アグネスタキオン

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アグネスタキオン
ラジオたんぱ杯3歳ステークス出走時
(2000年12月23日)
欧字表記 Agnes Tachyon
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1998年4月13日
死没 2009年6月22日(11歳没)
登録日 2000年6月22日
抹消日 2001年9月30日
サンデーサイレンス
アグネスフローラ
母の父 ロイヤルスキー
生国 日本の旗 日本北海道千歳市
生産者 社台ファーム
馬主 渡辺孝男
調教師 長浜博之栗東
厩務員 大川鉄雄
競走成績
生涯成績 4戦4勝
獲得賞金 2億2208万2000円
勝ち鞍 GI皐月賞(2001年)
GII弥生賞(2001年)
GIIIラジオたんぱ杯3歳ステークス(2000年)
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アグネスタキオンとは日本競走馬である。名の由来は冠名+「超光速粒子」の意味を持つ「タキオン」 (Tachyon) 。主な勝ち鞍は2001年の皐月賞種牡馬としても成功し、内国産馬としてはクモハタ以来51年ぶりとなる中央競馬リーディングサイアーを獲得している。

全兄は2000年東京優駿(日本ダービー)優勝馬のアグネスフライト。母・アグネスフローラ桜花賞優勝馬で優駿牝馬2着。祖母・アグネスレディー優駿牝馬(オークス)優勝馬。母、祖母、兄は同じ河内洋騎乗でGIを制している。

※現役中に馬齢の表記が変更されたため、競走名以外は現表記を用いる。

戦績

2000年

兄のアグネスフライトがダービーを制した同時期、1歳下の弟が千歳の社台ファームで評判になっており社台ファームの長浜卓也に「兄以上の逸材かもしれない」と言われていた[1]が、デビューは比較的遅く、2000年12月の阪神芝2000m新馬戦となった。アグネスフライトの全弟ということで注目を浴びたものの、調教タイムが目立つ数字ではなかったため3番人気にとどまった。しかしレースでは、新馬にも関わらず上がり3ハロン33秒台を記録し、2着リブロードキャスト[注釈 1]に3馬身半差で圧勝。3着にメイショウラムセス[注釈 2]、5着に1番人気のボーンキング[注釈 3]、9着にアドマイヤセレクト[注釈 4]と有力馬、良血馬の集まったレースだった。

続くラジオたんぱ杯3歳ステークスはさらに相手が強化されたが、2歳2000mのレコードタイムで圧勝。2馬身半差の2着はジャングルポケット、3着はクロフネとのちのGI優勝馬が1着、2着、3着を占めるハイレベルな一戦であった。スローペースを察し、3コーナーで早くもまくりはじめ、4コーナーでは先頭に並ぶといういわゆる早仕掛けと言われる戦法を取ったにもかかわらず、出走馬の中で最速となる上がり3ハロン34秒1を記録するという勝ち方であった。レース後に鞍上の河内は、「次元の違う馬だと確信した」と話し、「クロフネ・ジャングル2頭を相手にうちの馬がどんな競馬ができるか?」とレース前には期待と不安混じりだった管理調教師の長浜は「兄と比べ競馬内容がいい」とアグネスタキオンの走りを高く評価[2]朝日杯3歳ステークス優勝馬が選出されることが通例の最優秀3歳牡馬の選考(記者投票)では、朝日杯優勝馬・メジロベイリーの147票に対しアグネスタキオンは異例といえる119票の支持を集めている。

2001年

僚馬であるアグネスゴールドとの兼ね合いから陣営は、翌2001年の年明け初戦に弥生賞を選択。「前から公言しているように三冠を取れる可能性のある馬」と長浜に評された[3]アグネスタキオンの出走を受け、他陣営は次々と回避を表明[3]、8頭立てという少頭数で行われたこのレースでも強さを発揮。不良馬場の中、手前[注釈 5]を変えることなく2着のボーンキングに5馬身差をつけ勝利、また4着には後の菊花賞馬であるマンハッタンカフェもいた。この日のレースを振り返り「良馬場ならもっと強い競馬をお見せできたと思う」「今日は少頭数だから参考にはならない」[3]と強気なコメントを残した河内に対し、ボーンキングに騎乗した武豊は「強すぎるね、クラシックもハンデ戦にしないとね」と冗談交じりにコメントしている[3]

前走にて課題であった「前に付ける競馬」[4]をクリア、またアグネスタキオンと並び有力視されていたアグネスゴールドの故障離脱により皐月賞にて圧倒的1番人気を集めた同馬は歴代2位(当時)となる59.4%の単勝支持率を受け出走[5]。好位4、5番手から[6]難なく押し切るレースで優勝。この勝利に河内は「単勝1.3倍。お兄さん(アグネスフライト)とは立場が違っただけに(勝てて)ホッとした」と心境を述べている[7]

これで4戦全勝、しかもいずれも危なげのない内容での勝利であったことから三冠達成が期待されたが、5月2日に左前浅屈腱炎を発症し、日本ダービー出走を断念。「嬉しいが(骨折した)アグネスゴールドのようにならないかが気になる[7]」と皐月賞優勝の傍ら、今後を憂う長浜の不安は現実のものとなってしまった。

その後社台ファームに放牧され、関係者協議の上で引退が決定。8月29日に引退発表がなされた。9月30日には阪神競馬場で引退式が行われた。屈腱炎を発症した左脚は不安を抱えていた右脚をかばって発症したという意見もあり[1]、特に極悪の不良馬場で行われた弥生賞に原因があるという意見[1]もある。

成績

同馬が下した同世代のジャングルポケットクロフネマンハッタンカフェダンツフレームらが後に活躍を見せたため各紙では最強世代との呼称で呼ばれ、その世代で突出していた同馬の評価は引退後も高まっていき「幻の三冠馬」と呼ばれることもある。ジャングルポケットが勝った東京優駿のテレビ中継では、ある解説者から「ジャングルポケットがゴールした瞬間に、2馬身先にアグネスタキオンが走っている姿が見えた」との発言も出ている[1]。また完勝に見えた皐月賞であるが、鞍上の河内は「この馬本来の走りではない」とコメントしている[7]

競走成績

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量
[kg]
距離(馬場) タイム
上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
2000. 12. 2 阪神 3歳新馬 10 4 4 5.8(3人) 1着 河内洋 54 芝2000m(良) 2:04.3(33.8) -0.6 (リブロードキャスト)
12. 23 阪神 ラジオたんぱ杯3歳S GIII 12 2 2 4.5(2人) 1着 河内洋 54 芝2000m(良) R2:00.8(34.1) -0.4 ジャングルポケット
2001. 3. 4 中山 弥生賞 GII 8 1 1 1.2(1人) 1着 河内洋 55 芝2000m(不) 2:05.7(38.2) -0.8 (ボーンキング)
4. 15 中山 皐月賞 GI 18 4 7 1.3(1人) 1着 河内洋 57 芝2000m(良) 2:00.3(35.5) -0.2 ダンツフレーム

※タイム欄のRはレコード勝ちを示す

引退後

2008年10月15日、社台スタリオンステーションでの様子

引退後は社台スタリオンステーション種牡馬となった。初年度産駒のデビューした2005年に中央競馬の夏のローカル開催で複数の産駒が次々と勝利を飾り、最終週には東の新潟2歳ステークスショウナンタキオンが優勝、西の小倉2歳ステークスでもトーホウアモーレが3着という活躍を見せた。中央開催に移ってからも産駒は優秀な走りを見せ、初年度産駒は中央競馬の2歳戦で合計27勝をあげた。最終的にJRAリーディングフレッシュサイアーに輝き、JRA2歳リーディングでも総合2位(地方競馬も含めたランキングでは3位)となった。このような活躍を背景に、2006年の種付け料は前年の500万円から1200万円になった[注釈 6]。2006年には二世代の産駒で中央競馬において91勝を挙げ初年度産駒のロジックがNHKマイルカップを制し、これが産駒のGI初勝利となった。

ファーストクロップから順調に活躍馬を輩出しておりサンデーサイレンス亡き後のエース格として扱われ2008年にJRA総合リーディングサイアーを獲得。内国産種牡馬としては1957年クモハタ以来51年ぶりとなる快挙を達成した(地方競馬も含む日本総合リーディングでは1980年1981年アローエクスプレスが1位になっている)。

リーディングサイアーを獲得した翌年2009年も順当に種付けをこなしていたがシーズン終盤の6月22日、繋養先の社台スタリオンステーションで死亡した[8]。死因は急性心不全[8]だった。2010年度の産駒がラストクロップとなる。

2010年4月18日に中山競馬場第12競走として施行したJRAプレミアムレース「中山スプリングプレミアム」において、当馬が最多得票を獲得したことから「アグネスタキオンメモリアル」の副名称を付与して施行された。

産駒の傾向

いわゆる「ハズレ」が少なく、勝ち上がり率や掲示板確保率が高い。距離適性については中距離を得意とする産駒が多いが比較的融通が利く部類に入り、マイル戦やクラシックディスタンスにも適応する柔軟性を持つ産駒も出ている。馬場適性については芝の軽い良馬場を得意とし、開催終盤の荒れた芝や重馬場など力がいる馬場はあまり得意ではない。ダート路線へ転向する馬もいるが、現在のところダートでは目立った活躍馬は出ておらず、活躍馬は芝路線に偏っている。活躍時期については2歳の早い時期から活躍できる仕上がりの早さを備えており、特に3歳春~夏のクラシック競走において抜群の適性を見せる。反面、4歳時以降に活躍する産駒は極端に少なくなっており、成長力に欠ける一面がある。

体質

故障で早期に引退した父同様、体質や脚部の弱さに悩まされる産駒も多く、使い減りする傾向が見られる。条件クラスの馬だけでなく、重賞級の産駒も例外ではない。ロジック、アグネスアーク、ダイワスカーレット、アドマイヤオーラ、キャプテントゥーレ、ディープスカイ、リディル、サンライズプリンス、コパノジングー、レーヴディソール、レッドデイヴィス、グランデッツァなどは故障し、長期間戦線を離脱したり引退に追い込まれたりしている。最悪の場合、ショウナンタキオン、ザタイキなどのように予後不良に陥ることがある。

早熟説

2005年は史上最多タイとなる25頭もの勝ち上がりを記録したにも関わらず2勝馬は僅か2頭に留まり、途中まで首位に立っていた2歳種牡馬ランキングも最後には父・サンデーサイレンスに抜かれてしまった。更に翌年にはロジック、ショウナンタキオンという重賞を制覇した代表産駒までもが不振に陥った。このことから現役だった2歳暮れ~3歳春に無類の強さを誇ったアグネスタキオン自身の成績やアグネスタキオンの母の父が早熟で知られるロイヤルスキーである事が注目され、「タキオン産駒早熟説」が語られるようになった。

この「早熟説」に対しては、「体質が弱いため、仕上がりが早いからと言って早い時期に強い調教を施したり強気に使ったりすると消耗してしまう」とする反論もある。実際には印象論と反して、いわゆる「早枯れタイプ」ではなく3歳秋以降に下級条件で勝ち星を重ねる産駒も多い。またデビューの遅れたアグネスアークが古馬になって天皇賞(秋)で2着し、ダイワスカーレットが3歳秋にG1級競走を連勝し4歳末の有馬記念を1番人気で快勝している。さらに変則二冠を達成したディープスカイは勝ちあがるまで6戦を要したほどで、2歳時には全く能力を出し切っていなかった。種牡馬としての供用年数が長くはないため産駒の傾向を判断できるかどうかは場合にもよるが、このような成長力のある有力産駒も現れており早熟説に対する認識は和らいでいる。

種牡馬成績

年度別成績(中央+地方)

出走 勝利 順位 AEI 収得賞金
頭数 回数 頭数 回数
2005年 68 168 25 29 64 1.34 3億4401万6000円
2006年 189 841 81 117 12 1.73 12億9345万5000円
2007年 268 1366 135 210 2 2.60 27億9755万7000円
2008年 322 1643 140 252 1 2.68 34億7338万8000円
2009年 330 1722 128 232 2 1.84 24億5013万5000円
2010年 303 1599 131 222 6 1.85 22億5114万2000円
2011年 348 1725 126 201 10 1.59 21億7279万6000円
2012年 356 1804 136 202 8 1.32 18億1965万7000円
2013年 271 1744 113 175 12 1.57 16億6269万9000円

種牡馬としての記録

  • JRA総合リーディングサイアー(2008年)
  • JRA2歳リーディングサイアー(2006年、2007年)
  • JRAリーディングフレッシュサイアー(2005年)
  • JRA産駒年間勝利数134勝(2007年最多勝、内国産種牡馬新記録)
  • JRA2歳勝ち馬数25頭(2005年、父の20頭を上回る新種牡馬記録[注釈 7]

GI級競走優勝馬

太字はGI級競走

ロジック
ロジック
ダイワスカーレット
ダイワスカーレット
ディープスカイ
ディープスカイ
キャプテントゥーレ
キャプテントゥーレ
リトルアマポーラ
リトルアマポーラ
レーヴディソール
レーヴディソール

グレード制重賞優勝馬

地方重賞優勝馬

血統表

アグネスタキオン血統サンデーサイレンス系/アウトブリード (血統表の出典)

*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ
父の父
Halo 1969
黒鹿毛 アメリカ
Hail to Reason 1958 Turn-to
Nothirdchance
Cosmah 1953 Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Wishing Well 1975
鹿毛 アメリカ
Understanding 1963 Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower 1964 Montparnasse
Edelweiss

アグネスフローラ 1987
鹿毛 日本
*ロイヤルスキー
Royal Ski 1974
栗毛 アメリカ
Raja Baba 1968 Bold Ruler
Missy Baba
Coz o'Nijinsky 1969 Involvement
Gleam
母の母
アグネスレディー 1976
鹿毛 日本
*リマンド
Remand 1963
Alcide
Admonish
イコマエイカン 1967 Sallymount
*ヘザーランズ F-No.1-l


関連項目

脚注

  1. ^ a b c d Yahoo!スポーツ 最強ヒストリー
  2. ^ 2000年12月24日日刊スポーツ
  3. ^ a b c d 2001年3月5日日刊スポーツ
  4. ^ 小回りコースの中山では後方一気は難しいと陣営が判断していた
  5. ^ 1位は1951年トキノミノル(支持率73.3% 単勝110円)
  6. ^ 「2000mの小回りだから安全策を取ってしまった」と河内はレース後述べている
  7. ^ a b c 2001年4月16日日刊スポーツ
  8. ^ a b アグネスタキオンが急死”. netkeiba.com. 2009年6月23日閲覧。

注釈

  1. ^ ブライアンズタイムと地方の名牝ロジータの仔。中央では勝ち星を挙げられなかった。
  2. ^ 後に富士ステークス優勝。
  3. ^ フサイチコンコルドの半弟で、京成杯優勝馬。
  4. ^ 第1回セレクトセール最高価格の1億9000万円で落札された。中央では2勝しかあげられず、地方に転出した。
  5. ^ ギャロップで走っている馬は旋回を容易にするため、また片方の足のみに疲労が蓄積するのを避けるために手前を自発的、または騎手の合図により変える。
  6. ^ この額は2006年の日本競馬最高の種付け料である。
  7. ^ この記録は2010年、ディープインパクトに破られた。

外部リンク