ベニー・ファイルハーバー

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ベニー・ファイルハーバー Football pictogram.svg
Benny Feilhaber cropped.jpg
名前
ラテン文字 Benny Feilhaber
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1985年1月19日(29歳)
出身地 ブラジルの旗 リオデジャネイロ
身長 175cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム アメリカ合衆国の旗 スポルティング・カンザスシティ
ポジション MF
背番号 10
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2007
2007-2008
2008-2011
2011-2012
2013-
ドイツの旗 ハンブルガーSV
イングランドの旗 ダービー
デンマークの旗 オーフスGF
アメリカ合衆国の旗 NEレボリューション
アメリカ合衆国の旗 スポルティング・カンザスシティ
9 (0)
10 (0)
58 (5)
52 (5)
27 (3)
代表歴2
2007- アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 40 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年10月23日現在。
2. 2013年1月29日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ベニー・ファイルハーバー(Benny Feilhaber, 1985年1月19日 - )は、ブラジルリオデジャネイロ出身のサッカー選手アメリカ代表である。メジャーリーグサッカースポルティング・カンザスシティ所属。ポジションはMF

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1938年に父方の祖父がナチスの迫害を逃れるためにオーストリアからブラジルに移住し[1]、フェイルハーバーはリオデジャネイロに生まれて[2] [3]ユダヤ人地区で育った[4]。6歳の時に彼の家族はアメリカに移住し、約8年の間はニューヨーク郊外のスカーズデールに住んだ。地元のスカーズデール・ライトニングというサッカークラブに入団し、1996年にはU-12ニューヨーク州カップ優勝に導いた。カリフォルニア州アーバインにあるノースウッド高校に進学し、学校のサッカークラブで優れたミッドフィールダーとして過ごした。卒業後の2003年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に進学してチームの柱としてプレーした。奨学生ではなく、練習には歩いて通っていた。大学サッカーで2年間過ごした後、2005年のFIFAワールドユース選手権に参加するU-20アメリカ代表に招集された。

プロ入り後[編集]

ハンブルガーSV

オランダで開催されたFIFAワールドユース選手権での活躍はヨーロッパのいくつものクラブを引き付け、イスラエルのテルアビブで行われたマカビア競技大会後の2005年7月にブンデスリーガハンブルガーSVに入団した。2005-06シーズンは3部リーグに所属するリザーブチームでプレーし、2006年10月12日、シャルケ04戦でトップチームデビューした。10月22日のバイエル・レバークーゼン戦で初先発出場し、90分間交代することなく戦い抜いた。2-1で勝利したこの試合はハンブルガーSVのシーズン初勝利だった。2007年夏、RCストラスブールSCヘーレンフェーンセルティックFCFCバーゼル、特にダービー・カウンティFCが彼に興味を寄せた。

ダービー・カウンティ

2007年8月9日、新しくプレミアリーグに昇格したダービー・カウンティFCで働くためのイギリスの労働許可証を取得し[5]、8月10日に移籍契約が完了した[6]。9月17日のニューカッスル・ユナイテッドFC戦で途中出場してデビューし、1-0で勝利した。移籍を望んだビリー・デイヴィス監督が解任されてポール・ジュエル新監督が就任したため、前半戦の出場機会は少なかった。2007-08シーズン冬の移籍期間にはイスラエルのマッカビ・テル・アビブやアメリカのニューイングランド・レボリューションが興味を示したが、どちらにも移籍することはなかった。昇格から1シーズンでFLチャンピオンシップ(2部)への降格が決定すると、ダービーはフリートランスファーで彼を放出した。

オーフスGF

2008年8月15日、デンマーク・スーパーリーグオーフスGFと契約した。9月1日のFCノアシェラン戦でデビューし、初得点を決めた2009年7月27日のランダースFC戦ではマン・オブ・ザ・マッチに輝いた。

アメリカ代表[編集]

2005年11月12日のスコットランド戦と2006年3月22日のドイツ戦(いずれも親善試合)に招集されたが、出場機会はなかった。祖父母がオーストリア出身であるため[7]、2006年11月30日にはアンドレアス・ヘルツォーク監督が率いるオーストリア代表に誘われた。2007年3月15日、ボブ・ブラッドリー監督率いるアメリカ代表のエクアドル戦とグアテマラ戦に招集された。3月25日のエクアドル戦でデビューし、6月2日の中国戦で初ゴールを決めた。6月24日のCONCACAFゴールドカップ決勝・メキシコ戦ではチームを勝利に導くボレーシュートを決めた。

所属するダービー・カウンティFCで控えに降格し、さらに深刻な怪我を負ったため、代表からは遠ざかった。しかし、2008年の北京オリンピックに出場するアメリカ代表メンバーに選ばれ、3試合ともに途中出場した。フル代表から1年以上も遠ざかっていたが、2009年のFIFAコンフェデレーションズカップに参加する代表メンバーに選ばれた。この大会の招集メンバーには、UCLAでともにプレーしたジョナサン・ボーンステインや、UCLAの先輩に当たるカルロス・ボカネグラなどがいた。6月24日の準決勝・スペイン戦に出場し、チームの2点目に絡んだ。決勝では生まれ故郷のブラジルと対戦し、2-3で敗れた。

2010年5月27日、2010 FIFAワールドカップ本大会に向けたアメリカ代表メンバーに選ばれた[8]。グループリーグのスロベニア[9]アルジェリア[10]、決勝トーナメント1回戦のガーナ[11]に途中出場した。

個人成績[編集]

代表での得点[編集]

 #  日時 場所 対戦相手 スコア 最終結果 大会
1 2007年6月2日 アメリカ合衆国の旗 サンノゼ 中華人民共和国の旗 中国 2–1 4–1 親善試合
2 2007年6月24日 アメリカ合衆国の旗 シカゴ メキシコの旗 メキシコ 2–1 2–1 CONCACAFゴールドカップ2007

タイトル[編集]

  • アメリカ合衆国の旗 アメリカ代表
CONCACAFゴールドカップ:2007

脚注[編集]