ウルティモ・ドラゴン

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ウルティモ・ドラゴン
ウルティモ・ドラゴンの画像
プロフィール
リングネーム ウルティモ・ドラゴン
浅井 嘉浩
ザ・タイガー(2代目)
タイガー・ドラゴン
本名 浅井 嘉浩
ニックネーム 究極龍
ジャパニーズ・ルチャレジェンド
校長
身長 172cm
体重 85kg
誕生日 (1966-12-12) 1966年12月12日(57歳)
出身地 愛知県名古屋市港区
所属 フリー
トレーナー 山本小鉄
グラン浜田
デビュー 1987年5月13日
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ウルティモ・ドラゴン(Ultimo Dragon、1966年12月12日 - )[1]は、日本男性プロレスラー。本名は浅井 嘉浩(あさい よしひろ)。愛知県名古屋市港区出身。特に覆面レスラーとして、日本国内だけでなくアメリカメキシコでも著名な存在。得意技の「ラ・ケブラーダ」は、アメリカマット界ではアサイ・ムーンサルトと呼ばれているが、その名は本名の「浅井」から取られている。

来歴

名古屋市立工業高等学校卒業後、新日本プロレスの入門テストを受け、体力テストはクリアするも体が小さいことを理由に不合格となるが、日本ボディービルセンターの会長のもとで手伝いをしながら会長から山本小鉄に紹介してもらい、道場で練習してもよいと許可をもらい、半年ほど道場に通い続ける。

1987年メキシコに渡り、ロス・ミッショネロス・デ・ラ・ムエルテ戦でデビュー。パートナーは畑浩和佐野直喜

1990年ユニバーサル・プロレスリング旗揚げに参加し、エースとして団体を引っ張る。1991年にオファーを受けてEMLL(現:CMLL)に進出し、覆面レスラー「ウルティモ・ドラゴン」に変身した。当時EMLLがWWF(現:WWE)と提携関係にあったことから、日本国内でもWWFと業務提携していたSWSに主戦場を移した。

SWS崩壊後はWARに入団し、ジュニアヘビー級のエースとして活躍。その後1996年よりWCWに進出、メキシコ・アメリカ・日本と国内外で活動するが、後述のプロレス学校設立とWCWでの活動を優先するため翌1997年にWARを退団。1998年夏、WCWでの試合にて負傷した左肘関節のためアメリカで受けた手術が失敗してしまい神経を損傷、レスラー生命の危機となる(現在でも後遺症で握力が小学生並しかなく、左手首を引きつける動きができない)。

1997年にメキシコ・ナウカルパン市にルチャドール養成学校「ウルティモ・ドラゴン・ジム」を設立、闘龍門の旗揚げ戦を行った。1999年兵庫県神戸市中央区に闘龍門JAPANを設立。その後、2002年に現役復帰し、WWE、新日本プロレスに参戦した。

2004年に闘龍門JAPANがDRAGON GATEとなって独立すると、個人で2度の自主興行を後楽園ホールで行い、ウルティモ・ドラゴンのキャラクターを封印すると宣言した。しかしプロモーター側からの要望などにより、封印宣言以後もメキシコではウルティモ・ドラゴンとして試合を行っている。日本国内では、2005年より2代目ザ・タイガーに変身して活動している。

2010年みちのくプロレス参戦中、突然ルード軍「九龍」の最後の一人(ボス)となり、その後はみちのくプロレスではヒール転向しルードスタイルのマスクで参戦した。(後に九龍分裂時に正規軍に戻り、マスクも以前のスタイルに戻した。)

獲得タイトル

新日本プロレス
全日本プロレス
UWA
CMLL
  • NWA世界ミドル級王座
WCW
WAR
みちのくプロレス
その他
  • 連邦区トリオ王座
  • NWA世界インターナショナル・ジュニアヘビー級王座[2]

得意技

メキシコ仕込みのルチャ殺法を数多く日本に紹介し、自身も得意とする傍ら日本式のスープレックスやカンフーをモチーフとした蹴りも多用する。

アサイDDT
相手の首を腕で捕らえ、後方に回転して落とすリバースDDT。復帰後のフィニッシュ・ホールド。
ツームストン・パイルドライバー
主に飛び技の繋ぎ技として使用。
ランニング・ジャンピング・パワーボム
対角線上に向かって走って決めるシットダウン式のジャンピング・パワーボム。獣神サンダー・ライガーのサンダー・ライガーボムとほぼ同型。
雪崩式ドラゴンシュタイナー
相手の背後から捻りを加えて極める雪崩式フランケンシュタイナー
ドラゴンスープレックスホールド
時々使用している。フルネルソンで相手を捕らえた後すぐさまタイガー・クラッチに移行する事もある。
タイガースープレックスホールド
上記のようにタイガー・マスクへの憧れからか、たまに使用する。
ラ・ブファドーラ
相手へのカウンターで使用する事が多い。
ラ・ケブラーダ
この技の第一人者であり、海外では本名を取って「アサイ・ムーンサルト」と呼ばれている。
カンクーントルネード
ドラゴン・スリーパー
一時期、決め技としても使用していた。
高角度前方回転エビ固め
マヤ式ジャーマン・スープレックス
クロスアーム・スープレックス・ホールド
ラ・マヒストラル
仕掛けが非常に早く、ライガーから秒殺フォールを奪ったこともある。カウンターで見舞うカニ挟みからの連携を見せている。
ミステリオ・ラナ
この技をヒントに上記雪崩式ドラゴンシュタイナーを編み出した。
コンビネーションキック
右ロー→左ミドル→ローリングソバットからなるコンビネーションキック。
スピニング・ヒールキック
蹴り足を捉えられた際、半捻りを加えて前方回転し、もう片方の足で胸板を蹴り飛ばして脱出する技。アメリカではフライング・ニールキックも同名で呼ばれるが別の技である。
足払い
相手の蹴り足を捉え、回転しつつ軸足を払う技。特別な名称はないが、得意とする動作。

入場テーマ曲

タイガーマスクへのこだわり

週刊ゴング』2004年9月15日号に掲載された「マスクコレクション特集」でウルティモ・ドラゴンが取り上げられた際、このキャラクターの誕生秘話を、ドラゴン=浅井自身とオファーを出したアントニオ・ペーニャ(当時のEMLL企画部長)が証言している。EMLLからのオファーは浅井をマスクマンとして使うというものであり、少年時代から初代タイガーマスク佐山聡に憧れていた浅井は、ここで夢を実現すべく「タイガーマスクになりたい」(当時2代目の三沢光晴がマスクを脱いでおり、3代目はまだいなかった)と希望を出していた。結局メキシコ人の日本人に対するイメージは虎ではなく龍であることを重視して、新キャラクターである「ウルティモ・ドラゴン」となった。しかし、その後も浅井はメキシコではドラゴン、日本(SWS)ではタイガーマスクと言うプランを考えていたが、ザ・グレート・カブキのアドバイスでドラゴン一本にしたとのこと。それから14年後、リアルジャパンプロレスのマットで念願のタイガーマスク(2代目ザ・タイガー)となっている。

脚注

  1. ^ 名前のUltimo(ウルティモ)はスペイン語で「究極」(英語のUltimateと同意語)のこと。
  2. ^ かつて全日本プロレスが管理していた『NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座』とは別王座。CMLLで管理しているのかNWAで管理しているのかは不明。

関連項目

外部リンク