ウィンブルドン選手権

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ウィンブルドン選手権
公式サイト
開催国 イギリスの旗 イギリス
マートン・ロンドン特別区ウィンブルドン
開催会場 オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ
サーフェス 芝 / 屋外(センターコートは屋内および屋外)
男子ドロー 128S (128Q) / 64D (16Q)
女子ドロー 128S (96Q) / 64D (16Q)
混合ドロー 48D
賞金総額 £26,750,000 (2015)[1]
グランドスラム大会
ウィンブルドントロフィー

ウィンブルドン選手権(ウィンブルドンせんしゅけん、英語:The Championships, Wimbledon)は、イギリスロンドンウィンブルドン (Wimbledon) で開催されるテニス四大国際大会の一つである。

概要

本大会の名称は、以前は「The Lawn Tennis Championships on Grass」であった。この名称が短縮され、現在は「The Championships」と呼ばれる[2]。日本語では便宜上「全英オープン」と呼ばれる場合もある。

毎年オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブを会場とし、6月最終月曜日から2週の日程で開催される。開催期間中の第1週と第2週の中間に位置する日曜日をミドル・サンデーと呼び、この日を休養日として設ける伝統がある。この伝統は一貫して遵守されてきたが、1991年にミドル・サンデーに試合が行われた。雨天による日程の消化不良が深刻化したためだった。1997年と2004年も同様の理由からミドル・サンデーに試合が行われた。この時期のウィンブルドンは雨が降りやすく、試合が中断される事が多い。

試合や練習の際には白いウェアを着用する事が義務付けられている事も伝統となっており、これは1884年の同選手権女子シングルス部門の初代優勝者であるモード・ワトソンイングランド)が白で揃えたウェアを着用していた事に由来する。この規定は色だけにとどまらず、全身タイツのようなウェアを着て試合を行ったアン・ホワイト英語版は翌日にはそのウェアの使用を禁止されている[3]

2015年大会賞金額は昨年より約7パーセント増額し2,675万ポンド(約48億5,000万円、約4,060万ドル)。男女シングルスの優勝者はそれぞれ188万ポンド(約3億4,000万円、285万ドル)を受けとる。1回戦で敗退した選手にも、2万9,000ポンド(約530万円、4万4,500ドル)が支払われる。[4]

2011年のウィンブルドンの賞金総額は1,460万ポンド(約26億5,000万円、2,240万ドル)だったが、この4年間で約2倍に跳ね上がったことになる。

男女ダブルスの優勝者は、34万ポンド(約6,200万円、52万ドル)がそれぞれ支払われ、ミックスダブルスの優勝者10万ポンド(約1,820万円、15万3,000ドル)が支払われる。

開催国イギリスの優勝者は1977年の女子シングルスでバージニア・ウェード以降、男子シングルスで1936年フレッド・ペリー以降現れず(2013年、アンディ・マレーが77年ぶりに制覇した)、“ウィンブルドン現象”という言葉まで生まれた。

優勝決定後の表彰式の準備の手際の良さも見どころの一つである。

屋根が設置されたセンターコート(2010年)

2009年にはセンターコートに引き込み式屋根 (retractable roof[5]) が設置され、同年6月29日、ディナラ・サフィナアメリ・モレスモの試合において初めて使用された。屋根は午後4時39分より動き始め、4時46分までには完全に閉じられた。午後5時19分、屋根が閉じた後初めてのプレーがモレスモのサーブにより開始された[6]

2015年より、それまで2週間だった全仏オープンとの間隔が、初めて3週間に引き伸ばされて開催されることとなった。

優勝者には、クラブ会長・ケント公爵エドワード王子からトロフィーが授与される。

イギリスではロイヤルアスコット開催競馬ヘンリー・ロイヤル・レガッタレガッタ)、並びにこの大会が終わる7月下旬に開催される全英オープンゴルフ選手権ゴルフ)と並ぶ社交界最大のイベント、かつイギリスの夏の最高峰のイベントとして知られている。

歴史

1897年大会
1901年大会の女子ファイナル

第一回大会は、センターコートに置いてあったローラーが老朽化したため新しくする資金集めを目的に、1877年7月9日から始まった。種目は男子シングルスのみで、21人のアマチュア選手が出場した。このときに、コートの広さや得点方法など、さまざまなルールが決められた。初チャンピオンとなったスペンサー・ゴアには25ギニーのトロフィーが贈られた[7]

1884年に女子シングルと、それまでオックスフォードで開催されていた全英男子ダブルスがウィンブルドンで開催されるようになった。1913年には、女子ダブルスとミックスダブルスが加えられ、1968年にはプロ選手の参加が認められた。[7]

過去10年のシングルス優勝者

男子 女子 備考
2006年 スイスの旗 ロジャー・フェデラー フランスの旗 アメリ・モレスモ
2007年 スイスの旗 ロジャー・フェデラー アメリカ合衆国の旗 ビーナス・ウィリアムズ フェデラーが、オープン化以後ではボルグに並ぶシングルス連続優勝回数最多タイ記録の5連覇。
2008年 スペインの旗 ラファエル・ナダル アメリカ合衆国の旗 ビーナス・ウィリアムズ 男子シングルス決勝戦としては、歴代最長の4時間48分。ナダルボルグ以来の全仏、全英の連続優勝(同一年優勝)。
2009年 スイスの旗 ロジャー・フェデラー アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ センターコートの屋根が完成。新しく2番コートが新設される。
フェデラーサンプラスの記録を抜く4大大会男子シングルス最多優勝(15回)。男子シングルス決勝のゲーム数は77で、4大大会男子シングルス決勝では最多記録。
2010年 スペインの旗 ラファエル・ナダル アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ
2011年 セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ チェコの旗 ペトラ・クビトバ
2012年 スイスの旗 ロジャー・フェデラー アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ フェデラーが、レンショーサンプラスに並ぶ男子シングルス最多優勝7回を達成。
2013年 イギリスの旗 アンディ・マレー フランスの旗 マリオン・バルトリ アンディ・マレーマリオン・バルトリ共に初優勝。男子は77年ぶり英国人優勝。
2014年 セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ チェコの旗 ペトラ・クビトバ
2015年 セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ

ノバク・ジョコビッチの同選手権の2連覇は 5連覇を達成したロジャー・フェデラー以来、8年ぶり。

記録

男子(1877年 - )

記録名 時代[8] 選手名 記録値 年代
シングルス
最多優勝回数
1968年以前 イギリスの旗 ウィリアム・レンショー 7回 1881年 - 1886年、1889年
1968年以後 アメリカ合衆国の旗 ピート・サンプラス 7回 1993年 - 1995年、1997年 - 2000年
スイスの旗 ロジャー・フェデラー 2003年 - 2007年、2009年、2012年
シングルス
最多連続優勝回数
1968年以前 イギリスの旗 ウィリアム・レンショー[9] 6回 1881年 - 1886年
1968年以後 スウェーデンの旗 ビョルン・ボルグ 5回 1976年 - 1980年
スイスの旗 ロジャー・フェデラー 2003年 - 2007年
ダブルス
最多優勝回数
1968年以前 イギリスの旗 レジナルド・ドハティー
イギリスの旗 ローレンス・ドハティー
8回 1897年 - 1901年、1903年 - 1905年
1968年以後 オーストラリアの旗 トッド・ウッドブリッジ 9回 1993年 - 1997年、2000年(いずれもマーク・ウッドフォード組)、
2002年 - 2004年(ヨナス・ビョークマン組)
ダブルス
最多連続優勝回数
1968年以前 イギリスの旗 レジナルド・ドハティー
イギリスの旗 ローレンス・ドハティー
5回 1897年 - 1901年
1968年以後 オーストラリアの旗 トッド・ウッドブリッジ
オーストラリアの旗 マーク・ウッドフォード
5回 1993年 - 1997年
混合ダブルス
最多優勝回数
1968年以前 オーストラリアの旗 ケン・フレッチャー 4回 1963年、1965年 - 1966年、1968年(マーガレット・スミス・コート組)
アメリカ合衆国の旗 ビック・セイシャス 1953年 - 1956年(ドリス・ハート組で3回、シャーリー・フライ組で1回)
1968年以後 オーストラリアの旗 オーウェン・デビッドソン 4回 1967年、1971年、1973年 - 1974年(いずれもビリー・ジーン・キング組)
最多優勝回数
(シングルス、ダブ
ルス、混合の合計)
1968年以前 イギリスの旗 ウィリアム・レンショー 14回 1880年 - 1889年(シングルス7回、ダブルス7回)
1968年以後 オーストラリアの旗 トッド・ウッドブリッジ 9回 1993年 - 2004年(ダブルス9回)

優勝回数ランキング

選手 回数
イギリスの旗 ウィリアム・レンショー 7
アメリカ合衆国の旗 ピート・サンプラス
スイスの旗 ロジャー・フェデラー
イギリスの旗 ローレンス・ドハティー 5
スウェーデンの旗 ビヨン・ボルグ

女子(1884年 - )

記録名 時代[8] 選手名 記録値 年代
シングルス
最多優勝回数
1968年以前 アメリカ合衆国の旗 ヘレン・ウィルス・ムーディ 8回 1927年 - 1930年、1932年 - 1933年、1935年、1938年
1968年以後 チェコスロバキアの旗/アメリカ合衆国の旗 マルチナ・ナブラチロワ 9回 1978年 - 1979年、1982年 - 1987年、1990年
シングルス
最多連続優勝回数
1968年以前 フランスの旗 スザンヌ・ランラン 5回 1919年 - 1923年
1968年以後 チェコスロバキアの旗/アメリカ合衆国の旗 マルチナ・ナブラチロワ 6回 1982年 - 1987年
ダブルス
最多優勝回数
1968年以前 アメリカ合衆国の旗 エリザベス・ライアン 12回 1914年(アグネス・モートン組)、1919年 - 1923年、1925年(スザンヌ・ランラン組)、1926年(メアリー・ブラウン組)、
1927年、1930年(ヘレン・ウィルス・ムーディ組)、1933年 - 1934年(シモーヌ・マチュー組)
アメリカ合衆国の旗 ビリー・ジーン・キング 10回 1961年 - 1962年(カレン・サスマン組)、1965年(マリア・ブエノ組)、
1967年 - 1968年、1970年 - 1971年、1973年(ロージー・カザルス組)、1972年(ベティ・ストーブ組)、1979年(マルチナ・ナブラチロワ組)
1968年以後 チェコスロバキアの旗/アメリカ合衆国の旗 マルチナ・ナブラチロワ 7回 1976年(クリス・エバート組)、1979年(ビリー・ジーン・キング組)、1981年 - 1984年、1986年(パム・シュライバー組)
ダブルス
最多連続優勝回数
1968年以前 フランスの旗 スザンヌ・ランラン
アメリカ合衆国の旗 エリザベス・ライアン
5回 1919年 - 1923年
1968年以後 チェコスロバキアの旗/アメリカ合衆国の旗 マルチナ・ナブラチロワ
アメリカ合衆国の旗 パム・シュライバー
4回 1981年 - 1984年
ベラルーシの旗/ソビエト連邦の旗 ナターシャ・ズベレワ 1991年(ラリサ・ネーランド)、1992年 - 1994年(ジジ・フェルナンデス
混合ダブルス
最多優勝回数
1968年以前 アメリカ合衆国の旗 エリザベス・ライアン 7回 1919年、1921年、1923年(ランドルフ・ライセット組)、1927年(フランシス・ハンター組)、
1928年(パトリック・スペンス組)、 1930年(ジャック・クロフォード組)、1932年(エンリケ・マイヤー組)
1968年以後 チェコスロバキアの旗/アメリカ合衆国の旗 マルチナ・ナブラチロワ 4回 1985年(ポール・マクナミー)、1993年(マーク・ウッドフォード)、1995年(ジョナサン・スターク)、2003年(リーンダー・パエス
最多優勝回数
(シングルス、ダブ
ルス、混合の合計)
1968年以前 アメリカ合衆国の旗 ビリー・ジーン・キング 20回 1961年 - 1979年(シングルス6回、ダブルス10回、混合4回)
アメリカ合衆国の旗 エリザベス・ライアン 19回 1914年 - 1934年(ダブルス12回、混合7回)
1968年以後 チェコスロバキアの旗/アメリカ合衆国の旗 マルチナ・ナブラチロワ 20回 1976年 - 2003年(シングルス9回、ダブルス7回、混合4回)

その他

記録名 選手名 記録値 年代
最多試合数(男子) フランスの旗 ジャン・ボロトラ 223戦 1922年 – 1939年、1948年 – 1964年
最多試合数(女子) チェコスロバキアの旗/アメリカ合衆国の旗 マルチナ・ナブラチロワ 326戦
シングルス最多準優勝回数
(男子・女子)
イギリスの旗 ブランチ・ビングリー 7回 1885年、1887年 - 1888年、1891年 - 1893年、1901年
アメリカ合衆国の旗クリス・エバート 1973年、1978年 - 1980年、1982年、1984年 - 1985年
優勝者の最低世界ランキング
(男子)
クロアチアの旗 ゴラン・イワニセビッチ 125位 2001年
ワイルドカード(主催者推薦)
の優勝者(男子・女子)
クロアチアの旗 ゴラン・イワニセビッチ 2001年
優勝者の最低世界ランキング(女子) アメリカ合衆国の旗 ビーナス・ウィリアムズ 31位
(第23シード)
2007年
最年少優勝者(男子) ドイツの旗 ボリス・ベッカー 17歳 1985年
最年少優勝者(女子シングルス) イギリスの旗 ロッティ・ドッド 15歳 1887年
最年少優勝者(女子ダブルス) スイスの旗 マルチナ・ヒンギス 15歳 1996年
最長試合時間決勝戦(男子) アメリカ合衆国の旗 ジョン・マッケンロー
ドイツの旗 ミヒャエル・シュティヒ

アメリカ合衆国の旗 ジム・グラブ
アメリカ合衆国の旗 リッチー・レネバーグ
5時間1分 1992年、男子ダブルス
最長試合時間(男子) アメリカ合衆国の旗 ジョン・イスナー

フランスの旗 ニコラ・マユ
11時間5分 2010年、男子シングルス
―最終第5セットがゲームカウント59-59で2日目の日没サスペンデッド(中断)となった。第5セットは最終的に70-68となりイスナーが勝利した。
最多ゲーム数決勝戦(男子) アメリカ合衆国の旗 ジョン・マッケンロー
ドイツの旗 ミヒャエル・シュティヒ

アメリカ合衆国の旗 ジム・グラブ
アメリカ合衆国の旗 リッチー・レネバーグ
83ゲーム 1992年、男子ダブルス
最多ゲーム数(男子) アメリカ合衆国の旗 ジョン・イスナー

フランスの旗 ニコラ・マユ
183ゲーム 2010年、男子シングルス
最長試合時間決勝戦(女子) アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート

アメリカ合衆国の旗 ビーナス・ウィリアムズ
2時間45分 2005年、女子シングルス

テレビ放送

BBC1937年からウィンブルドン選手権の放送を担当しており、2005年の実績では全チャンネルで約900時間を放送した。また、決勝戦は必ず試合終了まで生中継しなければならない。

日本ではシングルスはテレビ朝日(~1986年。当時の放送時間は準決勝までは深夜枠にて、女子のシングルス決勝は土曜日のニュース最終版終了後の深夜枠にて衛星中継、男子シングルス決勝は「日曜洋画劇場」を休止して衛星生中継で放送していた。途中ニュース最終版などの挿入による中断あり)→NHK(1987年以降~)、ダブルスはGAORAで長年放送されていた。シングルスはNHKデジタル衛星ハイビジョンで全日程生中継され2003年まではNHK衛星第1テレビ(年によっては衛星第2テレビ)でも大半の試合を生中継していたが、年々NHKがウィンブルドン放送を担当する時間は大幅に減少していき2008年からはNHKに替わってWOWOWがウインブルドンの衛星放送権を獲得している。

NHKは地上波総合テレビのみでの放送となり、毎日24時台~4時15分の日付起点時間までの終夜体制で録画中継を行っている。生中継は一旦廃止されたものの2012年から男子シングルス決勝と女子シングルス決勝の生中継が復活した。また大会終了から1週間後に衛星第1でシングルスの決勝戦を2時間程度にまとめた録画版を放送している(2009年の男子は試合が長引いたので3時間程度のものになった)。2010年は他のスポーツ中継参議院議員通常選挙の時期[10]と重なり、教育テレビ(現Eテレ)で放送を行っている。また2014年も2014 FIFAワールドカップの試合時間がウィンブルドン選手権と重複するため、一部開催日でEテレに振り替えて放送する。2015年は通常の中継の他、インターネットでも配信を行う[11]

優勝賞金(男女シングルス)

金額
男子 女子
1989年 19万0000ポンド 17万1000ポンド
1990年 23万0000ポンド 20万7000ポンド
1991年 24万0000ポンド 21万6000ポンド
1992年 26万5000ポンド 24万0000ポンド
1993年 30万5000ポンド 27万5000ポンド
1994年 34万5000ポンド 31万0000ポンド
1995年 36万5000ポンド 32万8000ポンド
1996年 39万2500ポンド 35万3000ポンド
1997年 41万5000ポンド 37万3500ポンド
1998年 43万5000ポンド 39万1500ポンド
1999年 45万5000ポンド 40万9500ポンド
2000年 47万7500ポンド 43万0000ポンド
2001年 50万0000ポンド 46万2500ポンド
2002年 52万5000ポンド 48万6000ポンド
2003年 57万5000ポンド 53万5000ポンド
2004年 60万2500ポンド 56万0500ポンド
2005年 63万0000ポンド 60万0000ポンド
2006年 65万5000ポンド 62万5000ポンド
2007年 70万0000ポンド
2008年 75万0000ポンド
2009年 85万0000ポンド
2010年 100万0000ポンド
2011年 110万0000ポンド
2012年 115万0000ポンド
2013年 160万0000ポンド
2014年 176万0000ポンド
2015年 188万0000ポンド

脚注

  1. ^ ウィンブルドン選手権公式ウェブページ 「Prize Money and Finance」 2015年8月9日閲覧。
  2. ^ Barry Lorge「At its roots, Wimbledon is about the grass」『ESPN TENNIS』 ESPN Internet Ventures、2011年11月11日閲覧。
  3. ^ 但し、同じ会場を舞台に2012年に行われるロンドンオリンピックの期間だけは特殊例として、各国のナショナルチーム、あるいは国旗の色のテニスウェアの着用、並びにスタンド最前列のフェンスのカラー化(通常は緑色だが、この大会期間中は大会シンボルカラーの紫色桃色をあしらった横断幕を使用)が認められた。テニスナビ「錦織圭などのオリンピック・テニス1回戦は29日(日)から」(2012年7月28日・同30日閲覧)
  4. ^ http://news.tennis365.net/news/today/201504/104299.html
  5. ^ 「LONG TERM PLAN」『Wimbledon』 AELTC、2011年11月11日閲覧。
  6. ^ Alix Ramsay「THE ROOF IS CLOSED」『Wimbledon』 AELTC、2011年11月11日閲覧。
  7. ^ a b Wimbledon tournament begins 
  8. ^ a b 1968年にオープン化制度が創設されてプロ選手の出場が解禁されたため、多くの記録はこの年の前後で分けられる。
  9. ^ レンショーの時代にはディフェンディング・チャンピオンは予選に参加せず、決勝戦のみ出場した。この規定は、1922年に廃止された。
  10. ^ 政見放送の開催などによる
  11. ^ 錦織のウィンブルドン、全生中継検討 デイリースポーツ 2015年6月17日

関連項目

外部リンク