ジョジー・アルティドール
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| 名前 | ||||||
| 本名 | Josmer Volmy Altidore | |||||
| 愛称 | Jozy | |||||
| カタカナ | ジョスマー・ヴォルミー・アルティドール | |||||
| ラテン文字 | Jozy ALTIDORE | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1989年11月6日(23歳) | |||||
| 出身地 | ニュージャージー州・リビングストン | |||||
| 身長 | 185cm | |||||
| 体重 | 72kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ||||||
| ポジション | FW (CF) | |||||
| 背番号 | 17 | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| 代表歴2 | ||||||
| 2007- | 44 (13) | |||||
| 2. 2011年11月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ジョスマー・ヴォルミー・アルティドール(Josmer "Jozy" Volmy Altidore, 1989年11月6日 - )は、アメリカ・ニュージャージー州・リビングストン出身のサッカー選手。オランダ・エールディヴィジ・AZアルクマール所属。アメリカ代表。ポジションはフォワード。
目次 |
経歴 [編集]
幼少期 [編集]
両親はハイチ出身であり、試合出場時には祖先に敬意を表してハイチとアメリカの国旗をあしらったリストバンドを着用している。ジョスマー・アルティドールは1989年11月6日にニュージャージー州・リビングストンに4人兄弟姉妹の末子として生まれた。GBYSAやボカ・ジュニアーズSCなどでプレーし、高校時代にはIMGサッカー・アカデミーのカリキュラムに参加した。2005年にはFIFA U-17世界選手権に出場した。
クラブ [編集]
レッドブル・ニューヨーク [編集]
2006年のメジャーリーグサッカーにおけるドラフト会議でレッドブル・ニューヨークに全体で17番目に指名された。2006年8月23日のUSオープンカップでのD.C. ユナイテッド戦でデビューし、同年9月16日のコロンバス・クルー戦で初得点を挙げた。プレーオフのD.C. ユナイテッド戦ではチーム唯一となる得点を挙げ、プレーオフでの最年少得点記録を更新した。2007年のFIFA U-20ワールドカップではブラジル戦で2得点するなど4ゴールを挙げ、アメリカのベスト8進出に貢献した。
ビジャレアル [編集]
2008年6月4日、リーガ・エスパニョーラのビジャレアルCFとの契約に合意した。移籍金は約1000万ドル(約740万ユーロ)であり[1][2]、クリント・デンプシーがフラムFCに移籍した際の移籍金400万ドル(約200万ポンド)を上回り、MLS所属の選手としては史上最高額であった[3]。6月11日には細部の交渉を詰めて契約が完了した[4]。9月14日のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦後半に途中出場してリーガ・エスパニョーラデビューを飾り、11月1日のアスレティック・ビルバオ戦で初得点を決めた。この得点はアメリカ人選手がリーガ・エスパニョーラで決めた初めての得点だった[5]。11月30日、レクレアティーボ・ウェルバ戦で初めて先発出場した。
- ヘレスへのレンタル移籍
2009年1月30日、セグンダ・ディビシオン(2部)のヘレスCDに半年間の契約でレンタル移籍し[6]、より多くの出場機会とスペインの文化への適応が期待された[7]。2009年4月16日、負傷した足の爪を回復させる小さな手術を受け、1ヶ月以上の回復期間を必要としたため、2008-09シーズンの間に復帰することはできなかった[8]。
- ハル・シティへのレンタル移籍
2009年8月5日、自身のTwitterのアカウントでプレミアリーグのハル・シティAFCへのレンタル移籍を明らかにした[9]。翌日にはハル・シティの一員となり、シーズン終了後には移籍金650万ポンドで保有権を買い取ることができるオプションが付けられた。8月10日、ハル・シティAFCはアルティドールがイギリスの労働許可証を取得したと発表した[10]。8月22日、ホームでのボルトン・ワンダラーズFC戦の後半に途中出場してデビューを飾り、カメル・ギラスの決勝点をアシストしてシーズン初勝利に貢献した[11]。8月25日、カーリング・カップ2回戦のサウスエンド・ユナイテッドFC戦で初得点を決めた[12]。2010年2月6日、ホームでのマンチェスター・シティFC戦ではシーズン唯一となるリーグ戦での得点を挙げた[13]。4月24日、サンダーランドAFC戦でアラン・ハットンと口論になり、暴力行為を振るって退場処分を受けた。プレミアリーグ(1部)残留に向けた重要な一戦を落としたことでFLチャンピオンシップ(2部)降格が決定した[14]。
- ビジャレアル復帰
2010年8月19日、ビジャレアルに復帰した。2010-11シーズン前半戦はリーグ戦3試合に途中出場したのみであり、UEFAチャンピオンズリーグではまったく出場機会が与えられなかった。
- ブルサスポルへのレンタル移籍
2011年1月31日、トルコ・シュペルリガのブルサスポルにレンタル移籍した[15]。2月13日のエスキシェヒルスポル戦(1-1)に先発出場してデビューし、4月8日のアンタルヤスポル戦(2-3)で初得点を挙げたが、2010-11シーズンは12試合出場1得点に終わり、UEFAヨーロッパリーグ出場権を争った終盤戦には先発出場の機会が減少した。
AZアルクマール [編集]
2011年7月20日、オランダ・エールディヴィジのAZアルクマールと4年契約を結んだ。移籍金は公表されていない[16]。
代表 [編集]
アルティドールは各年代の世代別アメリカ代表でプレーしてきた。2005年にはFIFA U-17世界選手権に出場した。2007年にはカナダで開催されたFIFA U-20ワールドカップに出場し、グループリーグではU-20ブラジル戦の2得点を含む3得点を挙げ、U-20アメリカ代表の首位通過に貢献した。準々決勝のU-20オーストリア戦では前半に得点した。
2007年11月17日、18歳の誕生日のわずか11日後にアメリカA代表に初招集され、南アフリカとの親善試合に65分に途中出場して代表初キャップを刻んだ。2キャップ目のスウェーデン戦も後半からの途中出場だったが、MFランドン・ドノバンがアメリカ代表得点記録を更新することになるPKを獲得した。2008年2月6日、メキシコとの親善試合で初めて先発出場し、代表初得点を決めた。6月には北京オリンピックに出場した。
2008年10月11日、2010 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選・キューバ戦で同予選初得点を決めた。10月15日のトリニダード・トバゴ戦ではチャーリー・デイヴィス(Charlie Davies)の得点をアシストしたが、自陣ペナルティエリア内で反則を取られ、FWドワイト・ヨークの決勝PKを決められた。その次の試合ではケニー・クーパーの得点をアシストし、FWフレディ・アドゥの代表初得点につながるPKを獲得して汚名返上した。2009年3月28日、北中米カリブ海予選のエルサルバドル戦ではアウェーで初となる得点を決めた。4月1日のトリニダード・トバゴ戦で3得点を決め、アメリカ代表史上もっとも若くしてハットトリックを達成した選手になった[17]。
2009年夏にはFIFAコンフェデレーションズカップ2009に出場し、準決勝のスペイン戦ではDFジョアン・カプデビラのミスを突いて得点を奪い、ヨーロッパ王者を2-0で打ち負かした[18]。2010 FIFAワールドカップではグループリーグ3試合とガーナとの決勝トーナメント1回戦に先発出場したが、出場4試合で無得点に終わった[19]。
人物 [編集]
2007年にはESPNのネクスト・アワードの候補になり、アディダスのインポッシブル・イズ・ナッシングの広告に起用された。サッカーゲームであるFIFA 08の北米版の表紙にロナウジーニョやギジェルモ・オチョアとともに起用された[20]。
2006年11月、ニューヨーク・レッドブルのチームメイトのセス・スタムラー(Seth Stammler)やハイチ系アメリカ人のジェロード・ラベンチャーとともに、グラミー賞を受賞したこともあるハイチ出身の音楽家ワイクリフ・ジョンの慈善運動の一環でハイチを訪れた。その後、レッドブル・ニューヨークのホーム開幕戦でジョンはアルティドールのレプリカシャツを着てシャキーラとともにパフォーマンスを行った。
2010年1月12日に起こったハイチ地震後にはハイチへの寄付を呼びかける救援活動に参加した[21] 。CNNのテレビ番組に出演し、当時もハイチに住んでいた家族と討論し、寄付をすることでハイチの人々を励ました[22]。
所属クラブ [編集]
- 2006-2008
レッドブル・ニューヨーク - 2008-2011
ビジャレアルCF
- 2011-
AZアルクマール
個人成績 [編集]
代表での得点 [編集]
| # | 日時 | 場所 | 相手 | スコア | 結果 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2008年2月6日 |
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| 2. | 2008年9月10日 |
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| 3. | 2009年3月28日 |
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| 4. | 2009年4月1日 |
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| 5. |
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| 6. |
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| 7. | 2009年6月24日 |
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| 8. | 2009年9月5日 |
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| 9. | 2010年5月29日 |
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| 10. | 2010年10月9日 |
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| 11. | 2011年6月7日 |
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| 12. | 2011年6月14日 |
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| 13. | 2011年11月15日 |
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タイトル [編集]
- KNVBカップ 2012-13
脚注 [編集]
- ^ Bell, Jack; Robinson, Joshua (2008年6月5日). “Spanish Soccer Team Strikes Deal for Altidore”. The New York Times 2010年5月7日閲覧。
- ^ Altidore Sold to Villarreal for $10 million Soccer By Ives
- ^ “17 Jozy ALTIDORE”. FIFA.com 2010年12月23日閲覧。
- ^ U.S. striker Jozy Altidore excited by Villarreal move. Fox Sports. (2008-06-12). オリジナルの2008年6月14日時点によるアーカイブ。 2008年6月13日閲覧。.
- ^ Bell, Jack (2008年11月2日). “Altidore Scores His First Goal for Villarreal”. The New York Times 2010年5月7日閲覧。
- ^ “Altidore headed to Xerez on loan”. ESPN soccernet. (2009年1月31日) 2009年4月21日閲覧。
- ^ Galarcep, Ives (2009年1月31日). “Altidore completes loan move to Xerez”. SoccerByIves.net 2009年4月21日閲覧。
- ^ Bell, Arch (2009年4月16日). “Altidore undergoes knife, out month”. Yanks-Abroad.com 2009年4月21日閲覧。
- ^ Dyer, Kristian R. (2009年8月5日). “Altidore to join Hull City on loan”. ESPN soccernet 2009年8月6日閲覧。
- ^ “Altidore Granted Work Permit”. (2009年8月10日) 2009年8月10日閲覧。
- ^ Hull 1–0 Bolton. BBC. (2009-08-22) 2009年8月22日閲覧。
- ^ Altidore sinks Shrimpers. ESPN. (2009-08-25) 2009年8月25日閲覧。
- ^ Hull 2–1 Man City. BBC Sport. (2010-02-06) 2010年2月6日閲覧。
- ^ Sheringham, Sam (2010年4月24日). “Hull 0 - 1 Sunderland”. BBC 2010年4月27日閲覧。
- ^ “Jozy Altidore heading to Bursaspor”. ESPN Soccernet. (2011年1月31日) 2011年2月11日閲覧。
- ^ “アルティドールがAZに加入”. UEFA.com. (2011年7月20日) 2011年10月24日閲覧。
- ^ U.S. 3–0 T&T: Altidore hits hat trick. ESPN. (2008-04-01) 2008年4月1日閲覧。
- ^ “The American dream realised”. FIFA.com. (2009年6月24日) 2010年12月23日閲覧。
- ^ “17 Jozy ALTIDOR”. FIFA.com 2010年12月23日閲覧。
- ^ IGN: Jozy Altidore Talks FIFA 08
- ^ Altidore Calling on Fans for Haiti Yanks Abroad、2010年1月14日
- ^ Jozy Altidore on Haiti CNN、2010年1月14日
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