ロードレース世界選手権

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ロードレース世界選手権( -せかいせんしゅけん)は、オートバイによるモータースポーツ国際モーターサイクリズム連盟(FIM)が統括し、1949年に始まった二輪ロードレースの最高峰カテゴリーである。現在はDORNA(ドルナ)[1]が各種権利等を管理している。

現在は、レース専用に開発された二輪車を用い、レース専用に建設されたサーキットを走り、ライダーとマシンの速さを競うという内容になっている。かつては公道用市販車を改造したマシンも出場しており、一般公道を封鎖したコースも数多く使用されていた。

シリーズの略称は、2001年まではWGP(World Grand Prixの略)が一般的だったが、2002年に500ccクラスがMotoGPクラスに改められたのを機に、現在はシリーズ全体の略称にもMotoGPが使われている。

選手権はエンジンの排気量別に三つのクラスに分かれており、MotoGPは4ストローク800cc、GP250は2気筒以下の250cc、GP125は単気筒の125ccエンジンを使用する[2]

歴代チャンピオンに関してはロードレース世界チャンピオンの一覧を参照のこと。

2005年のマレーシアGP決勝(セパン)。前からカピロッシヘイデンロッシ
2008年のMotoGPチャンピオンになったバレンティーノ・ロッシヤマハYZR-M1[3](写真は2007年オランダGP・アッセン
日本GPが開催されるツインリンクもてぎ(細線で描かれているロードコースを使用。太線のオーバルコースはインディーカー用)。 2008年、バレティーノ・ロッシは日本GPで優勝し、残り3レースを残した状態で年間チャンピオンを獲得した[4]

目次

[編集] 選手権

世界各国でのグランプリレース(GP)での順位に応じてポイントを加算していき、年間チャンピオンを決定する。

全クラスにライダー選手権とマニファクチャラー(メーカー)選手権があり、現在はMotoGPクラスのみチーム選手権も存在する。マニファクチャラー選手権はメーカー内の最上位入賞ライダーのポイントのみを加算する。チーム選手権はチーム内の全てのライダーの入賞ポイントを加算する。

現在のポイント設定は下記の通り。1位-25、2位-20、3位-16、4位-13、5位-11、6位-10、7位-9、8位-8、9位-7、10位-6、11位-5、12位-4、13位-3、14位-2、15位-1

[編集] MotoGP

ロードレース世界選手権のトップカテゴリー。マシンのエンジンは800cc以下の4ストロークレシプロエンジンを使用する(2ストロークは禁止)。楕円ピストンエンジンの使用は禁じられている。エンジン気筒数によって最低重量が定められており、2気筒133kg以上、3気筒140.5kg、4気筒148kg、5気筒155.5kg、6気筒以上は163kgの車両重量が必要とされ、燃料タンクは21Lに制限されている。使用されるマシンはプロトタイプ(レース専用車)のみで市販車ベースの物は認められない。

2002年に開始されたMotoGPクラスの最大排気量は990ccだったが、最高速度の急激な上昇を抑えるといった安全上の理由などにより、2007年に800ccへと引き下げられた。2006年までは500cc以下の2ストロークエンジンの使用が認められていたが、2007年以降は4ストロークエンジン以外認められていない。

990ccから800ccへ排気量が下げられても、マシンは下位クラスであるGP250、GP125クラスより大柄で、最大エンジン出力は200馬力以上、最高時速は直線で320km/h以上に達する。トルクも強大であり、スロットルをラフに操作すれば簡単に前輪が大きく持ち上がり[5]、加速やコーナリングに影響するので、繊細なアクセルワークが要求される。また990cc時代ではライダーにはマシンの有り余るパワーを制御する事が求められたが、800ccへの変更後はマシンのパワーをいかに限界まで引き出せるかが重要となり、電子制御技術の発達にも助けられGP250クラスからのクラスアップがスムーズになり、以前に比べ新人ライダーが活躍する事が多くなっているという意見がある。

MotoGP用マシンは市販されておらず、市販車改造マシンが禁止されており個人の自作も難しいため、事実上プライベートチームは参加できない。出場しているのはメーカー(ワークス)チーム、およびワークスマシンの貸与等を受けられるサテライトチームだけという状況である。2008年現在、参戦しているメーカーはヤマハホンダドゥカティカワサキスズキとなっており、このクラスのみチームタイトルが懸けられる。

[編集] レギュレーションの変更(2009年から)

MotoGPの主催者であるDORNAやIRTAなどで構成されるグランプリ委員会はコスト削減策を発表。

[編集] 2009年から適用される変更

シングルタイヤルール。2009年からタイヤ供給メーカーが一社に限定される。2009年と2010年はブリヂストンが供給する。2011年以降は入札によりタイヤ供給メーカーが認定される予定である[6]
第11戦チェコGPから使用できるエンジン数が最大5台までに制限される。また、ブレーキの材料として、セラミック複合材料によるディスクとパッドの使用は禁止される。エンジンオイルは潤滑油としてのみ使用可能であり、油圧制御システムへの使用は禁止される。電子制御サスペンションの使用も禁止される。EGR(排気ガス再循環装置)の使用も禁止[7]

[編集] 2010年から適用される変更

エンジン個数は、年間シーズンを通して、各ライダーは最大6台のエンジンを使用できる。カーボン製フロントディスクブレーキは直径320mmのみとなる。燃料噴射装置の噴射圧力は最大10気圧までとなる。MMC(金属基複合材料)とFRM(繊維強化金属)の使用は禁止となる。タイヤ温度センサーの使用も禁止される。ホイールのリム幅も制限され、ホイール直径は16.5インチのみとなる。可変排気システムの使用も禁止。可変バルブタイミングシステムと可変バルブ開閉システムでは、電子制御と油圧制御を使用するシステムは禁止される。コンロッドは、中空構造は禁止だが、オイル循環用の穴は直径2mmまで許可される。ツインクラッチシステムの使用は禁止。トランスミッションは、オートマチックは禁止されるが、マニュアルでは若干のパワーアシストが許可される。無段変速トランスミッションの使用は禁止。GPSの搭載は、DORNAがテレビ放送などを目的としたもののみ許可され、マシンの電子制御系システムとして使用することはできない。ステアリングダンパーの電子制御は禁止[7]

[編集] 2009年のカワサキの活動について

2009年、カワサキは参戦を休止することを決定した[8]。カワサキは2003年[9]からMotoGPに参戦しており、これまでに3回、2位になっている。カワサキは「経済環境が好転すれば、再び参戦する可能性もある」と語っている[10]。カワサキのファクトリーチームが参戦を休止すると、MotoGPにエントリーするバイクは17台になる。DORNA[1]のCEO カルメロ・エスペラータは大阪でカワサキと会合を持ったが、カワサキからファクトリーチームとして参戦を続けることは難しいと説明された。このような状況下で、エスペラータとカワサキはプライベートチームとして参戦できるような解決方法を見出すために協力していくことに同意した[11]
マルコ・メランドリハヤテ・レーシング・チームからZX-RRで参戦することになり、現在参戦中[12]

[編集] GP250

アプリリア 250cc。IRTAのヘレスでのテスト(スペイン、2008年)

250cc以下のレース専用車両で競われる。最低重量は100kg以上。エンジンは2ストローク、4ストロークのどちらでも選べるが、現在のところ全てのチームが軽量・ハイパワーである2ストロークを採用している。

2008年参戦メーカーは ホンダヤマハアプリリアKTMジレラ

このクラスの4ストロークへの移行について国際モーターサイクリズム連盟(FIM)は、同連盟、国際ロードレーシングチーム連盟(IRTA)[13]モーターサイクルスポーツ製造者協会(MSMA)[14]ドルナスポーツ社の代表によるグランプリ委員会が決定したチャンピオンシップの新規競技規定についての発表の中で、250ccクラスに代わり、600ccクラスをスタートさせることを発表しており、新たなクラスでは600cc4ストロークマシンが採用されることとなっている。 しかし各国国内選手権の600ccクラスの不評等(全日本ロードレース選手権他に於ける重大事故[15]の多発)、GP250と比較して参戦コストが高騰する(マシン、エンジン、その他のパーツ等)等の懸念もあり、実施までには種々の問題が残っているという意見があったが、それらの意見に応えるべくエンジンをホンダ製のワンメイクとし、エンジンの回転数等の制限、他チームからのエンジンの買い取り制度等の規定が決められた。

市販レース車両(レース専用車)では、ホンダ・レーシング(HRC)からRS250RヤマハからTZ250が販売されており、プライベーターの参加が可能なカテゴリーである。4ストローククラス移行の関係で、市販レース車両の開発は、一旦2003年をもってストップしているが、2007年型TZ250でごく僅かな改良が施されている(一部パーツに変更有)。

日本人では、原田哲也1993年)、加藤大治郎2001年)がタイトルを獲得。

[編集] 2011年、GP250はMoto2へ移行

FIMは2011年からGP250をMoto2へ移行することを発表した[16]。Moto2のレギュレーションの概略は以下の通り。レギュレーションの詳細はFIMのプレスリリースを参照[21]
2010年からMoto2マシンのエントリーを認め、GP250マシンと混走するMoto2/250ccクラスとし、2011年よりMoto2へと完全移行する予定。
  • エンジン:ホンダ製のワンメイク。4ストローク、600cc。
  • ディスクブレーキ:カーボン製は禁止。

[編集] GP125

125cc以下のレース専用車両で競われる。エンジンは2ストローク、4ストロークのどちらでも選べるが、全てのチームが軽量・ハイパワーな2ストロークを採用している。2006年参戦メーカーはKTM、ホンダ、アプリリア、ジレラ、デルビマラグーティ。このクラスのみ年齢制限があり、1月1日時点で新規参戦は15歳から25歳まで。継続参戦は28歳以下のライダーしかできない。かつてはベテランの軽量級スペシャリストが多いクラスであったが、現在は若手の登竜門的なクラスに位置付けられている。4ストローククラスへの移行が検討されている。

全クラス中で最も参加台数が多い。パワーが小さいので、前の選手の真後ろを走りスリップストリームを利用するのが効果的とされ、数多くのマシンが僅差で競り合う展開になることが多いと言われ、人気の面でMotoGPクラスや250ccクラスに劣らないという意見がある。マシンは小柄。

日本人では、坂田和人1994年1998年)、青木治親1995年1996年)がタイトルを獲得。

[編集] 過去に存在したクラス

[編集] (旧)MotoGP (2002年~2006年)

かつて日本GPが開催されていた鈴鹿サーキット

かつての500ccクラスは2ストローク、4ストローク共に排気量500ccが上限で、1970年代半ば以降は事実上2ストロークのみという状況になっていた。そこで環境問題対策へのアピールや開発コストの抑制等を目的として、2002年より4ストロークが主体となるMotoGPクラスが誕生した(500ccクラスから変更)。

2002年から2006年までの(旧)MotoGPクラスは、2ストローク500cc以下、4ストローク990cc以下のレース専用車両という規定だった。市販車ベースの車両の参戦は認められていなかった。気筒数による最低重量制限が決められており、3気筒以下は135kg、4〜5気筒は145kg、6気筒以上は155kg、楕円ピストンを使用する場合は1クラス上の最低重量制限が課せられていた。

「4ストロークエンジンの排気量あたりの出力効率は2ストロークエンジンの半分」とする計算から制定された新レギュレーションだったが、実際には4ストロークエンジンの方が有利になった。その結果2ストローク車両でのMotoGP参戦は次第になくなり、ドゥカティなど2ストローク全盛時のWGPに参戦していなかったメーカーが参入することになった。2007年以降のMotoGPクラスは4ストローク800cc以下に規則が変更され、同時に2ストロークは出場不可能になった。

2ストロークから4ストロークの大排気量へと変わった事で急激にマシンの動力性能が上がった[17]。バックトルク(エンジンブレーキ)も強大になったため、初期の頃はコーナー手前のシフトダウンを伴う減速時に後輪側が激しく暴れるといったシーンがよく見られた。2ストロークに馴染んだライダーやメーカーも対策に頭を悩まされることとなったが、エンジンの電子制御やスリッパー・(クラッチ)等の開発が進むにつれ問題は解消され、現在では2ストローク250ccからの乗り換えも困難ではないと言われている。

2ストロークエンジンはその構造上電子制御を取り入れにくかったが、4ストロークへの移行に伴いハイテク化が一気に進んだ。燃料噴射装置は機械式から電子制御式に移行し、エンジン特性その物の電子制御化、トラクションコントロール、シフターの最適化等、操縦を支援する装置が数多く搭載されるようになり、これらの電子装置の性能が車両性能を大きく左右するようになった。2ストローク時代と比べ、単に絶対速度が上がっただけでなく遥かに扱いやすいマシンとなり、ライダー達のタイムが拮抗するようになったという意見がある。

[編集] かつて存在したクラス

  • 500ccクラス 1949年~2001年(4ストローク/2ストロークとも、排気量500cc以下)
  • 350ccクラス 1949年~1982年(4ストローク/2ストロークとも、排気量350cc以下)
日本人では、片山敬済1977年)がタイトルを獲得。
  • 80ccクラス 1984年~1989年(4ストローク/2ストロークとも、排気量80cc以下)
  • 50ccクラス 1962年~1983年 (4ストローク/2ストロークとも、排気量50cc以下)
  • サイドカー 1949年~1996年[18]

[編集] ロードレース世界選手権の結果 (1949年〜)

[編集] 日本人の活躍

[編集] 優勝回数

2007年最終戦終了時

[編集] 表彰台(3位以内)獲得回数

2007年最終戦終了時

[編集] ポールポジション獲得回数

  • 29:坂田和人(125cc)
  • 21:原田哲也(250cc ×20、500cc ×1)
  • 19:上田昇(125cc)
  • 17:宇井陽一(125cc)
  • 11:加藤大治郎(250cc ×10、MotoGP ×1)
  • 7:岡田忠之(500cc)
  • 6:青木治親(125cc)
  • 5:片山敬済(250cc ×4、350cc ×1)、中野真矢(250cc)、青山博一(250cc)、徳留真紀(125cc)
  • 3:玉田誠(MotoGP)、宇川徹(250cc ×2、500cc ×1)、東雅雄(125cc)、金谷秀夫(350cc)、平忠彦(500cc)
  • 1:青木宣篤(250cc)、本間利彦(250cc)、伊藤真一(500cc)、清原明彦(250cc)、青山周平(250cc)、仲城英幸(125cc)、根本健(250cc)、清水雅広(250cc)、高井幾次郎(250cc)、辻村猛(125cc)、和田欣也(125cc)

2007年最終戦終了時

[編集] 年間ランキング

[編集] チャンピオン獲得回数

[編集] 2位獲得回数

  • 2:岡田忠之(500cc ×1: 1997年、250cc ×1: 1994年)、原田哲也(250cc ×2: 1995・2001年)片山敬済(350×1: 1978年、250cc ×1: 1976年)、坂田和人(125cc ×2: 1993・1995年)、上田昇(125cc ×2: 1994・1997年)、宇井陽一(125cc ×2: 2000・2001年)
  • 1:宇川徹(250cc ×1: 1999年)、中野真矢(250cc ×1: 2000年)、徳留真紀(125cc ×1: 1996年)、眞子智実(125cc ×1: 1998年)、片山義美(50cc ×1: 1967年)

[編集] 3位獲得回数

  • 2:原田哲也(250cc ×2: 1997・1998年)、辻村猛(125cc ×2: 1993・1994年)、眞子智実(125cc ×2: 1996・1997年)
  • 1:宇川徹(MotoGP×1: 2002年)、金谷秀夫(500cc ×1: 1975年)、青木宣篤(500cc ×1: 1997年)、岡田忠之(500cc ×1: 1999年)、伊藤史朗(250cc ×1: 1963年)、加藤大治郎(250cc ×1: 2000年)、東雅雄(125cc ×1: 1999年)、小山知良(125cc ×1: 2007年)

2007年最終戦終了時

[編集] 日本におけるテレビ中継

かつてはテレビ大阪1988年1998年)やWOWOWNHK BS1で中継が行われていたが、現在は日本テレビ(地上波は1999年~、CS放送は2002年~)が日本におけるテレビ放映権を持っている。

地上波ではMotoGPを中心に日本テレビが録画放送を行い、CS放送ではスカパー!e2スカパー!日テレG+で、全クラスの完全生放送が行われている。

[編集] その他

[編集] 800ccマシンにコーナリング速度規制の動き

800ccマシンにおいて、MotoGPの商標権を持つDORNA(ドルナ)は、今年はハイスピードによる転倒・怪我が続出しているため、ライダーたちに意見を求めた。その原因が800ccマシンのコーナリングスピードの飛躍的な向上にあるとしている。900cc時代はトップスピードが問題にされたが、今年は900cc時代の予選タイムなどが800ccマシンで塗り替えられる事態が何度か起きている(インテリマーク『速報 MotoGP』「800ccマシンのコーナリング速度に規制の動き」2008年08月17日[22]より)。

[編集] 500ccクラスでの日本車の台頭

日本のメーカーで初めてWGP500ccクラスに参加したのはホンダであり、参戦初年度の1966年製造者チャンピオンシップを獲得した。ライダーズチャンピオンシップのランキングでも2位を獲得している。

1975年には、ジャコモ・アゴスチーニヤマハYZR500を走らせてライダーズチャンピオンシップを獲得し、日本車を走らせるGPライダーが初めてチャンピオンになった[19]ヤマハは既に1974年製造者チャンピオンシップを獲得しており[20]、1975年から2001年まで、日本車の2ストローク500ccマシンを走らせるGPライダーがチャンピオンシップを、日本のメーカーが製造者チャンピオンシップを維持した[21]

[編集] サイレンサー(消音器)装着の経緯

以前は、GPマシンにはサイレンサー(消音器)が装着されていなかったが、1976年[22]にサイレンサーの装着がレギュレーションで規定された。これにはGPライダーたちから不満が出たが、当時のFIMの責任者がGPライダーたちへその経緯を説明した。説明の概要は以下のようなものである。

ストリートバイクに乗るライダーたちはGPマシンに憧れて、自分たちのバイクをGPマシンのように改造して、サイレンサーを装着しないで公道を走り、騒音問題を引き起こしている。GPマシンにサイレンサーが装着されれば、ストリートライダーたちも自分たちのバイクにGPマシンと同じようにサイレンサーを装着するようになるだろう」

この説明にはGPライダーたちも納得し、GPマシンにサイレンサーが装着されるようになった[23]。現在、MotoGPではMotoGP初期の頃より騒音規制が緩和されている。迫力のある音を出すためだそうである[24]。モーターサイクルレースを取り巻く社会環境が変化してきたようである。逆にストリートバイクでは騒音規制が厳しくなっている。アフターマーケットメーカーのストリートバイク用サイレンサーの騒音自主規制の厳しさには警察も驚いたそうである[25]

[編集] スリックタイヤの採用

スリックタイヤが採用されたの1970年代後半である。MVアグスタ1976年型350ccマシンでは、前輪がトレッドパターンタイヤ[26]で、後輪がスリックタイヤであった[27]。スリックタイヤを装着してレースを走ることについてはGPライダーたちとオーガナイザーとの間で議論があり、GPライダーたちはスリックタイヤがトレッドパターンタイヤより安全であることを主張し、オーガナイザーはそれとは逆の主張であった[28]

[編集] キャストホイールの採用

キャストホイールの採用は1970年代前半である。MVアグスタ1972年型500ccマシンに採用されているが、前輪のみの採用で、後輪はスポークホイールである[29]。キャストホイールはアルミ合金またはマグネシム合金製の鋳物のホイールで、剛性が高く、真円の状態を維持でき、また、チューブレスタイヤが使用できる[30]。キャストホイールにチューブレスタイヤを使用すると、リムとタイヤでチューブの機能を果す[31]。スポークホイールはスポークリムハブによって構成されるホイールで、路面からの衝撃をスポークで吸収するため、スポークの緩みを定期的に調整する必要があり、また、チューブレスタイヤが使用できない[30]

[編集] ディスクブレーキの採用

ディスクブレーキが採用された時期はストリートバイクよりも遅く、1970年代前半である。1971年ホッケンハイム(ドイツGP)では、フィル・リードヤマハTZ350の前輪にディスクブレーキが装備されている。このTZ350は元サイドカー世界チャンピオンのヘルムート・ファースがチューンしたマシンである[32]MVアグスタ1972年型500ccマシンの前輪はダブルディスク[33]を装備している[29]。MVアグスタの1973年型350ccマシンにはディスクブレーキを装備したマシンとドラムブレーキを装備したマシンがあった[34]1974年型ヤマハTZ350は、市販状態でのフロントブレーキは大径ドラムブレーキであったが、海外の速いライダーたちはディスクブレーキに交換していた。ドラムブレーキは、レースの1周目は制動力が強いのだが、それ以後は発熱により制動力が弱くなる。シングルディスク[35]では高速からの制動力は若干劣るが発熱に対して安定した制動力を発揮する[36]

ストリートバイクの量産車でのディスクブレーキの初採用はホンダCB750K0(1969年)であるが、少量生産車ではMVアグスタがそれ以前にディスクブレーキを採用していた[37]

[編集] 参考文献

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ a b DORNA SPORTS S.L.のことで、MotoGPの商標権を所持する会社である。CEOカルメロ・エスペラータ(インテリマーク『速報 MotoGP』「800ccマシンのコーナリング速度に規制の動き」2008年08月17日[1]より)。DORNA(ドルナ)のMotoGPのWebサイト[2]
  2. ^ 『FIM Road Racing World Championship Grand Prix Regulations 2009[3]』「1.9.1 Classes will be for the following categories:」(p13、17/103)より。
  3. ^ インテリマーク「MotoGP 2008年 ライダース・ランキング[4]」、インテリマーク「日本GP決勝、ロッシがタイトル奪還!中野選手は8位[5]」より。
  4. ^ インテリマーク「MotoGP 2008年 第15戦 日本GP レース結果一覧[6]」より。
  5. ^ ウィリー。スタート時やコーナー脱出時の加速時に起きる前輪が浮いてしまう状態のことで、この状態が長く続くと加速が鈍りタイムロスに繋がる(ヤマハ『レース用語集』「ウイリー」[7]より)。
  6. ^ インテリマーク「MotoGP FIMがMotoGPクラスのシングルタイヤルールの詳細内容を発表」(2008年12月26日)より[8]
  7. ^ a b インテリマーク「MotoGP FIMがマシン台数制限などの新規約を発表」(2009年4月1日)より[9]
  8. ^ Kawasakiニュースリリース「MotoGP活動の休止について」2009年1月9日[10]より。
  9. ^ 2002年度の日本GPからMotoGPに復帰。インテリマーク「カワサキがMotoGP参戦休止を正式に発表」2009年1月9日[11]より。
  10. ^ 日テレNEWS24「モトGP参戦を休止〜川崎重工業」2009/1/9 21:51[12]より。
  11. ^ MCN「Dorna boss hopeful Kawasaki `private' team will race in 2009」09 January 2009 19:15[13]より。日本語訳は motogp.com「ドルナスポーツ社、カワサキのファクトリーチーム休止について」Friday, 09 January 2009[14]に掲載されている。
  12. ^ ハヤテ・レーシング・チームは、2008年シーズンまでのカワサキ・レーシング・チームに引き続き依田一郎がチーム・ディレクターを担当する。チーム・マネージャーはテレメトリーだったアンドレア・ドソリ。motogp.com official website「新チーム、ハヤテ・レーシング・チーム登場」(Sunday, 01 March 2009)[15]、および、FIM Road Racing World Championship Grand Prix「Year 2009、MotoGP、Pilots ranking」[16]より。
  13. ^ 「International Road Racing Teams Association」の略称で、MotoGPに参加している全チームと主要な専門供給業者、スポンサーから成る団体のこと(IRTAのホームページより。このホームページからのログインはIRTAメンバーに限定されている)。
  14. ^ 「Motorcycle Sport Manufacturers' Association」の略称で(FIM『PRESS RELEASE』Mies, May 15/le 15 mai 2002「Miximum member and nomination of wild-cards riders:」[17]より)、WGPに参加するモーターサイクル製造会社の団体のこと(ホンダ『ニュース・インデックス』「2004 MotoGP世界選手権 シリーズ第12戦日本グランプリに宇川徹選手のスポット参戦が決定」2004年9月3日[18]より)。2003年時点で次の6社が加盟している - アプリリアドゥカティホンダカワサキスズキヤマハ(原文では社名のアルファベット順で列挙。MOTORCYCLE USA.com「WSC In Turmoil With New Rules Package, 7/18/2003, By Kevin Duke」[19]より)。
  15. ^ 全日本ロードレース選手権ST600クラスでは、2006年、2007年と二年連続で、レース中の事故で死者が出ている。
  16. ^ Moto2:250ccクラスから移行される技術規則発表(Thursday, 11 December 2008)motogp.com
  17. ^ 4ストローク990ccのエンジンから絞り出される出力は240馬力以上、最高時速は直線で340km/h以上に達した
  18. ^ 『Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix』(p183)より。
  19. ^ 『サーキットの軌跡』(p132)、『Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix』(p183 - p196)より。
  20. ^ 『Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix』(p207)より。
  21. ^ 『Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix』(p196 - p207)、「ロードレース世界チャンピオンの一覧」より。
  22. ^ 1975年バリー・シーンRG500にはサイレンサーが装着されていない - 『サーキットの軌跡』(p134)の写真より。1976年のバリー・シーンのRG500にはサイレンサーが装着されている - 『サーキットの軌跡』(p137)の写真より。
  23. ^ 根本健「KENT'S TALK」『ライダースクラブ』(号数忘失)より。
  24. ^ 『サイクルサウンズ』(号数忘失)より。
  25. ^ 『サイクルサウンズ』(号数忘失)より。
  26. ^ タイヤのトレッド面(地面と接する部分)に溝のような模様があるタイヤのこと。『図解雑学 バイクのしくみ』(p184、p188)より。
  27. ^ 『Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix』(p97の写真)より。
  28. ^ 片山敬済の著書(書籍名忘失)より。
  29. ^ a b 『サーキットの軌跡』(p93の写真)、『Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix』「1971年ランキング表」(p194)より。
  30. ^ a b 『図解雑学 バイクのしくみ』(p191)より。
  31. ^ 『図解雑学 バイクのしくみ』(p185)より。
  32. ^ 『Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix』(p82の写真と文)より。
  33. ^ ホイールの左右にブレーキディスクを取り付けたブレーキ装置。『図解雑学 バイクのしくみ』(p166)より。
  34. ^ 『Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix』(p85の写真)より。
  35. ^ ホイールの左右どちらか片側にブレーキディスクを取り付けたブレーキ装置。
  36. ^ 『グランプリを走りたい』(p96、p97)より。
  37. ^CB750FOURの主要装備と性能、前輪ディスクブレーキ」より。
  38. ^本田技術研究所勤務。GPマシンNR500の開発に携わる。
  39. ^ 1970年代後半、片山敬済と同じ時期にWGPの250ccクラスにヤマハTZ250で参戦していた元GPライダー。WGP引退後は『ライダースクラブ』の編集長となり、現在は編集長の座を離れている。
  40. ^ マイケル・スコットは『サイクルサウンズ』山海堂(休刊)にWGP界の動向などを寄稿していた。
  41. ^ 『サイクルサウンズ』山海堂(休刊)にGPマシンやスーパーバイクマシン、スーパースポーツマシンの試乗記を寄稿していた。
  42. ^ 『ライダースクラブ』の「鉄と心とふれあいと」というページを担当していた。『KEN'TS TALK 2』「2007年8月14日 (火) V9 8月14日 中沖満さん逝く…」[20]より。
  43. ^ レースカメラマンの坪内隆直が編集および撮影をしている雑誌で、以前は月刊誌だったが、現在は年刊誌である。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク