カミーユ・デムーラン
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カミーユ・デムーラン(Lucie Simplice Camille Benoist Desmoulins、1760年3月2日 - 1794年4月5日)は革命派のジャーナリスト。性別は男。
[編集] 人物
ピカルディ地方生まれでパリのルイ大王学院でロベスピエールと同級生だった。優秀な学生で弁護士を開業するがあまりはやらなかったので生活は貧しかった。また、吃音であったことも知られている。
1789年、大蔵大臣ジャック・ネッケル罷免の際にパレ・ロワイヤル広場で「武器を取れ」という演説をしてパリ市民の蜂起を促す。
1790年12月29日には、リュシル・デュプレシと結婚。実に7年越しの恋が実った瞬間であった。
かつての友であるロベスピエールに対抗し、ジョルジュ・ダントンと共に、反革命派に対する寛容を主張。それが元となり、ダントン派として処刑された。