新郷村

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しんごうむら
新郷村
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 青森県
三戸郡
団体コード 02450-3
面積 150.85 km²
総人口 2,574
推計人口、2014年8月1日)
人口密度 17.1人/km²
隣接自治体 十和田市鹿角市
三戸郡南部町三戸町五戸町
村の木 トチ
村の花 ミズバショウ
村の鳥 なし
新郷村役場
所在地 039-0801
青森県三戸郡新郷村大字戸来字風呂前10
北緯40度27分56.7秒東経141度10分24.3秒
2009年(平成21年)3月撮影
外部リンク 新郷村ホームページ

新郷村位置図

― 市 / ― 町・村

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三ッ岳

新郷村(しんごうむら)は、青森県十和田湖の東側に位置し、西は秋田県との境に位置する青森県南地方の唯一の孤高の

  •  細川村政の時期に平成の市町村合併が大きな動きを見せた。しかし五戸地方合併協議会を勝手に離脱し、八戸地域合併協議会に加入、そして議員報酬等の以降の我儘等で、周辺町村から毛嫌いされ、合併できなかった経緯がある。村の民度を示す一連の経緯であるといわれている。
  •  上十三地域の屈指の難関校・進学校で知られる青森県立三本木農業高校OBが村議会議員・職員の主流を占めており、十和田地域広域事務組合、十和田地区事務組合の加入等、十和田地域との連携が非常に強い。
  •  十和田湖外輪山の一つである戸来岳(大駒ヶ岳、三ッ岳)に面し、山や森林等の資源に豊富に恵まれている。

キリストの墓伝説等、ユダヤにまつわると言われる伝承、遺跡も多く、神秘の村としても知られる。

地理[編集]

青森県の南部、十和田湖の東側に位置する。秋田県との境を接する。

歴史[編集]

南部氏の軍馬育成地として古くより軍馬放牧地として利用されてきた。南部藩時代には、戸来地区に戸来氏が、西越地区に西越氏が治めていた。江戸後期、明治時代に入ると酪農が盛んとなった。

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、近世以来の戸来村が単独で地方自治体として発足。西越村・手倉橋村と合併して野沢村が発足。
  • 1955年昭和30年)7月29日 - 戸来村、野沢村の一部(西越)の合併により新郷村が発足。昭和32年第2回定例議会において、この日が合併記念日と制定される。
  • 1956年昭和31年)4月1日 - 五戸町の一部(手倉橋の一部)を編入。
  • 1965年(昭和40年) - 八戸から五戸経由の十和田湖線のバスが開通。
  • 1974年(昭和49年) - 十和田湖に隣接する迷ケ平高原が自然休養林に指定されたことで、十和田湖東口の秘境コースとして注目されるようになる。

平成の合併協議以降の経緯[編集]

  • 2000年平成12年)1月31日 - 五戸地方振興会合併研究会(五戸町、倉石村、新郷村)が設置。
  • 2000年平成12年)12月28日 - 五戸地方の合併を主題に新郷村職員全員研究会が開催される。
  • 2001年平成13年)2月21日 - 五戸地方振興会合併研究会が五戸町役場で最終会合を開催。「まずは三町村の組み合わせによる合併の検討を優先。任意の協議会を設置すべきだ」との報告案を承認した。しかし任意協設置については、五戸町長から慎重意見が出され、正式決定を持ち越した。この時の三浦町長の慎重意見は後に高く評価され、町長の評価をさらに高めた。
  • 2001年平成13年)6月1日 - 五戸地方合併協議会(五戸町、倉石村、新郷村)設立。
  • 2002年平成14年)6月27日 - 五戸地方合併協議会第7回会議において、細川潤八郎新郷村長が「設立当初と財政事情が変化してきた」とし三町村合併の問題点を指摘した。しかし、後ににこの発言を撤回するような行動を取り、村民からは疑問視された。[1]
  • 2002年平成14年)7月22日 - 五戸地方合併協議会最終となる第8回会議が開催。三町村の合併を想定した将来構想を承認した。しかし八戸市との大同合併を唱えた細川潤八郎新郷村長は「この協議会で八戸論も検討し、三町村が共通認識に立つべきだ」と述べる[2]
  • 2002年平成14年)10月7日 - 村議会が全員協議会を開き、八戸地域と合併を進める方向で意見集約した。しかし、後日、意見は実を結ばなかった。新郷村だけが独り歩きしているような印象を他町村および村民に植え付ける象徴的な事象となった。
  • 2002年平成14年)10月9日 - 細川潤八郎村長は八戸市庁に喜んで市長を訪れ、同市など七市町村でつくる合併協議会への参加を申し入れた。これにより八戸地域での合併を目指すことになる。ほとんどの村民は戸惑いを感じながら、細川村長の動向を注目する。
  • 2002年平成14年)10月31日 - 五戸地方合併協議会が解散。新郷村は八戸市との合併を目指す。この時点で村民は村執行部へ不信感を抱き始める。一方、五戸町と倉石村は合併協議を継続した(H16.7.1に合併し、新「五戸町」が誕生)。
  • 2003年平成15年)3月4日 - 3月定例議会において細川村長は「合併までには時間がない。議員報酬は村も市も同額なのが当然。山積する行政課題は残ってこれらに真摯に対応し村民のため尽くしたい」と続投への強い意欲を示した。しかし「議員報酬は村も市も同額なのが当然」周辺町村の疑義をさらに深める。村民は議員報酬にこだわる細川村長、村議会議員に距離を置くようになる。
  • 2003年平成15年)4月1日 - 八戸市、田子町、名川町、南部町、階上町、福地村、南郷村及び新郷村の8市町村による「八戸地域合併協議会」 に参加する。
  • 2004年平成16年)5月20日 - 八戸地域合併協議会の階上町が離脱する見込みに伴い、村議会は「協議会の解散はやむを得ない」との意見をまとめる。一方で細川村長は「階上町が離脱しても新体制で再スタートすることを願う」と合併継続を涙ながらに主張した。村民の多くは合併協議会破たんの予兆を感じ始める。[3]
  • 2004年平成16年)6月30日 - 階上町が「八戸地域合併協議会」を離脱。さらに一部の村議員と市議会議員との議員報酬格差問題で八戸市議会が混乱。かつ田子町・新郷村の簡易水道改修による多額の支出金問題などにより、八戸市が新たな合併の枠組み再編を目指すべきとして八戸市側が一方的に協議会の存続を拒否、合併協議会は意見不統一による解散を余儀なくされる。これにより八戸への反発が各町村に広がる。[4][5][6]
  • 2004年平成16年)7月19日 - 村議会議員選挙が行われた。当時の議員定数14名に対し立候補届出も同じく14名となった為、全員無投票当選。無投票ということもあり、合併問題についての論議はなかったと言われている。
  • 2004年平成16年)8月6日 - 八戸市が八戸地域の合併について、福地村、南部町、名川町、南郷村の4町村との合併を正式決定。水道改修の必要な田子町と新郷村が外れる形となった。合併反対派の一部住民は細川村長のこれまでの選択、行動を高く評価する。
  • 2004年平成16年)11月16日 - 細川新郷村村長は五戸地方の合併協議離脱を陳謝した上で五戸町長に町村合併協議の開始を改めて申し入れた[7]。村長と町長が直接合併問題を協議するのは、およそ2年ぶり。五戸町長は倉石村との合併直後で余裕がなく議会との相談必要として回答を留保した。結局11月25日に五戸町議会全員協が新郷村長からの要請を拒否している。
  • 2005年平成17年)4月5日 - 合併問題の迷走を憂慮した住民団体が村選挙管理委員会に提出した細川村長解職請求(リコール)の有効署名数が、本請求に必要な有権者の1/3を90人上回る1064人分と確定された[8]。この請求に対して細川村長はようやく自ら辞職した。選挙が行われることとなり、村長職に固辞していた同氏が辞職するとの報道に、有識者からは、配偶者および長男を含む身内を次回の村会議員選挙に擁立させる見通しが見られた。結局、県内有名進学校OBの長男が出馬は見送られ、細川村長支持者は次の村長選挙に期待を寄せた。。
  • 2005年平成17年)5月29日 - 前村長、前助役を含む3人が立候補し、村長選が行われた。解職請求による村長選挙は村政史上初。結果は新人で前助役の須藤良美氏が五戸町との合併実現を公約に掲げて1208票を獲得し、初当選を果たした。
  • 2005年平成17年)10月30日 - 任期満了に伴う八戸市長選が行われ、これまで八戸広域合併を主張していた現職市長が敗れた。この結果により、八戸広域合併は新たなスタートを切ることになり、これまでの枠組みはなくなった。
  • 2006年平成18年)1月1日 - 三戸郡の南部町(なんぶまち)と名川町、福地村が新設合併し南部町(なんぶちょう)となった。八戸広域合併が崩れた中、特例法前に円満合併した象徴的な自治体となった。
  • 2006年平成18年)7月27日 - 村議会が五戸町に合併協議を申し入れるべきだとの意見集約。
  • 2006年平成18年)11月20日新郷村が五戸町に対して行った合併協議要請に関し、五戸町は「機運の醸成次第」として村に要請を断る回答をした。旧倉石村議を中心とした町議会の合併反対論はかなり根強く、町幹部は、村側の見通しの甘さを指摘した。[9]
  • 2007年平成19年)3月28日 - 村の住民団体が新郷温泉施設購入問題に際して背任容疑の告発を不起訴処分とされたのを不服として八戸検察審査会に審査を申し立てたことについて、同審査会は「処分は相当」とする決定。同会は「残念な結果。数日中に村と村議会に住民懇談会の開催を要請したい」とコメント。
  • 2008年平成20年)2月11日 - 「新郷村商工会設立48周年・五戸町商工会合併契約記念祝賀会」が山村開発センターで行われた。
  • 2008年平成20年)4月1日 - 新郷村商工会が五戸町商工会に編入。新五戸町商工会誕生。自治体合併を越えての合併は稀との報道。
  • 2008年平成20年)5月8日 - 戸来地区を皮切りに合併説明会を開催する。4地区を終えた理事者側は「五戸町との合併に理解を得られた」と報道陣にコメントする。
  • 2008年平成20年)6月12日 - 村長が五戸町役場を訪れ、五戸町長に合併協議を申し入れた。内容は、(1)編入合併、(2)新合併特例法の期限(2010年3月31日)までに合併したい。(3)村議に定数特例[3]を適用などである。五戸町長は議会と検討の上で決定したいと留保した。[10]
  • 2008年平成20年)7月8日 - 任期満了に伴う村議会議員一般選挙が告示される。定数14から8になった最初の選挙戦。立候補者は現職6人、新人4人の10人。五戸町との合併について争点となった。[11]
  • 2008年平成20年)7月13日 - 現職6人、新人2人が当選。新人のうち1人は女性(前村長細川潤八郎夫人「」)で8年ぶり。[12]
  • 2008年平成20年)9月4日 - 五戸町議会は非公開で行われた全員協議会で、新郷村議会が改選によって合併慎重派が多数となったと確認。異論はあったが、最終的に五戸町長の意向で6月12日に申し入れされた件は新郷村議会の翻意により要請自体が失効をしたとみなした。対して新郷村長は「合併の可能性が完全に消えたわけではない。」と強調し、合併推進の意欲を見せた。一方、村議員の多くが合併慎重派とみられている。[13]
  • 2009年平成21年)5月12日 - 村長選挙告示日。須藤村長現職のみ届出により無投票当選[14]
  • 2013年平成25年)1月12日 - 「平成25年新郷村新春の集い」が村内で盛大に開催され、須藤良美村長が主催者挨拶を行う。
  • 2014年平成26年)1月18日 - 「平成26年新郷村新春の集い」が村内で盛大に開催され、須藤良美村長が主催者挨拶し、「村の孤立化」について述べる。

行政[編集]

  • 村長
須藤良美 - 1940年昭和15年)3月29日生(3期目) 略歴:村職員、村助役
  • 村議会
議員定数8名(前村長夫人:細川真理子氏含む)

産業[編集]

特産品[編集]

  • 清酒「キリストの里」
  • 新郷黒飴
  • 紅葉みそ
  • アマランサス煎餅
  • 新郷漬物
  • 山菜
  • ナニャドヤラワイン
  • キリストラーメン
  • キリストおでん
  • ジーザスひっつみ

など。

郵便[編集]

地域[編集]

人口[編集]

Demography02450.svg
新郷村と全国の年齢別人口分布(2005年) 新郷村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 新郷村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
新郷村(に該当する地域)の人口の推移
1970年 4,754人
1975年 4,448人
1980年 4,332人
1985年 4,134人
1990年 3,724人
1995年 3,498人
2000年 3,343人
2005年 3,143人
2010年 2,851人
総務省統計局 国勢調査より

所轄警察署[編集]

所轄消防署[編集]

  • 八戸地域広域市町村圏事務組合五戸消防署西分遣所

教育[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

保育園[編集]

  • しんごう保育園

金融機関[編集]

体育協会[編集]

 会長 杉村勝司(民宿すぎむらオーナー、元役場職員、三農高卒)

交通[編集]

路線バス[編集]

道路[編集]

名所・旧跡・観光スポット[編集]

竹内文書竹内巨麿が紹介したことで有名。ゴルゴタにて磔にされたキリストは実はキリストの弟・イスキリで、本物のキリストはロシア正教のサポートを得て、チベット、カシミール、カルカッタ、クアラルンプール、佐世保、高松、富山、を経て密かに日本に渡り天寿を全うして亡くなったという説。ただし実際は昭和初期もしくは後期の戸来村の下位層の百姓の墓と考えられている(青森県百科事典)。「キリスト祭」という年中行事がこの場所で行われている。近くには竹内文書写本・「キリストの遺書」(資料館解説によれば1936年考古学者の一団により発見)など関連資料を展示する資料館「キリストの里伝承館」が建つ。2004年平成16年)6月6日の第41回キリスト祭にはイスラエル駐日大使が出席し、エルサレム・ストーン(エルサレム市街の建築物外壁に使われる白い石灰岩)を寄贈した。
太陽石、星座石、方位石、鏡石で構成される。
旧村社。青森県南の三嶽神社グループのトップとの呼び声も高い。御前神社および蕪嶋神社との縁が深いと一部には言われている。村内の他の神社との縁戚関係はなく、前述の神社との関係が深く連携している模様。
観光レクレーション施設。キャンプ場テニスコート、ゴーカート、バンガロー乗馬乳搾り等が楽しめる。

祭事・催事[編集]

  • キリスト祭
6月第1日曜日に行われる。形態は神道式の慰霊祭。フィナーレは出席者全員がエルサレムの方角を向き、ナニャドヤラワインで乾杯する。
  • 戸来三嶽神社大祭
8月19日 県指定無形民俗文化財の金ヶ沢鶏舞(かねがさわけいばい)が行われる。
  • 西越三嶽神社大祭
8月16日
  • 新郷ふるさと祭
10月第2日曜日
  • クリスマスカーニバル
12月中旬の日曜日

伝説・習俗[編集]

新郷村戸来(へらい)地区(旧戸来村)にはキリストとその弟イスキリの墓とされる墳墓が二つあり、キリストにまつわる仮説と独自の風習が存在する。例えば、「へらい」の名は「ヘブライ」が訛ったものといわれており、村で行われるキリスト祭で行われる盆踊りナニャドヤラで唱えられる意味不詳とされる文句「ナニャドヤラ、ナニャドナサレテ、ナニャドヤラ」は古代ヘブライ語で「汝の聖名を褒め称えん、汝に毛人を掃蕩して、汝の聖名を褒め称えん」という意味だとされる。

また、ユダヤの紋章(ダビデの星)と似た家紋を持つ旧家があり(旧家沢口家)、生まれた子供を初めて屋外に出す時、額に消し炭で十字を書いたり、足が痺れた時は人差し指につばをたっぷり付けて足に十字を三回書く。

外部リンク[編集]