディランの変化はフォークからロックへの転向とみなされて、大きな批判の声が上がっていた。1966年のワールドツアーでは、観客の一人が「ユダ(裏切り者)!」と叫び、場内に賛同するような拍手やブーイング、更には逆にそれを諌める声などが起こった際、ディランは「お前らなんか信じない。お前らは嘘つきだ!(I don't believe you. You're a liar!)」と言い放ち、大音量でこの曲を演奏した。これは、当時のディランを取り巻いていた状況を象徴する出来事として有名である(この音源は、アルバム『ロイヤル・アルバート・ホール』『ノー・ディレクション・ホーム:ザ・サウンドトラック』に、映像の一部が映画『ノー・ディレクション・ホーム』に収録されている)。

フォークは60年代初頭から公民権運動などと結びついて多くのプロテストソングを生み出し、知的な社会批評性を持つものとして大学生を中心に愛好されていた。ロックは1950年代から十代の若者を中心に流行していたが、ラブソングを主体とする娯楽性の強いものであった。フォークファンはそうしたロックを中身のない低級な音楽とみなす傾向が強く、プロテストソングの代表的作者であり、「フォークの貴公子」と呼ばれていたディランの変化を、商業主義への身売りであるとして非難していたのである。

だが「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、かつて上流階級に属していた女性の転落を描いた部分に見られる反体制的な社会批評性と、「How does it feel?(どんな気持ちだい?)」で始まる意識変革を促すフレーズが相まって、それまでのディランが追求してきたテーマの総決算となっている。この曲の大ヒットは、同時代のロック・ミュージシャンに大きな影響を与え、ロックは単なる若者の娯楽にとどまらない、反体制的な思想性を持つ音楽となって、その文化的影響力を飛躍的に拡大させた。

現在では、ロック史上でも最も重要な曲の一つとされ、2004年に『ローリング・ストーン』が選んだ「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」では1位となった[2][3] 。そこでは「この曲以上に、商業上の法則と芸術的な慣習に根底から挑んで変革した楽曲はない」と評されている。また、2005年にイギリスの音楽雑誌『アンカット』が企画した「世界を変えた曲、映画、テレビドラマ」を選ぶ特集でも1位となった。ロックの殿堂の「ロックン・ロールの歴史500曲(500 Songs that Shaped Rock and Roll)」の1曲にも選出され[4]1998年グラミーの殿堂(Grammy Hall of Fame)入りを果たしている[5]

作詞・作曲とレコーディング[編集]

歌詞は、イギリス・ツアー終了後の帰途中、1965年6月初旬にディランが書いたある一編の散文詩が元になっている。ディランは、その創作の初期段階について、ジャーナリストのジュールズ・シーゲルズ(Jules Siegel)に以下のように語っている。

「長さは10ページもあった。それは、特別なものじゃなかった。あることに対するぼくの明確な憎しみを自分に正直に、リズムをつけて紙の上に綴っただけのものだった。最後にはそれは、憎しみではなく、ある人たちにきみたちの知らないことがあるよ、きみたちは幸運だよ、と教えるものになっていた。報復ということばの方があたっている。初めはそれを歌だとは考えなかった。だが、ある日ピアノの前にすわったとき、それが紙の上で『どんな気がするかい?(How does it feel?)』と歌いはじめた。とてもゆっくりしたペースで、とてもゆっくりで何かを追いかけているみたいだった。(1966年2月)[6][7][8]

モントリオールでのCBCラジオのインタビューでは、「ライク・ア・ローリング・ストーン」の創作が彼のキャリアの方向性を変えるものであったと説明し、それを「突破口(Breakthrough)」と呼んでいる。「20ページもの長さのある嘔吐作品を書いていた。そこから『ライク・ア・ローリング・ストーン』をつくった。そんなものを前に書いたことはなかったが、ふいにそれが自分のやるべきことだと感じたんだ[9]…。それを書いた後は、小説や戯曲を書く興味が失せた。私は多くのことを抱えすぎていたんだ、歌が書きたいのに。(1966年2月)」[10]ディランはいくつかのインタビューで、「嘔吐(Vomit)」という言葉でそれを語っている。長さについてはさまざまな発言をしたが、最終的に「20ページもあるように思えたが、実際は6ページだった」と述べている[11]。ディランはウッドストックの自宅で、この散文から4番までの歌詞とサビのコーラス部分を組み立てた。作曲はアップライト・ピアノを使いキーG#(嬰ト長調)で作られたが、後にレコーディングのスタジオでギターを使いキーC(ハ長調)に変更している。基本的なパターンは、リッチー・バレンスの「ラ・バンバ」からのものとも述べている。

レコーディングにディランは、プロのレコーディングを経験したことのないギタリストマイク・ブルームフィールドを起用した。前もって演奏する曲を覚えられるよう、ある週末にディランはブルームフィールをウッドストックの自宅に招いている。ブルームフィールドは、次のように回想している。「最初に聴いたのは『ライク・ア・ローリング・ストーン』だった。彼が求めているのはギターチョーキングを使うブルースだと私は思った。私が演奏していたのは、まさにそれだからね。でも彼はこう言うんだ、『ちょっと待ってくれ、B.B.キングみたいなのはいらない』。そうか、OK、私は本当にがっかりした。一体何を求めているんだ?私たちはこの曲をひっかき回した。私は彼が望む通りに演奏し、彼もその演奏がグルーヴィーで良いと言ったんだ」[12]

1965年6月15日と16日、トム・ウィルソンのプロデュースの下、ニューヨークのコロムビア・レコーディング・スタジオAにてレコーディングが行われた。

収録作品[編集]

ディランによるパフォーマンスが収録されている作品を記す。

シングル[編集]

  • Like A Rolling Stone (Part I) / Like A Rolling Stone (Part II)(1965年)
    ラジオ放送用コピーやフランス盤やニュージーランド盤などに、前半と後半に分割されたバージョンが存在する。

スタジオ録音版[編集]

リハーサル

  1965年6月15日のスタジオ・リハーサル。このときは3/4拍子ワルツだった。

ライブ版[編集]

ライブ映像[編集]

  • イート・ザ・ドキュメント(未公開) - 1966年のワールドツアー
  • MTVアンプラグド(1995年) - CD版と同様
  • ノー・ディレクション・ホーム(2006年) - 『イート・ザ・ドキュメント』と同映像を収録
  • ニューポート・フォーク・フェスティバル 1963〜1965(2008年) - 1965年のニューポート・フォーク・フェスティバル

カバー・バージョン[編集]

多くのミュージシャンにカバーされており、ジミ・ヘンドリックスモントレー・ポップ・フェスティバルにおけるライブ・バージョンや、ローリング・ストーンズの「ヴードゥー・ラウンジ」ツアーにおけるバージョン(『ストリップド』収録)などが有名である。他にニール・ヤングラスカルズデヴィッド・ボウイミック・ロンソンボブ・マーリーマイケル・ボルトンドクター・ジョン、タートルズ、リメインズ、バディ・グレコ、ジュディ・コリンズ、クリエイション、マイケル・ヘッジスジョン・メレンキャンプグリーン・デイ、ペトル・カランドラ(Petr Kalandra、歌詞はチェコ語)らのバージョンがある。

日本でも友部正人ザ・グルーヴァーズKUWATA BANDLOVE PSYCHEDELICOらがカバーしている。

チャート[編集]

チャート(1965年) 最高順位
カナダ RPM シングル・チャート[13] 3
オランダ Top 40[14] 9
アイルランド IRMA Irish Singles Chart[15] 9
ドイツ Media Control Charts Top 100[16] 13
全英シングル・チャート 4
全米ビルボード Hot 100[17] 2
全米キャッシュボックス 1

脚注[編集]

  1. ^ 『ローリングストーンレコードガイド』講談社(1982年3月刊)
  2. ^ The 500 Greatest Songs of All Time” (英語). ローリング・ストーン. 2009年11月26日閲覧。
  3. ^ Like a Rolling Stone” (英語). ローリング・ストーン. 2009年11月26日閲覧。
  4. ^ 500 Songs that Shaped Rock and Roll” (英語). The Rock and Roll Hall of Fame and Museum, Inc (2007年). 2009年11月26日閲覧。
  5. ^ The Recording Academy (2009年). “Grammy Hall of Fame Past Recipients” (英語). GRAMMY.com. 2009年11月26日閲覧。
  6. ^ ウィリアムズ 『瞬間の轍 1』 菅野彰子訳、p. 185。
  7. ^ Jules, Siegel (1966年7月30日). Well, What Have We Here?. Saturday Evening Post.  引用 McGregor. Bob Dylan: A Retrospective. pp. p.159. "It was ten pages long. It wasn't called anything, just a rhythm thing on paper all about my steady hatred directed at some point that was honest. In the end it wasn't hatred, it was telling someone something they didn't know, telling them they were lucky. Revenge, that's a better word. I had never thought of it as a song, until one day I was at the piano, and on the paper it was singing, 'How does it feel?' in a slow motion pace, in the utmost of slow motion." 
  8. ^ スーンズ 『ダウン・ザ・ハイウェイ』 菅野ヘッケル訳、p. 184。「あることに対してぼくが持ちつづけているすべての憎悪感をリズムことばで紙に書いた、正直な気持ちだ。歌の最後では憎悪ではなくなり、本人の気づいていないことを教え、その人たちが幸運だと告げている。復讐ということばのほうがいいだろう」
  9. ^ ウィリアムズ 『瞬間の轍 1』 菅野彰子訳、p. 182。
  10. ^ Dylan interviewed by Marvin Bronstein (1966年2月20日). CBC, Montreal. 引用 Marcus. Like A Rolling Stone: Bob Dylan at the Crossroads. pp. p. 70. "this long piece of vomit, 20 pages long, and out of it I took 'Like a Rolling Stone' and made it as a single. And I'd never written anything like that before and it suddenly came to me that was what I should do...After writing that I wasn't interested in writing a novel, or a play. I just had too much, I want to write songs." 
  11. ^ ウィリアムズ 『瞬間の轍 1』、p. 185。
  12. ^ Marcus. Like A Rolling Stone: Bob Dylan at the Crossroads. pp. p. 110. "The first thing I heard was "Like a Rolling Stone". I figured he wanted blues, string bending, because that's what I do. He said, 'Hey man, I don't want any of that B. B. King stuff'. So, OK, I really fell apart. What the heck does he want? We messed around with the song. I played the way that he dug, and he said it was groovy." 
  13. ^ Top Singles - Volume 4, No. 1, August 31 1965” (英語). RPM. RPM Music Publications Ltd (1965年8月31日). 2009年11月26日閲覧。
  14. ^ Bob Dylan - "Like a Rolling Stone" (PDF)” (オランダ語). Radio 538. 2009年11月26日閲覧。
  15. ^ Search the Charts” (英語). Irma. 2009年11月26日閲覧。
  16. ^ Chartverfolgung - Dylan, Bob” (ドイツ語). Musicline.de. 2009年11月26日閲覧。
  17. ^ allmusic ((( Bob Dylan > Awards )))” (英語). allmusic. 2009年11月26日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

  • アイデン&ティティ - 2003年公開の映画。この曲が主題歌とされ、作品自体もディランをモチーフとしている。

外部リンク[編集]