ホルヘ・ロレンソ

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ホルヘ・ロレンソ
Jorge Lorenzo 2010 Indianapolis.jpg
2010年 インディアナポリスGP
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 1987年5月4日(27歳)
出身地 バレアレス諸島 パルマ・デ・マリョルカ
ウェブサイト jorgelorenzo.com
ロードレース世界選手権での記録
- MotoGPクラスに参戦 -
現在のチーム ヤマハ・ファクトリー・レーシング
ゼッケン 99
チャンピオン 250cc - 2006年, 2007年
MotoGP - 2010年,2012年
レース数 178
優勝回数 44
表彰台回数 97
PP回数 51
FL回数 23
通算獲得ポイント 2475
2012年の成績 1位 (350ポイント)
2011年 ポルトガルGP

ホルヘ・ロレンソJorge Lorenzo Guerrero, 1987年5月4日 - )は、スペインバレアレス諸島パルマ・デ・マリョルカ出身のオートバイレーサー2006年2007年ロードレース世界選手権250ccクラスチャンピオン、2010年2012年のMotoGPクラスチャンピオン。

経歴[編集]

125cc・250ccクラス時代[編集]

2002年デルビチームからロードレース世界選手権125ccクラスにデビューした。シーズン開幕当初はロレンソはまだ14歳であったため出場できず、15歳の誕生日を迎えた第3戦スペインGPの土曜日のセッションから参戦を開始[1]。史上最年少の15歳と1日で決勝レースデビューを果たした[2]

2003年ブラジルGPで初優勝。2004年には同世代のアンドレア・ドヴィツィオーゾエクトル・バルベラといった若手ライダーのライバルとランキング争いを見せ、年間ランキング4位を獲得した。

2005年、125cc時代のライバルだったバルベラとともに250ccの有力チーム、フォルトゥナホンダに移籍しステップアップ。優勝こそ無かったもののランキング5位とまずまずの成績を残した。

母国のスポンサーはそのままに、250ccで圧倒的強さを誇るアプリリアワークスチームからの参戦となった2006年、ロレンソは開幕戦から連勝を重ね8勝。他の追随を許さないシーズン運びで19歳にして初の世界チャンピオンに輝いた。

2007年もアプリリアに残留し年間9勝、クラス2連覇を遂げた。シーズン途中で翌シーズンからのヤマハワークス入り(MotoGPクラスにステップアップ)が発表された。

MotoGPクラス参戦 ( 2008年 - )[編集]

2年連続250ccチャンピオンとしてヤマハワークス入りしたロレンソは、2008年のMotoGPデビュー戦・カタールGPでポールポジションを獲得、決勝でも2位を獲得する。その後も第3戦ポルトガルGPまで3戦連続でポールを獲得すると、決勝でMotoGPクラス初勝利をあげる。その後は中国GP初日フリー走行で転倒を喫し両足くるぶしを骨折したが決勝に強行出場、4位を獲得するという離れ業を見せた。以降も骨折を抱えた身体でシーズンに参戦しながら転倒を繰り返したが、年間ランキング4位でルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。

2009年は序盤に日本GPフランスGPで2勝を挙げ、バレンティーノ・ロッシケーシー・ストーナーと共にチャンピオンシップ争いに名乗りを上げた。しかし第10・11戦で転倒により連続リタイアとなってしまい、インディアナポリスGPポルトガルGPの優勝で追いすがったものの第15戦での転倒リタイアが決定的になり、第16戦でロッシにチャンピオンを渡してしまった。しかし完走時の成績は4位1回のほかは全て表彰台という好成績を残しシーズン2位となった。

2010年は開幕からの10戦で優勝7回・2位3回と圧倒的な成績を残し、2009年チャンピオン・バレンティーノ・ロッシが骨折によって4戦欠場したこともあり優位にシーズンを進め、第15戦マレーシアGPにおいて終盤3戦を残してMotoGPクラスチャンピオンを獲得した。

ゼッケン1を付けタイトル防衛に挑んだ2011年シーズンは、レプソル・ホンダに移籍したケーシー・ストーナーの後塵を拝することが多く、第16戦オーストラリアGPのウォームアップ走行では左手薬指の先端部分を切断する重傷を負い[3](後の修復手術は無事に成功[4])、終盤3レースは欠場となってしまった。最終的な成績は年間3勝、ストーナーから90ポイント差のランキング2位となった。

2012年シーズンは、2年ぶりのタイトル奪還を目指しチャンプ・ナンバーの1から99番に戻す。6月12日にヤマハは契約を2年間更新することを決定し、2014年シーズンまで「ヤマハ・ファクトリー・レーシング」のライダーとしてMotoGPに参戦することが発表される。第7戦オランダGPでは、キャリア初の4連勝を狙うが決勝レース中アルバロ・バウティスタの転倒に巻き込まれ惜しくもリタイアとなる。最終戦もリタイヤとなったが、それ以外は全てシーズン通して2位以上で6勝し、最多勝はダニ・ペドロサだったもののポイント差で逆転しタイトル奪還を果たした。

エピソード[編集]

優勝時のパフォーマンス[編集]

ウィニングランで"ロレンソ・ランド"の「国旗」を掲げるロレンソ(2009年 日本GP)

2007年のスペインGPで勝利を果たしたロレンソは、スペインを"征服"(優勝)した証しとして、ウィニングラップ中にコースサイドのグラベルに「ロレンソ・ランド」の旗を突き立てた。以降このパフォーマンスは、各国を"征服"する度に見られる定番となった[5]

ペドロサとの確執[編集]

同国人ライダーのダニ・ペドロサとの間には、2005年のドイツGPでの接触事故以来確執が生まれることとなった。ロレンソがMotoGPクラスにステップアップした2008年シーズンも、表彰台でお互いを無視していた。これを憂いだスペイン国王フアン・カルロス1世は両者の和解を願い、自身が表彰式でプレゼンターを務めたその年のスペインGPで、ロレンソとペドロサの間に立って2人に(半ば無理矢理ながら)握手をさせた[6]。2012年のカタルーニャグランプリでの合同記者会見では、ペドロサとの関係に関し「2003年は敵対関係。2005年もそうで、2008年はもっとすごかった。今はカタールのレースの後のように抱擁できるから、もしかしたら3年後には結婚できるかもしれない」とコメントするなど、現在は当時と比べると関係が改善されつつある様子[7]

富沢祥也との関係[編集]

富沢のレプリカデザインのヘルメットを被りレースを戦ったロレンソ(2010年 アラゴンGP)

Moto2クラス初戦ウィナーの富沢祥也とは、かつて自身も付けていたゼッケン48を使用していたこともあって生前仲が良かった。2010年のサンマリノGPでの富沢の事故死後、ロレンソは急きょ富沢のレプリカデザインのヘルメットを用意し次戦アラゴンGPに臨んだ。富沢が果たせなかった夢である、最高峰クラスの表彰台で彼のヘルメットを掲げようとしたロレンソだったが、ニッキー・ヘイデンとのバトルに敗れて4位に終わった[8]。このヘルメットはその後、日本GPで富沢の家族にプレゼントされた[9]

ハンマー & バター[編集]

2010年シーズンから、ロレンソのマシンのブレーキレバー・クラッチレバーには "martillo"、" mantequilla " (それぞれスペイン語で「ハンマー」「バター」の意)の文字が刻まれるようになった。これにはロレンソが少年の時、ハンマーを手にバイクを修理する父と、サンドイッチにバターを塗る母を見て着想を得た、「時にはハンマーのようにリズミカルで力強く、また時にはバターの塗るときのようにスムースに繊細に」というライディングスタイルのモットーが込められている[10]

その他[編集]

2011年日本GPで来日した際、福島第一原子力発電所事故の影響による放射線汚染を警戒して、宿泊中はシャワーを浴びず持ち込んだミネラルウォーターと石鹸で体を洗ったと語っている[11]

2013年ポルシェがスペイン国内におけるイメージキャラクターに起用した。

ロードレース世界選手権 戦績[編集]

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
シーズン クラス バイク 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
2002年 125cc デルビ JPN RSA SPA
22
FRA
19
ITA
20
CAT
14
NED
16
GBR
13
GER
17
CZE
20
POR
Ret
BRA
7
PAC
9
MAL
20
AUS
Ret
VAL
22
21位 21
2003年 125cc デルビ JPN
Ret
RSA
24
SPA
15
FRA
Ret
ITA
Ret
CAT
6
NED
Ret
GBR
Ret
GER
21
CZE
12
POR
6
BRA
1
PAC
Ret
MAL
3
AUS
8
VAL
11
12位 79
2004年 125cc デルビ RSA
16
SPA
Ret
FRA
3
ITA
10
CAT
5
NED
1
BRA
Ret
GER
6
GBR
3
CZE
1
POR
3
JPN
7
QAT
1
MAL
Ret
AUS
2
VAL
Ret
4位 179
2005年 250cc ホンダ SPA
6
POR
10
CHN
9
FRA
5
ITA
2
CAT
Ret
NED
3
--- GBR
8
GER
Ret
CZE
2
JPN
Ret
MAL
EX
QAT
2
AUS
3
TUR
4
VAL
2
5位 167
2006年 250cc アプリリア SPA
1
QAT
1
TUR
Ret
CHN
4
FRA
Ret
ITA
1
CAT
2
NED
1
GBR
1
GER
3
--- CZE
1
MAL
1
AUS
1
JPN
3
POR
5
VAL
4
1位 289
2007年 250cc アプリリア QAT
1
SPA
1
TUR
2
CHN
1
FRA
1
ITA
8
CAT
1
GBR
Ret
NED
1
GER
4
--- CZE
1
SMR
1
POR
3
JPN
11
AUS
1
MAL
3
VAL
7
1位 312
2008年 MotoGP ヤマハ QAT
2
SPA
3
POR
1
CHN
4
FRA
2
ITA
Ret
CAT GBR
6
NED
6
GER
Ret
USA
Ret
CZE
10
SMR
2
IND
3
JPN
4
AUS
4
MAL
Ret
VAL
8
4位 190
2009年 MotoGP ヤマハ QAT
3
JPN
1
SPA
Ret
FRA
1
ITA
2
CAT
2
NED
2
USA
3
GER
2
GBR
Ret
CZE
Ret
IND
1
SMR
2
POR
1
AUS
Ret
MAL
4
VAL
3
2位 261
2010年 MotoGP ヤマハ QAT
2
SPA
1
FRA
1
ITA
2
GBR
1
NED
1
CAT
1
GER
2
USA
1
CZE
1
IND
3
SMR
2
ARA
4
JPN
4
MAL
3
AUS
2
POR
1
VAL
1
1位 383
2011年 MotoGP ヤマハ QAT
2
SPA
1
POR
2
FRA
4
CAT
2
GBR
Ret
NED
6
ITA
1
GER
2
USA
2
CZE
4
IND
4
RSM
1
ARA
3
JPN
2
AUS
DNS
MAL VAL 2位 260
2012年 MotoGP ヤマハ QAT
1
SPA
2
POR
2
FRA
1
CAT
1
GBR
1
NED
Ret
GER
2
ITA
1
USA
2
IND
2
CZE
2
RSM
1
ARA
2
JPN
2
MAL
2
AUS
2
VAL
Ret
1位 350
2013年 MotoGP ヤマハ QAT
1
AME
3
SPA
3
FRA
7
ITA
1
CAT
1
NED
5
GER
DNS
USA
6
INP
3
CZE
3
GBR
1
RSM
1
ARA
2
MAL
3
AUS
1
JPN
1
VAL
2位* 305*
  • * は、シーズン中の順位とポイント。

脚注[編集]

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外部リンク[編集]