ボブ・ブラッドリー
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| 名前 | ||||||
| カタカナ | ボブ・ブラッドリー | |||||
| ラテン文字 | Bob Bradley | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1958年3月3日(55歳) | |||||
| 出身地 | ニュージャージー州 | |||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ボブ・ブラッドリー(Bob Bradley 1958年3月3日 - )は、アメリカ・ニュージャージー州生まれのサッカー指導者。
目次 |
来歴 [編集]
1981年、22歳の時にオハイオ大学でサッカー指導者としてのキャリアを開始する。1983年、彼の前のアメリカ代表監督だったブルース・アリーナに誘われ、バージニア大学で彼の元でアシスタントコーチを務める。1984年、プリンストン大学で監督に就任。同大学を11年にも亘り指導する。 1996年、新しくスタートしたメジャーリーグサッカー(MLS)のD.C. ユナイテッドで再びブルース・アリーナの元でアシスタントコーチを務める。
1998年、新しくMLSに加入したシカゴ・ファイアーの監督に就任。チームをMLSカップとUSオープンカップの2冠に導き、その年のMLSのコーチ・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀監督)を受賞する。 その後、メトロスターズ(現ニューヨーク・レッドブルズ)、チーヴァスUSAの監督を歴任。チーヴァスUSAでは前年最下位だったチームをプレーオフまで導き、自身2度目となるコーチ・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀監督)を受賞した。
2006年12月、2006 FIFAワールドカップでの成績の責任を取り退任したブルース・アリーナの後任としてアメリカ代表監督に就任。2007年6月にアメリカで行われた2007 CONCACAFゴールドカップで見事に4回目の優勝を果たし評価を高めるが、その直後に行われたベネズエラで行われたコパ・アメリカ2007ではグループリーグ全敗で終えて批判を受ける。
2009年6月、北中米代表としてFIFAコンフェデレーションズカップ2009に出場。グループリーグを辛くも突破し、準決勝でスペインを撃破[1]。決勝でもブラジルを相手に2点をリードしあと一歩のところまで追い詰めたものの、2-3で敗れた。
2010 FIFAワールドカップでは一時グループリーグ敗退の危機もあったが、最終的にはグループリーグを1位突破してベスト16を成し遂げる。2010年8月、契約を4年延長した。
2011年7月28日にアメリカ合衆国サッカー連盟により解任された[2]。
同年9月14日、エジプト代表監督への就任が決定した。
人物 [編集]
- サッカー選手のマイケル・ブラッドリーは実子。2006年から2011年まで在任していたアメリカ代表では父親が監督、息子が選手という形で活躍していた。
- ブラッドリーには2人の弟がいる。2歳年下のスコットは1980年代にシアトル・マリナーズに在籍した経験を持つ元メジャーリーガーであり、年齢差は不明だがもう一人の弟ジェフはスポーツ雑誌ESPN The Magazineの記者である。
指導歴 [編集]
- 1981年-1983年
オハイオ大学 - 1983年-1984年
バージニア大学 (アシスタントコーチ) - 1984年-1995年
プリンストン大学 - 1996年
U-23アメリカ代表 - 1996年-1997年
D.C. ユナイテッド (アシスタントコーチ) - 1998年-2002年
シカゴ・ファイアー
- 2003年-2005年
メトロスターズ - 2006年
チーヴァスUSA - 2006年-2007年
U-23アメリカ代表 - 2006年-2011年
アメリカ代表 - 2011年-
エジプト代表
脚注 [編集]
- ^ この試合までスペインは国際Aマッチ15連勝中、35戦無敗としており、無敗の世界記録の更新がかかっていた。
- ^ ブラッドリー代表監督を解任 米国サッカー協会 - スポーツナビ 2011年7月30日閲覧
関係項目 [編集]
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