マルコ・ルッキネリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| グランプリでの経歴 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 活動期間 | 1975 - 1986 |
| チーム | ホンダ, スズキ, ヤマハ, カジバ |
| レース数 | 75 |
| チャンピオン | 500cc - 1981 |
| 優勝回数 | 6 |
| 表彰台回数 | 19 |
| ポールポジション回数 | 9 |
| ファステストラップ回数 | 9 |
| 初グランプリ | 1975 350cc ネイションズグランプリ |
| 初勝利 | 1980 500cc 西ドイツグランプリ |
| 最終勝利 | 1981 500cc フィンランドグランプリ |
| 最終グランプリ | 1986 500cc ネイションズグランプリ |
マルコ・ルッキネリ (Marco Lucchinelli, 1954年6月26日-) は、ボラーノ出身のイタリア人グランプリライダーである。ルッキネリは1981年シーズンのFIMロードレース世界選手権・500cc世界チャンピオンを獲得した。"Lucchinelli"の姓に掛けて、「ラッキー(Lucky)」と呼ばれた。
ルッキネリは1975年にラベルダで耐久レースに参加してロードレースのキャリアを開始した。ルッキネリのライディングはヤマハのファクトリーチームの目に留まり、イタリア国内選手権にスポンサー付きで参戦することができるようになった。また1975年のネイションズグランプリ(イタリア)の350ccクラスにも参戦することができた。
1976年、ルッキネリは500ccクラスにスズキから参戦し、選手権ランキング4位を獲得した。この年、2位を2回と3位、4位を各1回獲得した。ルッキネリはその激しいライディングから「クレイジーホース」のあだ名を付けられ、多くのファンを楽しませた。ルッキネリは勇敢なライディングにより、何度も転倒した。1977年、ヤマハに乗ったルッキネリは500ccのランキングで11位に後退した。
ルッキネリは1978年にスズキに復帰し、1980年のニュルブルクリンクで開催された西ドイツグランプリで初勝利を挙げた。このシーズン、ルッキネリはケニー・ロバーツとランディ・マモラに次ぐ年間ランキング3位を獲得した。
1981年はルッキネリにとってのベストシーズンとなった。ルッキネリはロベルト・ガリーナのチームのスズキに乗り5勝を挙げ、ランディ・マモラを下して最終戦で500ccの世界チャンピオンを獲得した。1982年にはホンダに移籍し、新たに設計された3気筒のNS500で、フレディ・スペンサー、片山敬済とともに参戦した。ルッキネリは精彩を欠くシーズンを送ったが、皮肉にも前年ルッキネリがタイトルを獲得したガリーナ・スズキでフランコ・ウンチーニがチャンピオンを獲得した。
1983年にもホンダで不本意なシーズンを過ごしたルッキネリは、カジバで1984年と1985年のシーズンを過ごし、グランプリから引退した。1986年には4輪レースに挑戦し、ローラ・コスワースでF3000のイタリアラウンドに出場した。1987年にはデイトナのバトル・オブ・ザ・ツインにドゥカティ・851で勝利を収め、1988年にはドゥカティからスーパーバイク世界選手権に参戦し、2勝を挙げた。このシーズン終了後、ルッキネリはドゥカティのチームマネージャーに転身した。
彼の特徴として、レーシングスーツの下にワイシャツを着込み、首にバンダナを巻くファッションはイタリアの伊達男という雰囲気であった。
引退後、ルッキネリはユーロスポーツのテレビ解説者を務めた。
[編集] 外部リンク
| 先代: ケニー・ロバーツ |
WGP 500cc チャンピオン 1981 |
次代: フランコ・ウンチーニ |

