キリスト教主義学校

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キリスト教主義学校(キリストきょうしゅぎがっこう、: Christian school)は、キリスト教の教えを教育理念として設立し運営する私立学校をいう。特に、キリスト教の福音宣教 (mission) を目的とする修道会宣教会によって設立された学校を「ミッション・スクール (mission school) 」と呼び、大学の場合はミッション系大学と呼ばれる。

ただし神父・牧師といった布教使養成課程(神学部文学部神学科等)を有していない学校は狭義のミッション・スクールで無い事に留意する必要がある。

特定の修道会や宣教会などが設立し運営するものではないが、キリスト教徒の個人などが設立し、キリスト教精神を教育理念として掲げる学校も多数存在する。

アメリカのハーバード大学コロンビア大学などアイビー・リーグに属する大学[注釈 1]や、イギリスのオックスフォード大学ケンブリッジ大学など、欧米の名門大学のほとんどはキリスト教系の私立大学である。

概要[編集]

学校の管理・運営者(設立者や校長)をキリスト教徒とし、聖書キリスト教神学を科目として教え、ミサ礼拝などのキリスト教活動を学校行事として宗教教育を行うことで、キリスト教精神に基づいた教育を行うことを目的とする。聖書の教育に加え、英語をはじめとする語学教育音楽世界史などのリベラル・アーツ教育を行い、特に女子教育においては開拓的な役割を果たしてきた。

キリスト教主義の学校は、聖職者を育成する神学校とは違い、教育理念がキリスト教に基づく教育を行う学校ということであって、キリスト教の信仰を強制することはない。そのため、信者でなくても問題なく学ぶことができる学校である。

カトリック系学校を特に「カトリック学校」と呼ぶ場合がある。日本ではキリスト教主義学校の連合組織として、カトリック系の日本カトリック学校連合会プロテスタント系キリスト教学校教育同盟がある。

カトリック系学校は修道会(男子修道会・女子修道会)が設立することが多いため、特に中学校高等学校では伝統的に男女別学(男子校・女子校)が主流であるが、日本では近年の少子化の影響を受け、学校経営上の理由から男女共学化する学校が増えている。

日本では中高一貫教育を行う学校が多く、大規模なキリスト教学校では幼稚園から大学までの教育機関を取り揃え、いわゆる「エスカレーター式教育」を行う学校法人もある。小中高校では1クラスあたりの人数を少なくした少人数教育を行う学校も多い。

小学校、中学校、高等学校、大学・短期大学のほか、サレジオ工業高等専門学校のように高等専門学校を設立する例もある。また専門学校専修学校各種学校)も多数存在する。特にキリスト教会が伝統的に力を入れてきた教育保育医療看護福祉などの分野に多く、看護師保育士などの育成を行っている。これらの専門学校はキリスト教系の大学や病院の付属学校として設置されることも多い。

また学校以外にも、キリスト教系の私立幼稚園や保育園が多数存在する。キリスト教徒の少ない日本では、教会に併設された幼稚園や保育園の保育料(授業料)が、教会の財政を支えている場合も多い。

十五年戦争期のキリスト教主義学校[編集]

出陣学徒壮行会(1943年10月21日)における青山学院の分列行進
陸軍に献納された戦闘機同志社号(戦時下のキリスト教主義学校は廃校回避のために様々な形で戦争協力を行った)

昭和初期に軍国主義が台頭し、教育や思想の分野において国家主義が強化されたことでキリスト教主義学校は苦しい立場に置かれることになる。1932年(昭和7年)に上智大学靖国神社参拝拒否事件1935年(昭和10年)6月に同志社高等商業学校神棚事件、同年7月に立教大学でチャペル事件が起こり、奄美大島ではカトリック弾圧により大島高等女学校が廃校へと追いやられた[1]

第二次世界大戦に突入するとキリスト教主義学校はさらなるな圧力にさらされ、戦時の方針に沿わない教師らが退職を余儀なくされたほか教課の改廃なども行われた。なかには校名変更を余儀なくされた学校もあった(例:フェリス和英女学校→横浜山手女学院[2]普連土女学校→聖友女学校[3]など)。

1943年(昭和18年)から1944年(昭和19年)にかけてプロテスタント諸教派の神学校の統廃合が進められ、青山学院関西学院の神学部も廃止された[4][5][注釈 2]。辛うじて存続を認められた同志社大学の神学科も学徒出陣によって授業継続は不可能となり、大学にとどまった神学者らの研究活動によって命脈をつなぐのみとなった[6][7]

戦後、連合国軍最高司令官総司令部はキリスト教主義学校において行われていた信教自由に反する行為を問題視し、日本政府に大学専門学校中等学校など81校において戦時中の解職者やカリキュラムの改廃などの調査を命じた。立教大学では戦時中にキリスト教主義学校としての特色を一掃し、戦後も信教自由の回復を講じなかったとして、当時の総長、中学部校長、学生監ほか8人に即時解職、公職追放処分が命じられ[8]、理事会は新体制となり、再建されていくこととなった[9]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ アイビー・リーグに属する8つの大学のうち、コーネル大学だけは無宗派の大学として設立されたが、他7つの大学はキリスト教の各宗派によって設立された大学である。
  2. ^ 両校での神学教育は戦後の新制大学発足時に再開されたが、青山学院大学文学部神学科は1977年に廃止された。

出典[編集]

  1. ^ 鹿児島純心高等女学校設立に至る、鹿児島のカトリック高等女学校の遍歴 - 学校法人鹿児島純心女子学園
  2. ^ 戦時体制から敗戦、復興へ|フェリス女学院の歩み|学校法人フェリス女学院
  3. ^ 官報』 1943年3月22日
  4. ^ 青山学院 『青山学院九十年史』 1965年、459-460頁
  5. ^ 神学部(関西学院事典) | 関西学院大学
  6. ^ 同志社々史々料編纂所 『同志社九十年小史』 学校法人同志社、1965年、327-330頁
  7. ^ 中村敏 『日本プロテスタント神学校史』 いのちのことば社、2013年、86-88頁
  8. ^ 学院総長ら八人を罷免(昭和20年10月29日 朝日新聞 『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p783 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  9. ^ 立教学院創立130周年記念展「立教学院と戦争-揺れた建学の精神」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]